猫獣人の日帰り英雄譚
ウリマロ
猫獣人の日帰り英雄譚
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何度も瞬きを繰り返すが、まだ朦朧とする頭は現状を把握しきれないでいる。
膝と掌をついた草の感触、頰を撫でる風の温度、降り注ぐ日差し、どれもが本物でアルコールの抜けない身体に突き刺さるようだ。
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そこに追い打ちをかけるように問われている。
にゃん大老。
わたしが以前オンラインゲームで使っていたアバターの名前だ。
獣人の猫耳族、職業は魔法剣士。
睡眠を削り、課金をし、女性にとって実りある時期をすべて費やして育ててた分身。
ファンデーションの塗りが悪くなろうとも目の下のクマが濃くなろうが、自身に睡眠や手間暇をかける時間があるならその分にゃん大老でいる時間をとった。
3時間ほどの睡眠ゆえの起床時布団から出る瞬間のもがくような葛藤と苦しみ、仕事中に襲う睡魔との戦い、同僚との飲み会の断りの末おこる孤立。自炊もせずコンビニが冷蔵庫☆という時期を過ごしていたある日、わたしは倒れた。27歳の夏だった。
原因は、栄養失調と睡眠不足。
ベットに横たわるわたしの側でさめざめと泣く母と、母の隣でわたしを見下ろす弟の冷めた表情を血の気が引くおもいでみていたのをいまでも胃がキリキリするほど鮮明に思い出せる。
以来、わたしはにゃん大老の名を捨てた。年齢相応の女性になる決意をし、オンラインゲームから足を洗った。それから5年。
仕事を変え、禁断症状を乗り越えてやっとここまでこれた。
日々に充実感はない。1年更新の契約社員に安定もない。
ただ、波にのまれたように次の日を繰り返していける。それだけだ。
「この間の真嶋邸の提案書、第2考の案もファイリングして渡してくれた?」
いえ、真嶋様の考案は第1考でとおききしてたのでそれでお渡ししております。
「は?なに勝手にしてくれてんの?両方つけて渡してって頼んだよね︎⁉︎いつの時点での話だよ!」
申し訳ございません、すぐ2考の方もご用意して早急にお送りさせていただきます。
「頼むよ、ほんとにもう」
いやいやいや、頼むのはこっちだろうがよ、お前がいったんだろう、2考は却下ってよ!心の中でこれでもかと罵る。いつもいつもいつもいつも己がいったことを都合いいように忘れやがって。なんでもこっちの責かよ!破壊の呪文で爆ぜさせてやろうか。
表情と口には決して出さず、作業に戻る。
「あのさ、すぐ謝って失敗認めるのもどうかとおもうよ。もっと自分のやってることに責任持たないと」
背中越しにいわれた言葉にグッと手を握りこんだ。
おいおいおいー!!そっくりそのままお前に返してやんよ、熨斗つけてな!!!
心の中で唱えた攻撃呪文とともにエンターキーを叩く指にこれでもかと力をこめた。
こうして日々、クソムカつく上司に呪文を唱えダメージを与える妄想こそ抜けないが、あとは騙し騙しやってこれている。
同じ毎日の繰り返し、9時から18時のルーティンワークとたまの理不尽な残業。
わたしじゃなくても出来る仕事と、期待や感謝のされない業務の繰り返し。
その日は、そう、契約社員として同期入社した5つ下の村松(♂)と3つ下の神野(♀)に飲みに誘われ会社の近くにできたスペインバルにいった。
「今日も、ヤラれてましたねー!エンター叩く音、ハンパなかったし!」
あ、わかった?
「わかりますよ、しかもいつも無表情だし笑える〜」
心は般若だよー。
「でもあの課長の営業補佐で、ここまで続いてるのはじめてらしいですよ」
「そうそう、営業部長褒めてるってききましたよ」
君ら、持ち上げても割り勘だから。
優しい同僚と飲みやすいワイン、美味しい食事に上機嫌になり、いつもよりかなりの酒量を飲んでいた。
「じゃあ、わたしたちここで。気をつけてちゃんと家までたどり着いてくださいよ!」
「不安なんで、着いたらLI◯Eくださいね!」
そんな酔ってないよ、っていうか2人ってそうなの?マジでか!
