028 銭湯『狼煙』

夜が止まってから街に出るのは初めてだった。


監視カメラの映像で何度だって観た空っぽの街。だけど実際に目の当たりにしてみると、それは画面越しで観るよりもずっと静かで閑散としていた。街灯がチカチカと不気味に点滅する。本当に誰もいないんだ。もうこの街の景色にも慣れて、鼻歌交じりで歩くみんなの後ろで、僕はきょろきょろと街を見渡しながら歩いた。人が消えた街。まるでゴーストタウンだ。僕は思わず息をのんだ。木津くんが僕を振り返ってにやりと笑う。


「なんだよロクネン、ビビってんのか?」

「……べ、別に僕、ステラなんか怖くないもん」

「まあ心配すんなって、いざとなったらおれ達が守ってやっから」


随分と気前のいい事を言うようになったなぁ。木津くんだって最初の頃はすごく怖がっていたくせに。僕はぷくっと頬を膨らませてそっぽを向いた。


しおかぜ商店街は長いアーケードになっている。帆布の雑貨屋さん、鉄人58号の等身大模型が目印の玩具屋さん、空き家を再生させたゲストハウス、練物屋さん、モダンな雰囲気のカフェなんかが立ち並んでいる。


商店街を3分ほど真っ直ぐ歩いた所に、銭湯『狼煙』はあった。ノスタルジックなコンクリート造りの立派な門構え。格子は青く所々が錆びていて、それがまた趣があった。みずたまが「おっふろ! おっふろ!」とはしゃいで真っ先に暖簾をくぐって行く。


商店街の中にあることもあって、待合室はかなり狭かった。黒電話。番台。鍵のないロッカー。本当に動くのかどうかも怪しいようなマッサージ機。あまさわアイスクリームと書いてある脚の不安定なベンチだけがぽつんと番台横に設置されていた。


「じゃ、上がったらこのベンチで落ち合うってことでいいな」

「はーい!」


僕達は脱衣所に設置されていた古びた洗濯機に服を全部詰め込んでコインを入れた。がこん、がこんと今にも壊れそうなぐらいの音を立てて揺れている。


「……な、なんか修学旅行の夜みたいだな」

「あ、や、八鹿、泥酔した人は入浴お断りって書いてあるよぉ」

「眠眠打倒ば飲んだけん大丈夫かろう、た、ぶん」


裸の付き合いとは最初のうちは皆ぎこちないものである。初めて出逢ったコンビニのお兄さんと酔っ払いのおじさんと一緒にお風呂に入るだなんて、なんだか不思議な感じがする。僕達は横一列に並んで、お互い少し気まずいのか、それぞれが黙々と体を洗った。そんな僕達の気も知らずに、僕達とは正反対に向こう側からみずたまのはしゃぐ声が聞こえる。


「……あいつ絶対走ってんだろ」

「スピカ、ちゃんと付いて行けとるやろうか」


湯桶を置く音と、流れるシャワーの音が僕達しかいない浴場に響く。天井は吹き抜けになっており、すぐ隣の女湯の喋り声は丸聞こえだ。特にみずたまは声が大きいから尚更だった。「やだあ、スピカったらすごい大胆!」「そんな、みずたま、私……恥ずかしいです」「恥ずかしがらないで、もっとよく見せて!」という会話が聞こえ、ますます僕達は何にも言えなくなって、黙々と頭を洗った。


「あ、あいつら何やってんだろうな」


痺れを切らした木津くんが気まずそうな顔で僕と八鹿を見て言った。しばらくの沈黙のあと、僕達は無言の意気投合を果たし、シャワーを止めて壁の向こう側に耳を澄ませた。がらんとした大浴場に「みずたまも練習すればこのぐらいお茶の子さいさいですよ」「竜巻、もっかいやって、竜巻!」「仕方ないですね、あと一回だけですよ」「わー!これはもう竜巻なんてもんじゃないよ、ハリケーンだよ!」と謎の会話が響く。


「……あいつら何やってんだろうな」

「色っぺえ想像が出来ん事だけは確かやな」


僕達はがっくしと肩を落として湯船に浸かった。久しぶりのお風呂はあんまり気持ちが良くて、思わず感嘆の声が漏れる。


「そういえばさ、ロクネンは何であんな時間にコンビニに居たんだ? こんな遅くに出歩いて親御さん心配しないのか?」


木津くんが、何気無く僕に問いかける。ぽたんと天井の水滴が僕の目の前に落ちて、波紋が広がった。僕はわざと鼻の先まで浸かってぶくぶくと泡を吐き出してみせた。


「家が近くだからねぇ、アイス買ってきてってお使い頼まれただけだよぉ。あのコンビニはよく行くんだぁ」

「へえ、お得意さんって本当だったんだ」


それから特に会話が広がることはなく、僕達はまた少し黙った。蛇口からお湯が止めどなく流れる。水面からもくもくと浮かび上がる湯けむりを何となく目で追いかけて、僕は夜が止まる前までの事を思い出した。そうこうしているうちに視界がだんだんと湯けむりで白くなった。あれ、何だかのぼせてきたのかな。


「ねえ、なんだかこのお風呂、湯けむりすごくない?」

「そうか? こんなもんじゃないか?」


そうかなあ、と僕はお湯で顔をぱしゃぱしゃと洗ってみた。しかし視界が晴れることは無く、ついにはすぐ隣にいるはずの八鹿と木津くんの姿も見えないぐらいの煙で覆われていた。


「……いや、やっぱりおかしいよ、これ!」


僕が立ち上がろうとしたその時だった。


「強い魂の共鳴を感じます!」


スピカの恒例の台詞が女湯側から響き渡り、僕達は青ざめた顔で湯船から立ち上がった。

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