ウィッカン・ガールズ!

あきらつかさ

#01 走り始めてから考えよう!

電書魔術部、誕生。


 恵利えりは戻ってくるなり自分の机に顎を乗せ、力なく腕をだらりと落とした。

 まだまだ新しいブレザーに皺が寄る。

 隣の席でタブレットに目を落としていた久美がびっくりしたように恵利を見て、しかし彼女が話しかけるより前に教室に入ってきた紗枝が声をかける。

「聞いてきたん? どうやった」

「あー、さっちん」

 その体勢のまま、恵利は小型の端末だけを持って別のクラスからやって来た紗枝さえを見上げる。立っていても十センチ近い身長差があるのが座っているからなおさらの距離になる、幼馴染の眼差しに肩をすくめて見せた。

「昔も今も、って」

 久美は二人が話し始めたところで、タブレットに表示していた電子書籍に意識を移す。

「そっか」

 反対側の席から椅子を借りてきて、紗枝が腰を下ろした。うなじにかかるポニーテールを一度なでて言う。

「先週の、新歓の説明でも出んかったしね。

 ――それで、恵利はどうしたか?」

 恵利は返事するより前にタブレットを取り出して、ひとつのファイルを開いた。

 細かな文字のページを指先で繰りはじめる。

「――あった」

 ほどなくその手を止め、ピンチアウトで拡大する。

 紗枝も覗き込んできた画面には『部活動の申請について』というタイトルが表示されていた。

「作る?」

 横目で視線を合わせてきたのに曖昧に頷いて見せた恵利はその文字――校則を追う。

 空いた左手で、左耳の上から括った髪をくるくると弄りながら「うーん」と唸るような声を発して、ようやく頭を上げた。

「作りたかねえ。

 えっと『生徒五名以上』と『教員一名以上の顧問』で申請して、決裁権者は理事長――決裁って?」

「やっていいよ、って許可を決定すること。ていうか理事長なんやね」

 恵利が校則の文書からリンクしているファイルを呼び出した。

 それは『部活動設立申請書』と最上部に記された一枚の様式だった。タイトルのすぐ下には決裁者まで経由する確認印を入れるための枠がスタンプラリーのように並び、そのさらに下には申請内容記入のための欄が重ねられている。

 学籍番号と所属クラスと名前を入力するようになっている『参加部員』欄を、恵利は軽くタップする。

「あたしとさっちんは確定として、あと三人……」

「いきなり数に入れん」

「さっちん、乗ってくれるって言っとったと?」

 紗枝は小さくため息をこぼす。

「言うとったけど――自分で書く」

 と、恵利のタブレットに手を伸ばす。

「ありがとね」

 ぱっと明るい笑みを見せる恵利に、紗枝はもう一度息を吐いた。

「部の名前な考えとーと?」

 その問いに、恵利は口を丸く開ける。

考えとらんかった。あれの名前、なんだっけ」

「ほんと恵利は勢いで走りよるね。えっと――『ウィッカン・マッチ』やね」

 その単語に久美がぴくりと反応するが、二人とも気付かずに恵利のタブレットの画面とにらめっこを続けていた。

「じゃあ『ウィッカン・マッチ部』? なんか、しっくりこんっちゃね」

 紗枝が自分の端末でさっと調べる。

「これそのものは正式には『次世代電子装置インフラの間接的応用発現技術』……長かね。『電子応用技術競技部』とか?」

「なんかカタそう」

 二人で笑う。

 恵利が、画面にさらさらと文字を並べた。

「どう?」

 紗枝はそれを見て、柔らかい笑みを浮かべて頷いた。

「よかね。恵利はたまにいいの閃きよぉね」

 タブレットの中の申請書、その『部活動名称』欄には、こうあった。


『電書魔術部』


◆◇


 空気中には、MANAマナが満ちている。

 自然の物質ではない。

 人工のナノマシンである。

 人体への影響はまずないと云われており、実際これまで何か大きな事故が起こったというような記録はない。

 紆余曲折を経て広まった、このMANAを用いて発動させるものを公的には『電子装置インフラの間接的応用技術』といい、そのプロセスから一般的には『電子書籍魔術』略して『電書魔術』と呼ばれており、いまや様々なところに『電書魔術』は息づいている。

