Epilogue & 後書き

✒︎=Epilogue=✒︎

 その日の深夜、平田は急に思い立って、ベッドから抜け出した。昨年使っていた手帳を引っ張り出し、余白の頁を探し、ペンを握った。

 

 『忘れないでおくこと』——— 。


 冒頭、そう書き込んで、缶ビールのプルタブを摘み上げ、煙草に火を点けた。


  ✒︎ ——————————————————————✒︎


 俺は、今日、神が与えし「試練」なるものを、見事に克服したように思ったが、それは一瞬の思い違いだったようだ。


『“神”は、乗り越えられる者にだけ試練を与える』


 そんな風に、誰かが言うのを漠然と聞いていた。そしてそれは


『“神は、乗り越えられない試練を人には与えない』と言う風に言うものもいる。


 どちらにせよ、“神”はあまねく人々を深い慈愛をもって見守ってくれているのだと、俺は解釈していたに違いない。


  しかし、実際に我が身に降り掛かる「試練」に直面した時、その言葉は確かに自分を励まし、叱咤してくれた。

 そして、少しではあるが、“神”のについて考える様になった。 

そうすると…… ずっと、俺の中で燻り続けていた命題めいたものを、はっきりと口に出して、誰、彼となく問いたくなった。


“神”は、等しく人々を生かしているのか————?


時に、“神”は、あっけなく「罪もないもの」の命を奪いとってしまう。「試練」に立ち向かうことや、抗らうことすらさせないで。


 “神”は、何を拠り所に「生かすもの」をのだろう————。


 生かしておいて、(乗り越えられる)試練を与え、より強く鍛えんと期待するものだけを選んでいるのか?

 生かしておく意味のない弱者は、「試練」すら与えられず命を奪われるのか。


 それは、太古の昔から綿々と続いて来た自然界の「淘汰の原理」によるもので、弱者は滅び、強者だけが生き残ればいい。それが、“神”が創りたもうた、この世の普遍的なことわりなのだ——。


 ——それで、渋々しぶしぶ、納得しろということか?


 そうであるなら、この世界を創造した“神”というのは、血も涙もない冷酷な化け物としか思えない。 


 そうか!、それならば腑に落ちる。

 は、“神”の化身だったのか!————。

   

 俺には、はっきり言って熱心な信仰心も信心もない。キリストの神に祈ることもあれば、ヤオロズの神々に祈ることもある。また時には念仏を唱え、仏の救いにすがることだってある。挙句はあの世に行ったオヤジまで叩き起こして頼る始末だ。


 まったくもってご都合主義な話だ————。


 そんな俺だから、神も仏も、常に弱者、強者問わず、救い守り給うてくれる都合の良い存在だと思っていたに違いない。

 お目出度いご都合主義だと、神仏は噴飯のあと、冷たい失笑を寄越すことだろう。


 神は平等に……

 仏はあまねくの人々に救いの手を差し伸べる。


 神も仏も、存在したとしても、現実には“見えざる存在”である。

 ゆえに、神仏に絶対的な“力”を求め、困難に直面し、藁をも縋りたくなるとき、人は、その存在を信じたくなるのだろう。


 しかし、引き起こされた自然災害の数々が、無闇に人々の命を奪っていく現実を目の当たりにしていると、神や仏の存在など到底信じられなくなったし、説明のつかないその現実をどうやって理解したらいいのか、いまだに分からない。


 それは———。

 勝手に、神仏なるものが存在すると信じるから、そうなるのだ。

お前はいったい、誰に、何者に物を言おうとしているのだ!?

 この世に、形あるものは、生きているものだけだ。

 神も仏も、実は、人がその存在を創ったのものではないのか?


 五十余年このかた、真面目にこんなことを考えたこともなかった俺には到底、それらに答えらしきもの引き出せるわけがない。


 わからない。なにも、、、わからない——————。



 ただ、いまの俺に言えることがあるとすれば、


 人は、人によってのみ生かされる———、ということか。


 人から差し伸べられた手の温もりを、俺は確実に実感した。

 人が両隣の人の手を握り束になった時、そこには“見えざる偉大な力”がみなぎることも、実感した。

 そして、人が一人であることのちっぽけさ、ひ弱さも、痛いほど経験した。

 

 だから俺は、この先、生きている限り


 弱り倒れそうな人を見つけたら、すぐに手を差し伸べよう——。

 今日、明日の糧を求めて彷徨う人を見つけたら、持てるものを迷わず分け与えることをしよう——。

 一人ではなく、二人、三人、四人……と、できるだけたくさんの人に触れ合うことにしよう——。


 そんな、人なら誰にもできそうな小さなことを、この齢になって俺は初めて気づいたのかもしれない。

  


 “神”が「選ぶ」ことをやめないかぎり、その化身であるは、きっとまたいつか必ず、来る。


 しかし、その時—————


 “神”は、冷酷な眼差しの奥でを下す傍らで、人が人を生かし支える姿を見つけたら、静かに瞑目し、一筋の涙とともに、慈愛に満ちた微笑みをくださるものと、今は、そう信じたい————。


       

            2012年 二月二日、記す。

             

  ✒︎—————————————————————————✒︎



 しばし、ベランダでバンコクの深い夜の静寂しじまに身を溶かしたのちベッドに戻った。

 平田は、が変わった自分に気づいていたのだろうか、小さく口角をあげたのち、瞼をじた————。



                   「古都水没」 完

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