ボクは……


 恵利えりがはっ、と振り返る。

 初部活の、翌日だった。

「どうしたん?」

 紗枝さえが恵利の顔を覗き込む。

 二人で廊下を歩いていた休み時間だった。

 恵利は、今すれ違った女子制服姿の背中を追っていた。

「恵利?」

 何度か呼びかけて、ようやく恵利が隣を見る。

「さっちん――今の人、昨日動画で見たジュニアの子に似とらん?」

「えっ?」

 言われて紗枝も、遠ざかってゆく姿をあらためて見る。

「そうやった?」

「うーん、絶対とは言い切れんけど、あの目――見たような気がするっちゃ」

「名前、見た?」

 制服姿は、階段を登って消えていった。

「あっ! えっと――何やったとかな」

「覚えとらん?」

 恵利が端末を取り出す。

 電子魔術書リーダーアプリを立ち上げて、数日でいくらか集めた電子魔術書のリストを開く。

 展開したのは、カメラのマークが描かれた電書だった。

 まだ慣れきっていない操作で画面に触れ、タップすると、恵利の端末の上に付けてあるMANA―SIMがゆるく光りはじめた。

「何しよう?」

「追っかけて撮ってみる」

 制服の胸には名札があり、校内では付けるよう校則で定められている。

 猫を形どったフィギュアが空気中にあるMANAに命令を送り、ナノマシンを集合させる。

 程なくして蝶を模した形状のレンズが浮かび現れた。

「恵利、それ自撮りの電書魔術っちゃろ? SIMから何メートルか離れたらダメんなるやつ」

「ああっ、そうやったっ」

「それに勝手に撮ったらいかんっちゃろ」

「それもそっか」

 恵利が画面をタップする。

 空中の蝶が消えた。

久美くみちゃんに聞いてみよっか」

 恵利が、肩をすくめて紗枝を見上げた。


 教室で本を読んでいた久美は、恵利に声をかけられて端末から目を離した。

 ――が、首を傾げる。

「昨日の動画に出てたジュニアの女子選手? ごめん、判らない」

 いかにも心当たりがない、という表情で申し訳なさそうに言う。

 恵利と久美は自席に、紗枝は椅子を借りて座る。

「ほとんど都内とか、都会の方の選手ばっかりやよ」

「博多も都会たい」

「そういうことやなかでしょ」

 紗枝が突っ込む。

「でもあの目――気になるっちゃ」

「そんなに?」

「目が合ったんよ」

 恵利は、さっきの出来事を思い出すように指を折る。

「二年やったよね。あの人、あたしの名前見てからあたしをじっと見てきた気がする」

「恵利、何ばしよった?」

 紗枝が怪訝な顔をするが、恵利も首を捻った。

「そんなん、覚えはなか」

 なおも恵利は気になる様子で、うんうんと唸っていたが、それはチャイムに中断された。

 紗枝が腰を上げる。

「ここで考え込んどってもしょんなかけん。何なら昼休みにでも見に行ってみる?」

「よか? さっちん、久美ちゃんも、付き合うて」

「よかよ」

 久美も頷く。

 紗枝が椅子を戻した。

「じゃあ、またあとで」

「あとでー」

 まだ考え込みながらも、恵利が手を挙げた。


 昼休み。

 昼食を早々に済ませて、恵利は久美と紗枝を誘って一階上になる二年生のフロアへ向かった。

 三クラスある教室を「失礼しますっ」と言いながら開けて教室内を見回す。

「恵利は物怖じせんっちゃね」

「だって――気になるけん」

 やや呆れと感心を含んだ紗枝に、問い返す。

「それで、さっきの先輩おった?」

「ウチ、そこまで覚えとらんよ」

「――でも、教室三つとも見たよね」

 久美は数少ないヒントからも、女生徒の顔を見ていっていた。

「もとジュニア選手だったって見覚えのある人は――いなかったような気がする」

 廊下で、三人で話しながら通る生徒の顔と名前を、なおも見ていく。

「そもそも、部もなかった雑餉隈ざっしょのくまに、選手してたような人が入るか疑問やよ。福大付属とか共立か、そういうところに行くんやなか?」

 久美が挙げた二校は、ウィッカン・マッチ高校選手権九州ブロックでほぼ毎年上位に入る強豪校である。

「そうやんね……」

 はあ、と恵利がため息を吐いた。

すっとか――」

 と、顔を上げたところで、一人の二年生と目が合った。

 三人の前で、足を止めていた。

 この中で最も長身の紗枝より背が低い。

 それでも女子の制服とレイヤーカットの髪の奥から睨む瞳に、妙な圧力があった。

 あまり膨らみの大きくない胸には『名張』と書かれた名札がある。

「なんで、一年生がここにおるん」

 博多とは違う発音――関西弁だった。

「あたしたち、電書魔術部なんですけど、いま部員を募集してるんです」

 恵利が前に出て言う。

 その二年生は恵利より数センチ目線が低く、久美より数センチ身長があった。

「で?」

 やや低めの声で、恵利に言う。

「今更そんな部やる子なんて二年にはおらんやろ。一年から探したらええやん」

 冷たい口調だった。

 久美がその顔をじっと見て――呟く。

「あの……大生おおぶじょうくんの身内の方ですか? 妹さんとか、従姉妹とか」

 二年生が目を大きくする。

「あの使みたいやった子? あ、目、似とるね」

 紗枝が、久美と上級生を見比べる。恵利も「あ!」と瞳を見た。

 その二年生が眉を寄せる。

 恵利がもう一歩、近付いた。

「あのっ、ジュニア競技会の、昨日見たんです。親戚にあの天使が居らっしゃるなら、あたしたちに電書魔術教えるようお願いしてもらえませんか? それか先輩もやってたなら一緒に――」

