決めた

今神栗八

★★★

 医者にも言われたし、やけ食いは今日から控えなくちゃ……そう分かっていながら、私はつい、クッキーの袋を手繰り寄せ、一枚口に入れて、ソファに横たわった。


「ティップ・トップ・エージェンシーがお送りする、ワン・タイム・テレビショッピーング! さあ今日は、ダイエットしたい女性は必見の、サプリメントのご紹介です」


 よく顏を見知っている男性プレゼンターが、今回も不自然なほど元気に、パートナーの女性プレゼンターに語りかける。


「ティップ・トップ新人の佐藤さん、入社した春より一層スタイル良くなられたんではないですか?」


「一之瀬さん、嬉しいこと言って下さいますね。実は秘密はこれなんです!」


 ふん、セクハラギリギリのオープニングじゃない。それに視聴者の誰が、入社した時のあんたのスタイルを知ってるっていうのよ……少し鼻白みながらも私は画面から目を逸らさなかった。


 俊介の態度がそっけなくなって、私はただオロオロするしかなかった。交際が二年を超えたからって、女子りょくアピールをサボってたわけじゃあない。彼が泊まりに来るときは、部屋も片付けたし、レシピ本も開いたし、下着も可愛いのにこだわった。俊介がつれなくなってからは、自分のどこに問題があるのか、どうすれば失いつつあるものを取り戻せるのか、まるで見当がつかなかった。


 私は、ソファに寝転がったまま、手を伸ばす。さっき物干し竿から取り込んで無造作に床に放置してあった、ゴムウエストのスウェットやら、はきこみの深いベージュのショーツやら、洗濯ものをまさぐって、埋もれていたテレビリモコンを探し当てると、ボリュームを少し上げた。


「脂肪の燃焼効率を高めるカプサイシンが市販の製品のなんと二十五倍!」


「ええっ、それはすごいですね!」


 男性プレゼンターがまた大げさに驚く。


「好きな人ができた」


 本当は、私のベッドでタバコを吸うのはやめてほしかった。最近の俊介は、私が俊介に嫌われたくなくて苦情を言い出せないだろうと高をくくっていた。そして実際、その通りだった。だから私は、煙にむせて咳き込むのさえ、口を閉じて我慢していた。それなのに。


「いや。私いやよ、離れたくない」


 私は背中を向けて煙を吐く俊介の肩に手をかけてこちらを向かせた。俊介は私に目を合わせず、代わりに今触れていた私のカラダにうつろに目を這わせた。


「俺に、ちょっと考える時間をくれないか……」


「ちょっと考えてみてください。一日わずか二粒で、またお気に入りのスカートが履けるようになった自分を!」


 ふん、個人差があるのよ。効き目には。


 そうして俊介が部屋に来なくなって以来、私は糸が切れたように太り始めていた。タイトスカートが引きつり、今までしわの入らなかったところにしわが入るようになっていった。お笑い番組を見て、独り乾いた笑い声を立てる時には、その都度開いた口に何か放り込まないと、魂がにょろりと出て行ってしまうのではないかと思っていた。現に私のジーンズの尻ポケットの口は、だらしなく呆けてその矜持を失っていた。


 ふと思った。俊介は、ひょっとしたら、私に嫌われようとしてタバコを吸っていたのかもしれない。


 私は手を伸ばして自分のスマホを手元に引き寄せた。今日も俊介からのメッセージは入っていなかった。今も仕事中だから、何の奇跡も起ころうはずはない。いつまで待ち続ければいいのだろう。良い人ぶって健気にじっとしていればいいのか、それとも、今こそ行動を起こすべきなのか……。


「その人の何がいいのよ」


「心の、キレイな人だ」


 カラダだ、と私は確信した。


「……だから私は、このサプリメントを手放せなくなったというわけなんです」


 この女、本当に自社商品だけで痩せたわけではあるまい。ふん、私だって、その気になれば、この女なんかよりずっとキレイになってみせる。そうだ。あきらめてどうする、私。


 女が人指し指を立てた。白く、細い手首がブラウスの袖から露わになった。


「そして今日は、テレビの前のあなたにだけ、特別なオファーがあるんです!」


 私は目を見開いた。女の手首に光るのは、私がネットでチェックしていた、あの、フォリフォリの「ハータイム・ウォッチ」、しかも同じ、ピンクゴールド色だった。文字盤に大きなハートがあしらわれているので、遠目でもすぐそれと分かった。


 仲睦まじかった頃、「二キロ痩せたら自分へのご褒美に買おうと思ってるの」と俊介に言ったら、「それなら俺が佳奈に買ってやるよ」と言ってくれた、あの腕時計だ。


 時計の主が大仰に宣言した。


「なんと、今日は特別に、お値段そのままで、もう一か月分おつけします!」


「決めた」


 私は小さくつぶやくと、電話をかけ始めた。


 当然、留守番電話につながる。


「もしもし、私。今、CM見てる。この女の時計、俊介が買ってやったのね、すぐ分かったわ。ところでね。今日、検査の結果出た。十週目だって。私、産むことにしたから」


 そこまでメッセージを入れて電話を切った直後、テレビでは、俊介と時計の女が画面に並んで、にこやかな声を、完璧に、揃えた。


「お電話、お待ちしております!」


 決めた。


 私はもう一度俊介に電話した。


「それからね、ティップ・トップの、山本厳男いわお人事部長には、私の妊娠のこと、一応耳に入れておこうと思って。今まで俊介には黙ってたけど、私の伯父でもある人だから」


(了)

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決めた 今神栗八 @kuriyaimagami

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