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 盛り野菜の赤や緑はまだ僅かに洗った時の水気を残していて、火魔石のランプの光を受けて輝く。とても綺麗だ。


 その上に乗っかっているのは、たれの掛かった竜や竜角羊、牛、豚などの生肉である。この夢のような大皿、生肉盛り合わせっていうのは、北にあるシヴォン共和国で沢山生産されている果実酒にとてもよく合う代物だ。葡萄酒が当たり前のようにあったし、やっぱりここは地球の過去か未来なんじゃないかと一瞬思ったけれど、一口飲んでみたらわかる、風味が全く異なるのだ。


 何だろう、地球産ワインにも様々な風味が存在していてその時々で印象は変わるけれど、シルディアナというところにいる限り、葡萄酒には何を入れて飲んでも美味しくなる。魔石化アルビジアの粉もそうだけれど、他にも、別の煎じ方をしたら解熱薬となるエルシエル・ハーブ、そのまま食べたら鎮痛・麻酔となる竜爪花も、酒に豊かな味わいをもたらす工夫の一つとして使われていたりする。勿論、もっと沢山の食用植物が貯蔵されているので、少しずつ覚えていきたいのはこれからの希望だ。


 夜もすっかり更けて、竜の角は少しずつ客が入ってきた。体格のいい若い男性が数名、後は近所の人。新装開店した時と比べたらちょっと人が少ないけれど、酒場っていうのはこんなものだろうか、と心配に思う。何故かというと、竜の角は竜車の停留所“南街区大通り中”のすぐ目の前にあるから、立地条件としては最高な筈だ。


 そんなことを考えながら、俺は席に向かって鉄板を持っていく。アンシールがいないので引き続きのんびりと一人ホールである。


 ところで、生肉盛り合わせは席で焼くもの。俺がテーブルの上に置いた足つきの鉄板には魔石動力回路が埋め込まれていて、スイッチのようなものを押したら鉄板本体が温まって、その上で調理が出来るのだ。ちゃんと温度調節も可能だし。こういう鉄板は何処の家庭にも存在するものらしいけれど、酒場とか飲食店用のものは一味違って、小さい子が描くような花みたいな形をしているし、中央は鉄板ではなくてシヴォライト塗装の木だ。その中に大皿を設置して、そこから肉をとって自分の手前で焼く。


 ついでに大皿もデカい。一抱えある。鉄板の大きさも半端ない。だけどテーブルは更に巨大なので何の問題もない。火傷をしにくい構造且つ多人数でも大丈夫な形にしたらこうなったらしいけれど、使いやすいかどうかは謎だなあと思ったりもする。ついでにこれ、場所によって温度を変えることも出来るらしい。それにしてはダイナミックすぎやしないか、痒い所に手が届くようにしたかったのだろうけれど、全身痒くなるような代物になっているような気もする。片付けるのは店の人だけどな!


「すぐに熱くなるので、お気をつけ下さいね」


「ありがとう」


「恩に着る」


「君も頑張ってくれたまえ」


 元営業マン俺氏、渾身の笑顔を披露したら、ガタイのいい若い男性三名のグループに労われたでござる。この人達は来店時から微笑みと柔和な態度を崩さない、良い兄ちゃん達だ。ちょっとだけ彼らの話を聴いていると、割と良い生まれの元軍人さんらしい、何でも革命を機に一斉解雇されて職探し中だとか。聞こえてくる言葉の順番はシルディアナの古典会話文法に則ったもので、そういう喋り方をするのは元貴族や元大領地の諸侯など、伝統のある家の人が主だという。


 色んな種類の肉が焼ける最強にいい香りがすぐに漂ってきた。ただし、別の場所へ向かう俺はそれを食えない。寧ろホールよりそっちの相手をしていてくれとナグラスから言われていた。


 そして、厨房から離れられないナグラスの代わりに鉄板を運ぶとかいう重労働の後で軽く溜め息をつけば、件の相手から声を掛けられるのだ。


「頑張っているねえ、ヨウスケ!」


「……マリア嬢、何杯目だ、それ」


「ははは、数えてないかな! まあいいじゃない!」


 ここにいる諸侯の娘はシルディアナの古典会話文法なんて使わないのである。


 そう、マリア嬢はカウンターの隅で出来上がっていた。


 いや、凄いぞ、彼女。ユーリとティトが行儀の良い若者らしく、夕方――昼十の刻で退出した後も、そこに残って高い酒も安い酒も呑むわ呑むわ、そして食べるわ。おかげで本日の売り上げ目標は楽々クリアである。ついでに俺もテイスティングに付き合わされたので、酒の種類や魔石との併せ、食べ物との相性も少しだけ身についた。自分が呑めるクチでよかったとしみじみ思う。


