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「はっは、美味いだろう! シルディアナの定番だな!」


 喜んで無限に食えるであろうものが定番とは。ナグラスは笑いながら、出来上がった包み揚げを更にてんこ盛りにして、厨房の外へ消え、あっという間に戻ってきた。


「何を入れたか気になっているだろう、ヨウスケ! 水魔石化した“アルビジア”の葉だ!」


「“アルビジア”?」


 訊けば、生粋の料理人は何処からか葉っぱを取り出し、作業が一段落して息をついた俺の鼻にぐいっと押し付けてくる。


「生はこっちだ! いい香りがするぞ!」


「本当だ」


 同じ清涼感のある香りがほのかに鼻腔を擽った。ナグラスはすぐに手を引っ込め、更に、その大きな手の中で小さな折り紙でもするかのように葉を何回か折り曲げ、繊維を分断するのだ。


「これをな! こうして、こうやって折ると、強くなるぞ!」


 出来上がったのは鶴でも何でもないただの葉の欠片だけれど、差し出された手に顔を近付けるとわかる。鼻の奥まで、すうっ、と通り抜けていくのは、爽やかでちょっぴりスパイシーな芳香。


「おお、凄い、肉にあうやつだ」


「飲み物なんかにも入れたりするな! 甘めの果実酒なんかに魔石化した粉をちょっと入れるのがお勧めだ!」


「成程……魔石化?」


 魔石化って何だろう? 魔石については、火、水、風、土、光、闇の六種類の力が宿った石だというのはわかっているけれど、石だけではなくて、他の物質も魔石になるということだろうか。


「生き物は“循環”――身体の中で血とか水とかが回っているだろう、それをしているから魔石になるのがちっと難しいけれどな、栄養や水分の供給を断ったもの、生きていたものなら、食材でも魔石化するぞ! 石とかも大抵は魔石になるが、“シヴォライト”だけは駄目だな!」


「“シヴォライト”?」


「術の力を一切受け付けない物質だ! よく伸びるからな、薄く伸ばして盾やら防具やら、そういうものに加工されるぞ!」


「へえ……」


 魔法――こっちでは術というらしい――防御力の高い鎧とかを作るならこれが必須と言ってもよさそうだ。俺はいつものノートに情報を書き込んでいく。あと二ページで紙が終わることに気付いた、休みの日に中央行政区のサーラさんの店まで行ってこよう。


「アルビジアは、普段は精神安定や不眠解消に使う薬草だ! 効果を見越して美味しく使うのが一番だ! 魔石化するとちっとばかし効果が強くなるから、これから眠いかもしれんぞ!」


「ええ、ナグラス、たった一つ食べただけで?」


 睡眠導入剤みたいなものだろうか。午前の商談は終わっているけれど、これから午後の裏方仕事もある、だというのに眠くなるとはこれ如何に。俺が訊いたら、肩を竦めたナグラスは珍しく小さな声を出した。


「お前さんは大丈夫だ、三人だよ」


 振り返った向こうでは、二人の青年と一緒にテーブルについているマリア嬢。


「ヨウスケ、裏方は今日はいらんから、あっちで話し相手になってやってくれ」


 何でまた、と言おうとして、ナグラスの顔を見て、何となく俺は理解した。気遣いの向こうに光る、異邦人の使い方を心得たドライな視線。


 今までの自分を全く知らない相手にだけ話せることっていうのは得てして存在するもので、プライベートなこととか、家族や友人には言えないようなこととか、本心とか、そういうのが口をついて出ることがあったりするものだ、と思う。聴いた側が話す第三者も今は特にいない、そんな俺が丁度良いのだろう。後腐れのない相手というわけではないけれど、程よい距離があって、他人について気にするよりも新しい世界に対して戸惑っている状態の人間が丁度良い……上京してきたばかりの新卒とか学生みたいな。


