競技電書魔術の世界へ
クラスと関係なく参加できるため、ここでは恵利と紗枝は同じ教室で講義を受けている。
その朝課外のあと、朝礼前のC組の教室で二人は瑛子も加えて教卓に集まり、相談していた。
「まず『ウィッカン・マッチ』には競技資格があるようね」
ひと晩の内に、瑛子は調べてきていた。
「公式試合をする部活の場合は、顧問やコーチが『指導者ライセンス』を持っていればいいみたい」
と、やや苦笑気味の頬になる。
「昨日、私に相談してきた時に
「はいっ」
恵利が拳を握る。
「ライセンスは私の役目になりそうね。それで――」
瑛子が示した画面に二人が見入る。
そこには、電子書籍販売サイトのように、本の表紙が並んでいた。
「レギュレーションの範囲内での電子書籍を使って競技を行う、ということだから、予算としてはこの競技用のものをいくつか用意する分はいりそうね。
他にも細々したものはあるかも知れないけど、まずはこれがないと練習も何もできないようよ」
恵利と紗枝は一度顔を見合わせた。
「先生、この資料見せてもらっててよかですか? 申請書完成させたいので」
紗枝が言って、その資料を転送してもらう。
朝のチャイムが鳴った。
「じゃあ恵利、またあとで」
荷物を片付けずにがさっと抱えて、紗枝が教室を出ていった。
「玲毘さんも、自分の席に戻って」
「はぁ~い」
朝課外の時よりもはるかに熱心に瑛子の話を聞いていた恵利も、ノートと課外講義のテキストを積み重ねて教室の中ほどまで歩く。
隣の席にもう座っていた久美に「おっはよっ」と声をかけてから腰を下ろした。
この日は予報どおり、昼前からしっとりと雨が降り始めた。
放課後に申請書を作りあげて生徒会に送信した恵利と紗枝は、即日で決裁が出るようではなかったため、帰ることになった――瑛子が職員会議に行ってしまい、朝の続きができなかったのも理由の一つともいえる。
教室の窓から外の様子をうかがって、恵利が肩を落とす。
「傘持ってきとらんと?」
紗枝の口調は、呆れというよりやっぱり、という空気だった。
「朝の予報でも言っとったよ」
「今朝はテレビ見とらんけん。さっちん、持っとーと?」
苦笑して、紗枝がスクールバッグから大きめの折りたたみ傘を出して見せる。
「紗枝ねえさま、愚鈍な私めにお慈悲をっ」
過去に放映していたドラマを真似たおどけた調子で恵利が膝を曲げ、頭をやや下げる。
紗枝も慣れた様子で「立って」と促す――ここまでがこの寸劇のセットだった。
顔を見合わせて笑い合い、二人で教室を出る。
下足ホールには、久美がいた。
傘花を咲かせて校舎を出ていく生徒たちの中で、ローファーに履き替えてはいるが久美は傘を出す様子もなく立っていた。
「
と恵利が隣席のクラスメイトに声をかけようとするのを紗枝が止める。
「ん?」
「見て」
紗枝が指した久美の手には、彼女のタブレットがあった。
久美がその画面を撫でる――何か描くような指の動きだった。
その指が止まる。
タブレットの上辺に挿されている、猫の小さなフィギュアがかすかに光る。
その光が細い糸のように空中に昇り、見えるか見えないかくらいの薄い渦を久美の頭上に構成してゆく。
光の糸が途切れる。
空中に残っている膜のようなものの具合を確かめるように見上げ、ひとつ頷いてから久美は外に出た。
「――わぁ」
恵利が声をもらすが、雨音に消されたか久美が振り返る様子はない。
傘をささずに雨の中に入った久美は、しかしまったく濡れる気配はなかった。
彼女の上にある薄膜が雨を弾き、またそこから外に向かって風か何かも出ているのか、横からも久美に雨滴がかかることはないようだった。
久美はタブレットに目を落としたまま、歩き去ってゆく。
「あれ――電書魔術?」
「そうよね。追う?」
紗枝が傘を広げる。
「ううん、よか」
恵利が首を振った。
「明日、話してみるったい。『歩き端末危なかよ』って」
「そこ?」
少し笑って、紗枝に密着するくらい近寄る。
二人も校舎を出て、歩きはじめた。
「明座さん、入ってくれんかなあ」
「どうやろね、もう何かやってるかも」
