第3話 飴細工を握りつぶすが如く
結局のところ、二人はその夜のうちに出発した。というのも日の出を待つ必要性が皆無であったためである。夜目が効く吸血鬼と夜程度何の支障もない化物と同レベル以上の少年が待機する必要性がない。
よって急ぐわけでもないが闇夜のままに出ることになった。
強いて問題点を上げるならばヴィオラが致命傷から甦るがごとき再生をして体力が減っていたわけだが、吸血鬼の並外れた体力と再生力故に怪我慣れをしているため無茶にはならなかった。
「精神的にはキツイものがありますが」
「おぶってやろうか?」
「遠慮します」
揶揄われた――というよりも自身の初心さを露呈したヴィオラは気恥ずかしそうに答える。
今まで性的関係をもった相手が皆無だった彼女は下世話な話などにあまり耐性がない。
普段は取り乱したりはしないがどうもこの少年のような見た目の存在は調子が狂う。まるで年上を相手にしているかのような余裕が彼にはある。
兄でもいればこういうものなのかと思ったりしない程度にはヴィオラは乙女ではない。ただ周りが年下ばかりだった彼女の環境では色恋に疎かったというより好みな相手がいなかった。年上を好きになる傾向が強いのが少女である。吸血鬼的に言えば彼女も少女であった。
「んで、どれぐらいで着くんだ?」
「……半日もかかりません」
東に真っすぐ進めばいいだけのことで道案内する彼女は礼を失することを思い浮かべて忘れることにした。
命を投げうってまで発言の自由を求めようとするような死にたがりではないのがヴィオラの長所である。
「東に真っすぐってことは国境線ってことか?」
「ええ、そうです」
「もうそんなところまで来ていたのか。どうりで長く歩いていると思ったわけだ。途中で荒野の街によるつもりだったが通り過ぎたか」
「荒野の街、ですか?」
「街ってよりは集落かな。よく分からない連中が隠れ住んでいる。まあ何年も前のことだし移動したか滅んだか、どっちでもいいが久々に立ち寄りたかったものだ」
荒野にそんな集落があるとはヴィオラは初耳だった。
国を追われて塵の荒野を調べる時間がなかったとはいえそんな話は聞き覚えがない。
地上は人食い鳥や毒蛇や巨大蠍が跋扈し、大地の亀裂には竜が生息するこの荒野に集落など作ることができるのだなと彼女はその逞しさに少し感動する。
「何のために荒野へ?」
「ん?いや別に荒野に来たのが目的じゃない。言ったろ、街を目指してるって?」
「貴女様はまさか荒野に住んでいるということですか?」
「荒野に居は構えてない。さらに西の山脈に幾つか家を建ててある」
「あの暴食山脈にですか!?」
暴食山脈。
塵の荒野をさらに西へ行くと聳え立つ山脈で当然未知の領域である。
一説によれば化物が国を築いていると言われているが確かではない。
その山脈から向こう側は台地であるらしく、更にその先は海原になっているというのが通説である。
いずれにせよ大陸の西側は未踏破地域が多く正確な地理は把握されていない。
地図も暴食山脈が地図の端に書かれて終わっているものばかりである。
噂によるとドラゴンが棲みついていたり魔神の本拠地だと言われていたりする。
暴食という名前は千年ほど前にとある国が荒野を超えて暴食山脈まで調査隊一万ばかりを行軍させ全て帰ってこなかった逸話から人を食べる山だと恐れられその名前が付けられたらしい。
「食うものと水、それと木々があればある程度快適に暮らせるものさ」
「……失礼しました」
これ以上突っ込みたくない彼女の本心が謝罪をして話を打ち切った。
常識はずれな出会いであったからと言って、常軌を逸した話ばかりされてはたまらないと一般的な感性の持ち主である彼女は感じている。
本で物語を読むのと化物に隣で実体験を語られるのとでは訳が違う。
「ま、ずっと山暮らしも飽きがくるし、定期的におりているってことさ。話し相手すら山の中じゃ見つけるのが困難だし」
ヴィオラはその話し相手の一人だった。
「…………。」
「山の中の知り合いってほとんどがまともな言語を喋れないからつまらないし、肉体言語が基本だし」
暴力かスキンシップか、どちらにせよ獣臭い。いや化物か。
「――例えば、周りにいる連中みたいに顔合わせる前から殺気を振り撒いていたりする奴らばっかりってことさ」
「え?」
気が付けばヴィオラの前に移動していた彼がすっと、音なく手を薙いだ。
