第27話 理不尽
静かな廊下に、二つの異なる足音が響く。
しっかりと床を踏み締める等間隔な音と、力無く足を引き摺る不規則な音。
それらは今、ある場所へと向かっていた。
「……」
「……フェネックさん」
気を確かにと、優しい声が耳に届く。
その声の主に引き摺られるように歩く私には、既に返事をする気力など残ってはいない。
しかし、そんな私の心情を理解してくれているのか、これ以上の問いかけは無かった。
「……」
仄かな月明かりが廊下を薄らと照らす。
昼間のライブで上がりに上がった熱量は嘘のように収まり、逆に脱力し切った私の体からじわじわと体温を奪っていくのが分かる。
「……ここ、ですかね……」
ピタリと歩みが止まる。
それと同時に、ガチャリという音。
「……とりあえず入りましょう、フェネックさん」
「……」
そのまま先導されるがまま、私は……かばんさんと共に分厚い扉の奥へと歩みを進めた。
────────────────────
「……マーゲイさんが言っていた部屋は、ここで間違いないみたいですね」
普段よりも厚く重い扉を静かに閉め、かばんさんは私を壁際に下ろす。 それに続いてカチャリと軽い金属音。 ……鍵の音だろうか。
「……でも、不思議な部屋ですね。 窓が一つも無いですよ」
「……」
「それに声の響き方も他の部屋とは違いますね、……壁の木材が関係してるんでしょうか……」
そう言って壁を撫でている様子を、私は顔を少しだけ上げて確認する。
誰にも見られたくな光景をよりによってアライさんに見られ、私はひどく動揺した。
あの声が耳に届いた瞬間、頭の中は真っ白に染まり、全身からすべての力が抜けていくような感覚まで覚えた程だ。
しかし今現在、私の頭は先程の動揺が嘘だったかのような冷静さを取り戻していた。
分厚い扉、いつもと違う声の響き方。 ……そして見覚えのある棒状の物体が足元に転がっている。
鈍く光る棒状の物体。 その先には網目状に穴の空いた球体が取り付けられている。
私はこれを見たことがあった。 ……遊園地で開かれたパーティーの時、プリンセスが手に持っていた物だ。
その棒に向かって声を出すと、驚くことに、側に置いてあった箱から声が何倍にも増幅されて辺りに響き渡るのだ。
それらの状況から私は推測した。 ……きっとこの場所は音を内部に閉じ込め、外に漏らさない事ができる部屋なのだろう。 ……あくまで推測の範疇だが。
きっと頭の良いかばんさんも、既にこの構造を何となくだが理解しているのではないだろうか。
「……なるほど……」
程なくして、少し考えるような様子を見せていたかばんさんが呟く。
「……この部屋なら、外からの干渉を受けることは無いし、音が漏れる心配もない……と。 マーゲイさんがなぜこの部屋を案内したのか、何となく分かった気がします」
「……」
そう言って、一切口を開かない私にゆっくりと近づいてくる。
そして私の腰掛けるすぐ横に腰を下ろした。
「────フェネックさん、話せますか?」
「……」
「そうですか、分かりました。 じゃあ、僕が話しますね」
冷え切った頭が、かばんさんの声を聞き入れていく。
「フェネックさんが分かっているかどうかは分かりませんが……、ここは多分、マーゲイさんとジェーンさんがよく使っていた部屋だと思います」
「……」
「この中にいれば音は部屋の中で跳ね返り、外に音が漏れにくい。 そして鍵を閉めてしまえば誰も入ってくることができなくなります。 ……言い方はアレですが、最適……ですね。」
内容は、私が考えていた内容と全く同じだ。
そして……ここに連れてこられた理由も……。
「そんな部屋を、マーゲイさんに案内されたんです。 目的は、分かりますよね……。 ……でも実は僕、あまり乗り気じゃありません」
「……」
「そもそも僕たちの関係は真っ当なものじゃないですし、ましてや望んでやっている訳でもないです。 フェネックさんも、そうですよね?」
「…………っ」
その言葉を聞いた瞬間────私の息が一瞬詰まった。
いや、全くその通りだ。 真っ当なものではない。 望んでもいない。