「もー、飲み過ぎですから!俺らのことはまた追い追い話しますんで!」
なになに?おじゃまか︎⁉︎おじゃまかよ!
「もー、ほんと行きますよ?大丈夫ですか?」
大丈夫、大丈夫!また来週ね!
フワフワとした足取りで駅に向かった。そうか、いつの間にやらあの2人出来上がったのか。知らなかったな。じゃあ松村(♂)社員試験、がんばって受けないと。
そうかー。そこも考えないとだめなとこか。
彼氏ね、結婚ね、そう、そこね。
駅から大通りを隔てたところにある、テナントビルの前を行き過ぎようとしたとき、明日からのイベントであろうアーチが設置されていて、アーチに書かれた文字に目を奪われた。
5年前までのめり込んでいたオンラインゲームのロゴだった。
つい先日、新作が出たばかりだ。以前のわたしなら睡眠もろくにとらずにプレイしているころだろう。
吸い込まれるようにアーチに向かった。
このシリーズは、前作のIDを引き継ぎすることができ、レベル、装備やスキルもそのままに新しい世界をプレイすることができた。クエストにいくために結成されたギルドのメンバーもほぼメンツが変わらずに続いていた。
実年齢や性別など本当のところはなにも知らないままチャットでの会話を重ね、にゃん大老として親交を深めた。そしてギルドのメンバーにも何一ついわずにその世界を去った。
『よくわかんないけど、こんな倒れて金注ぎ込んでまでやる意味あんの?』
弟にため息とともに吐き出すようにいわれた。
意味なんてない。ごめん、迷惑かけて。
ごめんなさい。
にゃん大老の一人称は、吾輩。
語尾には、じゃ、じゃろう。
徹底して崩さずにキャラを作り上げた。
所属していたギルドは少数精鋭で構成され、にゃん大老はプレイヤー内では知れた名だった。
フワフワ、フラフラと足は進みアーチへと向かう。
行けずじまいだったクエストが気掛かりだった。新しいバージョンアップで闇の黒龍が街に攻め入るのを防せぎ、お供のキャラを召喚できる契約の石を手に入れられる、そんなクエストだ。
ギルドメンバーとの約束の時間、わたしは病院のベットにいた。
迷惑かけたな。自惚れでもなくわたしの抜けた穴は、大きかったはずだ。
アーチをくぐり抜けた。
爽やかな風が吹き抜ける。7月下旬の蒸した暑さの中に、似つかわしくない感触。
目の前に広がる草原と、青い空。鳥の鳴き声、遠目にみえる城壁のような、、、
下半身から力が抜け膝まづいた。
ゆっくりと首をひねり後ろを確認するが、くぐったはずのアーチもそこにあるいつもの情景のなく、みたこともない森をはべらす草原が続いていた。
なんだ、ここは。
どこだ、ここは。
クラクラする頭を振っても、何度も瞬きを繰り返しても、目の前の景色は変わることなくそこにあった。
履き慣れたはずのパンプスが、やけに重く踵に靴擦れができはじめた。生い茂る草がパンプスの安定を挫き、上手く歩調がとれない。
ふくらはぎも攣りそうになってきている。
遠目にみえる城壁っぽいのもに向かって歩きはじめて、体感ではすでに1時間ほどは経ってる気がする。
ようやく目の前に迫りくるほどの壁が聳え立った。
アルコールが抜け切れてないのに、ずいぶん歩いたせいか頭がガンガンと脈を打つ。
それと同時になんども繰り返えされるあの問い。
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気のせいか、同時に発生するアラート音も大きくなっていき、頭痛と相まって不快な相乗効果がおこる。
足の痛みも頭痛もこれが夢でないことを裏打ちしている。
なにがどうなっているかわからないけど、とりあえずじっとしていてもどうしようもない気がして歩き出した。
それにわたしは、この景色をみたことがあった。
既視感?いや違う、もっと別の感覚で知っている。それを確かめたかった。
壁をたどってゆくと、青銅で造られたような大きな門が左右に開き、そこより伸びる道から馬車や人が行き交っていた。
体躯の大小がある人々、その人たちが纏っている民族衣装、あきらかに人ではない種族、荷車を引く角がある馬たち。
ああ、知ってるもなにも。
思わず頭を掻き毟る。心音が身体から溢れでるように打ちはじめた。
”ヤゴヤドールの城壁を守れ”
わたしが最後のクエストできた街だ。街の人たちから情報を得て、武器を修復し道具を揃え、きたるべきクエストを待ったところだ。
攻略サイトを網羅し、どう動くべきか自身の立ち回りも完璧に頭に入れている。
一段とアラート音が大きくなり、頭に響きわたる。繰り返される問いかけに視界が埋まる。
こんなことなら、あんなにワイン空けるんじゃなかった。頭が割れそうだ。
うるさいって!!!
