第5話
ユニは南西へ向かって歩き出した。
怪物を討伐した場所からすぐ南に平原が広がる。そこにマーラとシンバルの両国は、川を挟んで並んでいる。そのため、二カ国から少し北の位置に踏みならされた街道があった。
今、ユニのいる位置は街道よりも北側。森に覆われない川の中流域付近にいた。
長い年月が経ったのだろう、激戦の後は見られない。穴もふさがり、草木も生え、川を流れる水が月光に黒く反射する。
ユニの目指す街道はユニが生まれる前からある。ユニは、祖母から彼女自身が幼い時に、他国から移住してくる際、そこを通ったと聞いていた。そのため、彼は長い封印でも、まだ、その道は使われていると考えたのだ。
「痛っ!」
歩きはじめてすぐにユニは痛みに顔をしかめた。しかし、ユニは足を止めない。
封印魔法は、ただユニの時間止めていただけだ。そのため、ユニはまだ疲労から回復していなければ、怪我もあり、衣服は血と土で汚れ、裾は焦げている。体が重く、酷い倦怠感をユニは感じていたが、そこで野宿するわけにはいかなかった。
そこが『森』から近いからだ。
はっきりとした名称はない。地域や宗教、文化によって、その呼び方は異なるし、第一、誰も近づきたがらないのだから別段名前をつける意味もないからだ。
人々は『森』を恐れていた。
一つにはその広さだった。とにかく広く、どれだけの大きさなのかも未だにわからない。だが、それだけでない。
海から近いためか頻繁に霧がでる。奥に行くほど木々の背が高くなり、日中でも薄暗い。そして、何より魔物が出る。
一度、足を踏み入れ、迷ってしまえば、待ち受けているのは死のみである。
まれに、森の深奥から出てきた魔物が街道で人を襲うこともある。
今いる場所に留まるのは、疲れ切ったユニにとっては危険だった。
疲れた体を鞭打って何とかユニは歩みを進めた。
東の空が白むころ、ユニは街道へとたどり着いた。
ユニは道の端に座り込み、息を吐いた。そのまま倒れこみたい気持ちを抑える。そして、手に持った杖を振った。
すると、草についた朝露が、いっせいに宙に浮かびだす。そして一塊の水となる。
再びユニが杖を振るえば、水が沸騰しだした。1分ほど経った頃、ユニはそれを止めた。
腰から牛革の水袋を取り出し、水球をその中へと導く。まだ飲むには適さない温度のため、腰へ戻した。
立ち上がり、ユニは道を西へ、まだ暗い空へ向かって、太陽を背に進みだした。
日がてっぺんを過ぎた頃、後ろから聞こえる足音にユニは振り向いた。
男四人がユニの後方を歩いていた。
一人だけ金髪の青年を先頭に、その後ろに残りの三人が続く。青年はやけに晴れ晴れとした表情だが、残りは少し顔色が悪い。対照的な両者にユニは違和感を感じた。
ユニは話を聞こうと思って、足を止め彼らを待った。
次第に、距離が縮まる。男たちもユニを視認したようだ。男三人の顔色がさらに悪くなり、青年は三人に向かって小さな声で何か言うと、小走りでユニの元へやってきた。
「こんにちは。道にでも迷われましたか?」
青年の声は明るく澄んでいて、よく通った。まさか向こうから質問されるとは思わなかったユニは狼狽した。
「えっと……多分そんな感じです」
「珍しいですね。シーラ街道は分岐もないですし」
ユニは自分の軽率さを後悔した。もう少し適当な言い訳や嘘の設定を考えておくべきだった。なんとか、とっさにユニは嘘をでっち上げる。
「あの……僕は、ここから随分と西方の小さな村の出身で今日初めて、こちらの方へ来たんです。なので、街道のこともよくわからなくて」
「ああ! そう言うことですか」
青年はニッコリと笑う。完璧すぎる笑顔を浮かべている。
「ちなみに、目的地の方を伺ってもよろしいですか?」
「えっと、マーラ王国に行きたいなって思っているんですけど……」
「あの、マーラ王国って言いましたか?」
「えっ! はい……そうですけど」
「申し上げにくいのですが、マーラ王国は二十年ほど前にシンバル王国に制圧され、すでに滅んでいます。失礼ですが、遠方の村の方まではまだ、情報が伝わっていないのかもしれません。いや、それとも……」
青年は顎に手を当てたが、すぐにハッとしたようにそれをやめた。
「……そ、そうですか」
ユニはショックを隠せなかった。弱々しい声で答えながら、両手で杖を握りしめる。
「ご親族の方がいらっしゃいましたか?」
「……」
ユニは何も言えずにいた。それを見た青年は言葉を続けた。
「でも、ご心配いりませんよ。シンバル王国と教会の統治のもと、元マーラ国領は平和に保たれています。それに疫病で弱ったところを制圧した形なので、戦死者はいません。病気に罹患していれば分かりませんが、きっとあなたのご親族もお元気だと思います」
青年は服装を整え、手を拭うとそれを差し出した。
「どうですか? ちょうど私たちもマーラの方へ向かうつもりでしたので、ご一緒しませんか?」
青年の後ろの三人は青年の手を睨みつけ、ユニに目配せをする。しかし、下を向くユニの視界には手しか映らない。彼らの努力は虚しく終わった。
言われるがままに、ユニは手を取った。
「……お願いします」
「任せてください」
青年は優しい微笑みを浮かべる。
途端に三人の顔が一層青くなる。彼らはもうユニの顔を見ないようにしていた。記憶の中からもその顔を消そうとした。十分に慣れてしまった彼らには、人の顔ひとつ忘れることはとても簡単なことだった。
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