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マリア嬢が軟骨に伸ばす手を止め、引っ込めた。身を竦めながらそっとユーリの表情を窺って手を膝の上に落ち着かせたあたり、良く見られたいのかもしれない。そんな関係じゃない、とか、呼び方だけしか変えてくれない、とか、大領地の諸侯の子だ、とか、彼女も割と色々なものにしがみ付いていたいのかもしれない、なんて、ぼんやり思う。
「……私と同じ年になるが、あやつはずっと病弱で、宰相殿によって隠されてきたのだ、私だってつい三ヶ月前くらいまで顔も知らぬ従弟であった……それがまさか、快癒と同時に正式に戴冠し、結ばれたばかりの妻を亡くし、あまつさえ民との矢面に立つことになろうとはな……これが呑まずにやっていられるか」
何故そう思うかって、続いた言葉と深い溜め息が、ユーリは現実を受け入れようとしている、という事実をマリア嬢に突きつけているからだ。いや、彼は彼のやり方で最大限相手を尊重していて、彼女は彼女の見える範囲で出来るだけ相手を立てようとしている、この二人は案外両想いなのかもしれない。
「……ユーリウス、私ね、お母様から検証結果を教えて貰ったけれど、あの現場からは生物の残存成分は出ていないわ」
「そうか……まあ、血縁といっても遠い場所の話だ、シルディアナ放送でしか見たことがないからな」
ユーリは無理矢理自身を納得させるかのように首を振った。どうやら直接対面したことがないらしい。でも、同い年だというから、感じることも沢山あるだろう。
「……皇帝はユーリと同じ年でもう配偶者がいたのか?」
「そうだよ、宰相グナエウス・キウィリウス殿の娘御のラレーナ皇妃さ……披露目の日に、ヴァグール様に愛されて精霊に還った、と言われているけれど……革命の後は、その宰相殿も行方が知れない」
俺が訊くと、ティトが沈痛な表情で返してくれた。
「気の毒な話だ」
尻尾のような褐色のまとめ髪が首の動きに併せて揺れて、若者二人が酒のグラスを全部傾ける。と、マリア嬢が身を乗り出した。
「でも、それも、ラレーナ皇妃の残存成分だって出ていない筈よ……お母様から聞いたわ」
「ううん、どうだろう、セレイネ殿が本当のことを言っている保証はあるのかい、エルマリア殿? 公式発表だと、ラレーナ皇妃は精霊に愛されたからそういうものが残らなかったっていう話だ」
精霊に還った、というのは、直接的な表現に直すと“死んだ”という意味で間違いないだろう。だけれど、術の類が原因の場合は、その場に何らかの形で生物であったという証拠が残るようだ。個人の特定も出来る、ということで間違いないだろうか。
マリア嬢はやりきれないような表情になった。
「……今更お母様が私に嘘を言って何になるのよ、ティト」
「……それもそうだね、ウィクトール家の立場も難しかったのを失念していたよ」
ティトはほろ苦く微笑んで、両手で三角形の印を作った。マリア嬢もそれに続いて両手で三角形の印を作り、二人は視線を交わす。
「頂戴しておくわ……私もちょっとヴァグール様にあてられていたみたい……これも、もう廃れていくのかな」
「頂戴したよ……さあ、どうだろう、案外残りそうだけれど」
これ、が差しているのは、おそらく謝罪の姿勢のことだろう。上半身を折り曲げたり土下座なんかをしたりしないあたりが優雅で貴族的だ、と言ったら、どう思われるだろうか。そう思ったすぐ後には、二人とも揃ってフォークや手を軟骨の油茹でに伸ばしている。
「……うん、美味しいわよね、これ」
フォークを使わずに直接手を伸ばして指で摘まんでいくマリア嬢に対して、ティトは咎めるような視線を送っている。はしたないとでも言いたげだ。
「……君は相当、市井に染まったよね」
「堅苦しいのはもう嫌いなの、気が楽でいいわ、こうやってのびのびしている時に食べるのが一番美味しいし」
「まあ確かにそうだけれど、革命後のこんなに短い期間で市井の娘みたいな風に変わるわけがないだろう、とは思うけれどね……ユーリもこれでいいのかい?」