そして薙いだ手には数本黒いヤマカガシの針のようなものが握られている。
「銀の針を黒く塗っておまけに
死角から投げつけられた毒付きの針を彼は全て掴み取ったのである。
音もなく月明かりに反射もしない針をだ。
「理論上、同じ軌道に投げ返せば当たるってことだな」
言うや否や彼の手が再び薙がれる。
するとほんの数秒経ってどさりと地面に何かが倒れる音が二つほど微かに鳴った。
猫が歩く程度の音量だが化物と同類の少年と吸血鬼の二人には十分聞こえる音量であった。
「お見事、です」
半ば呆れ気味ヴィオラは言う。
「投げてすぐに移動しない向こうが間抜けなだけ」
と、嘲笑を周りに向けて少年は言う。
その嘲笑が気に食わなかったのか或いは隠密がばれていると分かったためか周囲にヴィオラが分かるほどに気配が現れ、五十歩ほど先に人ほどの大きさの影が出てくる。
「既にこちらは包囲をし、銃口は貴様を狙っている。その吸血鬼を渡せば見逃す」
端的にその影は告げる。
「やはり私の追手でしたか。……申し訳ありません」
そう言いながら前へ歩いていこうとするヴィオラを少年は手で制止する。
「いいから、下がってろ」
「ですが、迷惑をかけるわけには」
「んにゃ、寧ろ好都合だから。――フリントロックガナー、もしくは魔銃、両方かもしれんがそんな派手なものを暗殺に持ち出す連中は十中八九人間だろう。エルフは弓を好むしドワーフは気質からして暗殺をしないし魔術ではなく銃を使って――しかも神秘を持った銀製の暗器なんて持ち出してくる種族は人間に限る。と、なると政治か宗教が絡んでる。宗教国家なんてそうそうできないし、政治で吸血鬼排他は余程吸血鬼が嫌いな王か権力が強い国でなければできない。なんせ吸血鬼なんて退治しても儲けにならない。文字通り塵になって消えるからな、ドラゴン退治と違って得るもんがない。それをわざわざこの荒野まで追ってきて行うんだからよっぽどだ、よっぽどの馬鹿か気狂いか――或いはそうでもしなければならないほど関わられたくないことに吸血鬼がかかわってしまっていたか、だ。いや、その辺りの事情はどうでもいいけどね。詳細は聞いても意味ないし興味ない」
ただ、少しばかり世界情勢が知りたくてね、と少年は嘯く。
「…………。」
影は言葉を返さない。
「沈黙は金か、賢い選択であると同時に相手に決定権を委ねてしまいかねない行為でもある。――なぜなら交渉において沈黙は曖昧に濁すための手段の一つだが、暴力の世界においては殴られてもいいですよって弁明を捨てた合図でもある」
「……暴論だ」
「如何にも、だが暴力の世界に生きる者に言葉での抵抗を諦めることはあんまり賢くない選択なのさ」
思わず呟いてしまったヴィオラの言葉を少年は拾う。
恐らく会話がなくて物足りないのだろう。
ヴィオラは顔を真っ青にして口を手で塞いだが。
雉も鳴かずばである。
いくら気やすく話しかけてきていても邪神に対して失言はできないだろう、そういうことである。
「さて、それを踏まえて尋ねる。俺たちを見逃せ、何もしないでここを通り抜けてやろう――オマエ達は荒野の果てに逃げられましたと報告すればいい。ここら辺は国境に近いが流石に奥まで追ってこないだろうし、追って来れる奴なんていないだろう?」
少年は笑った。
笑顔の使い方の人を脅すときに使う方である。
「――撃」
影が言葉を発する。
「おい、耳塞いでろ」
少年が息を吸う。
「え?は、はい!!」
ヴィオラが耳を塞ぐ。
「て――!!」
引き金が引かれる音が響く。
「喝ッ!!!」
――そして衝撃波が発生する。
少年の一声が銃弾や魔弾の術式をもろとも吹き飛ばした。
「――ッ!!」
ヴィオラが何かを言っているようだが聞こえず。
「――ガッ!!?」
もろに音を聞いてしまった影はよろめき蹈鞴を踏む――瞬間に首根っこを少年に掴み取られる。
「――さて、文字通り俺はオマエの命を握っているわけだが、交渉はもう決裂したし、オマエはお話が余り好きじゃないみたいだし、何より俺は慈悲とか容赦とか持ち合わせてないから――オマエを潰すことにしよう」
脆い脆い人間。
化物に捕まれればどうなるか――
原初のタイラント 解虫(かに) @kaninohasami
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