私の都合

近藤近道

私の都合

「残り三十分しかありません!」

 私の部屋のキッチンで女優のような顔の男が叫ぶ。

「いるんだろ、開けてくれ!」

 そして玄関のドアを別の男が叩き続けている。

 ゴリラのように筋肉質な男で、加減せずに叩いている。

 そのうちドアが壊れそうで怖い。

 必死に呼びかける声も怖くて、この男は部屋に入れたくない。

「残り三十分しかありません!」

 女優顔がまた叫ぶ。

 そっちの方に目をやると女優顔は相変わらずの青白い絶望した表情だったが、キッチンで作ったらしきカップスープを飲んでいた。

 女優顔の声を聞いて、中に人がいると確信したゴリラはドアを叩き続けている。

 時間よ早く過ぎろ、と私は玄関ドアの前で祈っている。

 それから何分か経った。

 ゴリラがドアを叩く音がしなくなった。

 男が変わったのかもしれない、と期待して私は郵便受けを開いた。

「やあ」

 ゴリラとは別の青年だった。

 別人だというのは声でわかった。

 小さな四角い口からは、お互い目の辺りしか見えない。

 目以外見えないので、見つめ合う。

 時間が経てば男は変わる。

 そして私はドアの前に立つ男たちを選別し、部屋に招き入れたり入れなかったりしていた。

「残り三十分しかありません!」

「今の声は?」

「わかんない。ずっと前からああ言ってる。何時間も前から、残り三十分って」

「彼氏?」

「ではない。なんか面白いから、飼うことにした」

「そう」

 青年は目を逸らした。

 なにかを考えているふうだった。

「面白いの?」

 と聞いてきた。

 面白い、と私はうなずく。

「どこが」

「まるであと三十分で世界が滅びてしまいそうに叫んでるでしょ。ならあと三十分はなにしたっていい。自由。やったね。って思うから」

「前向きなんだね」

「近くに自分より不幸な人がいるとほっとするだけ。ひねくれてんの」

「そうなのかな」

 私はなにも答えなかった。

 一分は見つめ合っていた。

 すると無言で見つめ合うことに耐えかねたのか、

「どうして俺はここにいるんだろう?」

 と青年は言った。

 首を傾げたので、その時だけ片方の目がこちらからは見えなくなった。

「知らないけど、代わる代わる男がドアの前に来てる。しばらくすると別の男になる」

 私は、こちら側から見た状況を教える。

「もしかして三十分ごとに?」

「ううん、五分くらい」

 短いな、と青年は言った。

 ゴリラから青年に変わってから、もう三分くらいは経っている。

「気に入ったやつは部屋の中に入れられる。そうやってハーレムを作ってる」

「今はどんなやつがいるんだ? 三十分しかないやつと」

「それと知恵の輪を解く人。解いては元に戻すのをずっと繰り返してる」

 知恵の輪はずっと居間から動かず、知恵の輪をやり続けている。

 癒やし効果のある動く置物として、部屋に入れたのだった。

「それから?」

「もういない」

「それハーレムじゃないだろ」

「私もそう思う」

 私はドアを開けた。

「そろそろ話し相手がほしかったから、入ってよ」

「そんな理由でハーレムに入れられるのか。いや、やっぱりハーレムじゃないなこれは」

 ぶつぶつ言いながらも、話し相手は部屋に入ってくれた。

 話し相手はちょっと髪が長い。

 そして金髪に染めている。

 髪が長いのもわざと伸ばしているのだろう。

 ドアを閉めて、次の男が現れるのを待つ。

 話し相手には傍にいてもらうが、息を潜めて男を待つ私に同調してか、彼も息を殺している。

「残り三十分しかないんですよ!」

 女優顔が、初めて誰かに向かって叫んだ。

 叫ばれたのは私か、あるいは話し相手だった。

「ああ、うん。そうなのか」

 話し相手は、会話をしようと試みるのだが、

「残り三十分なんですよ!」

 と再び叫んだ女優顔はドアを開け、走って外へ出ていってしまった。

「おい、出てっちゃったぞ」

「うん」

 私は驚きで目をまん丸くしていた。

 うんじゃなくって、と話し相手は立ち上がる。

「追いかけた方がいいんじゃないのか」

「そうなの?」

「一応、お前のハーレムの一員だろ」

 そう言われて、彼を探すのが私の責務のように思えてきたので、私も立ち上がった。

 二人で外に出る。

