第14話 西暦2077 界壁越境トンネル老朽化により一時閉鎖。

 私の祖父の名は渡辺利座りざという。

 

 青年期に祖母と供に当時開通したばかりの界壁越境トンネルを通ってこの世界にやってきて、そのままこちらに定住することになった帰化異世界人だ。


 帰化異世界人の多くがそうであるように祖父はショッピングモールで職を得て妻子を養い、地方都市の郊外にふさわしい穏やかで平穏な日々を過ごした。やむを得ない理由で妻である私の祖母とは別れて暮らすことになったが二人の子供と私を含む孫数名に囲まれ慕われて過ごした生活は、念願だった界外留学中に帰る故郷の跡形もない消滅を経験した祖父の人生の恵みであったと思いたい。


 祖父はショッピングモールの食品売り場のアルバイターからスタートしてまじめにこつこつ勤め上げた結果、周りの人からも信用信頼されるようになり社員として仕入れを統括する立場にまでになった。

 とはいえもともと根っから学究の人だった。モールを退職して以降の晩年はこの国とこの世界の歴史が好きで、この地域の史跡を回る郷土史家のクラブにも参加していたようだ。変わった異世界人のリザさんとして愛されていた。我が家のアルバムにはクラブのメンバーと日本各地の有名な史跡を訪れた祖父の記念写真を収めたものがある。



 この国の歴史や文化には興味深々だった祖父だが、自分の育った故郷についてはある時まで一切語ろうとしなかった。

 

 幼いころの私は祖父が自分の育った国が嫌いだったのでしゃべりたくないのだろうと単純に理解していたが、もちろんそんなわけはないだろう。初孫の私に知多ちたというこの国の女子につけるにはやや奇矯な名前をつける程度には、かつて自分が過ごした日々と国のことが恋しかったに違いない。

 


「なんや、この可愛い子にそんな名前つけて! 女々しいじいさんやで」

 


 初めて対面した時に祖母は、私の名前を耳にするなりそう吐き捨てた。

 

 大好きなおじいちゃんのつけてくれた名前なのに……! その時のショックが尾を引きずって私はなかなか祖母である渡辺慈雨じうにはなじめなかった。更年期の女性らしいまるっとした体つきに黒地に虎のリアルな顔面を編み込んだラメ入りニットにゼブラ柄のレギンスという関西方面にいそうなご婦人の典型例のようなファッションに度肝をぬかれていたところにあのような言葉を投げつけられたわけだから、祖母に対して壁を感じてしまったのも無理からぬことだと自己弁護したい。

 でも、家族の安全のために自分から一人で暮らすことを決意した祖母に優しくなれなかったことは今更ながら悔いが残る。祖母は私を含むきょうだいに、暮れの時期になるとクリスマスプレゼントとお年玉を送ってくれていたのに。



 知多という私の名前の由来を知ったのは、祖母の死が役所の事務的な通知で伝えられて以降のこと。


 晩年を過ごした祖母のアパートをを両親が片付け、遺品として持ち帰った箱の中に凝った細工のコンパクトがあったのだ。四角くてつるんとした表面はどういう加工のなせるものなのか角度を変えると不思議な紋様を宙に浮かび上がらせる。

 派手でけばけばしいものを好んだ祖母の持ち物の中にあって品が良くて可愛かったので、私は両親に頼んで自分のものにした。


 それを持ってそのころ入院していた祖父の元へお見舞いにむかった。

 二人だけで個人的な別れを済ませていたということもあってか病床でも祖母の死を粛々と受け止めていたように見えた祖父だが、私が持ってきたコンパクトを目にするなり、メガネの奥の青い瞳を見開いた。

 そして、うう、と喉から絞り出すような声をだし、しわしわの手で自分の顔を覆って泣き出した。嗚咽まじりに時々、チタ、チタ、すまない……と繰り返す。


 おじいちゃんが泣き出すという事態に動転した私はおろおろと呼びかける。


「どうしたの、おじいちゃん。私おじいちゃんに謝られるようなこと何にもされてないよ?」


 背中をさすりよびかけているうちに、もともと感情を律することが得意だったおじいちゃんは我に帰ったらしい。泣き止み、メガネを持ち上げてハンカチで涙をふいてからきまり悪そうに微笑んだ。