自分の声と思えないほどの大声で叫んでいた。
門の付近にいた者たちが一斉にこちらに目を向ける。
今日のコーデはパンツスタイルのセットアップ。色はネイビー。ジャケットの中は白のカットソー。肩までの髪は、すっきりと1本に後ろでまとめて働く女を意識してみました。ポイントは、夏のボーナス一括払いで購入したひと粒ダイヤがあしらわれたイニシャルのK18のネックレスです。
だめだ、アラート音がもう無理だっていうのに、、、
わかったよ!!それでログインするから!!!
途端、あんなに鳴っていた音は止み問いかけも消えた。目を開けていられないほどの光に包まれ、両手で顔を覆った。
あんなに響いていた頭痛も消え、ふくらはぎと靴擦れの痛さもなくなった。ゆっくりと顔から手を離し、目を開ける。酔いが嘘みたいに冷め視界もクリアになっている。ただ視線がかなり低くなり地面がぐっと近くなっている。
見下ろした自身の腹部には、動物然とした毛かびっしりと生え下半身を覆う布の下、わずかに伸びた足元はまぎれもない猫のそれで。
はっとして両手を確認する。サーモンピンクの肉球を備え毛に覆われた5本の指。そこから肩にかけての腕にも足と同様に毛が密集している。
頭に手をやり、頭頂部左右に耳が生えてるのを確認したとき、
NO.001にゃん大老でのログインを確認しました。
ポロンという優しい音とともにそう聞こえた。
街の中にはすんなり入れた。
門番もいなければ、咎める者もいない。門をくぐったすぐそこにあるガラス戸に自身の姿を見た。
よく知ってる、愛着のある分身がそこにはあった。
種族を選択し、瞳、毛並みの色、顔のパーツ、声をうんざりするほどの種類から時間をかけて選びつくった。
耳の部分がくり抜かれた賢者の帽子を目深にかぶり、滅びのマントを纏い背中には龍殺しの剣。
ディスプレイの中で縦横武人に動きまわった愛すべきキャラだ。
わたしになにが起こっているのか全くわからない。わかるのは、夢ではないということ。わたし自身がいまは、にゃん大老だという事実。
ガラス戸の自分に魅入っていると、その向こうに一定の距離を保ち、皆の視線が痛いほどこちらに注がれているのがわかった。
振り返り見回すと、期待と不安の入り混じった人々の表情が見てとれた。
ど、どうしたらいいんだ。
緊張感に耐えられなくなり、微笑もうとしたが上手くいかず不敵な笑みとなって顔に張り付いた。それを目にした周囲がざわつく。
いや、違うんです、あの、、
「んなぁ〜」
自分が発した声にびくつく。あの、と声を出したつもりだったが、猫の鳴き声のようなそれになった。
キャラメイクの際、何度も聴き返して選んだ声だった。
「んなぁ〜」
こちらの呼びかけに応じてくれたのか
取り巻く人波から、虎獣人の男がこちらに歩みよった。
間近で見上げるその体躯に圧倒され、おもわず後退る。鋭く澄んだ眼光に見下ろされ足がすくんだ。
「あんたを待ってた」
低音の渋い声がそういった。
人 神ヲ忘レシ時
地祇 天ヘト還ル
加護失セシ地ハ
ヤガテ 闇夜ニ包マレル
ソハ闇ニ向カイシ者
光ヨリ出ヅル
ソハ 闇ヲ払イ
闇ハ 無ヘ還ル
加護失セシ地ハ
マタ 光 差シ始メダス
味のある一枚板でできた広めのカウンターを挟んで虎獣人の男と向かい合った。