かばんさんの言っていることは至極当然だ。 ……しかし。
私の胸が、少しずつ、少しずつだが…………痛みだした。
「この行為が当然になるという事は、サーバルちゃんやアライさんに対する僕らの気持ちを裏切ることになります。 実際、寝床を抜け出す時も……とても辛かったです。 今日のサーバルちゃんはずっと様子がおかしかったですから……」
胸の痛みは止まない。 それどころか、かばんさんの言葉を聞く度にキリキリという痛みが段々と強くなっていく。
「でも、それ以上に今日のフェネックさんは様子がおかしかったです。 サーバルちゃんを軽くからかったり、マーゲイさん達の秘密を暴こうとしたり……。 いつもの冷静なフェネックさんではありませんでした」
かばんさんの頭の中では、様々な思考が飛び交っているのだろう。
私やアライさん、そしてサーバルを思う気持ち。 行為に対する葛藤。
それをひとつひとつ整理しながら、話しているのだろう。
「うっすらとですが、検討はついています。 ……図書館での野生解放……それの副作用が、少し出ているんですよね」
……しかし、私の冷静すぎる頭は、それを許さなかった。
かばんさんが全て丸く収めようと努力する姿勢を、私の中の理性を。
一つの胸の痛みが、感情が、無意識に溢れ出した。
「それを解消したい気持ちは分かります。 ……ですけど今日は────」
「────かばんさん」
「……え?」
いつの間にか私は、衝動的に喉を震わせていた。
目の前の、────大切な人の名前を呼んでいた。
「かばんさんは、何か勘違いしてるんじゃないかな」
「勘違い……ですか?」
「……ちょっとガッカリしたよ」
はぁ、とわざとらしい溜息をつき、続ける。
「私はかばんさんの事、すごく大切に思ってるよ。 唯一、お互いの悩みを打ち明け、ぶつけ合うことのできる仲だし、アライさんも知らない本当の私を全て受け入れてくれるたった一人の特別な存在だし……。 あの時も私の苦しみを理解してくれたし、時には誠心誠意叱ってくれるし……」
「あ、あの時っていうのは……」
「雪山、私が温泉を脱出した時だよ。 ……自分の身を顧みずに私を助けに来てくれた、現実に立ち向かう勇気もくれた。 感謝をしてもしきれないくらい、私はかばんさんに救われたのさ」
そう、今の私にとって、かばんさんはかけがえのない唯一の存在。 誰一人、アライさんでさえ、そのかわりにはなれないほど大きな存在となっていたのだ。
「その時にね、感じたんだ。 私の中のかばんさんに対する感情が少しずつ変わっていってた事を。 ……単なる尊敬ではなくなった事をさ」
「ど、どういうことですか?」
「………………はぁ……」
呆れたように、再び深い溜息をつく。
ヒトであるかばんさんであっても、私の奥底に眠る新たな感情は読めなかったようで、怪訝な表情を見せたまま固まっている。
「……私ね────────
────────かばんさんの事、好きになっちゃった」
「え────────」
暴露。
私が自分自身でも気づけなかった、心の本音。
回数を重ねる度に私の心は徐々に傾き、いつしか特別な感情を抱くようになっていた。
仮初ではない、本物の────────"恋"……だった。
「そ、それってもしかして……」
「もちろん、アライさんのことがどうでも良くなったって訳ではないよ。 かばんさんのことも、好きになっちゃった、ってだけ」
「で、でもそれって!」
「────かばんさん」
思わず声を大にするかばんさんを、静止する。
言いたいことは分かっていた。
純粋ではない、卑怯だ、とでも言いたいのだろう。 ……しかし。
私にはある"免罪符"があった。
「かばんさんも聞いてたはずだよね、あの時の話」
「あの時……?」
「……かばんさんって本当にヒトなの? 物覚え悪いんじゃない?」
「っ……」
私にとっては覚えていてほしかった、あの時の会話。
それを惚けられ少し苛ついてしまったが、まあいいと心を落ち着かせる。
「あの時……図書館の上で助手と話してた時、言われたじゃないか────────『好きになっていいのは必ず一人だけという考え方では、いずれ自らの身を滅ぼす』って」