 一気に言う。

「天使て――勝手なことを」

 ごく小さな声でもらす。

 聞き直そうとする恵利を制して、その二年生が続けた。

「姉妹も従姉妹もおらん。もうやらん。放っといて」

「私は……って、えええっ!!?」

 久美が声を張った。

「まさか――まさか、?」

 初めて聞いた久美の驚愕声に振り向く恵利と紗枝が、弾かれたようにすぐ視線を変えた。

「うそ――男の人?」

 まじまじと紗枝が全身を眺める。

「もうええやろ? わかったら下に戻り」

「待ってくださいっ!」

 その手を、恵利がしっかり掴んでいた。

「部に入ってくれませんか? センパイはせんでも、教えてもらえるだけでもよかけん」

「あの――本当に、譲くんなんですか?」

 信じられなさそうな口調の久美が、おずおずと尋ねる。

「見る?」

 と悪戯するように自分のスカートに手をかけるのを、久美が慌てて首を振って止めた。

 その久美に、微笑んで見せる。

「いまは晶子しょうこ。私はもう、私らしく生きることにしてん」

「私らしく?」

「この方が可愛いやろ? 服のサイズも女子もののほうがぴったり合うし、筋肉も付けへんし」

 と、恵利の手を振り払ってくるりと回り、うっすらと笑う様はまさに女子と見紛うばかりだった。

 滑らかな回転に、前日の映像の面影があった。

「でも、名張って……」

 呟く久美に、譲――晶子が迫る。

「なんで個人情報いちいち言わなあかんねん――まあええわ。名張は祖母の旧姓」

 三人にだけ聞こえるくらいの音量で言って、恵利たちから離れる。

「じゃあね。もう来んといてね」

 スカートを翻して、晶子は教室の一つに入っていった。

 三人はしばらく呆然としていたが、昼休みの終了を告げるチャイムで現実に引き戻された。

 ぱたぱたと早足で、本鈴に遅れないよう階下に急ぐ。

 廊下に近い席からその様子を見ていた晶子は、ひとつ小さな息を吐いてから、午後の授業の準備を始めた。



 晶子は、私鉄でひと駅離れた春日原かすがばる駅から徒歩数分のところにあるワンルームマンションに住んでいる。

 クラスメイトに誘われることも、どこかの部活に行くことも、寄り道することもなく帰宅して、ブラウスと膝下のデニムスカートに着替えた。

 薄手のロングカーディガンを羽織って、戻ってからわずか十数分くらいでまた部屋を出る。

 歩いて向かったのは、駅だった。

 春日原駅の、マンション側とは反対にあるコンビニに入る。

「お疲れさまです」

 と挨拶してバックヤードに入り、コンビニの制服に着替えて出てきた。

 レジに立っていた女性店員から申し送りを受ける。

 晶子は、ここでバイトをしていた。

 学校にいたときよりも愛想よく店員と話し、時には小さく笑顔をこぼす。

 ――が。

「ねえ、今日から貼ってるポスターのあのチケット――ウィッカン・マッチ九州選手権って、結構人気あるやつなんちゃろ? 晶子ちゃんは興味あったりする? イケメン選手とか――」

「すみません、私、あんまり興味ないんですよ」

 女性店員との話に肩をすくめて見せる瞳が、やや沈む。

「そっかぁ、うち見たことなかけん、一度見てみようかな。晶子ちゃんもどう?」

「私は――すみません。やめときます」

 晶子は申し訳なさそうに言って、レジを出る。

「棚整理いってきます」

 と、雑誌の棚に向かう。

 立ち読みあとの女性誌や漫画雑誌を並べ直しながら、ふと手が止まる。

 動画のダウンロードコードが袋とじの付録になっているムック本は、昨年のウィッカン・マッチ世界選手権の総集編だった。

 十数秒ほど止まっていたが、それを他の雑誌の下に置いて仕事を続ける。

「昼にあの子たちに言われたからか、意識しすぎや……」

 そう呟いて、ため息を吐いた。


 晶子のバイトは、平日は夕方から深夜前までのシフトだった。

 特に何事もなくこの日のバイトを終えた晶子はレジ袋を手に、やはりまっすぐ家に帰る。

 風呂を済ませた、タオルで巻いた髪と寝間着にしているTシャツ短パンという状態で部屋に戻る。

 何度かの逡巡のあと、タブレット端末のスリープを解除した。

 クッションに腰を深く沈ませて、端末に入っていた動画を再生する。

 数分の再生を終えたところで立ち上がり、洗面所に向かう。

 化粧水と乳液を顔から首筋まで広げ、タオルを解いて髪を乾かしてからまたクッションに座り、別の動画を再生する。

 ――過去の、自分の演技だった。

 画面の中では晶子――譲は、男子とも女子ともとれるヒラヒラとした衣装をまとい、小学生らしい笑顔で踊っていた。

 別の動画ではほぼ女装といえる、スカート付きレオタードの練習着でタブレットを操っていた。

 ビスチェとチュチュで花と星を咲かせて回る、中学生の頃の譲もまた、爽やかで華のある演技と笑みを映像に残していた。

「――ボクは……」


 いくつも再生され続ける映像を見る晶子の瞳に、いつしか涙が浮かび上がっていた。





(#2 Fin)

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