華麗なカレーの顛末~another eye~


 今日のまかないはカレー。店で出す料理で余った食材をぶち込んだ、なんでもアリの感がある、ごく普通のカレーだ。月に2度ほど、これがまかないで出る。俺はいつも、山盛りのご飯にそれをたっぷりかけて食べる。

 まるで30分以内に食べられたら無料、みたいな盛りだな、と厨房スタッフが呆れたように言い、苦笑する。

 スプーンで適度な量をすくいながら、ぱくぱくとそれを食べた。

 トッピング用の福神漬けとらっきょうはもちろん、順番に添えて口に運ぶ。グラスに注がれた水を飲みながら、それを完食する頃には、一緒に食べていた他のスタッフが、はあ、と溜め息をつく。

 惚れ惚れする食べっぷりですね、なんて言われながら、食べ終えた食器を流しに運ぶ。手の空いた厨房スタッフが片付けることになっているが、俺はいつも、自分で使った食器は自分で洗うことにしている。最終的には洗浄機にかけることになっているので、その手前まで。

 洗面所で歯を磨きながら、俺はそういえば、と思う。

 彼は、めったにカレーを作らない。

 付き合い始めた頃も、一緒に暮らし始めた今も、多分、カレーが食卓に並んだのはほんの2、3回だけだ。俺が食べたい、と言って作ってもらった普通のカレーである。つまりは、市販のカレールーで作った、定番カレー。それでも充分おいしかった。

 彼ならば、いくらでもアレンジしてくれそうなのに。

 俺は首をひねった。

 カレー嫌いというわけではないだろう。別に平気な顔をして食べていたことを思い出す。

 俺は特別カレーが好物というわけではないし、彼が作る料理はどれもおいしいので、リクエスト時にもそれをねだったことはない。

 一度、頼んでみようかな、と思った。

 どうしてカレーを作らないのか、その理由も、ついでに聞いてみよう。

 俺ががらがらとうがいをしながら、そう考えていた。


 会社帰りに買い物をしていく、という電話があったので、俺も付き合うことにした。スーパーの前で待っていると、スーツ姿の彼が足早にやってきた。おかえり、と言うと、ふっと笑ってただいま、と返してくれた。

 カゴを持ってスーパーに入ると、何にしようか、と訊ねてきた。だから、俺はさっそく、カレーがいい、と答えた。入り口近くで安売りしていた玉ねぎを手にしていた彼が、その表情をぴしりと凍りつかせた。

「──どうしたの?」

「いや」

「カレー、嫌い?」

「いや」

「作るの、嫌とか?」

「いや」

「え、嫌?」

「いや──そうじゃない、嫌だ、って意味じゃなくて……」

 彼は眉間にしわを寄せ、困ったように口をつぐんだ。

「どうしたの?」

「普通の、カレー?」

「普通って……それ以外に、あるの?」

 俺が問うと、彼はますます困ったように表情を苦くした。

「とりあえず、今日はやめないか?」

「分かった。じゃあ、今度」

 彼がうなずく。俺としても、昼のまかないで山盛りカレーを食べたばかりだ。別に2食続いても問題はないが、別のメニューを作ってくれると言うのなら、異論はない。

 買い物を済ませて家に帰ると、彼が夕食の準備を始めた。俺はいつもの指定席。

 安売りしていたすき昆布を水で洗い、千切りにした油揚げとにんじん、いとこんにゃくとともに炒める。油が回ったら酒とめんつゆを注いで顆粒のだしの素をふり、くつくつと煮込んでいく。すき昆布の煮物の完成。

 何か丼物を、という俺のリクエストに応えて、そぼろの三色丼。買ってきた鶏挽肉をしょうゆ、酒、砂糖で煮込むように水気を飛ばしていく。砂糖を入れてほぐした卵は、小さい片手鍋に入れて器用に立てて持った3本の菜箸でかき混ぜながら煎り卵にする。ほうれん草はゆでて、食べやすく切る。丼に盛ったご飯の上に彩りよく並べる。卵の黄色が鮮やかで、とてもきれいだ。

 味噌汁はえのき、しめじ、まいたけ、なめこできのこたっぷりのもの。

 スライスオニオンにはかつおぶしをたっぷり乗せて、しょうゆをかける。さっぱり食べたいときのためにポン酢も用意されている。

「いただきます」

 俺は両手を合わせてから朱塗りのスプーンでご飯をすくった。おいしい。

「おかわりあるぞ」

 どの具も多めに作ってくれたらしく、食卓の上にはそれらの入った器が並んでいて、ひとつずつ大き目のスプーンが差し込まれていた。ご飯をおかわりしたら、セルフで好きなだけ乗せられるという、素敵な方法である。