「それなら、こんな時間に帰ることはなかろうもん?」
紗枝が目を丸くする。
「ほんと、恵利は時々鋭かね」
「いやあ、それほどでもあるよー」
恵利が照れとにやりの混じった口を作る。
「言いよるね」
校門を出たところで、恵利が言う。
「ね、『
学校から私鉄の駅までの間にある、ラーメン屋である。
とんこつベースで、絡みつくような粘度からさらりと流れるくらいまで五段階で選べる濃さと、塩や正油など他の素材との組み合わせもできるスープの種類の多さが特徴の店だ。麺は福岡のラーメンのために開発された『ラー麦』の細麺。
スープは濃度ごとにスパイスの配合を変えていて、それぞれ違った味わいが楽しめる。恵利はそこの二番目の濃さにあごだしを加えた『あごとろり』が好みで、学校帰りだけでなく休日でもたまに食べに行っているほどだった。
「いいけど、替え玉なしね」
「えー、替え玉せんのは博多っ子やなかと」
「そんなことなか」
軽く掛け合いのような会話を繰り広げながら、二人は駅方向に歩いていった。
◆◇
翌日。
朝課外が終わって朝礼前の教室で、恵利は隣の席に椅子ごとにじり寄っていた。
「昨日見たよ、明座さん」
「な――っ、何を?」
恵利はにやりと笑って、驚いた表情の久美を覗き込む。
「電書魔術。使いようとね」
「えっ?」
意外、という目で恵利を見る久美に、昨日の下校時のことを話す。
ああ、と久美は苦笑をこぼした。
「あれくらい、SIMがあればライセンスもなしで使える――自転車みたいなのやよ」
「しむ?」
恵利が首を傾げたところでチャイムが鳴り、朝のホームルームのために瑛子が教室に姿を見せた。
「SIMっていうのは、私のはこれ」
昼休みに、久美はそう言って自分のタブレットに挿し込まれている猫のフィギュアを恵利に示した。
「電子魔術書からMANAに命令を伝えるためのもの、って言えば解りやすいかな」
へぇ~、と恵利はタブレットの縁を掴んでいるような姿勢の猫を眺める。
「ただの飾りと思うてた。
それで、まな、って?」
恵利は好奇心いっぱいの瞳で久美にさらに尋ねる。
「空気中に撒かれてる電子機器、って聞いたよ。
専用の電書からSIMを通して効果を発動させる、その効果を担ってるもの、なんだって」
「ふうん……」
理解が追いついているのか難しい表情を浮かべ、恵利は質問をやや変える。
「じゃあさ、ウィッカン・マッチって知っとーと?」
「――うん」
しばらく間を置いて、久美が頷く。
「あたしたちと一緒に、部活せん?」
「えっ」
久美が目を丸くした。
「それとももう、何かしとる?」
「ううん、してない――よ」
「じゃあ、どう? ていうか、あたしたちに電書魔術のやり方教えちゃらんね」
「って、そんな難しいものやなかと? 私のぐらいやったら、SIMとアプリがあったら誰でも」
「あたし、まったくやったことなかけんね」
恵利がそう、久美の手を取った。
「お願い。隣の席のよしみでっ」
久美が小さく吹き出す。
「何ねそれ――でも、ありがとう」
と、柔らかな笑みを見せた。
「ちょっとだけ、考えさせてもらってもよか?」
「よかよ」
満面の笑顔で恵利は頷いた。
「あたしは一緒にしたか。さっちんもきっとそう。
明座さんは人見知りしようと?」
迫る勢いの恵利に、久美はやや退き気味になっていた。
恵利が体勢を戻す。
「そっか。無理にとまでは言わんけど、でも――よか返事待っとるったい」
「うん――ありがとう」
もう一度、久美は礼を言った。
サークル設立の決裁は、二日後に恵利の端末に届いた。
その日の放課後、C組の教室に恵利と紗枝、それに顧問として瑛子の三人が集まっていた。
「ともあれ設立できて、よかったわ」
瑛子が自分のタブレットで、競技用書籍のサイトを開いていた。
「まずは予算内で買えるものを用意して、練習を初めてみましょう。それと場所を確保しないと」
「場所?」
「術の展開に影響しないため、それなりの広さが必要みたいなの」
瑛子はそう言って、動画サイトを開いた。
「公式のコートが『十五ヤード四方』ということだから、おおむね一辺十四メートル弱。安全のために高さもいるみたいで、そうなると空き教室じゃ難しいかも」