「ヤヲンだ、街の自警団の長をしてる。まあ、安酒場の店主でもある」
名乗りながら、銀製のカップに入った飲み物を差し出された。
「かたじけない」
ありがとう、そういったはずなのに。口をついてでた言葉に息を飲む。もしや、この口調。
羞恥で少しばかり早くなった動悸を落ち着かせるため、カップに口をつけた。
あ、美味しい。
なんだこれ。
味噌汁みたい。
カウンターにスツールが10脚ほどの小さなバーだった。
カウンター奥の棚には所狭しとみたことのない様々な形の瓶が並んでいる。
「この国にはいい伝えがあってな、まあ、いまとなっては皆が幼いときから馴染みのあるお伽話のようになってるんだが」
こちらの素性はなにも問わずヤヲンが話しはじめた。
「ここ最近、南に広がる森から瘴気が溢れ出してそれに引き寄せられた魔物が増え出してる。原因を探るため、領主の斥候隊が森へ向かったんだが、1人を残してあとは帰らなかった。唯一のその生き残りが、森で龍をみたといってな。その知らせを受けた領主は、すぐさま逃亡した」
そういって片眉を器用に上げた。
「斥候隊の生き残りの話しが事実なら、瘴気の発端はその龍にある。数百年前に封印されていたという邪龍だ。お伽話は預言だったというわけだ。元を断たなければ全てが終わる。時間がない」
クエストの背景そのままだ。ゴクリと生唾を飲んだ。不謹慎だか胸が高まる。にゃん大老になり現実にクエストに挑めるのだ。
ヤヲンがカウンターに置いた手をぐっと握りこんだ。
「そんな矢先に」
一呼吸おいてヤヲンが続けた。
「光の球が現れて、そいつが弾けた途端あんたがでてきたのを何人もが目撃してる。いい伝えどおり救世主の登場ときたもんだ。皆も浮足立つ」
ヤヲンが続けた。
「おれも、その救世主とやらがあんただと確信してる。頼む。俺たちと戦ってほしい」
熱い眼差しでそう請われ、身震いした。
たしか。
たしか、このクエストは、プレイヤーが5人集まってクリアしなければならなかったはずだ。
つまり、わたしがその救世主。
じゃあ、あと4人のプレイヤーがいるんじゃないのか。
「んなぁ〜、吾輩以外の転送されたものはどこにいるんじゃ」
う、、ここで徹底したキャラ作りが裏目にでるとは。わたしはずっとこの口調で話さなければならないのか。羞恥プレイだろ、これは。もんもんとうなっていると、ヤヲンは首をかしげながら、
「あんただけだ」といった。
「吾輩だけじゃと︎ばかな!」
わたしだけ︎うそでしょ!なんで。1人でクリアなんて---
ああ。
違う、そうか、5人っていうのはオンラインゲーム上に成り立っただけのパーティだ。実質、ゲームの世界では1人の救世主として各々がクエストをクリアしている。
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つまりここにいる冒険者はわたしだけなのだ。
この世界がなんなのか、わたしがどういう位置づけなのか。どうすればいいのか。たった1人で。
呆然とするわたしの肩に、ヤヲンの大きな手ががぽんと置かれた。
「この国を、街を、助けてほしい」
ヤヲンが統率する自警団とともに、件の森へ向かった。
自警団は、20人で構成され種族が違えど皆、屈強かつ均整のとれた体躯の若者だった。
