竜妹の壊変密室

・サブロウタ『citrus』についての壊変密室。


・アニメは原作と違って感情の流れを直接表現として影響させることに成功している。だから真っ直ぐな心情には正統性が可視化されるけど寂しさと虚無感の愛情の差違を消費する行為は視聴者の属性に転移されてしまう。多分漫画では表現が物足りないで済んでいたのだ。


・空間的な質量の孤独が感情で密閉された姉妹同士の隠された恩寵をめぐるメロディーでなくてはならないはずなのにアニメのキャラクターが動く静止画で言葉の連想を阻んでいる。めんどくささが身体的な感情で満たされるならあっけらかんとした狡猾さに敬意を払うべきだが象徴の領域が散乱している。


・アニメが動いている静止画にしかなっていないという倒錯した批判がどうしてでてくるのか。キャラクターをめんどくさくしないために背景を写しているからか。違和感はもちろん一般人の視線から不審な態度をとっているという点にあるのではなくて空間の奥行きに感情の反映が身ぶりでしか示されない不穏さにある。


・アニメでは動きが不自然でなければならないのに現実の自然さとの対比で不自然さが語られている。ポプテピピックや三ツ星カラーズではニュアンスに関する違和感ではなく現実に対する留保が問題になっているのにcitrus ではそうなっていないということか。アニメの生態系が重要なのではないわけか。


・citrus のアニメは柚子が芽衣の考えを一本気な情熱で理解しようとして権力秩序の明晰なニュアンスを揺らがせていくような理不尽さを恋愛感情に押し込めようとして失敗していると考えてみる。この場合二人の関係を投影するための心理表現をサブキャラが担い行為に関して失策を犯すことで前進すると仮定しよう。


・私は何が気にくわないのか。漫画における沈黙の両義性を設定のディテールに拘ることで解消しようとしていることか。視聴者が柚子の心情についていけるような目標として芽衣の表情が身体の快楽で満たされるという言い方ではキスは黙らせるためにある序盤の教師との関係と全く同じことになってしまう。


・私は柚子の役割が嫌いだとは言わないまでも苦手だということか。しかしcitrus の初期段階では彼女が明晰なニュアンスに関して鈍感であることが歪みに対する態度を最も率直に語らせている動機ではないだろうか。これはある事情に関して知っているだけでは問題が解決しないという権力のモラルに対応する。


・家族図に則った学園の継承者問題に関してはどうか。幼馴染みが庶民との格差を分からせるような含みを身ぶりに取り入れるべきだということなのか。明らかに問題はそこではない。父の不在が生き方の指針をモラルの厳格さに限定しようとして感情が居場所を見失っている状態に家族概念の不安定さがある。


・だがこの問題の解決はどうなっただろうか。最初は祖父が急病で倒れたから学園のモラルの歪みは留保された。継承者問題は弱気な父が再婚した母の強気な態度を娘達が支えている姉妹の絆を確認することで向き合う覚悟を決められたとしよう。すると柚子の恋愛感情は実際かなり浮いているのである。


・つまり学園という巨大な質量を持つ空間における孤独な個人を封じ込めるためのモラルに恋愛と呼んでいるだけの感情を振り回して人助けに空回りしている主人公という構造はここまでは完全に正しいのである。場面設定に忠実にキャラクターの身体を動かす操作はそこしか力点がないという意味で正統的である。


・柚子の存在ははるみんがいないと不自然なのである。ところがこの作品がフィクションとして構成される水準は柚子の内面性においてであるということ。したがってはるみんが物語の基幹に誘導するような案内人としての役割を持ちしかも柚子の恋愛をこの時点で暗黙に肯定してくれる客観性でもあるのは必然的なのだ。


・さてcitrus で姉妹同士で女でもある「私たち」がキスをするのにどういう意味があるのかという無粋な問いを考えてみよう。「ももいろ姉妹」という漫画から何か手がかりを探せばよいのだろうか。それとも妹という言葉にある種のこだわりがあるのだろうか。妹属性を自称するキャラクターがいればいいのか。


・アニメのまつりには演技の要素が欠けている。正しい。しかしそれはどうしてなのか。彼女がわざとらしい演出をしているのは明白ではないのか。問題はまつりがフィクションで出てくるような電波系妹キャラそのものということにある。そこに幼馴染みの要素を思い出として加えても問題の解決にならない。


・したがって芽衣との対立の位相が要点になる。芽衣は父親からの愛情を十分に受けられなかったからその感情の満たされなさを埋め合わせるための代用品を必要とした。だけど柚子がそれを解決したから学院のことを自分の意志で決められるし真剣な思いは歪んでいても感情の温もりとして他人に伝えることができる。


・でもまつりは自分のことを本当に匿名的集合の一部でしかないと感じている。だから自分のことを気にかけてくれる柚子の温もりに執着している。まつりにとって柚子以外の人間は欲望に関する歪みを適正な位置で発散させるような意味しかない。だから愛情は絶対的な真正さを持つが妹の位置は擬装でしか獲得できない。


・柚子の人間関係はゲームの勝ち負けではないというお説教でまつりは改心したのか。違う。芽衣が柚子のことを真剣に考えていると見なしたから柚子の恋愛を応援することにしたのである。でもそれで妹の擬装に関する過剰な執着は消えるはずだ。けどアニメでは電波系妹キャラの「不品行」が収まったのである。


・まつりがはるみんともっと話してこの時点で虚無の妹らしさの擬装的な狂気を捨てられればと考えてしまう。もちろんおまけやその後のことを知っていてもっと素直で狡猾な姉妹の運命に託すことはわかるけども。


・世界に対する相互的な救済を拒絶すること。恩寵とは世界の幸福に関する個人の報酬ではないのだ。愛が世界に存在として現れることの感謝こそ運命に必然性を見出だす形式にほかならない。存在に人生の一回性を偶然の神秘として発見する思考は超越論的な立場に基づいている。つまり利己主義の普遍性。


・他人に利己主義がないのを心配するのはまさに思いやりと呼ばれるにふさわしい。だがまったく復讐の動機のない利己主義は秩序に定められた人間性を超越している。普通人間は特定の社会的立場に基づく道徳で自分の欲望を諦めるからだ。過去の事実を承認の負い目に求める必然性の諦めは意志を棄てさせる。


・だから利己主義は自然に承認されずに意志を持つとき勇気になる。もし家族や恋人のために利己的になるというのなら動機を特定の名義に委託できる。でも本当に大切な人にはどう振る舞ったらよいのかわからない。すれ違いは心を傷つけるという主張はいつでももっともらしく響くけどそれは生活しか残さない。

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壊変召喚のエンコード オドラデク @qwert

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