 昆布をまるで蕎麦をすするように食べていたら、彼が笑った。よほどおかしかったのだろう。適度な長さに切ってくれなかったのだから、仕方がない。行儀が悪いと思いつつ、ついすすってしまったのだ。

 穏やかな夕食のあと、2人並んで後片付けをして、コーヒーと彼が数日前作ってくれたクッキーを持ってソファに座った。さくさくと型抜きされたそれをかじりながら、俺は訊ねた。

「ところでさ」

 彼はココア生地のクッキーをいつもの保存缶からつまみあげていた。

「カレー、ためらう理由って、なに?」

 彼はまた、困ったような顔をした。つまんでいるのは思いきり時期はずれなハロウィンのかぼちゃ。茶色いかぼちゃって、面白い。

「昔、付き合ってたやつに……」

 俺の眉がぴくりと動いたのを、彼は見逃さなかった。慌てて口を閉ざす彼に、俺は気にしないで、と言った。

「──面倒くさいって言われたんだ」

「カレーが?」

 彼がうなずく。

「何で?」

「だから、それは──」

 口ごもったのをごまかすようにカップに口をつけた。俺はミルクとシナモンの入ったコーヒーを飲みながら、さくさくとクッキーをかじり、彼を見つめていた。しばらくじっと見ていたら、観念したように彼が溜め息をついた。

「カレー、作るのは好きだよ」

「うん、だろうね」

 前に作ってもらったときだって、いつものように機嫌よく料理していたことを思い出す。

「それまでの過程が、面倒なんだ」

「過程?」

「カレー、作ってやるよ。次の休み」

「うん、楽しみにしてる」

 彼はテーブルにカップを置いて、ついでに持ったままでいたクッキーを缶に戻した。

「じゃ、さっそくだけど」

「ん?」

「普通のカレーと、インドカレーと、タイカレーと、スープカレーと、キーマカレー、どれがいい?」

「は?」

 俺はきょとんとして、彼の台詞を頭の中で繰り返した。

「キーマ、は挽肉のだよね? スープカレーと、タイカレーと」

「インドカレー、欧州カレーってのもあるな」

「ええと、じゃあ、普通の」

「普通の家庭カレーと、クリームカレー、ホワイトカレー、黒カレー」

「ふ、普通?」

「牛、豚、鶏、シーフード、野菜」

「ぎ、牛」

「野菜はごろごろ? ミキサー?」

「ごろごろ、かな」

「トッピングは、福神漬けとらっきょうのほかに何がいい?」

「何って、何があるの?」

「そうだな……ゆで卵のみじん切りとか、フライドオニオン、フライドガーリック、チーズ、レーズン、ナッツ……がっつりいきたいなら、トンカツ、チキンカツ、コロッケ、ホタテフライ、ハンバーグ、ソーセージ……あとは何だろうな──ああ、オムレツもいいな」

