シグナル~another eye~
今日もかっこいい。
口には出さないけれど、毎日そう思っている。
彼は今、菜箸片手に鶏の唐揚げを揚げていた。俺が食べたい、と言ったから、そのリクエストに応えてくれているのだ。
彼の作る唐揚げはとてもおいしい。鶏のモモ肉をぶつ切りにし、ボウルに入れる。そこにおろししょうが、おろしにんにく、酒、しょうゆを目分量で加えていく。ざっざとかき混ぜ、ラップをして冷蔵庫でしばらく放置。いつもは一晩。軽く汁気を切った後、そこに片栗粉と小麦粉を3対1くらいの割合で加えてまぶす。そして180度の油でからりと揚げる。
部屋中にしょうゆとにんにくの香りが広がって、お腹がぐぅ、と鳴った。
その音が聞こえたのか、彼が顔をくしゃりとゆがめて笑った。
「お腹すいた」
「まだできない」
「うん、でも、すいた」
カウンター越しに楽しそうにしている俺を見ているのが、結構好きなんじゃないかな、と最近思うようになった。時々俺を見ては優しい目をしているから。
彼は揚げ物用の網を敷いたバットの上にいくつか乗っていた揚げたての唐揚げを箸で一個つかみ、俺の前に差し出した。俺は口を開けて、それをぱくんと食べた。
熱い。でも、すごくおいしい。
「はは、餌付けしてるみたいだな」
「もうされてる」
「そうだった」
そんな軽口を叩いて、彼の機嫌はますますよくなった。口元を持ち上げ、鼻歌でも出てきそうだ。菜箸を操る姿は、やっぱりかっこよかった。
いつだったか、菜箸について語られたときは、少し呆れた。けれど、聞いてるうちに、どんどんその必死さがかわいく思えてきて、最後は完全に菜箸と彼の取り合わせにときめいていた。
王子ってガラじゃない、と彼は言った。
でも、俺にとっては充分に王子だ。──いや、王子よりもずっと、かっこいい。
料理をしている姿が好きだ。だから、いつもカウンターでその姿を見つめる。
俺の目の前にはガラスのボウル。ゆでたジャガイモとにんじん、スライスして塩もみし、洗って水気を絞った玉ねぎときゅうり、それをマヨネーズであえたポテトサラダだ。彼の作るポテトサラダは何種類かあって、これはわりとシンプルな部類。スタンダードなサラダである。
小さいボウルに卵を割って、砂糖を加えて解きほぐす。卵焼き用の四角いフライパンを熱して、流し込む。器用に菜箸と手首のスナップで卵がぱたんぱたんとひっくり返り、また卵が流される。同じことを何度か繰り返し、きれいな厚焼き玉子ができた。
ほうれん草はゆでて、辛子、砂糖、すりごま、だしの素、しょうゆであえて辛子胡麻和えに。
味噌汁は玉ねぎとといんげん。
なんだかお弁当みたいなメニューが出来上がった。
テーブルに並べると、おにぎりにすりゃよかったかな、と彼が言った。
ああ、やっぱりコンセプトはお弁当だったんだな、と思った。
「唐揚げおいしい」
「1キロだぞ、1キロ」
確かに大皿に盛られた唐揚げは、一般的な二人分にしてはかなりの量だ。まあ、一般的、では足りないのはいつものことだけど。
鶏モモ肉が一枚250グラム前後として、約4枚分。そう考えるとやっぱり、多い。まあ、全部食べるし、もし余ったとしても、この唐揚げは冷めても充分においしいのだ。あとでこっそりつまむのもいいかもしれない。
甘い卵焼きも、じんわりとおいしかった。
珍しいよね、こんなメニュー、と訊ねると、彼は少し困ったような顔をした。
「賭けに負けた」
意外な答えが返ってきた。それと弁当のようなメニューに、どんな関係があるのか、すぐには結びつかない。
「飲みすぎて気が緩んだ。あー、くそ、あんな賭け──」
「一体、どんな賭けをしたわけ?」
俺が問うと、彼はつまらなそうな顔をしてしばらく俺を見て、それからおもむろに視線をそらした。
