003*奇怪
時計の針の音とほんの少しの呼吸音だけが部屋中に響く。
チクタク、チクタク、心なしかちょっぴり不気味な音を背後に、僕と天羽の呼吸音が流れ、それ以外の音がほとんど聞こえない。
普段ならなにも感じない静寂に心が押しつぶされ、やがて、僕の心臓の動く音が聞こえるようになった。
痛いくらいに心臓が跳ね、少し息苦しくなる。
「佑馬? 大丈夫?」
「あ……ああ、ごめん。大丈夫」
天羽の声を合図に、心拍音がすうっと落ち着いた。
たぶん、教室を思い出したんだろう。過呼吸というほどでもないし、強い恐怖感を覚えたわけでもないから問題ない。
「僕、もう帰るよ。いろいろありがとう」
「送るよ」
「大丈夫だって」
「気にしないで」
「……じゃあ、坂の前の交差点まで」
いつも通り天羽に折れる気配はなく、こうなれば反対しても無駄だと判断してこちらが素早く妥協することとなった。
どうせただの貧血か何かだから大丈夫なんだけどなあ、なんて思いもあるが、まあ、きっと何を言っても無駄だろう。こういうときの天羽は変に強情だ。
「荷物、持とうか?」
「ありがとう。でも、さすがに荷物くらい自分で持てるぞ?」
「そう? それなら良いけど……無理しないでね」
やけに心配性で気の利く天羽の誘いを断り、いつのまにかピカピカに磨かれた靴に足を差し込む。
荷物をもって腰をあげると、もう玄関のドアは開いていた。
「ありがとうございます」
背の高い男性に軽く会釈すると、男性も微笑みながら同じように会釈を返してくれた。きっと、天羽のお手伝いさんか何かだろう。
***
すっかり暗くなった道を歩き、少し急な坂を下る。
そこそこ大きな都市だと思うのだが、その間ひとを見かけることはなかった。それもそうだろう。あんな怪奇事件が起きている中、好き好んで夜に出歩く人なんてそういない。
坂を下りきり、もうじき約束の交差点だというところで、天羽がぴたりと足を止めた。
天羽はじいっと一点を見つめたまま、全く目をそらそうとしない。
「……天羽? どうした?」
―—返事はない。
妙だ、と気づいたころには、遅かった。
天羽の目線の先、坂を下りきったところに、ひとつの小さな影が見える。
幼いこどものような大きさのソレは、少女のような形をして、まるで人間のように、けれど人間とは思えないほど静かに、こちらに歩み寄ってきた。
影が一歩近づくたび、心臓が凍り付くような。
影が一歩進むたび、思考が絡み取られるような。
その感覚を表すのに最も適しているのは、恐怖という言葉だろう。
やがて、手を伸ばしたら触れられそうなほどの距離まで影が近づくと、ソレがまるっきり少女と同じ姿をしていることに気が付いた。
黒紫色の淀んだ瞳、死体色の肌、僕と同じ純黒の髪。
五歳前後の少女と変わらない姿で、じいっとこちらを見上げている。
要するに、ソレは、いや、彼女は、単なる少女だったのだろう。
「たすけて、おにいちゃん……いたいの、いたくて、くるしいの」
少女は天羽の目をまっすぐに見つめたまま、懇願するようなか細い声でそう言った。
「こわいよ……おうちにいれて、わたしもいっしょがいい……」
クロユリ 白桜雪花 @snow_snow
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