わたしの存在を訝しむこともなく、むしろ順応に受け入れこの状況を楽しんでいるようにもみえた。
しかし、わたし自身にここまでの実感がまるでない。
まったくもってない。
あたりまえか。ハウスメーカーの営業事務(契約社員)が魔物退治に向かってるのだ。
森へ近づくにつれ、体毛がビリビリと逆毛だつ。明らかに尋常ではない空気が広がっているのがわかる。
ギャアっと耳をつんざくような鳴き声もきこえてきた。
早鐘を打つ心臓をなだめるように、ゲームで数年培った実戦を思い出す。
にゃん大老ならここにいる自警団の皆も守れるくらいのスキルや装備もある。回復もできる。
充分なHPもMPもある。
最後の切り札もある。
大丈夫、といいきかせた。
「気付かれた!!」
少し離れて副隊長と先頭をいくヤヲンが声を荒げた。
「このまま一気に森へ入る!走れ!」
皆一斉に森へ駆け出す。
先ほどの鳴き声を発していた、翼を持つ魔物が空から襲いかかる。猛禽類ほどの大きさでコウモリのような羽を持ち、首が長く馬のような顔をしている。
背中の剣を抜き取りそいつに向かって一振りした。一段と大きな鳴き声が上がった。剣先に肉を裂く手応えがあり仕留めたことを知る。
この感覚。覚えている。
オンラインゲームをはじめたとき、TPSを選ばす常にFPSで操作していた。慣れるまで時間がかかったがその成果がでてる気がする。
己バンザイ。
大丈夫、ビビってない。わたしはいける。
全速力で走り、森に入りこんだ。ヤヲンが声をかけ、乱れた隊列を組みなおす。
皆無事に森へ入れた。
森の中を進んでいくと気温が一気に下がり、まとわりつくような湿気があった。生臭い臭いが立ち込め息苦しい。全身の毛がしっとりと水分を含み不快感が半端ない。木々が空を遮断するように防ぎ、光ひとつ漏れ届かない。空気が重く、踏み出す一歩一歩が絡めとられるように鈍く感じる。臭いは進むごとに強烈になってくる。
部長の加齢臭より係長のミドル臭よりはるかにヤバイ。きつい。
ゆっくりとしか進めないが、皆の息がすぐにあがってきた。
そのとき、地響きとともに思わず耳を覆う地鳴りがした。
地鳴り、じゃない。
これは---
「…龍…なのか…あれは」
掠れたヤヲンの声をきいた。
見上げると、頭上はるかまでの巨体をゆるりと揺らしこちらを見下ろす禍々しい塊があった。
そのシルエットはまぎれもない西洋のドラゴンそのもので、全身、黒煙のような瘴気を纏い、身体は肉が溶けて凄まじい臭いを放っている。
こいつが臭かったのか!!
わたしの心の声が聞こえたのかそいつが大きく唸り、その衝撃に皆、耳を抑え膝をついた。
口臭すげぇ!!!
「あんなの…勝てるはずねぇ」
後退り自警団の1人がそう独りごちた。
「…もう終わりだ…こんなの無理に決まってる」
「こんな人数でどうにかなるかよ!!」
「あんな…バケモノ相手に…」
堰を切ったように皆の口から弱音がではじめる。
団の士気が下がりだしたとき、
「狼狽えるんじゃねぇ!!」
ヤヲンの低音ブレスが喝を入れた。バケモノを目の当たりにし、ヤヲン自身も怯んでいるだろう表情が窺えた。
そうだ、狼狽えるな。
わたしが狼狽えてどうするんだ。
舐めるな、こっちは毎日毎日あり得ない加齢臭に鼻慣れしてるんだよ!!
