第8話 ニャフターストーリー その2

 『ニャウレリウス三世、放心による傾国未遂事件』から約一年後――。

 大学を無事卒業し、社会人になった俺は職場に近い部屋を引っ越すことにした。住み慣れた部屋を離れることには寂しさを感じたし、引っ越した先でまた『にゃ世界』との扉が繋がるか不安はあった。しかし、その不安は徒労とろうに終わった。

「私がヨシヒコ様の新しい部屋から扉を繋ぎますのでご安心ください」

 ロッテンマイニャーのその一言で全てが解決することになった。部屋を引き払い業者と一緒に新しい部屋に行く。ユキは引越しの際に何かあってはならないと、『にゃ世界』に一時的に退避することになり、猫が一匹いることを事前に業者に伝えていたのでロッテンマイニャーを飼い猫として、ユキの身代わりになってもらうことにした。

 移動の際、ゲージを持っていなかったのでロッテンマイニャーを抱えて車に乗る事にした。ロッテンマイニャーは慣れない環境でびくびくしていたが、元があんな性格なのでそれを表に出さないように必死にすまし顔を続けていた。それが可笑しくて、腕に抱えたまま頭や体を撫でたりした。最初は拒否られるかとも思ったがロッテンマイニャーはすんなりと受け入れ、されるがままの状態になり、緊張も解けたようで体から堅さが抜けていくのが分かった。

 そして、引越し先で荷物の搬入を終え、業者が帰った後でロッテンマイニャーがまだ何も入っていないクローゼットの扉を開けるように、身振りで指示を出してくる。扉を開けると、そこは前の部屋と同じでロッテンマイニャーの部屋と繋がった。ロッテンマイニャーは『にゃ世界』側に移動し、すっと立ち上がり、こちらを振り向きながら、

「これでまた一緒ですね、ヨシヒコ様」

 と、初めて会ったころとは比べ物にならないほど柔らかい声で話す。

「ああ、そうだな。今日は本当にありがとう。助かったよ、ロッテンマイニャーさん」

「これくらいいいのですよ。それで……あのですね……」

 ロッテンマイニャーにしては珍しくはっきりしない態度だ。

「なんだい? ロッテンマイニャーさん。何かお願いがあるなら聞くよ? 今回の件ではお世話になったからね」

「はい、それにゃら……。たまに、本当にたまにいいんですけど……今日みたいにヨシヒコ様に抱えられたりされたいのですがよろしいですか?」

「そんなこと? いいよ。俺とロッテンマイニャーさんの仲じゃないか」

「ありがとうございます。それではさっそく」

 ロッテンマイニャーはクローゼットの向こう側からジャンプで飛びついてくる。それを受け止め、しばらく目を細め喉を鳴らしながら頭を擦り付けてくるロッテンマイニャーを眺めた。ロッテンマイニャーは十分ほどで、腕の中から飛び降り、『にゃ世界』に戻っていく。

「ヨシヒコ様、ありがとうございました」

 ロッテンマイニャーは頭を下げ、扉を閉じた。俺はそれを見送り、引越しの荷解にほどきを始めた。あらかた片付いたあたりでユキがやってきて、飛びついて甘えてくるもすぐに不機嫌そうな顔になる。そして、クローゼットの前に来いと目で合図される。

「ねえ、ヨシヒコ。他の猫と浮気したでしょ?」

「してないよ。てか、浮気ってなんだよ?」

「じゃあ、にゃんでヨシヒコの服から他の猫の匂いがするの?」

「それは引越しのときにロッテンマイニャーさんを抱えて運んだから――」

 嘘は言っていない。「ふーん……」と疑いの目を向けられる。どうして、人間の恋人すら作ったことのない俺が猫に浮気を疑われ、白い目で見られないといけないのか――。

「まあ、いいわ。とりあえず、その服は今すぐ着替えてね」

 本気のトーンのユキの声に気圧けおされ、服をその場で脱いでダンボールから別の服を取り出して着替える。

「せっかく洗濯のたびに私が匂いをつけてるのにそれをにゃんだと思ってるのよ」

 ユキは独占欲が強く、少しわがままなところがある。というか、ユキが洗濯物を荒らしてた理由それだったのかっと納得とともにがっくりする。服に付いた毛を取るの毎回大変なのに――ただそれでユキが満足するなら仕方がない。


 俺は猫の――ユキの従僕じゅうぼくなのだから――。


 忠実なる従僕であると同時に『にゃ世界』の協力者である俺は、就職先に猫用の雑貨や食料品を製造販売している企業を選んだ。そして、キャットフードの企画開発部に配属されることが決まっている。

 俺の世界は猫を中心に動いている。それはこれから先も変わることはないだろう。




 数年後、あるキャットフードがこちらと『にゃ世界』の両方の猫界に大ブームを巻き起こした。そして、それは知る人――いや知る猫から見ればさほど不思議なことでもなかった。

 なぜならその開発にたずさわり中心となった人間は、猫たちと直接意見交換をしたり、ニャージェントを駆使して、幅広く猫の好みをマーケティングしたりと優秀なるニャドバイザーと共に開発していたのだから――。

 しかし、それはまた別の話である――。





 素晴らしき『にゃ世界』と全ての猫たちに、程ほどの祝福と栄光があらんことを――――――。

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扉を抜けた先は、『にゃ世界』だった たれねこ @tareneko

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