「あ……」
思い出したかのようにハッとした表情を見せるかばんさん。
あの時、助手から去り際にこの言葉を投げかけられ、そのときは大きなショックを受けた。
しかしそれから色々考えたのだ。 ……好きになっていいのは必ず一人だけ、これは誰が決めたのだろう。 二人以上を好きになることに、何の罪があるのだろう、と。
「多分、この考え方はかばんさん、……いや、サーバルには合わない。 サーバルは独占欲がどうも強いみたいだからね」
「……っ」
「でもね、そうじゃないと今の私はいずれ壊れてしまうと思うんだ。 アライさんに傷を付けたくない心と、かばんさんに恋をした心が互いに暴走して、壊れてしまう」
雪山の時でさえ、自らの行動が許せなくなり猛吹雪の中へ飛び込んだのだ。 今度同じような行為をしてしまったらと思うと、自分が怖くなる。
「だから必死で考えたんだ。 どうすればその恐怖から抜け出せるかな……って」
「……それでさっきはあんなことを……?」
「そうだよ、共感者が増えれば少しは楽になるかなって思ったのさ」
「そう……だったんですか……」
しかし、答えは違った。 当初思っていた嫌な結末が、正解だったのだ。
「結局、その時答えは見つからなかった。 でも、アライさんに見つかってしまった時、ふと疑問に思ったんだ。 ────何でこんなに焦ってるんだろう、ってさ」
「それって……」
「結局、私達は一つの固定概念に囚われすぎてたんだよ。 好きになっていいのは一人だけっていう、誰が作ったかも分からない固定概念にさ」
その発言に、かばんさんはとても悲しそうな表情を見せた。
「……でも僕はなんだかしっくり来ません……。 何故かは分からないですけど、とっても大切な、破ってはいけない決まりのように思えるんです……」
「もしかしたらヒトがそんな決まりの上で生きてたのかもね。 その流れで、人型のフレンズになった私達の心の奥にも刷り込まれてた……とか?」
しかし、ヒトがどんな決まりに縛られようとも関係ない。
理由は簡単だ。
「でもね、私達は違う。 私達は"フレンズ"であって、"完全なヒト"じゃない。 私はその決まりに縛られる必要性なんて無い。 もし本当に"ヒト"がそんな決まりを背負って生きてたとしても、私達"フレンズ"がその決まりに従う義務は無いんだよ」
そんな固定概念から、私は解き放たれた。
助手が言っていた言葉の意味が、ようやく飲み込めたのだ。
そしてそれに気づいた瞬間、嘘のように心が軽くなった。
そう、これが私の答えだったのだ。
「かばんさんはやっぱりしっくり来ない?」
「…………そう……ですね………」
「まあ、しょうがないさ。 突然だったからね」
そう言って、今まで硬い姿勢で座っていた体を楽な姿勢へと崩す。
「でも、かばんさんもちょっとだけでいいから考えてくれると嬉しいよ」
「……そうですね……、すこし……考えてみます」
「ありがとう────────」
────────そして私は、隣に座るかばんさんを無理に押し倒した。
「っ!? な、何ですかいきなり……!」
「いやぁ、本音を打ち明けてスッキリしたんだけどさ……野生解放の副作用はそのまんまなんだよね」
「え、ま、まさか……」
マーゲイには感謝している。 こんな都合の良い部屋を紹介してくれるとは。
本当に────タイミングがいい。
「思ったんだ、私。 かばんさんが好きっていう本当の気持に正直になって交わったら────どんな事になるんだろう、って」
「ちょっと待ってください! 僕はそんなつもりじゃ────んむぅ!」
半ば強引に唇を奪う。 今日はこれで二回目だ。
今の私は、ただただ純粋な欲望で動いていた。 少し暴走気味だが、とっくに制御も効かなくなっていた。
「…………ぷは……、……ふふ…………楽しみだね、かばんさん────────」
そう言って私は勢いよく、かばんさんの服を剥いだ。
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