⚓️🔹 後書き🔹⚓️
私が、この物語を書こうと思った直接の動機は、カクヨム様主催の「戦うおっさん」というお題でコンテストが開催されることであったが、実はもっと前から書きたいと、いや残したいと思っていた。
この物語は、自身が体験したことをもとに書かれたほぼノンフィクションの小説である。その体験とは、2011年九月から始まったタイ王国を襲った大洪水に私の会社が被災し、そこから約百日余りの日本人駐在員の復興の戦いのことである。
自然災害というのは世界のどこでも起きていることだが、とりわけ日本は、地震、台風、大雨とほとんどの自然災害が一年を通して襲いかかってくる国である。
記憶を遡れば、「阪神淡路大震災」の折は、大阪府内在住の私の自宅も大きく揺れはしたものの、損壊や、ましてや避難所暮らしを余儀なくされることはなかった。しかし、「阪神高速道路」の高架橋が無残にも横倒しになった映像には声を失った。
そして、「東日本大震災」の折はといえば、その様子をテレビのニュース映像で知るだけであった。平田が言うところの“神”の化身である「大津波」が次から次へと人々の命を呑み込み、家や家財道具を押し潰し流していったあの映像を見たときは声にならないを通り越して、この世の断末魔を見せつけられた思いで、しばし立ち上がれずにいた。
そして、同じ年に起きたタイ王国での大洪水被害では、まさか自分がそんな大災害に被災するとは思っていなかったというのが正直なところであった。
そういった、自然災害に直面し、困難を強いられて余計に思いを強くしたことがあった。
平田が、タイ王国で数々の試練を乗り切ったその日に、Epilogueで語る、「神の選択」の理不尽さ、不条理さ————という「テーマ」は実は先の二つの大震災を日本人として経験して来た時から抱き続けてきたものだった。そして、昨年起きた「熊本大地震」で、いよいよ私は、“神”の存在と、その「選択」につき、思いを深くした。
故に、この物語を書くにあたり、日本人駐在員であるおっさんが「試練」と「復興」に立ち向かう姿は当然のように縦糸として描かねばならなかったのであるが、答えは出ないとはわかっていても、「神の選択」の拠り所はどこにあるのだ?——という、自分の中にある黒い「テーマ」をどこかに横糸として織り込み、忍ばせたかったのだが、筆力、構成力とも乏しく、最後に平田に語らせるのが精一杯であった。
この先、自然災害や「見えざる力」の悪戯で、いつ、どこで命を奪われることになるやもしれないことは、受け入れざるを得ないことであり、いかに人間なんていうものは、この自然界においては、ちっぽけな存在であることを思い知り、自らの「運命」を受け入れておくことが必要ではないかと思う。
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか ———— 「敦盛」の一節
思えば、人間は長生きしすぎるようになったのかもしれない。
“神”は自然界のバランスの均衡が崩れるのを嫌い、奴らを、我々の前に今後とも差し向けてくるに違いない。
その時、人は何をもってそれに抗らい、人が人としての尊厳を保ち続けられるのか。
大きな犠牲を強いても、“神”は、これからもそれを我々に問い続けるのだろう————。
この物語が、何十年か先、私がこの世からいなくなった後も、
2017年 十二月 十日
作者 千葉 七星
古都水没 千葉七星 @7stars
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