「聞かない方がいい」
そう言われたら、余計に気になる。けれどその顔があまり嬉しそうではないのを見ると、愉快な賭けだったわけではないんだろう。だからとりあえず聞くのはやめた。
「3日間、弁当作る羽目になった」
「誰に?」
「同僚。夕飯に食ったもんを弁当箱に詰めて持ってくるだけでいい、とか言いやがる。朝飯にするんだってよ」
「はぁ」
「前の日に作った弁当なんて、本意じゃないけどな。だからってあいつのために朝わざわざ作ってやるのもしゃくだ」
それで、このメニューなわけだ。別に普通に作った夕飯でもいいのに、きちんとお弁当メニューになっているところが彼らしい。
よく見たらおかずは全部少しだけ取り置かれていた。あとで弁当箱に詰めるためだろう。
「俺のリクエストに応えてくれたわけじゃなかったんだ」
そう思ったらつまらなかった。だからかくんと頭を落とした。さっきまであんなにわくわくしていたのに、急に寂しい。
「いや、そういうわけじゃない。お前が鶏の唐揚げ食べたいって言ったから、このメニューになっただけだ」
「本当に?」
「本当に」
俺は機嫌を直すことにした。おいしいものの前で落ち込むのは、性に合わない。楽しく食べてこそのおいしい料理である。
──同僚って、あれかな。たまに一緒にカフェに来る人。
彼の会社の人たちを、何人かは把握していた。彼と一緒に店に来た人ならば、一応はチェック済みである。その中で彼と一緒にいることが多いのは、ダントツでその人だ。きっと仲がいいんだろうな、と思っていた。前にうちに泊まっていった後輩さんは来たことがない。
結局、賭けの内容を聞くことはできなかった。キッチンの作業台にぽつんとお弁当箱。唐揚げとポテトサラダとほうれん草の辛子胡麻和え、それに飾りのプチトマト。ぎゅうぎゅうに詰まったそれをちらりと見て、俺はなんとなく後ろ髪引かれながら部屋に戻った。
今日は鯖の竜田揚げ。二日続けて揚げ物なんて珍しいなと思ったら、彼が少し意地悪い顔をしてにやりと笑った。
「朝から揚げ物食って胸焼けすりゃいいんだ、あんなやつは」
珍しく黒バージョン。
基本的に彼はいつも真っ白、ストレートな性格だ。度量が広いというか、優しすぎるんじゃないかなというか、とにかく俺にはとても甘い。だからけんかしても、たいてい彼が先に折れてくれる。俺がしつこくすねていても、余裕そうに笑って、ごめんなって言ってくれるのだ。少し悔しいと思いつつも、その心の広さにはいつも惚れ直す。
卵焼きはシラスと葱を混ぜ込んだ厚焼き玉子。これはめんつゆで味をつけた、少ししょっぱめのやつ。サトイモの煮っ転がしは中までしっかりと味の染みた、だしの効いた薄味のもの。インゲンとちくわのきんぴら、今日はデザートつきで、冷凍かぼちゃをマッシュにしてコンデンスミルクとシナモンを加え、茶巾に絞り、上にちょこんとレーズンの乗ったスイートパンプキン。
やっぱり、お弁当らしいメニューだった。
そして当然のことながら、今日の夕飯もすごくおいしい。
「喜んでた、お弁当?」
「ああ、まあ。──あいつ、始業前に5分でかっ込みやがった」
まだ口が悪いのは、黒バージョンの名残りであろう。
俺はまん丸のサトイモを箸で持ち上げ、柔らかさで箸がそれに沈み込むのをにんまりと見つめた。出来上がりは形をキープしてあるのに、とても柔らかい。口に入れるととろんととろける。もう、芸術品だな、と思う。
「いいなー、お弁当」
思わずそうつぶやくと、彼が箸を止めた。
「お前、まかない出るんだろ?」
「うん、出る」
しかもかなりの増量で。うちの厨房スタッフは腕がいい。いつもはカフェ向きのおしゃれなメニューばかりを作っているせいか、まかないは結構男の料理、という感じが多い。先日の「男のチキンカツ丼」と銘打ちたくなるようなまかないは、俺の分だけ丼からカツがはみ出ていた。わらじみたいな肉が二枚も乗っていた。
