#02 かつての栄光は彼女を呼ぶのか?
気になるあの子
初部活となった、四月下旬にさしかかった日。
「体育館使用の申請はしてあるけど――まだ、入れてないっちゃね」
自分の端末を見ながら恵利が言う。
空き教室は片付けられており、人数分の椅子だけをみんなで用意した、がらんとした空間になっていた。
「これでも、高さも広さも足りないわね」
三人と向かい合った瑛子が見回す教室は、約八メートル四方である。競技エリアである十五ヤードよりも狭い。
「みんなの競技用SIMもまだだし、とりあえずは――」
と、板書用スクリーンをモニターに切り替える。
スライドや映像表示が一般的となっている時代だが、いまだに黒板やホワイトボードにチョークやマーカーで手書きしてゆくことを好む教師のため、
瑛子が端末を接続する。
「実際の競技動画と、基本的なルールの座学から始めましょう。それと、玲毘さんと曳灯さん、日常用のSIMは用意できた?」
恵利と
恵利の端末には猫の、紗枝のものには梟のフィギュアが挿さっていた。
「久美ちゃんのと同じシリーズにしよっちゃよ」
入手してすぐ、恵利は隣の席の久美にそう言って見せていた。
瑛子も頷く。
「それなら、室内で使える日常魔術もやってみましょう」
モニターに、電子魔術書の販売サイトが表示される。
「無料の簡単なのもあるし、評判のいい安全なのもある。
ただし、重課金に陥らないよう気をつけて選んでいくようにね」
「「はあーい」」
恵利と紗枝の返事が重なり、恵利が手を挙げた。
「センセっ、あたし、競技動画見たかとですっ」
「了解」
瑛子はやや苦笑して、モニターの表示を切り替えた。
動画サイトを映しだす。
星の数ほどある無数の動画の中から、瑛子はピックアップして数個のリストを作っていた。
『ウィッカン・マッチ』の競技動画ばかり、競技クラスや種目別に分けられたものが画面に出る。
「どこから見てみる?」
「一昨年のワールドカップ! 見たことなかけん」
また、恵利が挙手した。
瑛子がモニターを確認しつつ、端末を操作すると、動画再生が始まる。
「技の解説とかは私もまだ勉強中でできないけど――」
「先生、ライセンス試験受けるとですか?」
久美が尋ねると、瑛子は「ええ」と頷いた。
「
「親の影響で」
久美はそう苦笑するが、自分でも好みのラインをしっかり持っている様子で、
「一昨年なら銀やったけどリズ様のが私はよかったな」
と、動画を見ながら言う。
「リズ様?」
「エリザベス・コーウェンって選手。いまスーやけん、二人あとの演技やったかな」
女子選手が演技している画面の下には『スザンナ・イサフォディ』と名前が隅に表示されていた。
「久美ちゃん、詳しかね」
恵利が目を丸くする。
「それほどでもなかと」
はにかむ久美はそれでも、競技の簡単な解説を恵利と紗枝にはじめるのだった。
◆◇
『ウィッカン・マッチ』は音楽に合わせて電書魔術を発動させて演技を行い、その表現力を競う採点競技である。
個人種目も団体種目もあり、団体種目はさらに三つに分けられる。
一辺十五ヤードの競技エリア、と前述したが、正確には「一辺十五ヤードの立方体空間」と定められていて、それを超えると減点となってしまう。
また、競技エリア内のMANAは一定量が決められており、一度の演技中には補充されない。限られた量のMANAをどう使うか、が高得点のカギとも云える。
採点は「技術」「構成」「表現」の三要素から算出したのちに減点要素を加味して決定される。発動させる電書魔術そのものの難度、魔術から魔術へのつなぎ、曲の解釈による振り付けや動作の芸術性――そういったところで点数を稼いでゆく。
競技に参加するには、競技専用のSIMと、レベルに沿った競技ライセンスが必要となる。
学生競技会に関しては『指導者ライセンス』を取得した顧問教師かコーチがいれば、競技会などへの参加は可能だが、学生選手権以外への参加のために個人的にライセンス取得したり、ジュニア時代からライセンスを持っている学生当人も少なくない。