 なるほど。

 俺は理解した。

「ねえ、それ、別のバージョンも知りたい」

 彼は顔をしかめ、それから分かった、とうなずいた。

「タイカレーだと?」

「レッド、グリーン、イエローだな。あとは肉か魚か」

「インドカレーは?」

「チキン、バターマサラ、ほうれん草、ダル……」

「クリームカレーって?」

「これはきのこが一番うまいんだ。たっぷりのきのこと生クリーム多めで作る」

「おいしそう。──ホワイトカレーは?」

「カレー粉とスパイスを牛乳ベースで作る。色づかないように」

「じゃ、黒は逆?」

「ああ、黒っぽくなるような、ソースとかでベースを作る」

 なんだか楽しくなってきた。

「ミキサーって、煮た野菜をかけちゃうの?」

「ああ。どろどろにして、具のないカレーになる。味が溶け込んで、うまい」

「野菜カレーは、野菜だけ?」

「そう。一緒に煮込むのもうまいけど、素揚げして別添えしてもいいな」

 さっき食事を終えたばかりなのに、なんだかお腹がすいてきそうだった。

 彼は楽しそうにカレーの説明をしてくれる。俺はそんな彼がなんだかかわいくて、ついつい質問を重ねてしまう。

「他には?」

「そうだな、挽肉となすのカレーもうまいな。具はシンプルな方がいいんだ」

「ダルカレーって、食べたことないや」

「レンズ豆とかひよこ豆で作るんだ」

「ひよこ豆って、あれだよね。この前ディップ作ったやつ」

「ああ」

「横向きのひよこみたなやつでしょ」

 クリーム色をしたそれを、彼が見せてくれた。ぽこぽことしたその豆には小さなくちばしみたいな突起があって、本当にひよこみたいだ、と思ったのを思い出す。

「シーフードでだしをとって、具のないカレーを作って、魚介のフライをトッピングにして食べるのもいけるぞ」

「お、おいしそう」

「ドライカレーってのもいいな」

「あ、カレーピラフ?」

「似たようなもんだな」

「俺、キーマ結構好き」

「あれは俺も作るのが好きだ。挽肉と、たっぷりのスパイスで炒めて、煮込んで──カッテージチーズ入れると、またうまいんだよ」

「食べたい……」

 お腹いっぱいのはずなのに、お腹の虫が鳴きそうだった。俺って、本当に呆れるくらい食べることには意地汚いな、と少し反省した。

「ご飯もさ、普通に白飯だけじゃなくて、ターメリックライスとか、ミルクライスとか、キャロットライスとか、バターライスとか、クミンライスもうまいな。……ナンやチャパティもいいし」

「うん」

「タイ米だと、香りのいい米があるんだ。少しクセのあるカレーとよく合って──」

 楽しそうに話していた彼が、ふと、口を閉ざした。

「──どうしたの?」

「面倒、だろ?」

「どうして?」

「──カレーひとつ食うのに、どれだけ選択しなきゃいけないんだって言われたことがあるんだよ」

 ああ、それが、前に付き合っていた人の話なんだ。

 彼は少し寂しそうに笑った。

「カレー食いたいって言ったら、カレールー買ってきて、箱に書かれてる作り方の通りに作ればいいんだって、さ」

「そうなんだ」

「だから、いちいちそうやって質問する意味が分からないって」

 みるみるうちに彼が落ち込んだ。がくりと肩を落とし、しゅんとしてうつむいている。俺は手に持っていたコーヒーカップをテーブルに戻し、よしよし、と彼の頭を撫でてみた。彼は目だけで俺を見て、かすかに笑った。

「俺は、楽しいけどな」

 笑顔でそう言ってやると、彼がさらに嬉しそうに笑った。

「カレーひとつでそんなに選択肢があるって、すごいよ」

「そう、か?」

「うん」

 うなずくと、彼が俺に抱きついた。俺の胸元に顔を押し付けるような格好で、俺はその頭を見下ろして、撫で続けた。

「普通のカレーが食べたいときは、そう言えばいいんだよ。カレールーの箱のレシピで! って」

「ああ……そうだな」

「でも、腹立つ」

 俺の言葉に、俺が顔を上げた。その表情が、少し不安げになっていた。

 いつも俺を甘えさせてくれる彼が、そんな顔を俺に見せる姿なんて、珍しい。

「俺、今までそんなに選び放題なカレーを、食べさせてもらえなかったんだ」

「──すまん」

「あーあ、食べたいなー。今言ったカレー、全部食べたいなー」

 わざとふざけたように言ってやると、彼がほっとしたように笑顔になった。

「作るよ」

「片っ端からね」

「ああ」

「とりあえず、しばらくの間、週に一度、順番に」

「分かった」

 うなずいた彼に、今度は俺が抱きついた。

 彼の胸の中は、大好きだ。俺がその胸に鼻先を押し付けると、彼が俺の頭を撫でた。

「ありがとう」

 お礼を言われるようなことは、何もしていない。

 だって、さっきの彼は本当に楽しそうだった。そして、俺も、次々に用意される選択肢を、楽しいと思った。

 きっと、昔の恋人は、その楽しさを知らないんだ。

 それを共感できるのが俺だけなら、とても嬉しいと思った。

 ターメリック、クミン、コリアンダー、カルダモン。

 彼が買い揃えたスパイスは、小さな瓶に入ってずらりと並んでいる。

 クローブ、ナツメグ、シナモン。

 俺はぎゅうと、抱きつく腕に力をこめた。

 カイエンペッパー、ジンジャー、ブラックペッパー。

 俺が聞いたこともないスパイスやハーブ。それらを彼が楽しそうに俺に説明してくれる。どんな料理に使うのか、とか、こんな風に味に深みを出すんだ、とか。

 パプリカ、タイム、ディル。

 それらを駆使して作るカレーは、きっと、とってもおいしいはずだ。

「いっぱい作ってくれたらさ」

 俺は言った。

「いつか、すごく俺好みの、最高においしいカレーにたどり着くんじゃないかな」

「そうだな」

「そのためには、いっぱい食べなくちゃ」

 俺は顔を上げる。目の前で、彼は優しく笑っていた。その顔に安心して、俺は再び彼に抱きついた。

 次の休みに作ってもらうカレーは、まず、何にしよう。

 彼からのキスに目を閉じながら、俺は週末がとても楽しみになっていた。


 了



私に、「カレー食べたい」って言ったら、こんな感じになります(笑)

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