第6話
「遠方の村のご出身ということでしたら、今のシンバル王国についてお話ししておいた方が良いですか?」
青年は親切にユニに申し出る。
ユニは小さな声で、「よろしくお願いします」とだけ言って頷いた。
「それでは」
青年は喉の調子を整えると、よく通る美声で語り出した。壮大な物語が始まりそうだった。
「現状から申し上げますと、今のシンバル王国ほど住み良い場所はないでしょう‼︎」
青年は手を天に向かって広げ、空を仰ぎ見る。陶酔したような素振りだ。しかし彼はいたって真面目な表情だ。
「司祭様のもと、我々エリエル教会が現在の平和を保っていると自負しております」
それだけ言うと、青年は満足そうに頷き口を閉じた。
ユニは怪訝そうな顔をしている。
「……あの、具体的には?」
「ん? ああ、そうですねえ。それは、着いてからのお楽しみということで。それにあまりお伝えしても、残念ながら意味がありませんし」
口に人差し指を当てながら、青年はそう言った。
発言を止められ、バツの悪いユニは逃げるように視線を背けた。
「そういえば」
青年は唐突に声を発した。
ユニは驚いて肩を震わせる。
「まだ、名前を聞いていませんでしたね。よければ教えて頂けませんか? ちなみに私はハインリヒ・シュプリンゲルと申します」
ユニは当惑した表情を浮かべる。目が激しく泳ぎながら、なんとか言葉を絞り出した。
「……メトラと言います。姓はありません」
「メトラ? あまり聞かないお名前ですねぇ」
「ええ、よく言われます。村でも変な名前でしたから、街の人からしたらさぞおかしな名前ですよね」
「いえいえ、良い名だと思いますよ」
ハインリヒはユニに微笑みかけた。そして、首からかけた十字架を握りながら小さく「メトラ、メトラ」と繰り返した。その声はかすかに震えていた。
偽名でやり通せたことにユニは安堵していた。自惚れではなく、自身の名が世間で知られているかもしれないとユニは考えたからだ。
日がだいぶ傾いてきた。
ちょうどユニの腹が鳴った。
ハインリヒはキョトンと目を丸くした後、小さく笑い、「それでは、少し早いですが夕飯にしましょうか。大したものではありませんがご馳走します。出来上がるまでゆっくりしていてください」と言った。
後ろの男たちが、食事の支度を始める。慣れた手つきで火の用意を終えた。
ユニはゆらゆらと燃える火をただ、ぼーっと見つめている。その視界の端で、ハインリヒが三人に目配せをする。三人は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも逆らえなかった。ポーチから小瓶を取り出し、中身をユニの使う器に塗りつけた。ユニはいっさいそれに気づかない。
ユニはその後、辺りを見回した。やけに広く草原が広がっている。昔は、それなりに木がはえていた。ユニにはその景色が新鮮に感じられる。
「……できました」
男が低い声を発した。泣き散らして喉が潰れたような声だ。
「ああ! ありがとう。ほら、ユニ君も」
「ありがとうございます」
ユニは差し出された器を何も考えずに受け取った。スープの匂いがユニの食欲を刺激する。
ハインリヒにならって、食事の挨拶を済ませ、ユニは一口目を口へ入れた。旅路の素朴な料理だが、空腹にはたまらないほど美味しく感じられ、ユニはペロリと平らげてしまった。物足りなさを感じながらも、ユニは二杯目は頼まなかった。それは不幸中の幸いだったのかもしれない。
「ごちそうさまでし……ら?」
礼を言って器を渡そうとした時、指先が痺れユニはそれを落としてしまった。ユニは慌てて手を伸ばそうとするが、体がうまく動かせない。そこで、ユニは体の異変に気付く。
痺れるような痛みが、全身に回り出し、呂律もうまく回らない。立ち上がろうとして、ユニは必死に杖にしがみつく。
ユニは毒を盛られたことに気がつく。
「ら、なんれすか⁈」
ユニの問いに、ハインリヒが立ち上がる。
「あぁ‼︎ やはり自覚もないのですね‼︎」