「今度さ、お弁当持ってどっか行きたいな。公園とか、山とか、海とか。なーんにもないとこで、レジャーシート敷いて、お弁当食べて、ビール飲んで、昼寝すんの」
「あー、それは気持ちよさそうだな」
いい年をした男二人でそんなことをしていたら変かもしれない。そう思ったけど、彼の作るお弁当をもぐもぐ食べている俺と、隣で組んだ両手を枕に仰向けに寝転がる彼の姿を想像して、何だか楽しくなった。180センチを超える彼が手足を伸ばしても大丈夫な、大きなレジャーシートを買わなくちゃな、と考えた。
やっぱりあれかな、ブルーシート。あれならホームセンターで買えるだろう。
俺が一人で含み笑っていると、正面から伸びてきた手が俺の額をぺしっと叩いた。
「思い出し笑いしてないで、食え。飯、冷めるぞ」
「うん」
俺は食卓の料理を平らげ、かわいく絞られた一口大のスイートパンプキンを5個も食べた。彼は呆れたように笑っていたけれど、俺が食べるであろうことを見越して6個も作ってくれたんだろうな、ということはちゃんと分かっていた。
今日もお弁当箱に丁寧に詰められたおかずたち。俺はそれを見下ろして、やっぱりいいなぁ、と思いながら眠りについたのだった。
明日の朝でお弁当最終日。今日の夕食は昨日までの和食から一転、中華だった。
千切りのピーマンとたけのこ、豚肉──牛肉じゃないところが、ポイント──でチンジャオロースー。ピーマンは緑と赤の二色だから、彩りもきれいだ。
挽肉に水切りした木綿豆腐とみじん切りのねぎ、しょうが、、しいたけを加えて練り、シュウマイの皮にそれを包んでいく。左手の親指と人差し指をオーケーサインを作るみたいに丸く形作り、そこに皮を乗せ、バターナイフで乗せた具を軽く押し込む。面白いくらいに簡単にシュウマイが包みあがっていく。俺はカウンターのテーブルの上で、形を整えたシュウマイの上に小さく切ったにんじんとか、しめじの頭とか、冷凍してあったぎんなんとか、ピンク色の桜海老とか、残っていた二色のピーマンの破片とかを乗せていく。グリーンピースがないから、と適当に彩りで揃えたものである。彼のこういうゆるく抜けた感じも、俺は結構好きだ。
それを蒸している間に、次の料理。
彼がカウンターの俺を見た。
「次の休み、弁当作ってどっか行くか」
昨日の俺の言葉をちゃんと考えていてくれたんだ、と思ったら嬉しくなった。
「遠出はできないけど、弁当食うくらいなら、その辺の河原でもできるしな」
街を流れる大きな清流。その河川敷は結構広い。
「どっかの草野球チームの試合観戦してるフリしてれば、変に勘繰られたりしないだろ」
河川敷にいくつかある草野球のグラウンド。子供だったり、どっかのおじさんの集まりだったり、休みのたびに結構そのグラウンドは使われていた。
「うん、行きたい」
そんな話をしている間に、彼は手早くもう一品作り上げていた。わかめと、刻んだザーサイ、斜め薄切りにしたねぎ、それを豆板醤と少量の砂糖、しょうゆで和えた中華風の和え物。仕上げにぱらりとゴマをふる。
そして、やっぱり最後のお弁当にも揚げ物で軽く嫌がらせをするらしい。今日は白身の魚を切り身にして小麦粉をはたき、揚げる。千切りのにんじんとねぎ、きゅうりを上に散らし、輪切りの赤唐辛子と黒酢の利いたしょうゆダレを上からかける。熱いうちに食べてもおいしいけれど、次の日、タレが染み込んだ状態はまたおいしそうだ。
蒸しあがったシュウマイに辛子醤油をつけて食べたら、中から肉汁が溢れた。豆腐が入っているので、ふわふわで、それがまたたまらない。
「明日で最後だね」
「そうだな、ようやくな」
