ストーカーは犯罪です。
淺羽一
〈短編小説〉ストーカーは犯罪です。
「さぁ、いよいよ始まりました、第一回全国ストーカー選手権大会。ここ、某有名競技場から大会の模様をお伝えします実況兼司会進行は私、調子に乗ってフリーアナウンサーとなったものの業界を降ろされ、挙げ句の果てには最近、誰かにつけ回されている気がしてならない三十二歳、
緑色のシートを敷かれた、広大なドーム型競技場のグラウンドの片隅。爽やかな笑みを浮かべたスーツ姿の男の、景気の良い声が場内の至る所に設置されたスピーカーから響き渡ると同時、彼の隣でパイプ椅子に腰掛け、安っぽい長机の上に両肘を突いていたジャージ姿の男が頷いた。
「……お、お願い、します」
緊張しているのか、それとも元々なのか、酷く聞き取りづらい声で応えたその顔には、フランス映画に出てくるパン屋などでもらえそうな紙袋に穴を開けたものをすっぽりと被っていた。しかしながら、グラウンドに用意された舞台、その前で整然とパイプ椅子に座って拍手をしている、結構な数の他の人間達も皆、ほとんど全員と言っていいほど似たような格好をしており、敢えてそのことをいぶかしく思っていそうな者は皆無だった。と言うよりも、惜しげもなく顔面を晒している迫田の方が、むしろ浮いて見えるくらいだ。
「聞く所に寄りますと、倉持さんは先日にようやく長い刑期を終えて出て来られたそうで、本当にお疲れ様でした」
「あ、あり、がとう、ございます」
「今後はどうなさっていくおつもりなんでしょうか」
「わ、私達は、一羽の鳥、の羽、なので」
「と言いますと?」
「一緒にいる、いる事こそが、自然なので。一緒にいないと、飛べない、ので。彼女が落ちて、死んだら、いけないので。守る、守らないと、私が」
「なるほど。つまり、出所早々さっそく裁判所の命令なんて関係ねぇ、と言う事ですね。さぁ、倉持さんの決意表明も伺えた所で、そろそろ競技を始めて参りましょう。と言っても、ルールは簡単、日本全国から集まって頂いた我こそはと思う優秀なストーカーの皆さんに、それぞれ自身の愛する人の紹介や、自身がいかにその人を愛しているのかをアピールしてもらいます。そして、その内容を元に、誰が最もその人の事を愛しすぎてしまっているのかを審査していくと言う、至ってシンプルかつ誤魔化しの効かないものです」
蝋で固めたみたいな表情の迫田がそう言い終わるやいなや、盛大な歓声がてんでんばらばらに生まれる。すると彼は、その狂気に満ちている風にさえ聞こえる叫びが落ち着くまで待ってから、「では、最初の挑戦者です」と、滑らかな口調で一人目の競技者の紹介をした。
「名前は当然と言うべきか匿名。なので便宜上『一番さん』と呼ばせて頂きましょう、出身地は大雑把に関東地方という二十七歳の男性です。張り切ってどうぞ~」
直後、観客席の中にいた帽子にマスクにサングラスという、あからさまに怪しい雰囲気を放っている男が立ち上がり、その見た目とは裏腹な堂々とした態度で舞台の方へと進んでいった。その手には無地の紙袋を提げていて、やがて舞台上に立った彼は、それをあらかじめ用意されていた長机の上に置き、代わりにそこにあったハンド‐マイクを手にとって語り出した。
「どうも。ただ今ご紹介にあずかりました"一番"です」
そこには他にもパソコン、CDプレイヤー、小型のCCDカメラなどが用意されていて、長机の脇にはホワイトボードも置かれていたが、一番はとりあえずそれらは使わないつもりらしかった。ちなみにパソコン画面やカメラで捉えた映像は、競技場の本来の観客席中央にある巨大なハイビジョン‐モニターで流される事になっていた。
「この大会の事は、僕が良く利用する電気店の店長に教えてもらいました。プライベートな撮影にも使える小型カメラや本格的な集音機を素人でも簡単に組めるセットなどが、本当に幅広く、しかも安く揃っている店で、店の名前は――」