悲劇を目の当たりにしたように、ハインリヒは叫ぶ。限界まで見開いた目元を指で覆い、涙をたくわえる。
「あぁ‼︎ なんと悲しいことなのでしょう‼︎ これも全ては悪魔の仕業。ですが、安心してください。我々が貴方の懺悔を聞き、償いを促し、天国へと導いて差し上げますから‼︎」
ハインリヒがそこまで言った後、男たちが縄を持って、ユニへと近づき始めた。男たちは、決してハインリヒの方は見ない。ユニに対して憐れむような目を向けていた。
「さあ、捕まえなさい。これが私たちの仕事です」
男が一斉に飛びかかる。
ユニは目をつむった。しかし、それは恐怖からくるものではなかった。
毒素が分解される様子を頭の中で想像しながら魔力をおこす。直後、ユニは脳内で静電気が走り火がつくような感覚を覚え、体中から痺れが消え、自由に動けるようになった。しかし、同時に疲労感を覚えた。
ユニは焚火に向かって杖を振るう。
男とユニの間に燃え盛る炎の壁がうまれた。男たちは慌てて、足を止める。
「……なんということでしょう」
世界の終わりを見たかのように、ハインリヒは衝撃を受けていた。「そんなはずはない。そんなはずはない」と震え声で繰り返しながら十字架を握る。
「貴方は魔法が使えるまでに悪魔と深い契約を結んでいたのですか……」
ハインリヒは腰に下げた剣を手に取った。
「すごく残念です。もう貴方の魂は誰にも救えません。せめて、これ以上の罪を重ねる前に私が殺してあげましょう。それが私の仕事ですし、きっと我らが神もそうお考えでしょう」
絶望の表情を浮かべながら、ハインリヒはユニに向かって剣を繰り出した。
ハインリヒは滑らかな歩法でユニとの距離を詰めようとする。男たちもそれに続く。人数差から彼らは勝ちを確信していた。だが、それはすぐに裏切られる。
ユニは杖を振り、意のままに炎を操り、剣の間合いに持ち込ませない。
ハインリヒらは火が目の前に迫るたびに、思わず後ずさる。ユニの手のひらの上で踊らされているような感覚が彼らに焦燥感を抱かせる。
男がユニの炎を避け損ねる。
とっさにユニは男から火を遠ざけてしまう。ユニは人を傷つけるのを怖がっている。
それを見たハインリヒがニヤリと笑った。
ハインリヒは熱に怯えず、ユニの元へと進んでいく。火を避けようとはしていない。近づけば火の方が避けていっている。
「どうしたんですか? ああ、そうですか。わずかな良心が残っているのですね。それならば私もそれにこたえましょう」
ハインリヒの振るう剣がユニをかすめる。
一太刀受けるたびにユニは激しい痛みを感じる。反撃もままならないために焦りが募っていく。ユニは窮地に追い込まれていった。
するとユニの視界が次第に赤みを帯び始める。
目の前に剣が迫った時、ユニは一瞬、人を傷つける恐怖や罪悪感を忘れられた。
炎がハインリヒを包み込む。同時にユニに意識が戻る。
「なっ‼︎」
ハインリヒはとっさに後ずさった。
「……ついに最後の良心が失われましたか。ですが、私の使命に変わりはありません」
ハインリヒ達の攻撃が再開する。
すると直後、縄を持った男が駆け出そうとした拍子につまずいた。縄が男の手を離れる。
すかさずユニはそれを操った。
炎で一箇所にハインリヒらを追い込み、縄でしばりあげる。ユニは杖を振るだけで、彼らを圧倒した。
火を消し、ユニはハインリヒの元へ歩み寄る。
「どうして僕を襲ったんですか?」
ユニはハインリヒの顔を覗き込む。男三人は目を合わせないが、ハインリヒは逆にユニから目を背けない。
「やはり自覚がないようですね。ああ‼︎ 悪魔憑きの哀れな魔女を救えない私をどうかお許しください‼︎」
ハインリヒは十字架を握ろうとするも、拘束された手は届かなかった。
封印から目覚めたら、魔女狩りが行われていて殺されそうなんですけど‼︎ 辻総つむじ @Tsumuji_Tsujifusa
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