母とルンバ

練田古馬

母とルンバ

 家に荷物が届いた。

 大きめのダンボールに包まれた何かだ。

 僕は何気なく、また粗大ゴミが増えたな、と直感的に思ってしまった。

 この前大掃除をして、粗大ゴミやらなんやらを片付けたばかりなのだ。粗大ゴミは一人の名義につき年に3つまでしか出すことが出来ず、大掃除で自分や家族の名義も合わせてほとんど使い切ってしまったので、もう安易には捨てられない。

 しかし、そう思ってしまったことに一抹いちまつの罪悪感が芽生え、宛名あてなが母親の名前になっているのを確認した。つい、思わずため息が出た。


「……また、衝動買いか」


 それを見た父は、夜勤明けだからなのか反応は薄く、大きなダンボールを一瞥いちべつすると、ふーん、と言ってリビングに戻って行く。


「えー、何だろ……気になるぅ」


 妹は諦めが付かないのか、しきりにダンボールの周りをぐるぐると回りながら、思案していた。

 そんなに周りを回ったとしても何が分かるということも無いだろうが……。


 ……さて、どうしたものか。

 とは言っても、母の物だ。僕がどうこう出来る訳じゃ無い。

 僕はダンボールの中身が気になりつつも、とりあえずリモコンを操作して、テレビに興味を移すことにした。



◇  ◇  ◇  ◇



「あ、届いたんだー」


 しばらくして母が帰宅し、それと同時に箱の方へと手を伸ばす。

 それに呼応するかのように、妹が駆け寄って行った。

 僕もダンボールの中身が何なのか気になってはいたので、それとなく妹の後を追うが、父は特に興味も示さず、テレビを眺めていた。


 ダンボールを開けている母は、少し嬉しそうで、顔にはわずかに笑みが宿っている。

 何なのだろうか。母が楽しめそうなものと言うのは……、あまり思い浮かばない。


 僕の母は、どちらかと言うと仕事人間で、帰って来ても仕事の話ばかりをしている。その仕事はというと、小学校の教員である。

 母 いわく、子供が好きなのがきっかけだったらしい。

 実際それが伝わるくらい、自分が担任している生徒の話をよくするし、話しているときの母は、とても楽しそうに見えた。


 だからこそ、それ故にダンボールの中身が意外だった。仕事以外で楽しみを全く感じないとまでは言わないが、母親が仕事以外に活き活きとしている姿はあまり見ない。


「あ、凄い! ルンバじゃんコレ!」

「思い切って買っちゃった!」


 何故、お掃除ロボのルンバなのだろうか。

 普段家事なんてやらない母がこういう家電に興味を示すとは……。いや、むしろ家事をやらないからこそ買ったとも言えるのだろうか。


 ただ、この時の僕は、何故買ったんだとか、何で今これが必要なんだとか諸々もろもろを考える以上に、ウチにこういう面白い家電が入って来たという単純な驚きと喜びが大きかった。

 ただ、父だけは「おー」と棒読みぽく反応するだけで、特に興味は示していなかった。



◇  ◇  ◇  ◇



 週末の休みの日。ルンバは早速駆り出される。


「よーし、行けルンちゃん!」


 早くもあだ名の付いたルンバのルンちゃんは、電子音が奏でる軽快なメロディと共に廊下を移動する。

 そして、移動しながらブラシを回転させて周辺のゴミを取り除く。

 最初は勢い良く壁やドアに衝突していたルンバだったが、次第に家の構造を理解し始めたのか、ぶつかる前にある程度減速するようになって来た。

 そうやって、ルンバの一挙一動を見るため、母と僕と妹は、カルガモの親子みたいに後ろにくっ付いて進んで行く。

 ちなみに父は、ルンバに目もくれず、風呂掃除にいそしんでくれていた。


 そんな風に掃除の時間をいろどっていたルンバだったが、次第にその存在にかげりが見え始める。

 まず、第一に家があまり綺麗でないことが影響し始める。

 僕の家族は日本人らしく床座の生活をしている。そのせいもあってか、床に物を置くことが多いのだ。それらを取り除いたとしても、座椅子があったり、パソコンの配線などがリビングの隅の方にごちゃついていたりと、ルンバにはあまりよろしくない環境が整ってしまっている。

 第二に、掃除する速度が遅いことである。

 本来、ルンバのようなお掃除ロボは、普段掃除を主だってやる時で無くとも稼働させるものである。むしろ、普段から稼働させることで、掃除の負担を減らす事が出来るものだ。

 しかし、僕の家のように前述のような汚さが普段から存在したり、また、床座のせいでフローリングに敷いていた茣蓙ござをわざわざ取り除いて掃除するようなところは、普段から綺麗にするなどというコンセプト自体合っていないのである。