「ごめんね、急に昔のことを思い出してしまったから……。この鏡はね、お前のお祖母さんとそのおともだちが作ったものの最後の一つなんだよ」

「お祖母ちゃんの友達?」

「そうだよ、その人の名前がチタ。……実は、お前の名前はその人からいただいたんだ」


 祖父は恥ずかしそうに告白した。

 

 祖母の友達、その人の名前をわたしに着けた意味、私の名前が知多だと知った時の祖母の不機嫌……それらの情報を統合して、その鏡を作ったチタなる人が祖父にとってどういう存在であるかをたちどころに理解して、声に出さずウーンとうなった。

 かつて付き合ったことのある異性の名前を、異性の子や孫につけるのはいかがなものかしら? 私としては完全にアウトな行為だったけれど、祖父の照れたような表情を見ていると咎める気も失せた。そもそも祖父は異世界で並々ならぬ苦労して生き抜いたんだからそれぐらい認めてやるかという気になる。


 祖父は私の手からコンパクトを受け取ると開いてみせる。長方形の鏡に祖父とそれをのぞき込む私の顔が映る。

 祖父はその表面をこつこつと指でつついた。こつこつ、祖父の人差し指の爪とぶとかった鏡はただ硬質な音を立てる。


「……ははあ、もうこの鏡はすっかり普通の鏡にもどってしまったようだ」

「?」

「チタ……お前のお祖母ちゃんの友達はね、魔法の鏡を作って売っていたんだよ。それはそれは素晴らしい鏡だったんだ。でもチタもジウも僕たちもみんな使い方を誤ってね、惨事をひこおこすことにもなった」


 こうして、この出来事をきっかけに祖父は自分とチタとジウがいたあの世界のことを話してくれるようになった。


 住んでいた世界のこと、ふたりの転生人のあまりかしこくない女の子のこと、おそろしい王子のこと……。

 

 

 私はベッドの傍らで祖父の昔話を聞いていた。

 途中から、これは歴史的文化的に大変貴重な証言なのではないかと気づいて、ヘタなりにノートにまとめることにした。祖父たちがいた消滅した異世界の関してもそうだが、チタの前世である山下えみりのいた1999年になにも起きなかった2017年のことも興味深い。


 

 このことは、後に私も同じように異世界史学を志す切っ掛けとなった。



 この物語は祖父からの聞き書きをもとに私、渡辺知多が物語形式に構成したものである。


 本来記録が残りようのない部分については、祖父に祖母、そして界壁越境トンネルを通ってこちらの世界にやってきたあの世界のあの国からやってきた方々のすべてが故郷の記憶をきちんと維持している(チタが前世のいた自分がいた時代を歴史の本筋から切り離されても生涯覚え続けていたように)ことを鑑みて、私が空想で補った部分である。


 驚いたのが高次元干渉魔法の使い手として名高いドラ博士の先ごろ翻訳された自伝にチタとしか思えぬ娘が登場することだ。幼いドラ博士が引きちぎった世界をいつも探し続ける哀れで愚かな娘。

 幼い頃から冒険小説顔負けの過酷な体験をしてきた据えに王立魔法学院の栄誉教授となられたドラ博士も祖父たちの国と同じ出身だと知り椅子から転げ落ちるほど驚いた。

 ドラ博士は天才ぶりとその口の悪さでも名高い。先の著書でも自分の生母や師匠、投獄した役人やそれを指示した王子など皆辛辣に批評しているが心なしかチタらしき娘にだけはその舌鋒が幾分大人しい。私はどうしてもその点に救いを覚えずにいられない。


 よって、チタ、王子、ドラ、歴史的ともいえる三者対談の様子はドラ博士の自伝をもとに私が空想で補ったものであるとここでお断りしておく。




 今まで可視化されてこなかった異世界間交流の歴史にようやく手を付けられ始めた。〝エミリ″の体に意識を飛ばされて以降のチタについてもいつかは明らかになることだろう。願わくば私の生きている間にかなわんことを。

 

 

 今はもうあとかたもない祖父たち故郷だが、これを読んだ方の胸に幻というかたちであっても残り続けることを願うのはセンチメンタルがすぎるだろうか(私がセンチメンタルな物語に感応しやすいのはきっと祖母から受け継いだ遺伝子の作用だろう)。


 

 しかしそれが亡き祖父と祖母、そして私と同じ名前を持つ少女への手向けになればと願うのである。

 

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テレビ、そして異世界を滅ぼした二人の少女についての覚書。 ピクルズジンジャー @amenotou

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