 ドアの外は夜だった。

 夜であることに、今まで気づいてなかった。

 話し相手は車を持っていたので、その車に乗って女優顔を探すことにした。

 しばらく走ると、私の住んでいる町から出たみたいだった。

 夜だからよくわからないが、見晴らしのいい道路を走っているらしい。

 遠くの町の明かりが見える。

 近くに見えるのは、路上のガードレールや外灯の光、そして私たちの乗る車のライトだけだった。

 他の車が見当たらない、暗い道路。

 もはや私の暮らしていた世界ではなかった。

 男がドアの前に代わる代わる現れていた時点で、そのことはわかっていたけれども。

「たぶんあそこは海だな」

 と話し相手は右を見て言った。

 ガードレールの向こうには、光を発する物がなにもなかった。

 その光のない一帯が海であるらしい。

「泳ぎたい」

 と私は言った。

「馬鹿か。今はあいつを探すんだろ」

 話し相手は笑った。

 冗談でも泳ぎたいって言ってくれたっていいのに。

 そう思ったら腹が立ったので、

「ううん。海に行きたい。泳ぎたい」

 と私はごねた。

「思えば私は、いつも男の自分勝手に振り回されてた気がする。あの子を探してるのだって、あんたがやるべきだと思ってることであって、私の意思じゃない」

「なら、お前が決めなよ」

 話し相手は、ゆっくりとブレーキをかけて車を止めた。

 優しい言い方ではなかったけれど、突き放すような感じでもなかった。

「運転代わるから」

 と話し相手はシートベルトを外した。

 そして彼に言われたとおり、私は席を交換して運転席に座った。

「お前の行きたい所に行けばいい」

 そう言われても私は海の方には行けなかった。

 女優顔を探す、と思って車を走らせていると、道なりに真っ直ぐ走っていただけだったのに彼を見つけてしまった。

 遠くから明かりが見えていた町に私たちは着いていた。

 女優顔はゴリラと一緒にいた。

 ゴリラは私の部屋のドアにしていたように、家のドアを叩きまくっている。

「誰かいないのか!」

 叫びながらというのも同じだ。

 だけどその後ろで女優顔が、

「やめましょうよ、残り三十分しかないんですよ!」

 とドアを叩くのをやめさせようとしている。

 私たちの車のライトはつけっぱなしだったが、ゴリラはこちらに寄ってこなかった。

 次へ次へと家のドアを叩いていく。

 人を求めてドアを叩くゴリラと、残り三十分だと言い続ける女優顔がセットだと、あと三十分でこの世界が完全に滅びてしまうのだという想像が起こってくる。

 ほとんどの人間が消えてしまっていて、三十分後には一人も残らない。

 そんな世界の終わり。

 でも実際には、女優顔のカウントダウンはいつまでも進まない。

 そもそもなにが残り三十分なのかすら不明だ。

 ゴリラだって、世界の滅びとは違う理由でドアを叩いているのだろう。

 それぞれの男がそれぞれの都合で動いているだけだった。

「馬鹿らしい。帰ろう」

「いいのか、連れて帰らないで?」

「いいよ」

 と私は車を走らせた。

 話し相手は、ならいいけど、と従った。

 帰り道、あの海らしき一帯の道で、話し相手はあくびをした。

「早く帰って寝ようぜ。明日も仕事があるんだから」

「え、仕事ってあるの? 世界がこんな変なふうになってるのに?」

 私はドアの前で男を選別する日々が続くものだと思っていた。

 そうではないのか。

「俺はあるつもりでいた」

「私はないつもりだった」

「どっちだろうな」

 明日にならなきゃわからない。

 そんな結論になると、ますます話し相手は早く寝なきゃな、と言い出す。

 明日がどうなっていてもいいように寝るのだと。

 だけど私はハンドルを切った。

「海に行こう」

「はあ? 今から?」

「うん」

「今、寝ようって話をしていたんだが?」

「私、思うんだけど、あの子が残り三十分って言ってる間は夜のままな気がする。だからその間はどんだけ遊んでても大丈夫」

「詭弁だ。正気を失っている」

「いいの。とにかく海に行くの」

 いつ夜が明けるかわからないけど、とにかく私は願う。

 私の都合で時間よ止まれ。

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