 ……けれど、目の前でグッダグダな姿勢になってふにゃふにゃ笑っている女よりは呑めないかな。


「金とか大丈夫なのか?」


「うーん、今日は大丈夫だけど、そろそろまずいかな! 私も働かなきゃいけないわね!」


「ああ、就職か……アテは?」


「ないわ!」


 ないのかよ。諸侯の娘ならありそうなものだけれど。


「まあ大丈夫よ、今は宮殿で職業案内が一杯あるから、探さなくてもあるわよ、どうせ」


「あれ、でもユーリもティトも仕事を探しているって言っていたよな?」


「あれは選り好みよ、選り好み」


 マリア嬢はおおよそ良い所の出らしくない渋そうな表情で、手に持ったグラスを軽く振りながら溜め息をついた。酒が入ってから口も眉も色んな方向に歪み放題である。


「お母様は自分で何でも好きな仕事を探しなさいって言っていたけれど」


「いいじゃないか、理解がある親で」


「でもさ、難しくない? 私、十七歳、成人になりたての癖に、こんなクソみたいな酔っ払いだけれど、今まで諸侯の娘だったし、将来はお母様の後を継ぐものだーって、信じて疑わなかったわ……っていうか、何でも好きな仕事って、何なの、ってね」


 そうか。本人にしてみれば、突然放り出されたも同然である。教養や知識はあるけれど、よくよく考えたら十七歳、日本で考えたら高校二年生だ。不安定な時期を抜けてちょっと自分が確立されてくる時期ではあるけれど、将来のことをしっかり考えている子よりも、進学とか就職とか、進路に迷っている子の方が多かった。自分に何が出来るのか把握して現実を見ることが難しいから、取り敢えず大学行っとくか、みたいな空気だったような。いや、シルディアナと日本を同列に考えること自体がナンセンスだけどさ。


「楽しいこととか興味のあることは一杯あるけれど」


「その辺を齧ってみるのはどうだ?」


「そうね、でも、元諸侯の娘とか、動きにくくて嫌よ、ほんと」


「そういうの、やっぱり誰でも気にするのか?」


「私、宮廷術士で名のある元貴族の娘の、すっごく可愛い女の子の友達がいるのね、その子、商人居住区で就職して、その辺の変な男に付き纏われていたのよ、火使いだからその場で撃退していたけれど」


「うわあ……って、ちょっと待て」


 その場で撃退していたって、マリア嬢の目の前で?


「見たのか、それ」


「凄かったわ、火の形の竜が、ドーン! バーン! ギシャーッ! って」


「よくわからんけど取り敢えず凄いのはわかった」


「近くにあった警邏隊の詰所も多少崩れたわね」


「……おい、その子は大丈夫だったのか」


 俺が訊くと、マリア嬢は脚を組んで鼻を鳴らした。見えそうになった太腿を胴着でさっと覆う時もグラスを手から離さないのが何とも残念である。果たしてユーリは彼女のこんな姿を見たことがあるのだろうか。


「あの子は優秀な火使いだから怪我なんてなかったわよ」


「いや、そっちじゃなくて、警邏隊の詰所とか壊したら……修繕費用とかさ」


「それね、後で聴いた話だけど、何か結構古くてボロボロの建物だったらしいし、警邏の人も建て替えたかったから丁度いいって言ってくれたみたい、その費用は付き纏っていた男に請求したらしいわよ……あの子は火の能力を見込まれて警邏入りしたわ、いいわね、術が使えるのって」


 いいわねえ、と、マリア嬢はすぐに言う、二回目。彼女は術を使えないのだろう。


「術を使える人っていうのは多いのか?」


「そんなに多くないわ、百人に一人くらいだったかしら……昔というか数百年前なんかは登用されて貴族とか諸侯になったりしたけれど、まあ、魔石動力が出来たし、人としての必要性は減っているわね……だけど、有利なことに変わりはないわ、警邏だったら元貴族も入っていきやすそうよね」


 元貴族の見栄とかそういうやつだろうか。平等になったといえど、自分に対しても周囲に対しても墜ちたという認識がついて回るのは、確かにやりにくいかもしれない。


「いいなあ、って思うの」


「……因みに、マリア嬢の楽しいこととか興味あることって?」

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酒場「竜の角」へようこそ! 久遠マリ @barkies

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