「一番さん。すいませんが、そう言った宣伝的な内容は控えて頂けますか」
「あ、すいません。店長に頼まれていたので、つい」
迫田に注意された一番は素直に頭を下げると、改めて「じゃあ、僕の彼女を紹介します」と、紙袋の中から一着の制服を取り出した。それは灰色のプリーツ‐スカートの上に白いシャツ、胸に金糸で刺繍の施されたベージュのブレザー、おまけに襟には薄緑のリボンと言う、いかにも私立のお嬢様学校に通う少女が着ていそうなものだった。
「僕の彼女は、今はまだ中学生なんですが、とても大人びていて魅力的な子なんです。その上、成績も良く、学校では生徒会の書記を務めています」
一番は愛おしそうな手付きで制服を畳むと、今度は幾つかの小さなビニール‐パックらしきものを取り出し、それらを一つずつカメラを使ってモニターに映し出した。
「見て頂ければ分かると思いますが、この一度も染められた事のない髪は綺麗な漆黒を保っていて、キューティクルも完璧です。あぁ、そうそう、これはつい先日、彼女が体育の授業の後で使った汗拭きシートで、彼女のエキスがたっぷりと含まれている逸品です。それからこれは、本当に貴重なものなんですが、何と彼女の使用済みの生理用品です。彼女は生徒会に入る以前は水泳部に所属していたんですが、ある日、更衣室にたまたま落ちていたものを拾いました。勿論、真面目な彼女はその日もきちんと部活をこなしており、私は彼女のそのひたむきさを忘れない為にもこれを永久に保存しておこうと決意したのです」
そして一番はさらに数点、秘蔵のコレクションを紹介した後に、丸暗記しているらしい彼女の日記の内容を朗読して、競技を終えた。途端、割れんばかりの拍手が場内を包み、大会の出だしが素晴らしいものになった事を証明していた。
荷物を片付け、己の観客席へと一番が戻っていくまでの間、その場を繋ぐのは迫田の仕事だった。「いやぁ、一発目からかなりの強者が登場しましたね」 見ようによっては、ほんのかすかに表情が引きつっている風でもあったが、さすがプロ、その声に澱みは全く無かった。
「ところで、解説の倉持さん。一番さんのあの服は、本物なのでしょうか」
「当然。ただのコスプレ、衣装は、自己満足。愛じゃない」
「なるほど。後それからですね、私、非常に一番さんの職業が気になるというか、何やら嫌な予感がしてならないのですが」
「言わぬが花」
「……確かに、それもそうですね。では、気を取り直して次に参りましょう。二番手を飾ってくれるのは、
「躊躇しない、人間は、恐ろしい」
「おっと、倉持さんも期待されているようですね。さぁ、それでは麻木さん、どうぞ~」
続いて舞台上に現れたのは、何のつもりか金髪縦ロールのカツラを被り、仮面舞踏会くらいでしかお目にかかれなさそうな絹製のマスクで目元を隠し、さらには首から下を真っ黒なマントで完全に覆った男だった。
「初めまして、麻木です」
マントの縁から素肌をむき出しの右手を伸ばし、慣れた仕草でマイクを掴んだ彼は、まるで一人芝居さながらに「僕と彼女が出会ったのは、とある大学の演劇サークルの上演会でした」と熱っぽく語り出した。
「演目はロミオとジュリエット。当然、彼女はジュリエット役でした。このカツラを被り、きらびやかなドレスに身を包んだ姿は、まさしく後世にまで伝わる名作のヒロインそのもので、小柄な体ながらその存在感は他の誰よりも大きく、観客の一人だった僕は一瞬にして目と心を奪われてしまいました。そしてその時から、僕と彼女の物語は幕を開けたのです」
そこまで言うと、麻木は懐から一枚のDVDを取り出して、机の上のパソコンに入れた。ややあって、モニターに流れ始める映像。それは定点カメラでどこかの部屋を撮影しているらしいものだった。