端末は複数台持つことがルール上認められているが、演技の直前直後での検査が義務付けられ、また演技中は外部通信が遮断される。また、MANA量にも限りがあるため、むやみに多くを持ったところで使い切れなければ無意味でもある。
「――それで、競技用の魔術書も決められとるんよ」
久美が競技に合わせて解説してゆき、一本目の動画リストは終了していた。
久美の言葉を補足するように、瑛子はモニターにウィッカン・マッチ協会のサイトを表示させた。
競技用電子魔術書の販売ページを開く。
これも明確な国際基準があり、協会の検査に合格したものでないと競技で使用することができないため、協会が管理しているところから購入するのが一般的である。
基本的な『火』や『水』などの元素を発現させる魔術や、幻像を作り出す魔術など、規定内とはいえバリエーションに富んでいる。
余談だが、久美が推したリズ様ことエリザベス・コーウェンは英国選手の一人で、巻いた金髪とあまり笑顔を見せない整った顔立ちからそう呼ばれている。この時の演技は、ケルトをイメージした衣装と曲で、競技エリアを次第に北欧の森にしてゆくという演出のものだった。
「予算取りした中から基本的なものを買って――場合によっては増額申請もいるかもね」
紗枝がサイトを見ながら言って、恵利を見る。
「恵利?」
その恵利は、苦虫をうっかり舐めてしまったような渋い表情を浮かべていた。
「どうしたん?」
「新しい言葉多くて、難しか」
ノートアプリを開いた端末を腿で支えて腕を伸ばす。
――が、その拳を握る。
「きばらんといかんっちゃね」
ノート画面はあちこちに単語が跳び、見返した時に理解できるかどうか首を傾げるメモになっていた。
恵利が手を挙げる。
「次の動画見よっ。センセ、ほかには
「そうね――」
瑛子は協会サイトを閉じて、自作の動画リストに戻す。
「ジュニアの、見てみる?」
と、次に再生したのは数年前の国内ジュニア選手権のものだった。
「わ――ばり可愛か!」
恵利が目を丸くする。
小学生から中学生の少年少女が華やかな衣装に身を包み、演技をする様は初々しいものから慣れた感じのものまで色々で、ワールドカップの完成されたものとは異なる意味でまた、見どころの多い光景だった。
その、何人目かの演技に出てきた少年に、紗枝が目を奪われる。
「なんこの子――天使か」
華奢な体を踊り子のような衣装で飾った中学生男子の選手だった。整った肌と澄んだ瞳が印象的で、服装ともあいまっての紗枝の感想だった。
曲は競技時間に合わせて編集された『ボレロ』だった。端末から作った星々が競技エリアをぐるりと囲み、本人は光と風に乗って宙で踊る。電書魔術で生む無人の楽器が増えてゆき、少年を中心にして星の踊りが広がる。
選曲や演出内容は定番と云えるものではあるが、他の選手とはMANAマネジメントや動作のダイナミックさにおいて、頭一つ分以上の差を感じさせる演技だった。
画面下の選手名には『大生
「おおなま?」
「おおぶ、って読むと」
また、久美が解説する。
「やっぱり他の子とレベルが違う感じするよね。なんせ、譲くんは大生選手の息子さんやし――」
「大生選手?」
「それは――こっちね」
中学生の部だった動画再生の終了に合わせて、瑛子が選び出す。
さらに昔のものだった。
切れ長の目の小柄な女性選手が、バレエとダンスを組み合わせ、柔軟性を活かしたしなやかな演技をフィールドいっぱいに展開していた。
「わぁ――綺麗」
恵利が感嘆の息をこぼす。
選手名は『大生春美』とある。
「大生選手が引退して結婚して、何年かしてからできた子が譲くん――くん、って言っても私たちより年上やけどね。
小学生の時から全国大会に出てて、賞を総なめする勢い――やったんやけど、ここ二年か三年くらい見んとよ」
「そうなん? 高校の大会とかには出とらんと?」
首を傾げる恵利に、久美が残念そうな微笑みで頷いて見せる。
「出とったら話題になるはずやけん」