 これらのせいで、掃除の時に持ち出した時、僕の家の場合は普通に掃除機をかけた方が断然早く、ルンバでは不便だという事に段々と気付いてしまうのだった。


 そんな訳で、暫くは掃除の主役を飾っていたルンバも目新しさがなくなり、次第に鬱陶うっとうしくなって来た頃。

 年末も近くなり、父の実家に帰省する前に、こちらの大掃除をしようというタイミングで、母がルンバを稼働させようとしていた。


「お母さん、もういいよそれ」

「え、何でー?」

「最初は物珍しくて良かったかもしれないけど、慣れてくると何か遅いし、自動だけど誰か着いてないと何吸い込むか分かんないし……それだったら普通に掃除機かけてた方が早いしいいでしょ?」

「う、うーん……」

「もう捨てない? ルンバ」

「それはダメ!」


 母が突然大声を上げた。

 僕はそれに面食らい、少しギョッとした。

 声のトーンが、母が怒っている時のそれだったからだ。


「いや、でももう使い所ないじゃん。あっても邪魔だし、この機会に物とか整理した方が……」

「絶対にやめて! 捨てるなら私もゴミ捨て場に行く!」


 緊迫した雰囲気にそぐわず、母の言っていることはとても幼稚ようちだった。

 小学校の教員をしている母は、小学生に分かりやすいような言葉で説明する事が必要となる為、そういった母の言葉遣いは度々聞く事はある。しかし、ここまで言い放ち嫌がるとは、かなりまれなケースだ。


「………………」


 僕は、必死になって抵抗する母にそれ以上言い出せず、無言でその場を離れ掃除機を組み立てた。

 正直、何故ここまで嫌がるのか僕には理解出来なかった。捨てるのが嫌なら、売ればいい、とかそういうレベルの嫌がり方では無く、純粋に手放したくないという母の気持ちがはっきりとみ取れた。


 僕は、組み立てた掃除機を稼働させ、リビングに掃除機を掛け始める。それと同時にルンバの稼働する時の電子音が廊下からかすかに聞こえた。

 わざわざ行って止める必要もないと思い、リビングでの掃除を継続する。

 ただ、無心という訳では無く、何故母がルンバを手放そうとしないのかという苛立ちと疑問が、掃除機を掛ける手をせかせかと動かした。


 僕が慣れない掃除機に手間取っていると、モーター音を鳴らしながら、ルンバがリビングへやって来た。

 勿論もちろん、後を追うようにして、母もやって来る。

 母が感情的になり気不味い雰囲気が生まれたせいで、どことなく僕と母は同じ空間にいながらぎこちない。

 そして、お互いに何か言うでもなく、リビングでそれぞれのやり方を通し、掃除をする。

 ふと片手間に母を見やる。

 母はルンバを追いながら、ルンバの障害物となる配線を退け、積まれた本や床に置きっぱなしになっていたリモコンなどを取り除く。

 ……まるで、子供の世話をする親だな。

 不意にそんな風に思った。

 猫や犬のようなペットならまだしも、ルンバを見てそう思った。可笑しな話だが、そう思ったのだ。


 僕は大学生になり、妹は中学生だ。

 母も昔ほど僕達に世話を焼くような事は、もうあまりないだろう。

 むしろ、そうなる事で母自体楽になると思っていた。だが、単純にそれで良いという訳ではなかったのだろうか。

 母は小学校の教員で、子供が好きだ。

 故に、母にとって子供の世話を焼く事は、大変なことでもあるが、同時に好きなことでもあったのではないだろうか。

 しかし、子供が成長して、手を掛ける事も無くなって……。そういった使い方をしようと意図して買ったものではないのだろうが、母はいつの間にか子供を投影するかのように接していた。実際、ルンバを使って掃除をしている時の母は、学校で生徒が起こした珍事を語っている時のように楽しげだった。

 そんな風に思慮を巡らせたら、自然と掃除機を動かす手に苛立ちが消えていった。


「………………」


 僕は掃除機の電源を切り、ホースや本体部分をバラしながら片付ける。

 そして、未だ母とルンバが残るリビングを後にした。


「あれ? もう掃除機掛け終わったの?」


 リビングを出たところで、台所掃除を担当していた妹と鉢合わせる。


「ん、まあ、そうだね」

「早いねぇ。 早速私の方を手伝って……ってお母さんまだルンバ使ってるし……!?」


 僕の向こう側から母の存在を確認すると、妹は演技臭くため息をついてみせた。


「はぁ〜……もぉ……。お兄ちゃんは別んところでいいや、おかーさーん!」

「ちょっとちょっと」

「ん……何?」


 思わぬ制止を受けて、キョトンとする妹。

 そんな妹に、僕はさとすように言った。


「やらせておいてあげなよ」

「えぇ……でもさー……」

「いいからいいから。ホラ、台所そっち手伝うからさ」

「……うん」


 僕は妹の肩に手を当て、台所へ押し戻すように進んで行った。

 その際、母の方を一瞥いちべつしたら、ルンバに何事か楽しそうに話し掛けていたのが見えた。その時、何を言っていたのかはよく聞こえなかった。というか、僕自身聞きたいとは思わなかった。


 それからというもの、僕は掃除の度に不便なルンバの後を追う母に対し、ルンバを捨てろなどと言うことはなくなり、その後ろ姿をたまに目で追うだけになった。

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