と、直後に場内がどよめいた。画面の中に下着姿のスラリとした女性が現れたからだ。それから室内にある姿見の前で様々なポージングを繰り返したり、はたまた高く澄んだ声で詩を朗読したりする彼女。ただし、映像は加工されていて、顔の部分だけはモザイクによって隠されていた。しかしそれは麻木曰く、彼女のプライバシーを守る為と言うよりも、単にこの会場にいる他の男に彼女を好きになられては困るという考えからの行為なのだそうだ。それほどまでに、画面の中の女性は美しいらしい。麻木は己を棚に上げて、「皆さんには失礼ですが、彼女に危ない追っかけが付いたりすると困りますからね」と言った。
「熱心な彼女は、常に自身が"女優"である事を意識しています。そして僕は彼女の恋人であり、何よりそんな彼女を応援するファンでもあるんです。だからこそ、彼女はこうして毎晩、僕の為だけに素晴らしい演技を見せてくれる。僕もまた、そんな彼女に感謝と愛情を込めて、定期的にその演技の感想を電話で伝えています。彼女はしばしば、『どうして、私の事をそこまで理解してくれているのか』と感動してくれます。ただ、最近は女優として成長してきて、同時に芽生えてきたプライドからか、僕の為にさえあまり演技をしてくれなくなってきました。僕としては、それが少し残念なのですが、一流女優として自身の安売りを嫌う心理は当たり前の事でしょうし、僕はちゃんとそんな彼女の気持ちも理解しているので、二人の生活は至って順調です」
そうして麻木は最後に、「今、彼女は女優としてとても大切な時期を迎えています。だからこそ、興味本位で彼女に近寄ってくる
「世の中にはびこる一切の悪から彼女を守る為、僕は身を挺して頑張ります」
背筋を伸ばして敬礼をした金髪縦ロールの男に、場内から惜しみない拍手が送られた。
迫田は「ありがとうございました」と麻木を送り、「素晴らしい情熱ですね」と言った。「もしも彼女に対する想いの数分の一でも、他の犯罪撲滅の為にも向けられれば、きっと日本の治安はもう少しマシなものになる事でしょう」
「彼の、ような、血の通った、仕事をする警官、望みます」
「やはり警察とも色々と関係の深い倉持さんの言葉には説得力がありますね。おっと、偶然にも、次の方も同じく懲役経験者の方だそうですよ。しかも今度は女性の方なんですね。さぁ、登場して頂きましょう、
僅かにざわめく観客席の中央を、ぼさぼさの長髪を背中まで伸ばした痩せぎすの女が、最も後方から緩慢な動作で舞台へと進んできた。顔には能楽で用いられそうな女の面を被っていて、そのくせ纏っている服はそのままカクテル‐バーティにでも出向けそうな真紅のドレス。しかし人々が驚いた理由は、そんな鈴下のちぐはぐな外見でなく、彼女の背後に見える直方体の木箱だった。ずりずりと音を立てて引きずられる、普通の体格の人間であれば大人でも綺麗に収まってしまえるだろうそれは、まさしく棺桶そのものだった。
やがて外見に似合わぬ力強さで、木箱ごと苦もなく舞台へと上がった鈴下は、常に斜め下辺りを見ている風に顔をうつむけたまま、ぼそぼそと暗い声で喋りだした。
「鈴下、です。私の彼を、紹介します」
異様な静けさが漂う中、鈴下は我が子を扱う母親のごとき仕草で木箱の蓋を開けた。一瞬後、場内に登場時を遙かに凌ぐどよめきが生まれた。
箱の中から現れたのは、黒々とした髪を生やし、明るい空色のシャツとベージュのズボンを穿いた、かなり精巧に作られた人形だった。「人形」と言っても、長机の上に座らされているそれは、シリコン製の肌もまるで本物で、眼窩にはめ込まれた義眼も死んだばかりの人間の体から直接にくり抜いてきたのだと思えるほどに生々しい虚ろさを放っていた。