我先にと立ち上がり、剣を構え、攻撃と防御のバフをかける。
ブランクがあいても立ち回りは覚えている。忘れたくても忘れられない。
全身が熱くなり力が滾るのがわかる。
その瞬間、そいつが口から瘴気を帯びたブレスを吐きだそうと鎌首をもたげる。
攻略通りの行動だ。大丈夫、この程度の攻撃、ダメージもさほど受けない。このままゴリ押せるはずだ。
勢いよく飛び出した。
自警団の若者もそれに続く。
ブレスが吐かれた。その風圧で周りの木々や瓦礫が飛び交い皮膚を切り裂いていく。焼けるような痛みが全身に走った。
痛い
痛い
周りから呻き声が聞こえる。
痛い
痛い
おそるおそる自分の腕をみると、肉を刮ぎ落とされたような傷があり、ポタポタと血が滴り落ちている。
視界が狭くなり、気が遠くなり、息が上手くつけない。
痛い
なんだ、これは。
こんなのきいてない。
痛覚がある。血がでる。
そうか。
実在するとはそういうことなのだ。
オンラインゲームの中では、HPのゲージの減り方でダメージがわかりそれに合わせて回復する。
もちろんそこに痛みなどない。
まして死んでも。
ここでこのまま、もしこのまま死んだら。
呆然としているところに、邪龍の尻尾が薙ぎ払われた。
伏せるんだ!危ない---
ヤヲンが叫んだ。
邪龍の行動パターンもおろか、攻撃範囲から抜け出すことすら忘れていた。
逃げることもできず、現実から目を背けたとき、身体が横に飛び半身に衝撃を受ける。身体にかかる重みに、ゆっくりと目を開けた。
「…ヤ、ヤヲン!!」
ヤヲンがわたしを庇い、わたしを抱えて木の根元に飛んだのだ。
「隊長!!」
側にいた団員が叫んだ。
覆い被さったヤヲンが立ち上がらず、呻いている。
右肩に大きな傷を負っていた。
ヤヲンの負った傷の大きさに震えが止まらなくなる。
邪龍が次の攻撃ための瘴気を貯めだした。
いまのうちに!早く、早く回復の呪文を!
唱えようと震える指で陣を組んだがヤヲンの手がそれを制した。
「まずは、あんた自身の傷を癒せ。おれは獣人属の中でもすこぶる治癒が早い。こんな傷、しばらくしたらどうにかなる。少しでも魔力を節約するんだ」
傷の痛みからかヤヲンの身体からひんやりとした汗が滲んでいる。
「しかし!治さねば…」
「このレベルの瘴気を含んだ傷を一瞬で治すにはある程度の魔力を持っていかれる。おれは大丈夫だ」
「すまぬ、ヤヲン、すまぬ」
「あんたが謝る必要はない。巻き込んだのはこっちだ。むしろ感謝している。あんたは押し付けられた役割を果たしてくれようとしてんだよ」
じわりと胸に溢れるものがあった。
それは溢れて全身に広がってゆく。
助けたいと思った。
この人を。この人たちを。
「ヤヲン、吾輩があやつを葬ってやる」
「悪いな、無理をするなとはいってやれねぇ」
「ヤヲン、団員の皆を連れしばらくここから離れていてくれ。次くるブレスは耐性がない者はひとたまりもないじゃろう」
立ち上がり、不敵な笑みをつくってみた。
「吾輩なら屁でもない攻撃じゃがな」
もう迷いはない。
いつかゲームのムービーでみた、逃げ惑う群衆の波に逆らって悪に立ち向かう勇者のように笑えていたらいい。
吹っ切れたのか、足の震えがとまっていた。
しっかりと地面を踏みしめ邪龍に向かう。
次のブレスがきた。
ブレスに乗って礫のように皮膚を切り裂く瓦礫を呪文で一気に払った。
また一歩邪龍に近づく。
予定通り、次は爪の攻撃がきた。
本来なら盾役のプレイヤーがその攻撃を受け、その隙を突いての攻撃するのが定石だがこの場には自分しかいない。
その攻撃を躱し、ガードが緩くなった懐へ潜り込んだ。
邪龍の弱点は喉元にある瘴気の玉だ。腐った肉に覆われ守られた急所を曝け出させる。
まだだ。
まだ足りない。
本来なら敵のHPの割合で露出してるだろう弱点。
でも、こうも違う。
現実は何度も攻撃し肉を刮ぎ取り、その急所を暴いていかなければならないのだ。
もう一度、深く剣を握りしめ次の攻撃に備える。
攻撃を躱し、与え、幾度となく繰り返す。
わたしが数年、ぶっ倒れるまで注ぎ込んだもの全てぶちかましてやる。
貯金を注ぎ込み、美容を犠牲にし、リア友をなくし、挙句母を泣かせた。
弟よ。
いつかいわせてもらいたい。意味はあったんだと。
やっと、邪龍の急所が露出してきた。こいつの最大の攻撃がくる。
それを放たれたら、この森はおろか街もひとたまりもない。
その前に決着をつけてやる。
オンラインを去る間際に取得した武器依存型の技がある。
数十個の条件を満たさないと習得できない難儀な技で、かなりの時間を費やして手にしたが使用した武器も消滅するというので、ここイチで使ってやろうと出し惜しみしたまま結局使うことなく去ってしまっていた。
ようやく、使うときがきた。
龍殺しの剣よ、短い付き合いだったけどこれでサヨナラだ。
瘴気が強く目を開けていられない。呼吸をしたら、胸に痛みが走る。
それすらも、むしろ闘志に拍車をかける。
身体の傷はそのままにもう一度、バフをかける。
剣のリミッターを解除する。
両手が持っていかれるほどの振動が剣に走った。
邪龍の咆哮が合図のように、わたしはありったけの声を上げて剣を振り上げた。
「んっっなああぁぁぁぁ!!!」
剣に幾数もの鋭い光が集まってくる
。わたしは身体が千切れるような衝撃に襲われた。
それに耐えながら邪龍の急所に向かい剣を突き立てた。
そこから光が漏れだし辺り一面に広がった。
眩しさに両腕で目を庇った。立っていられない疲労感が足元から這い上がる。
邪龍は…
腕の隙間から崩れ去る邪龍の姿をみた。
やったぞ、ヤヲン。
そのとき遠くで自警団の皆の歓声と、ヤヲンの声を聞いた気がした。
そして意識が遠くなったとき、
"クエストクリア 報酬を受け取れます"
"報酬は契約の石です"
"お供を召喚できるアイテムです"
アラーム音とともに意識の奥でその声を聞いた。
肩を揺り動かされる感覚。
大きな手が肩に添えられ、優しく揺り動かされている。
ヤヲン。
「…、大丈夫ですか︎⁈しっかりして!」
ゆっくりと目を開ける。
「…ヤヲン?」
ヤヲンによく似た目が覗きこんでいた。
「わかりますか︎?なにかされましたか?」
警官の制服をきた男性に肩を掴まれ、問われてる現実に一気に引き戻される。
「病院、いきますか?」
ふるふると首を振りながら周りを見渡す。
駅前のビル前、イベント用に掲げられたアーチの下にわたしはいた。
夢だったんだ。
あんなリアルな?
「身体大丈夫ですか?一度署にきてお話を-」
面差しと体格がヤヲンに似た警官に抱き起こされ立ち上がった。
「大丈夫です。ちょっと酔っ払って、寝てしまったようで。ご迷惑をおかけしました」
辛うじて声を絞り伝えた。
現実との境目がわからないほどの夢をみてたのか。
喉の奥が熱くなり、涙が滲む。
「でも、病院はいかれたほうがいいです。その傷の手当てをしてください。救急車を呼びます」
傷?
いわれた瞬間、思い出したように痛みが走った。
みると腕には、抉ったような傷。頬にも擦り切れたような痛みがあった。
心臓が音をあげる。
カクンと膝の力が抜けてくずれ落ちるのを警官の腕に支えられた。
そのとき、コンと地面に何かが落ちた。
ゴルフボールくらいの空色の鉱石、キラキラと雲母の煌めきのように街灯の灯りを受け光っていた。
震える手を伸ばし鉱石を取った。
"お供を召喚しますか"
その声とともに、またあのアラーム音を聞いた。
猫獣人の日帰り英雄譚 ウリマロ @urisunn
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