第26話 不如意

「…………え────」




フェネックさんの表情が、一瞬にして凍り付いた。


この場では絶対に聞こえるはずのない声。

唯一の、大切なパートナーの声が……聞こえてしまった。




「……こんなとこにいたのかふぇねっく。 しんぱいしたのだ………」


固まったまま何も出来ずにいるフェネックさんの様子はお構い無しに、彼女はそのまま扉を通過。

静かにこちらへ近づいてくる。

ボクは恐る恐る振り返り、その姿を横目で確認する。



「────アライ……さん……? ね、寝てたはずじゃ……」


ボクは思わず消え入りそうな声で呟いた。

その声に反応したのか否か、ふとアライさんがボクの方を見る。


「かばんさんもいたのか、ふたりそろってなにしてるのだ……」




……その時ボクは、アライさんの言動に違和感を覚えた。


「はやく寝るのだ……、じゃないと明日つらいのだ…………ふ…ぁ……」


……起きてはいるのだろうが、これは……寝惚けているのか。

真っ直ぐフェネックさん目指し歩こうとしているのは分かるが、足取りは怪しく進路がズレる。

……その様子に、当のフェネックさんはまだ気付いていない様だ。 相変わらずピクリとも動けないでいる。




……と、そこで不意に動き出した影がひとつ。



「────ちょっとダンスについての相談を受けてたのよ、個人的にね」



……マーゲイさんだ。

滑るように椅子から立ち上がり、なんとか自然な返しを絞り出しながら床に散らばった紙を静かに集め始める。

……たしかに、アライさんにこの絵は見せられない。 フェネックさんだって同じ気持ちだろう。


「むむ、そうなのか。 でもなんで夜中なのだ……それならおわったあとにすぐきけばよかったのだ……」

「ちょっと私がバタついてたのよ。 PPPの皆さんも疲れてたし、それを心配して私に頼んできたんじゃないかしら」

「そうなのか?」


まだ半分寝たままのアライさんは話を余り理解しきれていないようで、首を傾げ頭を搔きながら唸る。



「ちょうど相談が終わったところなのよ。 ────ねぇ、フェネック」


軽めの喝を入れるかのようにその名を呼ぶ。

不意の呼び掛けに小柄な身体がびくんと跳ね、慌てたように口を開いた。


「っ……そ、そうだね……。 えと……うん、そう……相談してただけだよ」

「……そうなのか、ならいいのだ……」


一方的に目線を逸らすフェネックさん。

そんな不自然な挙動を見せるも、アライさんは寝惚け眼のままフェネックさんの言葉に頷いた。



「────さ、相談も終わったことだし、あなた達は部屋に戻りなさい」


ちょうどマーゲイさんがボクが手に持つ最後の紙を半強制的に回収し、散らばった全ての紙が片付く。


「ふぁ………はやくいくのだふぇねっく………」

「……そうだね、いこっか」


そう言ってフェネックさんはふらつくアライさんの元へ。

今にも転びそうな身体を支えようと、手を伸ばし────







「────でも、よかったのだ。 なんだかイヤなよかんがしてたから……ホッとしたのだ」


………ぴたり、とフェネックさんの動きが止まる。

その言葉……その"嫌な予感"という単語に対して、えも言えないほどの違和感を覚えたのだ。



「………それってどういう………」



思わずボクは問う。


………否、問うてしまった。








―──―──そして次の瞬間、ボクは深く後悔した。


気になった発言を、スルーせずに浅はかにも追求しようとした事を。

寝惚けて鍵の外れたアライさんの心の扉を、軽々しく叩いてしまった事を。



………この言葉の真意──────アライさんがこれまで誰にも言わず、内に留めておいた"事実"を…………知ってしまった事を。











「────もしかしたらふぇねっくがまたみたいにおかしくなって、ぺぱぷをおそってないかと心配してたのだ」









────────────────────────









────────"温泉の時"。



アライさんは確かにそう言った。


では何故今、この単語を出したのか。


理由は明白、嫌でも分かる。





────────覚えていたのだ。


フェネックさんの異変、行為、その全てを。


あの夜、フェネックさんが自らに何をしたのかを………。






「………温………泉…………?」

「そうなのだ。 ふぇねっくのためだったからアライさんはガマンできたが、ぺぱぷはそうはいかないのだ」



手が、小刻みに震え出す。

ゆっくりと血の気の引いていくその顔は、まるで何かとても大切なものを失ってしまったような……そんな印象を受けるほどの絶望に染まっていた。


「フ、フェネック……さん………?」

「………うそ………………覚え……て………………」


今にも消え入りそうな声が、妙に静かな部屋に響き渡る。

両手で顔を覆い、足の震えが段々と大きくなっていく。


ボクとフェネックさん以外、何故この様な反応を見せるのか分かっていないだろう。

それ故、背後で見ているはずのマーゲイさんからの助け舟など来るはずも無く、フェネックさんはそのまま床に膝を付く形でその場に崩れ落ちてしまう。



「うそ……うそだ……どうして…なんで……うそ…なんで、なんで…………」

「………ん? ふぇねっく、こんなところでねちゃだめなのだ………ふぁ…………」

「………っ」



完全なパニック状態に陥ったフェネックさんは意味のない問いかけを延々と続ける。

その光景は目をそらしたくなるほど痛々しく……そして弱々しかった。


