第4話

ぼんやりとしたユニの意識が、だんだんと覚醒して行く。しかし、まだユニには何も見えず何も聞こえない。


ユニは、静かな部屋で昼過ぎに目覚めた時のようなぼんやりとした感覚を覚えた。あまりの平穏さに寝坊をしてしまったと思い、慌てて体を起こそうとする。しかしユニは指一本を動かせない。四肢が存在するのは感じられても、微動だにしない。そこで、やっとユニは現状を理解した。


ユニは幾つもの疑問を覚えた。


まず、ユニが気になったのは、やはり、封印魔法をかけられたことだ。自分の体の感覚がないことや五感のどれもが機能していないことから、封印魔法をかけられていることを、ユニはすぐに理解できた。しかし納得がいかなかった。なぜなら、そんな魔法は事実上存在し得ないと考えられていたからだ。


魔法はその性質上、大抵のことが再現可能である。世界の理に即していれば、わずかな魔力で、いかなる奇跡をも起こすことができる。しかし、それには現象の解明が不可欠であり、それが為されなければ、莫大な魔力が——時には魔法を発現するために死に至ることさえある——必要になる。封印魔法はまさにそのようなものであった。


最初に封印魔法を提言した魔法使いは、角砂糖を数秒、封印することもできずに死んでいった。それ以来、封印魔法を研究するものはいなかった。それゆえ、自分の現状がユニにとっては不可解でならなかったが、彼には他に思い当たる節がなかった。


その原理は何なのか、いかにして効率を上げたのか、触媒は何なのか。好奇心をくすぐられついユニは考え始めそうになり、慌ててそれを止めた。よくない癖にため息を漏らし、口から息を吐く。ユニは口元の感覚が戻ったことに気がついた。きっともうすぐ封印は解けるのだろうとユニは思った。


「ケッツァルさんはどうなったのかな……」


ユニは次に、逃げていったケッツァルたちはどうなったのかと考えたが、すぐにそれが詮なきことだと気づく。数年、十数年単位の封印魔法ではその意味がない。少なくとも半世紀は過ぎているはずで、きっとケッツァルはすでに死んでいるだろう。ユニは寂しく思ったが、どうすることもできなかった。


ユニの両手が動くようになり、感触を確かめるように、握ったり開いたりを繰り返した。持ち物も一緒に封印されたのか、ユニの手には杖の木目の感触があった。皮膚が裂けた拳に痛みを感じて、自分が暴走したことをユニは思い出した。


ユニは腕を抱き寄せ、動くようになった脚を曲げた。幼子のように丸まり身を固めた。ユニは僅かに肩をふるわしながら、ぱっくりと割れた手の傷を確かめるように撫でた。染みるような慣れない痛みを忘れ、手を握りしめる。


ユニは、自分の視界の中で痛めつけられている怪物の姿を思い出す。その時は誰が怪物を圧倒しているのかもわからず、助けが来たとさえ思っていた。しかし、思い返してみれば全て自分がやったのだと、ユニは認めざるを得なかった。


一体、何で自分が暴走したのか、魔法使いの自分がなぜ、怪物を圧倒できるほどの身体能力を発揮できたのか。そして、暴走している時の視界が赤みがかっていたのはなぜなのか。不可解な点が多く、しかもそのどれにもユニは仮説すらつけられない。あの光景が、魔法で見せられた幻だと言われた方がユニには納得がいくほどだった。


ユニは瞼をもちあげた。しかし、封印されている以上、周りは真っ暗で何もない。思考に集中しようと再び目を閉じた。


ユニにとって、一番の疑問は怪物についてだった。


突如として現れ、破壊の限りを尽くしたが、一体何が目的なのか。やはり元は人間なのか。なぜあんなにも強いのか。


ユニは思索を重ねたが、何も明確な手がかりはなかった。唯一、思いあったのは幼い時に聞かされた伝承だった。


まだ、地上に翼の生えた天使と角の生えた悪魔がいた頃のことだ。両種は互いに嫌悪しあい、争っていた。中立を保っていた人類を誘惑し、味方につけ、均衡を打ち破ろうとしていた。そんななか、魔法が使えない天使と角が小さな貧弱な悪魔が恋に落ちた。


そして二人の間に男の子が生まれた。彼は翼も角も持っていなかった。その存在を天使にも悪魔にも知られないよう、彼は人里で育てられた。二人も翼と角を捨て、人として生活していた。もともと落ちこぼれだった二人が行方不明になったところで、気にするものはいなかった。しかし、子が成人した頃、村を訪れた教会の司教によってその正体が暴かれてしまう。三人は村の中で激しい排斥を受けた。また、同時にその噂が天使と悪魔たちにも広がってしまった。未だに両種間では対立が続いており、このことは多くの反感をかった。天使の長と悪魔の王が種を裏切った同族をこの子の目の前で八つ裂きにした。すると、怒りに飲み込まれた少年は激昂し理性を失った。両親には似ない高い魔法の素養と身体能力で、種を問わず殺戮を行なった。窮地に落ちいった、天使と悪魔は仕方なしに共闘し何とかそれを退治した。それ以来、二度と同じ過ちを繰り返さないように、彼らはそれぞれ、空と地下深くにわかれて移住したのだった。こうして、地上には人類だけが残された。


この話は、多くの語られ方をするが、ユニは地上に天使と悪魔がいない理由としてこれを聞いた。しかし、暴走した少年は翼と角を持ち、魔法も拳闘も可能だという点で怪物に類似している。ユニは、何か関係がないのかと思ったが、天使も悪魔も見たことがないのだから、ただのおとぎ話に過ぎないと結論づけることにした。


ユニは薄っすらと瞼の裏に光を感じ始める。


そろそろ封印が解けるのだろう。


仲間に会えない悲しみや未だ残る疑問を抱きながらも、ユニは百年後の世界の様子に淡い期待を抱いている。広く認知されず、誤解を受けやすかった魔法使いが、より良い待遇を受けていることや、国同士の仲が改善され戦争がなくなることなど、長い年月の作用にユニは期待していた。


不意に、ユニは重力に引かれた。風が頰を撫でた。草のなびく音や鳥の鳴き声がユニの耳に届く。天上で輝く望月がユニを照らし、その影が地面に伸びていた。ユニは月に目を奪われていた。


「……やっぱりそうだよね」


あたりを見てユニは呟いた。

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