「この髪は、一本一本、全て彼のものです。この指の爪も、全部、彼の爪です。服は、彼が今日は明るい色が良いと言うので、私が着させて上げました」
愛おしそうに指で人形の髪をすき、細長い指先を撫で、鈴下は本物の彼氏を自慢するみたいにその人形の細部に至るまでを紹介する。最早、それを眺めている全員が悟っていたはずだ。その髪も、爪も、服も、真に鈴下の「彼」のものであるのだろう事を。所々で長さが違っている髪や、細かく切られたものを接着剤で丁寧に貼り付けて形作られている爪は、いっそ猟奇的を通り越して芸術的でさえあった。
「私と、彼は、いつも一緒にいます。彼はずっと、私に『愛しているよ』と言って、くれます。勿論、今も囁いてくれています。……ちょっと、人前で、恥ずかしいですけど」
もう誰も一言も発しなかった。鈴下は最後に「私の夢は、四十歳までに、彼の子供を産む事、です」と締めくくって発表を終えた。
再び人形を箱へと仕舞い、舞台を降りて席へと戻っていく鈴下の姿を、誰もが無言で見送っていた。
「……いやぁ、これまたかなりの実力者でしたねぇ、倉持さん」
と、そんな静寂を埋めようとするかのごとく、迫田が己の職務に忠実に声を発していく。倉持はそんな彼の言葉を聞いているのかいないのか、「子供が、欲しいなら、やはり本物を移植しないと、ダメです。中身ごと、切り取る、それです」と、何やら恐ろしい内容を呟いていた。
「とにかく、鈴下〇五七さんとそのお相手との間に、どんなお子さんが生まれてくるのか少なからず興味もありますが、今は先へと進みましょう。さて、四人目の方は……おや、何とこれは本名ですか。素晴らしいですね、その勇気と真剣さに敬意を払いつつ、紹介させて頂きましょう。
迫田の呼び掛けに勢いよく「はい」と返事をして立ち上がったのは、爽やかな笑みを満面に浮かべた、見るからに好青年と言った風貌の持ち主だった。
先ほどの鈴下とは別の意味でどよめく場内を前にしても、舞台へと進んだ森下に怯んでいる様子はまるでなく、それどころか彼はむしろその場に立っている事を誇らしく思っている風にも見えた。
「どうも、初めまして。森下大輔と言います。今日は自分の大切な人に想いを告げる大会があると聞いて、参加しました。よろしくお願いします」
深々と一礼した森下は、今ひとつ事態を把握していなさそうな面々を置き去りにして、さっさとズボンのポケットから一通の手紙らしきものを取り出した。そして草色の封筒の中から同色の便箋を引き抜いた彼は、手紙をカメラの下に入れて、モニターに手書きの文面を映し出すと、自身はそれを見ることなく両手でマイクを持って朗々と語り出した。
「
拍手は、無かった。と言うか、全員が言葉を失っていた。だが、当の森下はそんな反応にもまるで違和感を抱いていないのか、きちんと手紙を畳んでポケットにしまうと、今度はマイクに頼らぬ大きな声で「ありがとうございました」と告げて舞台を降りた。
迫田が「……え~と」と言葉を思い出すまでの、しばらくの間、場内は完全に沈黙を保っていた。
「な、なかなか素敵な内容の恋文でしたが……。倉持さん、どうやら彼は少しばかりこの大会の趣旨を勘違いしていたようですね」
すると、微動だにせず無人の舞台を眺めていた倉持は、ややあって「愛が、足りない」と硬い口調で断言した。「せめて、自分の血くらい、使わないと。相手に、本気が、本気だと伝わらないし、失礼に当たる」
「これは厳しい。なるほど、やるならば徹底的に、と言う事ですね」
「愛とは、果てしない、もの」
「いやはや深いお言葉です。しかしながら、恋は盲目とも申しますが、あの若さでこの大会に参加し、他の方の発表を受けた後でも迷う事なく自らの意志を貫けた事実は、森下くんの将来にきっと前向きな影響を与えてくれる事でしょう。それでは、若人の今後の可能性に期待しつつ、次に参りましょう。続いての方は、逆に今大会の最年長、A
