第28話 悪循環

……重い瞼を持ち上げる。

朦朧とする意識と全身の疲労感が、ボクを冷たい床に縛り付ける。


「ん…………あ、あれ……?」


頭が上手く回らない中、無意識の内に今の状況を分析する。

薄暗い部屋、湿った空気、乱れた服、汗だくの身体、覚えのある匂い、誰かの呼吸音…………


「…………ぁ……」


……そして全てを察した。


ボクはまた、やってしまったのだと。


疲れ切った身体にムチを入れ、ゆっくりと体を起こす。

そして再び状況確認を始める。


……今いる場所はマーゲイから教えてもらった、音が外部に漏れにくい特殊な部屋だ。

鍵はこの部屋に入った時にすぐ閉めたはず。


そしてボクすぐ隣には……


「……ん……すぅ…………」


静かに寝息を立てる、ボクと似たような状況のフェネックさんがいた。


「……っ」


その姿を見た途端、大きな罪悪感に襲われた。

胸がギュッと締め付けられ、息が詰まるような感覚。

そして頭に浮かぶ、先程のサーバルちゃんの反応。


……いつまで、どこまで、ボクは大切なパートナーの事を裏切り続けたら良いのだろうか。


行為が始まる前の会話が頭をよぎる。

"好きになっていいのは1人だけとは限らない"