瑛子が再生したのは、昨年の高校総体の映像だった。
広さも高さもある体育館で、競技会は行われていた。
「体育館かグラウンドか、使わせてもらわんといけんね」
紗枝が考え込むように口元に手をやって、恵利に声をかける。
動画が終了する。
しかし、恵利の視線は他のところに向かっていた。
「恵利?」
恵利は返事せず、おもむろに椅子を蹴った。
教室の出口――わずかに開いていた扉をがらりと開ける。
「きゃ!?」
声を上げたのは、久美だった。
「あ、あの……」
おずおずと教室を覗き込む久美を、恵利が満面の笑みで引っ張り込んだ。
「明座さん、かたってくれよーと?」
「あ、えっと――」
と、久美は鞄から自分のタブレットを取り出して起動し、さっと指を走らせた。
恵利の端末が着信を知らせる。
すぐに恵利がそれを開くと『入部届』と題された添付ファイルが現れた。
「明座さんっ!」
抱きつきそうな勢いで、恵利が久美の手を取って上下に振った。
「えっと、恵利の隣の席の?」
「明座久美です。その――よろしくお願いします」
久美が頭を下げる。
「ねっ、久美って呼んでよか?」
添付ファイルをタップすると、恵利が部長名義になっている『電書魔術部』の部活動管理画面に久美の入部届が展開される。
ためらいなくそれを承認して、恵利が言う。
「電書魔術の使い方、教えてねっ」
「明座さんは、何かやってたの?」
瑛子が尋ねるが、久美は苦笑気味に肩をすくめた。
「競技ライセンスは持ってなかですよ。日常用をちょっと使うだけで」
「でも競技のことも知っとーけん、やったらできるんやなか?」
「そこは違うやろ」
紗枝が突っ込みながらも微笑んで、久美と握手する。
「曳灯紗枝。この恵利とは小学生からの腐れ縁。よろしくね」
恵利がにいっと笑っていた。
「あと二人集まったら、昇格申請できるっちゃね」
「そういえば……」
促されて、久美が腰を下ろしながら口を開く。
「ジュニア時代に『天才少年』って言われてた人がこの学校にいる、って噂があるよ。いまはもうやってないとか」
「へぇ~、名前とか学年とか、知っとお?」
「ごめん、私もうろ覚えで、それに噂しか聞いたことなかけん……先生はご存知なかですか?」
しかし、瑛子も首を横に振る。
「ちょっと、調べてみるわ。でも私から勧誘はしないからね」
「わかってます」
恵利が笑って頷いた。
「そこは自分でやるけん。
――ていうか、競技的にはどうなんですか?」
「競技には個人と団体があって、団体は男女混成が認められてる――チアと同じような感覚かな」
「じゃあ問題なかね」
「でもそれよりも玲毘さん――」
「恵利でよかよ。なん?」
久美の隣からやや覗きこみ気味で、恵利が聞く。
「あ、うん――SIMは、どうするの? 曳灯さんも持ってないような気がするけど」
逆に二人を見回して、久美が疑問を投げた。
「それは、部で買うほうがよさそうよ」
タブレットはそのままに、瑛子が一冊のノートを取り出した。
真新しい表紙には『部活顧問ノート』と記されている。
つい数日前に、購買部で瑛子が買ったばかりのものだった。
ノートを開く。
恵利に顧問を頼まれてからの何日かの間で調べたのであろうことが、最初の数ページを埋めていた。
「競技電書を使うためのSIMがあるから、それは部費で部員分を用意するほうがいいと思う。使う電書も個人のではなく、できたら部で共有したい。
――どう? 玲毘さん」
「賛成です。何よりあたし、電書魔術のこと全然解っとらんけん」
「そうなの?」
瑛子が目を丸くした。
「日常用SIMも持ってないのね?」
恵利はてへっと舌を出して、拳を握る。
「やる気と気持ちは誰にも負けんと」
「それだけじゃ駄目やろ」
「わ、わかっとーばい……頑張るけん」
紗枝は小さく肩をすくめ、久美は二人のやりとりにくすりと笑声をもらしていた。
ともあれこうして、最細とも云えるものではあるが、雑餉隈高校電書魔術部は産声をあげたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます