第9話 アフタースクール
――二十八歳。当時の年齢の倍を生きた今でも、あの日の出来事は忘れられない。
From:三上素子
Sub:ソフトボール部同窓会のお知らせ
来る二月七日(土)第二十五期ソフト部の同窓会を行ないます。思い出を肴に、ぐてんぐてんになるまで飲みましょー!
日時/二月七日(土)午後六時半~終りは未定★
場所/居酒屋『団扇屋』佐和店
会費/五千円
アデラ●ス、会うの久しぶりだね楽しみにしてるよー(^○^)/
ところでLineのID教えてよ、一人だけメールって面倒なんだけど。
To:三上素子
Sub:Raソフトボール部同窓会のお知らせ
連絡ありがとう。でも残念ながら用事があって行けません。ヨッチの結婚式も欠席なので、皆によろしく伝えておいて下さい。
「あ、〝ナベやん〟のラフ出来たんですか?」
「まあ大体は。一応、五パターン用意したんだけど、どれが良いと思う?」
「妥当なところでB案ですかねえ」
「そう? 私はE案が気に入ってるんだけど」
「相変わらずグロイの好きですよね、清美さん」
打ち込み途中の携帯電話を傍らに置き、擬人化されたナベ五体がプリントアウトされたB4用紙を手に取る。それは某広告会社から依頼された、イベント用マスコットキャラクターのプレゼンシートだった。
後輩は清美一押しの案を見て顔をしかめる。もっとも予想済みの反応だ。E案は毒っ気が強すぎる、趣味に走ったお遊びだった。彼女が言うように本命は人畜無害なB案、行政イベントにはこれぐらいが丁度良い。
「清美さん、アデラ●スってなんですか?」
いつの間にか彼女は勝手に人の携帯電話を覗き込んでいた。褒められた行為ではないが、閉じておかなかったこちらも悪い。それに本当に知られたくない
「アート●イチャーじゃない方だった、ってことよ」
「はあ。……で、同窓会には行かないんですか?」
「その日、知り合いが出る舞台を観に行くから」
「へえ、役者さんと知り合いなんてスゴイですね」
「小さい劇団だけどね。中学の同級生で、当時はあまり親しくなかったけど、大学に入ってから意気投合して」
それは偶然というよりも、必然だった。感性が似ていた二人は引き合うように二度、出逢う。
清美は高校卒業後、芸大の美術学部に進んだ。そこで再会した宗谷は、舞台芸術を学びながら演劇サークルに在籍し、役者を目指していた。踊り場で冬の陽を浴びていた彼女は、今や本物の舞台で本物のスポットライトを浴びている。なるほど『モデル』という職業を隠れ蓑にする神経の図太さは、当時から『女優』の資質を兼ね備えていた証左だろう。鬼頭を前にした大立ち回りも、その片鱗をのぞかせていたに違いない。
一方、清美は小さなデザイン会社に勤めて六年になる。仕事はきついが面白い。趣味で絵も描き続けており、先日、小さな展覧会で入選した。
清美は携帯電話を手に取り、ディスプレイに映るメールをもう一度読み直す。
――あの日、キヨミが隠し通そうとした小さな秘密は、結局、部員全員の知るところとなった。一日懊悩して、走り回って、着地点があれ。後から考えれば、最初から着地点は決定していて、そこへ辿り着くために右往左往していただけの気もする。
あまりのやりきれなさに、キヨミは帰宅後、夕飯も食べず部屋に閉じこもった。心配した母親がやってくると、緊張の糸が切れ、むせび泣いてしまった。サファリパークだけでなく、巣穴での憤懣も不安もぶちまけた。大変だったね、と優しく背を撫でられると、余計に泣けて泣けてしようがなかった。
翌日、キヨミは皮膚科の病院に連れて行かれ、適切な治療を受ける。かいあって一カ月後には完治。もっとも、その頃にはあの残酷な渾名が定着していて、しばらくは苦い思いをした(それでも仲間は渾名の由来を部外者には洩らさなかったが)。
それから卒業までの間、様々な変化があった。
まず、春には部活狂の小山田が他校へ異動となった。それだけが原因ではなかろうが、ソフトボール部は夏の大会でまさかの初戦敗退をした。
担任だった星野は恋人と結婚、意外にも女子生徒たちの反応は冷めていて、ああそう、ぐらいのリアクションだった。
ヨッチは高科先輩とおそろいのペンケースを購入するが、アピールする間もなく先輩は卒業。だが、ミカがうまく立ち回り、無事、第二ボタンを手に入れていた。そんな彼女もこの夏に結婚する。もちろん相手は高科先輩ではない。
理科の溝口が文化祭に美人の奥さんと可愛い娘さんを連れてきて、何気にショックを受けたことは、まあどうでもいい話である。
だが、畢竟、三年生に進級して部活を引退すると、キヨミたちは否応無く受験中心の生活へと移行していった。単語帖をめくり、蛍光ペンでアンダーラインを引き、模試の結果に一喜一憂。受験を終えると全てが綺麗に折り畳まれ、きよらかにうつくしく卒業した。表面上、なんの瑕疵も無く。
社会人になって数年。仕事でも、プライベートでも、いくつかの修羅場を体験した清美は思う。あの日の悩みはなんと小さかったのだろう、たがだか直径一.五センチだったのだ。
だが、あの日、キヨミは死ぬほど悩んでいた。死にたいと思った。死んでしまえ、果ては殺して欲しいとまで。
そんな彼女を、思春期だった、そう一括りにして
だからこそ清美は、思い出を肴にぐてんぐてんに酔っ払って、あの日にかえりたいとのたまうことができない。卒業写真の革の表紙を開いて懐かしむこともない。当時の仲間たちと笑って話す気にもなれない。テーブルクロスを広げれば、染みどころか穴まで空いている。それゆえ、折り畳んだまま、胸の奥深くに仕舞い込む。
恋でも、スポーツでも、勉強でもない。
みっともなく、情けなく、泥臭く、とても絵にならない。
自意識過剰、自己矛盾、無知蒙昧のオンパレード。
二度と戻りたくない。消し去りたい。叫びたくなる。
忘れられるなら忘れさりたい青春の後姿。
それなのに――
「なに
「別に」
あの日ほど純粋で、濃厚で、必死だった一日は、後にも先にもこれっきり。
そう断言すれば、他人は笑うだろうか。だから、他の誰にも話すつもりは無いけれど。
清美は呟くと、もう一度メールを確認し、今度こそ送信ボタンを押した。
あるはげた日に 坂水 @sakamizu
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