フェネックさんのその言葉が、ボクの心に深々と突き刺さっていた。


「…………」


フェネックさんは、ボクの事を好きだと言った。

友情でも尊敬でもない、本来であればアライさんだけに向けられるはずだった、かけがえの無い感情。

それが今、ボクにも向いているのだ。

突きつけられたその事実が、ボクの心を大きく蝕んでいた。


「……んっ…………ぁ、あれ……?」


不意に、すぐ横から聞きなれた声がした。


「……目が覚めましたか、フェネックさん」

「…………ぁ……かばん……さん……」


フェネックさんがゆっくりとこちらに目を向ける。

……その表情は、とても苦しく悲しそうだった。


「あ……えっと……その…………」

「……とりあえず、もう少しゆっくりしましょう。ボクも疲れちゃったので」

「う、うん……」


乱れた服を少しづつ直していく。

体液を吸った冷たい生地が肌に張り付き、体から熱を奪っていくのが分かる。

どうやらフェネックさんも、先程までの熱は下がって落ち着いているようだ。


「……ごめん……なさい…………」

「……え?」


唐突に、フェネックさんが謝罪の言葉をこぼす。

……確かに、間違いでは無い。

最終的にこうなってしまったとはいえ、一方的に襲ってきたのはフェネックさんなのだ。

しかし……今のボクにこの言葉を快く受け入れられる余裕は無かった。


「……私、かばんさんに酷いことしちゃった」

「…………」

「無理やり押し倒して、かばんさんの気持ちを無視して襲っちゃって……私が私じゃないみたいに」


ぽつりぽつりと、言葉を漏らしていく。

悲痛な懺悔の言葉を、自分を責めるように。


「……ごめんね、かばんさん……。もう私─────」

「フェネックさん」


それを、ボクは遮る。


「……な、何……?」


突然名前を呼ばれ困惑するフェネックさんを後目に、ボクは続ける。


「確かに、最初は驚きました。突然服を脱がされて、一方的に触られて、何が何だかよくわからなかったです」

「……うっ…………」



「…………でも、結果としてボクはそれを受け入れていました」

「え……」


ボクの暴露に、ポカンと口を開ける。


その言葉の通り、ボクは今回の行為を受け入れていた。

正しくは……受け入れたくなった、と言った方が正しい。


「初めは乱暴な口調だったりで正直怖かったですよ? でも、途中からとある変化に気が付いたんです」

「変化……?」


そう、今回の行為は今までの行為とは明らかに違う部分があった。

本人は気付いていないようだが、ボクはハッキリのその違いを心と身体で実感したのだ。


「……何だかとても…………暖かかったんです」

「……何を当たり前な事を……」

「そうじゃないんです。なんだか、こう……心が暖かくなったというか」

「……何が言いたいのさ」

「単刀直入に言うと─────




─────本当に、フェネックさんはボクの事が好きなんだな……って、感じたんです。」

「っ……」



突飛な事を言われ、顔を赤らめるフェネックさん。

でも、その感じた暖かさが真実である事に変わりはない。


「なんと言えばいいのか……えっと、今回の行為は"快感"ではなくて、"ボク"の事を真っ直ぐ求めてくれている……そんな気がしたんです」

「……ぁう……」

「自覚は無いかもしれませんけど、とても丁寧で優しくて、何だか情熱的で……そんなフェネックさんを見たのは初めてかもしれません」

「……え……と…………」


照れているのか、フェネックさんは乱れた服を固く掴んだまま目を泳がせる。

そんなフェネックさんが、ボクにはとても愛おしく見えた。


「ですから……自分を責めないでください。ボク自身はまだフェネックさんの事を好きかどうか分からないし、そうだとしてもそんな自分を受け入れられるかも分かりません」

「……うん……」

「でも、フェネックさんのボクを思う気持ちは、しっかり受け入れたいと思ってます」

「っ……!」


ボクのその言葉は、かなり危うい意味を含んでいただろう。

ボクらの歪んだ関係を更に捻じ曲げる危険性を孕んだ、優しい言葉。

でも、ボクはその言葉を選んだ。

なぜなら─────


「……嬉しかったです」

「…………」

「正直初めてでした、こうやって真っ直ぐに、かけがえの無い大切な気持ちを正面からぶつけられたのは」

「……ぅ……」


ボクが話す度にソワソワしていたフェネックさんは、ついに両手で顔を覆い隠し始める。


「そんなフェネックさんにとって大切な言葉、受け入れるほか無いですよ」

「……でも……」

「はい、ボクにはサーバルちゃんがいます。だから、ボクの気持ちはもう少し待って欲しいんです」


これが……ボクの今の気持ち。

傍から見れば、とんでもなく歪んでいる事だろう。

しかしその歪な関係に、何故かボクは一種の安心を感じていた。


「……わかったよ、かばんさん……」


ボクの言葉に観念したかのように、フェネックさんは顔を覆っていた手をぽとりと下ろす。


「……ありがとう……私の気持ちを受け入れてくれて」

「いえいえ、ボクもとっても嬉しかったので」

「…………」


何かを言いかけるような素振りを見せたが、そのまま口を噤む。

複雑な心境なのは双方共に同じなのだ。

深く聞くことはせず、さて、と話を切り替える。




……切り替えたかったが……



「……かばんさん」


ボクより先に、フェネックさんが口を開いた。


「……なんですか?」

「あの……えっと……」


顔を赤らめながらボクから目を逸らす。

明らかに何かを言いたい様子に見えるが……。


「ぅう……あ、あのさ……」

「……はい?」

「……う、嘘でもいいから─────




─────『好き』って……言って欲しい」



……それは、ある種の呪いの言葉だった。

残酷だけど、とても優しい……最上級の"嘘"。

ボクはその願いを聞いた瞬間、心がザワつく感覚を覚えた。


「……嫌なら……いい、大丈夫。ただの私のワガママだから」

「フェネックさん……」

「……あはは……ごめんね、かばんさん。今のは忘れて欲しいな」


咄嗟に取り繕うフェネックさん。

その言葉の合間合間に見せる笑顔は、とても悲しそうだった。

…………でも、ボクはフェネックさんのそんな表情は……見たくなかった。


「……フェネックさん」

「うん、わかってる、ありがとうかばんさ─────っ?!」


フェネックさんの肩を掴み、こちらに引き寄せる。

2人の胸と胸がぶつかり、正面から抱き合う形になる。


「……か、かばんさん……?」


そして…………





「フェネックさん…………好きだよ」




……呪いの言葉を、耳元で囁いた。


「っ……!」


途端に大きく体を跳ねさせたフェネックさんは、ボクの腕の中で小刻みに震え始める。

何を思い、感じているのかボクには分からない。

しかし、その言葉がフェネックさんにとってかけがえのないものとなったのは分かる気がした。




……しばらくフェネックさんを抱きしめ続けていると、緊張が解けたのか震えは徐々に納まっていった。


「落ち着きましたか?」

「……うん……ありがとう、かばんさん」


そう言ってゆっくりと体を離していく。


「大丈夫だって言ったのに……」

「あはは……どうしてでしょう……、とても言いたくなったんです」

「なにそれ……」


冗談のように言うが、真実だ。

心がざわつき始めたかと思ったら衝動的に体が動き、その言葉を言っていた。

まるで心がボクの体を操っていたかのように。


「……でも、ありがとう。嘘でも凄く嬉しいよ」

「それなら良かったです」


……何故か心がチクチクと痛む。

まるで……自分の心に嘘をついているかのように。

そんなはずは無い…………無い……はずだ。


「かばんさん、そろそろ戻らないと……」

「……っ! そ、そうでした……」


フェネックさんの声で我に返る。

そうだ、今は夜中。

早く戻らなければ皆に、サーバルちゃんに怪しまれてしまう。


「急ぎましょうか……っと、その前に服を直して……」


この部屋は窓がなく密閉されているため、時間の感覚が狂ってしまいかねない。

フェネックさんと乱れた服を手早く整え、急ぎ足で出口へと向かう。

多少湿ってはいるが、寝直している間に乾くだろう。

そんな事を考えながら、ドアノブに手をかける。







しかし、ボクらの体内時計は予想以上に狂っていたらしい。



「…………!」


扉を開けた瞬間差し込む……光。

……既に、日が登っていたのだ。


「フ、フェネックさん……急ぎましょ─────」

「─────え……お、おき……て……」

「……フェネックさん?」



そして、最も防ぎたかった事が起こっているという事実を、目の当たりにする事となった。



……遠くから聞こえる…………声。

それはとても聞き馴染みのある声で……





「─────かばんちゃーーーん!

どこにいるのーーーー!?」




………………ボクの事を、探していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

心の弱さに溺れながら りにゃ @rinyasuzu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