水を向けられたユーリは俯いていた視線を上げた。そこに先程までの憂いは見られない。大領地の息子だ、腹芸も、感情を隠すのも、おそらく得意だろう。
「私は存じていたぞ、エルマリアは色々な酒場へ赴くのが好きだそうだ」
「なんてこった、令嬢が聞いて呆れる」
「ねえ、また三角作りたいわけ?」
「おっと、失礼した、エルマリア殿」
「私もその機会に乗じて赴いたが、何だろう、酒場というのは賑やかなものだな」
ユーリはふわりと笑ってフォークを置いた。その目元や顔の形がちょっと見たことのある誰かに似ているような気がしたけれど、気のせいかもしれない。彼は、マリア嬢の真似をして指で軟骨の油茹でを摘まみ、口の中へ放り込む。真正面に座っている彼女がちょっと嬉しそうな顔をした。
おい、やっぱり大好きじゃねえか。婚約どうこうなんていらないから幸せになれよ。
「指が油まみれになるのは度し難いが、こういうのも有りだな、美味い……後はここが賑やかになれば完璧だ」
「そうかい、楽しいことなら私も呼んでくれよ……しかし、どうも、私はこういうのが抜けないから、馴染むのも一苦労だろうなあ……南街区や商人居住区の酒場とか飲食店で働くのがいいのかもしれないね」
「商人居住区の方はやめておけ、特に南北境の競竜場の近くは無法地帯だ」
「心得ておくよ……行ったことがあるのかい、ユーリ?」
「……エルマリアの迎えに個人竜車を回した」
マリア嬢のフットワークはどうなっているのだろうか、心配極まりない話である。ついでに競竜場とは何だろう、だけど、流れを断ち切りたくないので後でナグラスにでも訊いてみよう。
ティトは相変わらずフォークを使っている、まだ油茹でを指で摘まむことに抵抗があるらしい。二人の若者は口の中の者を飲み込んでから喋る為、マリア嬢が喋らない時の男同士の会話のテンポは結構ゆっくりだ。
何となく俺は頷いた。
「慣れといえば、俺も、二ヶ月でここの言葉も大体わかるようになったしなあ、最初は相当疲れるけれど」
「ヨウスケはやっぱり帝国出身じゃないのか、ラライーナかな?」
俺がラライーナだと言われる所以はこの髪と目の色のせいだろうけれど、多分もうちょっと色々な要素も混じってくるのだろうな、と思う。その他の外見的特徴は彫りが深いことくらいしかわからないけれど。
「違うんだなあこれが、竜が何を言っているのかはさっぱりわからない」
肩を竦めてみせれば、ティトが曖昧な笑みを寄越してきた。日本人的な微笑みは貴族とか諸侯にも有効かもしれない。
「……まあ、黒髪だけれど混じっている人っていうのもよく見かけるし、名前が不思議だけど、そうそういない顔でもないしね……見たところ、私達と同じくらいの年かい?」
「……いや」
惜しむらくは民族性による童顔である。
「俺は君らに十歳ぐらい足しておいてくれ」
「えっ」
「嘘でしょ?」
「……まことか」
いや、そんなに驚かなくても。
「えっ、肌綺麗、これで二十七歳? 普通もっとなんかこう削げ落ちているわよ、何処の民族なのよ、あんた」
「そこか、マリア嬢」
「腹立つわよね、綺麗な人に限って何も手入れしていないとか言い出すの、ユーリウスもだけど、本当にどうかしているわ」
「エルマリア、其方は美しいぞ?」
「……どっちかっていうと手入れの賜物よ」
渋い表情になったマリア嬢に向かって、ユーリは燦然と微笑んだ。
「己の美を意識して磨くことは素晴らしいことだ、努力をしてこそ理解出来ることとて存在するであろう、それによって得られるものは何であれ尊い」
「……ズルいわよね、ほんと」
三文芝居でも見せられている気分である。早く結婚しろよ、とでも言いたげなぬるい表情になっているティトの横で、やっぱり俺はユーリの顔が誰かに似ているような気がして仕方なかった。
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