キャラメル・コレクション
きんか
焦げた砂糖のような夜に
別に分かり切っていたことだ。神は誰も救いはしない。ならば、涙を流すだけ無駄なのだろう。神様にも救いようがないものを、僕がどうにかできるわけがないのだから。またひとつ、積み上げていくだけ。
「ずいぶん小さくなるもんだなぁ」
呟きを聞いてくれる人がいるわけでもなく、さりとて黙々とこなすにはあまりにも単調な作業。僕にできることはそれだけだ。鈍い飴色をしたキューブが窓際に積み重なっていく。ゆっくりと、それでいて少しも減ることはなく。
「………」
もう何年外に出ていないのだろう。こうして無限とも思える乾いた時間を過ごしていると、外の空気が恋しくなることがたびたびあった。それでも――どの道、外へは出られないのだけれど。
何があったかなどと語るまでもない。それを語り聞かせたところで無駄なのだ。過ぎた事が変わるわけではないし、未来への展望が開けるわけでもない。それならばこうして、最後の人間としてゆっくりと生を謳歌するのも悪くないだろう。
「あ」
窓の外、真っ暗な視界にちらほら白いものが舞い始めた。もうそんな時期か―――では、そろそろだ。
「せっかくのコレクションなんだけどな」
窓際にうずたかく積み上げられた立方体がきらきらと室内照明を反射する。キャラメルのようだ、なんてぼんやり考える。キャラメルなんて最後に食べたのは、まだ外に太陽がある頃だったのだけれど。
「………まあ、同じことだろうけどさ」
繰り返すだけ。同じ事。どこまで行っても変わらない、自分の尻尾に食らいついた蛇のような行い。それでも良いと納得しなければけしてやっていけない程の、無限。
「蛇、ねえ」
実際、蛇が自分の尾を噛むような事はないだろう。犬でもあるまいし、いや犬でもそうそうすることは無いだろうけど。
「ウロボロスって言うんだっけか」
終わってしまった世界の神話なんて気にしたところでどうしようもない事は分かっていた。いや、元より神話などに興味はなかったが。
「食べて出す、のが生き物の基本だよな」
食べる。食べたものが身体をつくる。役目を終えた食べ物が、身体を巡って排出される。では、命とは何だろうか。食べて、出して、を繰り返していけば、いつしか身体を造るものがまるっと入れ替わるような事はないのだろうか?そうしたら、ほんの数年数カ月前まで存在していた自己とは――否。それを認識する精神と、常に入れ替わり続ける肉体とは別のものなのだ。精神が、肉体へ宿る。では―――では、命尽きた肉体は。土へと還り、また巡り、この星を造るのだろうか。では―――星とは。世界とは。
「――」
巡り巡る思考がまるきり無駄な事は分かっていた。星と人間は違う。精神と肉体に、明確な区別などありはしない。肝心なところで的を外して考えを巡らせれば、いつまでも考えに沈んでいられるからそうしているだけだ。仮に真実を模索していたとしても、もうこの星を造る命は存在しないのだから――どの道、思うだけ無駄なのだ。
「死んだ方がマシ、か」
そんな事を言って、銃を握った彼女を思い出す。
(――ごめんなさい。)
(本当に、ごめんなさい。私は、このまま漫然と死を待つのは嫌。もう、どこまでも続く暗闇を見ていたくないの。毎日毎日、もううんざり。ねえ――私たちが食べてるこれは、)
(命だったものなんだよ。ねえ、分かっているんでしょ?私たちはもう人間じゃないの。人間として――ううん、生命としてあるべきものを失った、行き止まりなんだよ)
幾度となく脳裏で反芻した言葉を再び並べても、もうそこにはなんの味もしなかった。とうに僕は、そんな機能を失っていた。ただ生きるだけの日々を辛いとも思わないし、失われたものを偲ぶこともない。それは、ただそうなるべくしてなったのだろうと思うだけだ。
(あなたはいつもそう言うわ。なるようになる――いえ、なるべくしてなる、って。そんなのは絶対に違う。こんなの、こんな世界、絶対に間違いよ)
(だから――もう、これ以上は嫌。ヒトのふりをして生きるのはお終い。私は――まだ自分が人間なんじゃないかって思えるうちに死にたかったの!あなたの為に――あなたの為に!こんな…っ)
ああ。人間でもないのなら。もはや、生命としてのシステムを失った身体なら。
(――死ねなかったらどうするんだい)
(もう、死ねないかもしれないのに)
(試さなければ――絶望もしないだろうにね)
銃声は何度響いただろうか。分からない。もう、覚えていない。覚えている必要もない。
「別段、不思議な事じゃないだろうに」
そうだ。僕らはもう人間じゃない。機械になる事もできない、中途半端な命の塊だ。もう、身体を造る事も出来ない。それなら――それなら、何を食べたっていいじゃないか?死ぬ事も出来ないと分かっていながら、苦し紛れの努力に文字通り死力を尽くすことはないじゃないか?
僕は、命の正体なんて分からない。人間にすら分からないものなんだ、僕なんかに分かるわけもない。だから、たとえば僕が潰されて、綺麗な立方体に加工されて、鈍い飴色に輝きながら何かに食べられても僕でいられるかどうかなんて知らない。知りたくもない。
頬を伝う温かい液体がなんなのかも、知らない。知りたくも、ない。過ぎ去った彼女の声を思い出すたびに溢れだすものだから、あまりにも慣れ過ぎてしまったのだろう。不思議とその液体は、キャラメルのように甘く、しょっぱかった。
キャラメル・コレクション きんか @iori96
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