お宮の壁の中に粽を投げ込んだ話
久志木梓
彼の話
彼はおどおど話し始めた。
「いや、いざ話すとなると難しいですね。そう、そうですね、私はあの日、祭りの途中でひとり、壁の中に
……あ、いや、これではよくわからないですよね。順々に話しましょう、順々に。
まずですね、私の故郷にはこっちの、
かぁー。うまいですなあ。……
あー……どこまで話しましたっけ? ああそう、浴蘭節の日には、あたしの故郷では船の速さを競わせるってぇとこでしたね。で、なんでこんなことするようになったか、見当がつきますかい? え、つかない? そうでしょうなあ、江北の人間は答えられた試しがないですからなあ。――
え、屈原が身投げした
あ、もう一杯飲ませていただける? そりゃありがたい、こう、きゅうっと。……
で、話の続き。はいはい。屈原が沈んじまってですね、やさしい江南の人間はですね、屈原を哀れんで粽を作って川に沈めてやることにしたんです。川の底にいたって腹は空くと、こう信じてたわけなんですね。情け深いでしょう? 江南の人間は。
粽、っていうのはね、竹の節を破って竹筒を作って、そこに炊いた粟の飯や米の飯を混ぜていれるんですが、あー、竹ってご存じで? あ、分かります? いや失礼、あなた様は北の
んで、ここからがあたし個人の話です。あたしがまだほんの子どもだった頃の話ですよ。五月五日の端午の日、あたしは今まで話した船競争やら粽沈めなんやらを抜け出して、一人でこそこそ
で五月五日ってぇたら、黄梅雨も終わり間際、段々夏の盛りに近づく頃ですな。あたしは家族とわざとはぐれて建業の城市に戻ってきた。粽を一つくすねてね。城市に門番はもちろんいるんで、子どもが一人で門をくぐろうとすれば当然呼び止められるでしょうが、なに、門以外のとこから入っちまえばいいんです。なぜって、建業には城壁がないんですよ、ちょっと想像しにくいでしょうが、ほんとの話です。建業には城壁がないんです、竹の垣があるだけで。小さな子どもが通れるぐらいの抜け道は、まああります。ま、だからあんな簡単に、籠城もせずに降伏しちまったんでしょうが、なにぶん長江はでかいし山は険しいでしょ、誰もあの川と山を越えて敵が攻め込んでくるなんて本気で考えちゃなかったんですよ。
で、その建業ですがね、さすがに
……あなた様は
で、保質童子です。そんな呉では互いが信用できないんでって、遠方勤めのお偉いさんはみんな妻子を建業で人質に取られてました。人質にされた子どもたちはね、人質にされた子同士で遊んでました。もちろん遊ぶったってあたしらみたいに自由に遊んだりなんかできませんよ、ずっと見張りがついてましたし、遊ぶ場所といったら大体はお宮の壁の中でした。あ、お宮の壁っていうのは呉王様なんかの宮殿を囲ってる、建業でたった一つのあの城壁です。あたしらはお宮の壁って呼んでたもんで。で、お宮の壁の中の保質童子たちも、たまに大人たちにきっちりかっちり囲まれながら引率されて、壁の外にも来ることがあったんですよ。ま、それを見て子どものあたしはそれを不憫に思ったっつぅわけです。いくらきれいなおべべ着てたって、あの子たちはあんまりにも窮屈そうでかわいそうだって。そして屈原と同じに思えたんですよ。ひとりでぶくぶく川に沈んじまった屈原と同じぐらい、かわいそうだって。
だからあの日のあたしは、お祭り気分を少しでもあのかわいそうな保質童子たちに味あわせてあげようと、浴蘭節の粽を持って城市に戻って、お宮の壁を目指してたんです。で、木に登ってお宮の壁の中をのぞいたんです。ええ、壁の中を見るのにちょうどいい感じに張り出した木の枝があったんですよ、あの頃は。あ、なに笑ってんですか、あんまり不用心だって? だから言ったでしょ、建業は城壁がないぐらいのんきな場所だったんですよ。どっちかってぇと怖いのは、国内の、というか身内の……いや、なんでも。
ともかくね、あたしはお宮の壁の中を見た。ちょうどよくあたしに気付いた子がいたんですよ、ばちりと目が合いました。その子は他の子どもたちとは離れたとこにいて不思議そうにあたしを見てましたが、ぼんやりした子なのか肝の据わった子なのか、ただあたしをじっと見上げるだけでした。あたしは大人に言うなと手振りで示して、粽をその子に投げてやりました。その子は落ちてきた粽を拾ってためつすがめつ見ている。またあたしが身振りでそいつは蓋をあけて食べるもんだと示す。そしたらその子は了解して、竹筒の蓋を開けて粟と米の混ぜ飯が入ってるのを見つけると、そのままもしゃもしゃ食べ始めました。今にして思えば混ぜ飯なんて貧乏人の飯、うまいはずがないんですがね、その子はにっこり笑ってありがとうという風に手を振ってくれました。あたしはその子に手を振り返してから、いいことをしたと思って満足して、木から下りて家族のとこに帰りました。
帰ったらそりゃ大目玉をくらいましたよ。でもね、あたしが投げた粽を拾って食べたあの子の、ばっちり合った目がね、きれいな青色だったって言ったら今度は家族の顔が全員真っ青になっちまいました。
――ええそうです、碧眼です。碧眼なんて異相の人間、滅多にいやしない。でも、そう、ご存じの通り、呉王の、
数日、あたしら一家は怯えに怯えて暮らしました。でも何も起こらなかった。何もね。
え、その子は結局どこの誰だったのかって? さあ、詳しいことはわかりません。ただまあ、あのときあたしと同じ年頃、つまり五歳かそこらで、するってぇと呉が滅んだときには三十、働き盛りだ。で、呉王の血を引くほど貴いあの子が辺境、つまりは国境を守る父親の官職を継いでいたとすればきっと将軍様にちげぇねぇ、だとすると……。儚いもんです。まあもしかしたら、その前におえらがたのつぶし合いで殺されちまってるかもしれませんがね。ありゃひどかったから。どっちが悲惨かっつうのは、なに、言えませんわな……」
彼はすっかり酔いながらも、沈痛な面持ちで私に語り終えた。
お宮の壁の中に粽を投げ込んだ話 久志木梓 @katei-no-tsuru
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