 その一つが『ウィッカン・マッチ』――電書魔術を使って行う競技だ。

 世界中で競技人口は増加の一途を辿り続け、ワールドカップも開催され、次々回かその次のオリンピックでは競技種目に入る可能性も、とまで云われている。

 英国発祥のこの競技は日本でもそう間を置かずに伝わり、ジュニアから育成する温床が広まってきている。

 とはいえ『誰もが知っている』ほどの知名度にはまだ到っていない。


 ――福岡県。

 福岡市と大野城市の境目あたりに、雑餉隈ざっしょのくま高校はある。

 地域の名前を冠している共学校だが、公立ではない。

 私鉄からもJRからも、駅から徒歩十五分くらいを要する牛頸うしくび川の近くという環境は良く云えば落ち着いた、あるいは退屈と云う者もいる雰囲気を醸している。

 緩めで自主性を重視する校風で、社会教育的な観点からも生徒会にはある程度の裁量が委ねられている――が、この時恵利が空欄を埋めようとしていた申請書は、生徒だけでは収まらない決裁を要していた。

「ね、サークルなら生徒会長でよ? まず作ってみて、この『昇格申請』ってのにしたら?」

 自分の端末で校則ファイルを見直していた紗枝が言う。

「それならよかねえ。人数も制限なかと?」

「二人からよか、って」

 紗枝が開いた申請フォームは恵利が書いているものとよく似ているが、それよりも簡略な構成になっていた。

「とりあえずサークルにして、部員集まったところで改めて――ってことでどう?」

 紗枝の提案に恵利は頷いて、自分のタブレットでそのフォームを開く。

「さっちんは落ち着いてて頭よくて、あれみたいやね、えっと――プレーン?」

「ウチはヨーグルトか。それ言うならブレーンやろ」

 と、紗枝は小さく肩を落とした。

「どうしたん?」

 画面にせっせと打ち込んでいた恵利の手が止まっていた。

「この『予算』と『顧問』てどうしたらよか?」

 しかし――紗枝が何か言おうとする前に、昼休みの終わりを告げるチャイムが響いた。

 癖のように時計を確認しながら紗枝が言う。

「しょんなかね、放課後また考えよう。恵利、放課後などげん?」

「大丈夫。おわったらそっち行くね」

 肩をすくめて恵利が言う。

 椅子を返して教室を出て行く紗枝を見送って、恵利は体をほぐすように上体を左右にひねりはじめる。

 ボブカットとタブレット越しの横目で二人を窺っていた久美が、ばっと顔を逸らす。

 もう一度、チャイムが鳴る。

 教師が入ってきた教室はまだ、ざわついていた。


 放課後になって、紗枝は行くと言っていたはずの恵利に呼び出された。

 紗枝がスクールバッグを肩から下げて恵利のところに来たときには、教室に残っていたのは恵利ともう一人、制服ではないシャツと膝下タイトスカートの、ショートカットの教師だけだった。

「もう一人、って曳灯えいとうさん?」

 間髪入れず「はいっ」と恵利が返した相手はこの一年C組の担任、門那かどな瑛子えいこだった。

 紗枝は会釈しながら、恵利に視線を送る。

「さっちん、先生が顧問してくれる、って」

 弾む調子で、恵利がこの一時間程度の間に進んでいた状況を説明する。

 ああ、と紗枝も合点のいった表情で頷いた。

「先生は、電書魔術詳しかとですか?」

「あんまり」

 と、瑛子は苦笑をこぼす。

「でも、玲毘れいびさんの熱意を手伝いたい、と思う」

 玲毘、は恵利の姓だ。

 瑛子はこの雑餉隈高校で職に就いて数年、今期はじめて一年生ひとクラスの担任を受け持つことになった、まだ若い女教師だ。担当は国語。他の部活を見ていることもなく、今のところ受験との関わりも薄い。

「二人とも、経験はないのね?」

 瑛子の問いに二人そろって頷く。

 担任になったばかりでひと月も経っていない瑛子はどう言えばいいか迷うような表情で、続ける。

「部にしてもサークルにしても、まずは必要なことを調べましょう。どういう競技で、何が要るのか。それで予算も見えてくるんじゃない?」

 自分も調べてみるし、と二人を見た。

「私はテレビか動画で見たことがある、ってくらいだけど、あなたたちは?」

「同じようなとこです。ねえ恵利」

 恵利は照れ笑いのように歯を見せた。

「去年、動画で見たのが初めてなんです。それで格好よかねえ、高校行ったら部活でやりたかねえ、って思って」

 なるほど、と瑛子は微笑む。

 恵利のタブレットのカメラで自分のパスを読み込ませると、書きかけの申請書の『顧問』欄に瑛子の名が表示される。

「ありがとうございますっ」

 机にぶつけそうな勢いで恵利が頭を下げる。

 その手を取って、瑛子が言った。

「頼りないかも知れないけど、頑張るわ」



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