「でも、羨ましい。あんたのお弁当、毎日食べられるなんて」
「──あいつ、朝から揚げ物が平気だった」
彼ががっと頭を抱え込む。
「それどころか、飯が足りないとか言い出しやがった──」
なかなかバイタリティのある人らしい。そういえば、カフェに二人でやってくるときも、どことなく豪快で愉快そうな人ではあった。あまりに彼と仲がよさそうなので、こちらとしては少し面白くはないけれど。
シュウマイは全部で40個もあった。お弁当用に6個取り分けてあるが、このほとんどが俺の胃袋行きだと思ったら、ついつい顔がほころぶ。上に乗った飾りは色とりどり、グリーンピースよりも楽しいな、と思う。
「ところでさぁ」
俺は緑色のピーマンの破片が乗ったシュウマイを口に放り込んだ。ちょっと苦味が残る。ピーマンは失敗だったかもしれない。
「一体どんな賭けしたの?」
「え──」
彼がぴたりと箸を止めた。それから不自然に目線をそらす。
怪しい。
「だから、聞かない方が──」
「気になる」
「…………」
彼は溜め息をついて、箸を置いた。ちらりと俺を見て、
「あいつと飲んでたら、カウンターに女性客が一人で座ってて──」
俺は食べるのをやめずにうなずく。
「どうやらちらちらとこっちを見ている、と言うんだ」
「うん」
「で、あいつは、絶対お前に気があるって言い出して」
「うん」
「それはない、と言ったら」
「うん」
「…………」
「往生際、悪いよ」
彼はまた一つ、溜め息をつく。
「なら賭ける、絶対おまえに気がある、って」
「変な賭け」
「俺もそう思う」
「で?」
「……声をかけて来い、って」
俺は無言で彼を見る。
「誘いに乗ったら俺の勝ちだってあいつが言いだして、乗らなかったらお前の勝ちだって」
黒酢の絡んだ魚はじゅわっと油と酸味が混ざり合っておいしかった。
「あいつが勝ったら弁当3日間、俺が勝ったら」
「勝ったら?」
彼は一旦口を閉ざした。
「許すとか──そんなの……」
彼は小さくそうつぶやいてから、がしがしと頭をかいた。
「結局、負けたし、いいだろ」
「つまり、その女性はあんたの誘いに乗ったんだ」
それはそれで、問題だな、と思う。彼も今さらそれに気付いて、あ、と顔をしかめた。
「へー、モテてんだー。ふーん」
「一緒に飲んだだけだし、連絡先も受け取ってないぞ」
「ふーん、連絡先渡されたんだー」
「う」
嘘がつけないって、こいうときは大変だ。もちろん彼が女の人と浮気できるはずがないのはちゃんと分かっている。でも、やっぱりおもしろくはない。
「あー、だから、結局それで終わり。何もないし、あるわけがない。──そんなの、お前が一番分かってるだろ」
もちろん。そううなずこうとしたけど、ちょっと意地悪してとぼけてやった。彼はうんざりしたように肩を落とし、もそもそと食事を続けた。
そんな姿を見ながら、後で冗談だよ言っていっぱい甘えておこう、と俺は思った。
賭けの内容は、意外なところから、後日知った。
彼の同僚──つまり賭けをした張本人が、一人でカフェへやってきたのだ。
その人は俺を見て、にっこりと笑った。そして、カウンターの──いつも彼が座る席に腰を下ろした。注文はシンプルにブレンド。基本的にこの人はいつもこれ。
目の前で豆を量り、カップを温め、ネルドリップを準備する。ステンレスのポットからガラスのサーバーへゆっくりとドリップ。その間、その人はじっと俺の手元を見ていた。
カップを差し出すと、また笑った。彼とは違う、けれどどこか人懐こい笑いだった。
「勝っても負けても──」
俺が次の作業に取り掛かろうとしたとき、その人は言った。
「許すつもりだったよ」
俺が怪訝そうな顔をすると、その人はあれっと目を丸くした。
「聞いてない、賭けのこと?」
「────」
