エピローグ
エピローグ
俺と俺の愛娘のヤロスラーヴァ、そして先日二歳になったばかりの息子のヴァジムは花束を手にして街外れの墓地の一角を訪れ、未だ比較的新しい墓標の前に立っていた。
「それじゃあお母ちゃんに花を
「うん」
快活な声でもって返事をしたヤロスラーヴァとヴァジムの姉弟が
「久し振りだな、ナターリヤ。寂しかったかい? 最近はヤロスラーヴァの進学の手続きとかヴァジムの世話とかで、何かと忙しくてね。なかなかここにまで足を運ぶ機会が無くて、ごめんよ」
そう言って詫びた俺もまた、ナターリヤの墓に花束を
「見てごらん、ナターリヤ。ヤロスラーヴァはもうこんなに大きくなって、今年の九月には小学生になるんだぞ。……ほら、ヤロスラーヴァ。ちゃんと自分の言葉でお母ちゃんに報告なさい」
「お母ちゃん、あのね、あたしね、もうすぐ学校に行くの! 学校に行ったら、お友達、たくさん出来るかな? お友達がたくさん出来たらね、皆で一緒に遊ぶの!」
俺に促されたヤロスラーヴァが、嬉しそうに墓前に報告した。
「それじゃあ次はお前さんの番だよ、ヴァジム。お母ちゃんに挨拶なさい」
「お母ちゃん、こんにちは」
俺は報告と挨拶をしてみせたヤロスラーヴァとヴァジムの頭を優しく撫でてやりながら、ナターリヤの墓に語り掛ける。
「ヴァジムも二歳になって、こんなに言葉を喋れるようになったんだ。だからきっとすぐに文字を覚えて、ヤロスラーヴァと一緒に絵本も読めるようになるぞ。そして気が付けば子供達は立派に成長して、俺はあっと言う間によぼよぼの爺さんになっているに違いない。だからその時まで、もう少しだけ天国で待っててくれるかい、ナターリヤ? 子供達を無事に育て終えたら、俺もすぐにそっちに行くからさ」
そう語り終えた俺は眼を瞑り、額の前で十字を切って亡き妻の天国における幸福と安寧を神に祈った。するとそんな俺の真似をして、ヤロスラーヴァとヴァジムの二人もまた十字を切って神に祈る。
「さあ、そろそろ家に帰ろうか」
未だ幼いヴァジムを抱きかかえた俺はヤロスラーヴァと手を繋ぎ、三人揃って街外れの墓地を後にした。そして墓地の向かいに路上駐車してあった愛車のUAZ《ウァズ》452に乗り込むと、俺とヤロスラーヴァはそれぞれ運転席と助手席でシートベルトを締め、ヴァジムは後部座席のチャイルドシートのベルトでしっかりと身体を座席に固定する。
「また来るね、お母ちゃん」
走り去るUAZ《ウァズ》452の窓から母親の眠る墓地に向かって手を振りながら、ヤロスラーヴァが呟いた。そして彼女が手を振っているその間にも、俺達家族三人を乗せた俺の愛車は街外れの墓地から遠ざかって行く。次に墓参りに来るのは来月の月命日の、降り積もった雪が全て溶けた頃だろうか。
「途中でどこかに寄って、何か美味しい物でも食べてから帰ろうか。ヤロスラーヴァ、何か食べたい物はあるかい?」
「えっとね、あたしね、スパゲッティーが食べたい!」
「そうか、お前さんはイタリア料理が好きだったな。……そう言えばナターリヤもイタリア料理、中でも特にイカ墨のパスタがお気に入りで、一緒に街に出た時にはよく食べたもんだよ」
「イカ墨? それって美味しいの?」
「ああ、美味しいよ。それじゃあ今からイカ墨のパスタを食べに、イタリアンレストランに行くとしようか」
「うん! 行く!」
ヤロスラーヴァの同意を得た俺はウインカーを出してハンドルを切り、愛車をイタリアンレストランの在る街の中心の方角へと向けると、ゆっくりとアクセルを踏み込む。そして徐々に加速する車内でハンドルを握りながら、何か音楽でも聴こうかと思ってダッシュボードの上に置かれた小型ラジオの電源を入れた。
「!」
欧州各国の過去のヒットチャートからランダムに選ばれた歌を垂れ流し続ける放送局に周波数を合わせてある、俺の小型ラジオ。その小型ラジオから聴こえて来た歌を耳にして、俺は少し驚く。それは2005年に世界中で大ヒットしたジェイムス・ブラントの歌である、『You're Beautiful』。その歌を聴いた俺の両の瞳からはぼろぼろと大粒の涙が零れ落ち、視界が滲んで運転出来なくなったので、俺は愛車を路肩に停めた。
「お父ちゃん、どうしたの? おなか痛いの?」
「いや、何でもない。何でもないんだ、ヤロスラーヴァ。只ちょっと、昔を思い出しただけなんだ……」
俺は心配そうにこちらを見つめる愛娘に弁解しながら、熱い涙を零し続ける。
「あなたは美しい《You're Beautiful》か……。そうともナターリヤ、お前さんは誰よりも美しかった……」
俺のナターリヤに対する愛情、そして彼女が残してくれた二人の子供達への愛情が尽きる事は無い。
了
鍛冶師オレグ 大竹久和 @hisakaz
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