「わかった」


「適当に聴いているだけで多分大丈夫だ! 軟骨なら食ってもいいぞ!」


 やった、軟骨を食べよう。いや、ちゃんと聴くけれど。


 ナグラスは、サービス用の冷たくて甘い水が入ったお洒落な水差しと、竜の軟骨の油茹でが大量に入った小さめの編篭を俺に持たせてくれた。篭の真上にある俺の鼻腔を香りが直撃するだけで分かる、これはとてもいいつまみだ。二つを抱えてテーブルに近付けば、二人の青年は昼間にも関わらず酒が入っているようで、ユーリウスという名の彼の方なんかは既に顔が赤い。彼はグラスを手に取ろうとするのをマリア嬢に咎められている。


「ちょっと、それ何杯目よ、ユーリウス? もう真っ赤じゃないの」


「いいや、エルマリア、私はまだ大丈夫だ! 何だ、其方も飲むか? シヴォン産の美味なるワインだぞ、竜肉の甘みとよく合う渋さだ!」


「……ただでさえ昼間なのに、もうやめときなさいよ……ティトも友達なら止めなさいよ、こんなんでもあんた達は大領地の諸侯の息子でしょ?」


 ティトと呼ばれた青年は朗らかに声を上げて笑い、そして俺の持っている軟骨の油茹でに気付いたようだ。


「仕方がないね、いいつまみも来てしまったし、ついでに我々はもう貴族でも諸侯でも何でもないさ」


「凄く間が悪いわよ、ヨウスケ……もう市民だけど元は違うじゃない、その辺で醜態を晒していいわけじゃないでしょ」


 マリア嬢はじっとりとした視線をその場にある全てに向けながら溜め息をついた。仮に令嬢だとしても、らしくない仕草である。俺は三人が着いているテーブルの中央に水差しと軟骨の油茹での篭を置き、隣のテーブル席にあった椅子を持ってきて、一緒に座った。


「いや、仕方ねえだろ、ナグラスが持たせてくれたから……って、皆、何処かの令嬢とか令息なのか?」


「其方はヨウスケというのか、変わった名前だな? そうだ、私は帝国……帝国はなくなったか、シルディアナという国の北東部、パンデルヒアのゼウム家の長子だ、ユーリウス・ゼウム=パンデルヒアという……遠く新シルダ歴始まりの英雄ラクス・ゼウムにまで血筋を遡ることも出来るが、時代は変わった、気軽にユーリと呼んでくれたまえ……エルマリアとは同じ年齢だ」


「私はティトゥス・ウェナティクス=シリンシア、父は警邏隊長のコモドゥス・ウェナティクス=シリンシアだよ、ユーリの家のパンデルヒアの南西に領地があったね……もうそういう後ろ盾はないから、同い年のユーリと一緒に首都を回って求職中さ、私のことは適当にティトって呼んでくれ」


 ほろ酔いのユーリウスと恐らく素面のティトは上流階級らしく気品のある微笑みを浮かべ、グラスを掲げて揺らした。どうやら二人とも非常にいいところのお坊ちゃまらしい、新シルダ歴がいつだったかまだ俺はちゃんと覚えていないけれど、千年以上前だった気がする、アーフェルズから教えて貰った。日本でいうと平安時代から続いている名家みたいな感じだろうか。


「……なるほど、相当凄いってことはわかった」


 テーブルについた俺以外の面々は、三者三様に竜の軟骨を口の中へ放り込んだ。ティトとユーリはこれまた優雅にフォークで突き刺したものを滑らかな動作で口へ運び、グラスの中の酒で流す。一方、マリア嬢は直接指でつまみ、口腔内へ放り込んでいる。何だこの差は。


「凄い、か……」


 と、ユーリは皮肉気な笑みを口の端に浮かべるのだ。酒のせいで頬が赤いことも相俟って、まだ十七歳かそこらの癖に何だか色っぽい。


「私の家は力があった……我がゼウム家からは先代の皇帝に叔母のイリシアを正妻として贈った、産後の具合が悪くて嫁いで一年少しで亡くなってしまったが……イリシアの息子のイークライトは第五代皇帝だったが、革命で行方が分からぬ、皇帝の居室で爆発があったというから、死んだかもしれぬな」

 

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