俺は言葉に詰まる。どうして、この人は俺にそのことを訊ねるのだろう、と思った。
「あー、大丈夫。実は結構前から気付いてた」
俺の不安そうな表情に気を使ってか、彼は優しく言った。
「なのに、あいつ、ちっとも俺に言わないからさ──あーあ、仲いいと思ってたのは俺だけかーって、ちょっと腹が立って」
カップを持ち上げ、一口飲む。うまいなー、と感想をこぼして、その人は続ける。
「あいつが賭けに勝ったら、その薄情さを許してやるって言ったんだ。──まんまと負けたけど」
「──そう、ですか」
「ちょっとしたやきもちみたいなもんだよ。秘密にされてたのが、悔しかっただけ。だからくだらない賭けにしてやった。──俺がそんなことであいつを軽蔑したりするはずないのに」
そう言って、俺を見た。それは、俺にも向けられている言葉のように感じた。
「だからわざと女に声かけさせてやった。めちゃくちゃ嫌そうな顔してたよ。あの女性には悪いことしたけどね」
そのときの彼の顔でも思い出したのか、その人はおかしそうに笑った。
「──あいつ、弁当作りながらどんな顔してた?」
「つまらなそうな、うんざりしたような、顔でした」
「ははは」
「あと、朝から揚げ物が平気で悔しそうでした。ちょっとした嫌がらせみたいだったので」
「あ、そーなの? すげーうまかったけど」
俺は思わず口元をほころばせた。どうしてこう、彼の料理がおいしいと認められると、こんなにも嬉しく思うのだろう。
「あ、珍しいもの見たな。自慢しとこ」
俺の笑顔のことだろう。俺ははっとしてまた口元を引き締めた。
その人はコーヒーを飲み干して、伝票を手にした。レジで会計を終えると、俺は思い切って訊ねた。
「あの──どうして、気付いたんですか?」
レシートを丁寧に財布にしまいながら、その人はそんなの簡単、と笑った。
「あいつ、君と目が合うと、めちゃくちゃ幸せそうな顔をする」
それから、と俺を指差して、
「君も」
そんなつもりは一度だってなかった──つもりだった。いつもどおりを心がけて、なるべく嬉しさを顔に出さないようにしていた。もちろん、彼にはばれているとは思っていたけれど、まさか他の人にまで気付かれているとは思わなかった。それなのに──
俺が息を飲んだのを、その人はおかしそうに見ていた。
「気付かないフリするの、大変だったよ」
そう言って、ごちそうさん、と付け加え、その人が店を出て行く。俺は慌ててありがとうございました、と頭を下げた。
彼が賭けの内容を話したがらないわけが、よく分かった。きっと彼も、あの賭けがただの戯れだと気付いているんだろう。あの人はどちらにしても彼を許している。けれど、秘密にされていたことが少しだけ、腹立たしい。そんなことを全部、彼も気付いたに違いない。
だからこそ、俺に話したくなかったのだろう。
見透かされているようで、悔しい。そんな気持ちだったのかもしれない。
今日のことは、彼には黙っていようと思った。
彼の隠し事を水臭いと思ったあの人が、たった3日間のお弁当でそれを許してくれたのだ。
次に彼とあの人が一緒に店にやってきたら、どんな顔をしよう。そう考えてはみたけれど、やっぱり俺はいつもどおり無愛想な顔をして、他の客と同じように接客するのだろうな、と思った。
店に入ってきた彼が真っ先に俺を見て──あの人の言う「めちゃくちゃ幸せそうな顔」をするのを、今度はちゃんと確かめてみよう。
きっとあの人は、また、気付かないフリをしてくれるに違いなかった。
俺はそんなことを考えながらカウンターに戻り、そこに残ったままだったあの人が使ったカップを片付けたのだった。
了
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