「ええ……どんな王子様になりよぅか、見たかったのに」
紗枝がぼそっと呟く。
「
「紗枝でよかよ――んー、まあ、そうやね」
久美が嬉しそうに微笑む。
「先生、アダム・イサフォイ選手のってあります? それか
リクエストに応えて瑛子がその二人の動画――昨年の国際大会だった――を再生すると、開始して数秒で紗枝は椅子から身を乗り出す勢いで画面に見入りはじめた。
「ぅわ、ぅわ、なんこの王子――本物? CGとか競技のデモやなかとね?」
「そう言いたくなるよね」
紗枝の反応を面白がったりからかう風情は薄く、久美がその手を取った。
二人どちらも長身の男子選手で、欧州系とアジア系それぞれ種類は違うものの端正な顔の造作で、アダム・イサフォイはエリアのぎりぎりまで使って水中から海底を表現した演技を、津雲
「実在の選手ちゃよ。実力は現役男子選手の中でもトップクラス、歴代美形選手でも必ず上位に入ってくる二人」
はあ、と紗枝がため息をもらす。
「さ~っちん、競技きばりよったら会えるかもよ」
と、恵利がからかうように幼馴染みの脇腹をつつく。
「う……」
頬を染めた紗枝が言葉をつまらせる。
動画が終了して、紗枝は自分のノートアプリに二選手の名前をしっかり残していた。
「そっ、それはそうと恵利、部員集めるんはどげんなっとーと」
照れ隠しのように早口気味に言う紗枝だった。
「うーん、チラシ作って貼ってみよるんやけどね」
恵利は芳しい進展のない様子で、紗枝を押していた指を額に当てる。
その頃、校舎下足ホールそば――生徒がほぼ確実に毎日朝夕通る場所に設置された掲示板で足を止めた、一人の生徒がいた。
春の行事のお知らせや注意事項などに混じって、部活勧誘の広告がいくつか貼られている。
急に立ち止まったせいか、スカートが揺れる。
校章の青から、二年生と判別できる。
肩にかかる内巻き気味のレイヤーカットのその生徒が目を奪われたのは、一枚の勧誘チラシだった。
『電書魔術部です!』と上に書かれている手慣れた感じの薄いレイアウトで、一年生三人で設立したばかりの部活であること、部への昇格申請のために部員を切実に募集していること、ウィッカン・マッチ高校選手権への出場を目指していることを訴えている。
末尾は恵利の連絡先と、『初心者も経験者も大歓迎!(部長もこれからはじめる初心者です!)』との文で結ばれていた。
恵利が作ったものだった。
それを、眉間に縦皺をつくり、薄めにリップを乗せた唇を憎々しげともとれる程の形に結んで、チラシに手を伸ばす。
その二年生の見ている範囲には人影はなかった。
チラシを剥がし取る。
「部がなかったからここにしたのに――」
博多弁とは違うイントネーションだった。
そう呟くと、手に力を入れる。
しかし、紙を丸めようとして思いとどまったように、二つ折りにして近くにあったごみ箱に放り込んで、掲示板に背を向けた。
そうして、片付けを済ませたように、スカートの裾を軽く払って下足箱に歩きだした。
――その二年生が校舎を出ていった数分後。
物陰から現れる姿があった。
やはりジャンパースカートの女子制服姿だったが、その上に白衣を羽織り、大きめのタブレット端末を手にしている。
さらに、白衣に半ば隠れた腰にもう一台端末があるのがうかがえる。
校章の色は緑――三年生だった。
その三年生は掲示板の、さっきの二年生が足を止めたのと同じ場所で止まって、掲示板に先ほど作られた空間を見て首を傾げる。
左右の短めのお下げを弄り、丸眼鏡に触れる。
その拍子に傍らのごみ箱に視線が向いて、入っていた紙片に目を留めた。
拾い上げて広げ――眼鏡の奥の目を細めた。
先の二年生が作った跡が目立たないくらいにまで折り直した上で掲示板に戻して、どこか満足げに頷く。
それから、持っていた端末のスリープを解除して慣れた手つきで素早い操作をはじめながら、靴の履き替えに向かう。
その口は、うっすらと笑っていた。
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