舞台上に現れた仕立ての良い背広姿の男は、すっきりとした長身と短髪が印象的な、いかにも優秀なビジネスマンという感じの人物だった。顔を隠す為のサングラスも、おそらくはどこかの一流ブランドの品で、それがまた似合っている分、まるでストーカーという雰囲気など皆無だった。そして、まさしくそれを証明するかのごとく、彼が開口一番に発した言葉は、ある意味では衝撃的なものだった。
「最初に言っておくが、ストーカーなどという存在は、クズである」
にわかに騒然となる場内。しかしA原はまるで躊躇する事なく、低音響く声で言葉を紡ぎ続けた。
「酷い話だが、今年で十八歳になる私の娘は、もう五年もの間、卑劣なストーカーの被害に悩んでいる。毎日の無言電話や、付きまとい。現に、ある時などは学校からの帰り道に追いかけ回され、号泣しながら家に帰ってきた事もあった。早くに母親を亡くして、父と娘の二人三脚で生きてきた私達にとって、最も許せないのが娘を苦しませている正体不明のストーカーなのだ」
A原の訴えは真剣かつ悲痛なもので、彼が心から娘の事を案じているのは間違いなかった。
「まずは、これを見て頂きたい」
そう言ってA原が足下に置いていたカバンから取り出して、ホワイトボードに貼り付けたのは、数枚の写真だった。それも、全てに同じ人物が、顔を隠される事もなく写っているものだった。
A原はホワイトボードの全面をカメラに収められるように、カメラの位置を調整してから、「これは私の娘だが」と語り出した。「どの写真を見ても、分かるだろう。娘はいつも不安そうな顔をしている。これも、これも、これも、それだってそうだ」
彼が次々に指さしていく写真には、確かに、何処か不安げな表情で己の周囲へと視線を向けている可愛らしい少女が写っていた。ただし、その中の一枚として、カメラに気付いている様子をうかがえる写真は皆無だった。
「幸いにして、私は某企業で社長職に就いており、蓄えも十分にある。そこで私は娘を不逞の輩から守る為に、常に、彼女の傍に付いていてやる事に決めたのだ」
A原はさらに、「とは言え、年頃の少女である娘にとって、父親というものは時に煩わしい存在である事も私は理解している。だからこそ、私は影ながら彼女を守っているのだ」と誇らしげに言い放った。いつしか、場内は完全に平静さを取り戻していた。
「勿論、娘がどんな生活を送っているのか、それは娘の部屋の中に限らず、全ての場所に置いて、父親である私は把握している。いや、それは父親としての義務なのだ。決して片親だからと娘に不満を抱かせない為にも、私は、私に出来うる限りの全ての事を行っている。可能であればいつ何時でも、私は娘の事を見守っているし、どうしても姿が見えない時には定期的に電話をして、声を聞き、無事を確かめている。家でも常時、娘の為に行動している。例えば、体の発達具合に応じて、理想的な食事を用意しているし、私が掃除している娘の部屋のカーペットには、髪の毛一本たりとも落ちていない。また、その優しさ故に、娘が直接に私に言えない事を抱えていても、ちゃんと日記を読んで本心を理解し、それに合わせて彼女の望みを叶えている」
A原は次々とカバンから愛娘の髪の毛や、彼女の携帯電話の電話帳データが全て入っているらしいCD‐R、日記帳のページのコピー、さらには使用済みの下着に至るまで、様々な「娘の様子を知る為のもの」を取り出した。しかも神経質な事に、それらは全て個別に透明なビニール袋で保管されていて、それぞれの表面には日付と時間が記されていた。