「あ……………ぁ………ぁ………………」

「っ……………フェネックさん…………」






………しかし、その時。



「────────あ、アライグマ! ちょっと聞きなさい!」


期待していなかった方向からの、大きな声。

…………全く事情を知らないはずの…………マーゲイさんの声だ。


「んぇ……………なんなのだ…………?」

「…………マーゲイさん?」


突然声をかけられたアライさんは勿論、ボクまでその不意な行動に意識を向かせる。

しばらく渋い顔をした後、マーゲイさんは言葉を続けた。


「…………明日もまたダンスレッスンやるのよ? 寝ないと明日動けなくなるわよ」

「そ、そうなのか? じゃあますますはやく寝ないとなのだ、………ふぇねっく────」

「フェネックはかばんが連れてきてくれるから大丈夫よ。 あなたは急いで寝なさい、レッスンやりたくないの?」


………少々ぶっきらぼうで、意地悪な内容だ。

しかも、そもそもまた明日ダンスレッスンに参加させてもらえる等、少なくともボクは聞いていない。 もちろん今日ずっと一緒に行動をしていたアライさんも然り。




しかし、当アライさんはというと………



「わ、わかったのだ。 ………かばんさん、ふぇねっくはまかせたのだ………ふぁ…………」


寝ぼけているからだろうか、違和感だらけのマーゲイさんの言葉を容易く真に受け、そのままあっさりと部屋から出ていってしまった。

あっという間に姿を消し、その状況にボクは口をポカンと開けたまま立ち尽くす。



「………とりあえず、私ができるのはここまでよ、かばん」

「……ま、マーゲイさん………」


大きな溜息とともに頭を抱えるマーゲイさん。

何かをずっと考えているようだが、そんなことはどうでもいい。

なぜ………



「………なんで、アライさんを部屋に戻すような事を言ったんですか……?」


今のボクには、この問いを投げかけることしか頭に無かった。


「なんでって………、………私はかばんのように考えるのは得意じゃないけど、この不快な状況を何とかしたかっただけよ」

「………だけ…………ですか………?」


小さな声で「PPP」だったり「言い訳」だったりとつぶやき続けている。

その内容はボクには知り得ない。


「でも………きっと、今のフェネックを救えるのは……かばんだけなんじゃないかしら」

「え………」

「経緯は色々あって聞けてないけど、あなたとフェネックがお互いの闇を知っていることは分かるわ。 だからこそよ」


ずっと手に持っていた紙束を机の上にそっと置き、ボクらの元へ近づいてくる。

何事かと思わず身構えるが、マーゲイさんはそのままボクをスルーして扉へ。


「…………この部屋のいくつか隣に扉の分厚い部屋があるわ」

「そ、そうなんですか……でもそれが何か関係が………」


戸惑いながら尋ねると、察してくれと言わんばかりに溜息を一つ。

扉の外を覗きながら、こう言った。


「────────私もよく使うのよ………ジェーンさんと」


「え………、そ、それってまさか…………」

「そこでしろとは言ってないわ。 でも、もしそういう事になったらあの部屋の方が都合がいいのよ」


……


「とりあえずフェネックを連れてさっさと行きなさい。 私にはこれが限界、後はあかばんとフェネックに任せるわ」


ドアの側で、ボクらを待つように立つ。

塾雑な感情が入り混じった表情は不安を浮かばせていた。

……しかし同時に、頼もしくもあった。


フェネックさんをパニック状態から抜け出させるための案を考えてくれたのだ。

その方法が何であれ、このままのフェネックさんを放置事はできない。

ましてや運が悪ければフェネックさんの心が完全に潰れてしまいかねない状態にある。

………こんなフェネックさんを、助けたいと思わずにはいられる訳がない。



「…………分かりました、ありがたく使わせてもらいます。 でも、本当にボクがフェネックさんを立ち直らせることが出来るかどうか分かりませんし、もっと深刻な状態にしてしまうかもしれない………それだけが不安です」

「大丈夫、あなた達はお互いの誰にも話せない悩みを知っている仲なのよ? 今回のパターンはそんな中だからこそ理解が出来る事なんじゃないかと私は思うんだけど」



………それもそうだ。


ボクだって、サーバルちゃんにキスを見られたことを知った時は頭が真っ白になったのだ。

フェネックさんだって、それと同じ状態、もしくはそれよりひどい状態なのかも知れない。


………そして、唯一ボクだけがそれを解決できる希望を持っているというのであれば…………




「────────フェネックさん」

「……………」

「……………移動しましょう、歩けますか?」

「……………」


フェネックさんの脇に手を入れ、上方向に力を入れる。

心が弱り切ったせいで身体にまで力が入らないのか、立とうとしてもその力は微々たるもの。

ボクが全力で持ち上げて、ギリギリ足を伸ばして立てるくらいだ。


しかしボクはそのまま声をかけながら、足を進める。


「フェネックさん……………」

「……………」


半ば足を引きずるような形で移動を開始するボクら。

その様子を見守るマーゲイが、扉から出る前に一言。



「……………ありがとう…………」


………と呟いた。

フェネックさんの耳には届いただろうか。


ボクは軽く首を回し、会釈。


「はい、こちらこそありがとうございます」


ふたり分の感情を込め、静かに返事をした。

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