「娘ももうじき十八歳。そろそろ、恋の一つでもしてみて良い年頃だろう。とは言え、純粋無垢な少女である彼女に、今の世間に溢れている汚れた若者では、あまりにも不釣り合いだ。その為、私は父親の責任として、これからは娘に異性への接し方と、また異性との付き合い方も順に教えていくつもりだ。当然ながら、何もかもが初めての娘にとって、時には二の足を踏んでしまいそうになる事もあるだろう。けれど私は、あくまでも娘の為に、心を鬼にして真の愛情というものを学ばせてやる事を誓うと、今此処に宣言しよう」
そうして決意を新たにしたA原は、舞台の上から全員を見回す風に視線を巡らせた後、やがて「諸君達も、ストーカーなどという身勝手な行為に耽るのではなく、私と娘のように、本当に愛し愛される関係というものを築いていくべきだろう」と言って話を終えた。その堂々たる態度は最初からまるで変わることなく、揺るぎない自信に満ち溢れたものだった。
「A原さん、実に力強い発表、ありがとうございました」
荷物を片付け、明確な足取りで席へと戻っていくA原を見送りつつ、例によって迫田が場を仕切り、「言葉の端々から、娘さんに対する真摯な愛情が伝わってきましたね、倉持さん」と傍らの倉持を振り向いた。
「……あれ、倉持さん?」。
だが、いつの間に消えたのか、そこに倉持の姿はなく、つい先ほどまで彼が座っていた場所はもぬけの殻となっていた。
と、そこへ、どこからともなくスタッフらしき男が駆けてきて、僅かに戸惑う迫田へと何やら耳打ちをする。「え、しかし……はい、分かりました」 それからおよそ一分後、高性能のマイクでも捉えきれないやりとりを迫田と終えた男は、また足早に去っていった。
「ご来場の皆さん、さっそく続いての方に登場して頂きたいのは山々なのですが、ここで非常に悲しいお知らせがあります」
発せられた迫田の声は、その内容の通りどことなく暗いもので、顔からも笑みは消えていた。
「今し方、入った情報によりますと、どうやら当局が皆様に個別に事情を聞く為、この会場へ続々と向かってきているらしく。それを受けて、主催者側から直ちにこの場を離れるようにとの指示が来ました」
途端にざわつき始める場内だが、それでも迫田は己の仕事を全うしようとしているのか、あくまでも冷静に言葉を紡ぎ出した。「真に残念ではありますが、今回はここで中止、続きはまた次回と言う事になりそうです。せっかくお集まり頂いた皆様には、このような中途半端でスッキリしない結果に終わり申し訳ありませんが、何より安全の為にご了承下さい」
直後、がたがたと音を鳴らしながら立ち上がった人々は、蜘蛛の子を散らすように逃走を開始した。すると、それに合わせてモニターの電源も落とされ、次いで場内の照明も次々に明るさを失い、それまでの活気も何処へやら、そこはあっという間に何も無い空間へと変わっていく。ただ、それでも唯一、一斉に出口へと走っていく人々の背中を励まそうとするかのごとく、しっかりとその場に残っていたものもあった。
「それでは皆さん、またいつか、機会があればお目に掛かりましょう」
最後の一人が完全に姿を消すまでの間、スピーカーからはずっと、真のプロに相応しい迫田の流暢な声が流れていた。
「第一回全国ストーカー選手権大会。実況兼司会進行は私、いつの間にやら全国指名手配犯、三十二歳の元フリーアナウンサー、迫田俊伸でした」
◆
現在進行形でストーカーをなさっている皆さんへ。この話はフィクションであり、実在の人物、名称などとは一切関係なく、と言うかそれ以前にストーカー行為は唾棄すべき独りよがりの犯罪です。真に相手を愛しているのであれば、何よりもまず自身の存在こそが相手にとって害悪である事を認めましょう。
〈了〉
ストーカーは犯罪です。 淺羽一 @Kotoba-Asobi_Com
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