all that you are ~another eye~


 基本的に俺は大雑把である。繊細さの欠片もない。

 しかし俺自身のそんな性格とは裏腹に、俺の姿は正反対の印象を受けるらしい。

 昔から、俺はその見た目をよく褒められる。小さい頃はかわいいと言われ、思春期にはかっこいいと言われ、大人になった今はきれいと言われ、いつでもうんざりするくらいモテてきた。別に、俺自身はそんなことを望んではいない。できるだけ目立たず、地味に生きてきたつもりである。

 人は見た目だと言われた。

 確かにそうなのかもしれない。

 テレビでもてはやされるのはやっぱりきれいな女優やかわいいアイドル、二枚目俳優や精悍で整った顔のスポーツマン。

 俺は毎朝、鏡を見るたびに溜め息をつく人生だった。


 きれいすぎるくらい整った顔だな、と彼が言った。

 二人で部屋でのんびりとお茶を飲んでいたときだった。そのときはまだ別々に住んでいた。そこは彼のアパートで、ワンルームに押し込まれたベッドと、小さなテーブルがあった。そのテーブルの前で、並んで取り留めのない話をしていた。

 ふと、彼が黙って、俺を見ていた。どうしたの、と訊ねると、そう言われたのだ。

 外見はコンプレックスだった。俺の意思に関係なく、人をひきつける。余計な感情を生ませる。だからなるべく笑わない、人と近付きすぎない、そんなことを心がけていた。

「なんでそんなにきれいなの、お前」

「そんなの──」

 分からない。俺は彼から目をそらした。

「何かさ」

 彼が笑った」

「忘れるよな、いつものお前見てると」

 彼の言葉に、俺はそむけていた顔をゆっくり戻した。

「え?」

「いや、整った顔だってことは知ってたぞ。初めて見たときから。でもさ、ギャップがあって」

「ギャップ?」

「なんていうか──お前さ、俺の想像の上を行きすぎ」

 一体どんな想像をしていたというのか。俺は眉をひそめる。

「働いてるときは一分の隙もなくきちんとしてるくせに、案外ズボラだし、思いきりいいし、豪快だし、俺より男前な性格だし」

 短い髪に右手を突っ込み、彼は少し困ったような顔をした。

「大丈夫かよってくらい食うし、やたら子供みたいに笑うし」

 彼の顔が少し赤くなっていた。

「こっちが恥ずかしくなるくらい俺を好きだって言うし──なんか、かわいい、し」

 かわいい、なんて、子供の頃言われて以来だ。けれどそれって、あまり男に言う台詞でもないんじゃないかな、と思う。

「だから、時々忘れる」

 俺の頭を引き寄せ、自分の胸に押し付ける。

「たまにカフェでお前を見てると、客の視線がみんなお前に向いてることに気付く。──ああ、これだけきれいな顔してりゃ当然か、って思うよ。でもさ」

 俺が顔を上げて彼を見ると、少し寂しそうな目をしていた。

「でも、お前は俺のもんだろ」

 ぶわっと突然、俺の顔が真っ赤になったのに気付いた。

 なにそれ。なにそれ、なにそれ。

「人のもん勝手に見てるんじゃねーよ、って、思う」

 それって、嫉妬?

 彼は突然、あからさまに不機嫌そうな顔をした。俺が意味も分からず真っ赤になったまま首を左右にかしげていると、いきなりキスされた。ますます焦って、思わず身体を押し返したが、その手は小さく震えていて、ああ、俺はこういう関係にまだ慣れていないんだなと思ってしまった。

 年上だから、というだけでなく、彼には今まで付き合ってきた人が何人かいる。詳しくは聞いていないけれど、彼だったらきっとモテただろう。俺みたいに見た目だけで言い寄られるのとは違い、相手はみんな真剣だったんだろう。

 それを思うととても悔しくて、そしてとても悲しかった。

 不機嫌そうな顔をしていた彼が、ぶっと吹き出した。俺がテンパっていることに気付いたようだった。

「頼むからさ」

 俺の耳元でささやく。

「そういう顔は、俺の前だけにしてくれよ」

 この声は、ずるい。

 彼の声が好きだ。低く、よく通るその声の響きは時に甘く、時に厳しく、俺の身体中に流れ込み、血液のように巡る。浸透して行くそれを、震えるくらいに気持ちよく思うのは、彼の声だけだった。

 さっきの不機嫌そうな顔はなんだったのか。今はやけに楽しそうに俺を見て笑っている。

 どうせ免疫はないけれど。

 だって、仕方ない。俺にとって彼は、初めて好きになった人で、初めて俺を受け入れてくれたひとなのだから。

 彼の長い腕が俺の身体を抱き締めた。

「顔だけじゃなくてさ。──仕草とか、立ち振舞いがきれいだとも思ったんだよ。ノリの効いた白いシャツに細身の黒いパンツ、長めのギャルソンエプロン。雑誌から抜け出したみたいに完璧でさ、姿勢が良くて、優雅で」

 180センチには届かないが、これでも背は高い方だ。だから、なるべく猫背にはならないように注意した。背筋を伸ばして、視線もぶれないように。人を不快にさせないように、きちんとした格好と身なりを心がけていた。愛想の悪さは、他でカバーするしかなかったから。

「オーダー取る姿も、給仕する姿も、お辞儀してテーブルを離れる姿も、いつも見とれてた」

 そんな目で見られていたとは気付かなかった。彼が来ると、俺はいつも緊張し、気付かれないように時々その姿を盗み見しているだけだったからだ。

「まっすぐ前だけ見てる、って感じがした。すごく潔くて、いいなって」

 そんな風に見えていたなら嬉しいと思った。

 今まで俺は、自分のことが好きではなった。だから、誰かに俺を認めてもらえて、少しずつ自分と向き合って、好きになっていけるかもしれないと感じられた。

「無口で、愛想なくて、いつもクールに見えるけどさ──」

 俺の耳元に口を寄せて、さっきよりもずっと甘い声で、言った。

「知ってた? 俺が店に入った瞬間、お前、一瞬だけ目が笑うの」

 今日は、赤面するばかりだ、と思った。そうでなくてもさっきから彼の腕の中はとても居心地がいいのにどこか落ち着かない。嫌なのではない。俺の心臓がばくばくとうるさくて、身体は震えて、どうしようもなく心が騒ぐのだ。

「し、知らな──」

「俺だけしか分からないくらい、ほんの一瞬」

 耳元の声が、俺の中に入り込み、身体中を侵す。ぼうっと俺の意識が揺らぐ。

「それとも、俺の願望?」

「多分、違う……」

 そう言ったら、彼が至近距離で笑った。

 当たり前だ。彼の姿を見かけた瞬間、俺はいつもどうしようもなくときめく。入り口の扉が開くたび、期待する。そして、目が合ったら、とめどなく気持ちが溢れそうになる。それを隠すのに、押し留めるのに、いつも必死だ。

 誰にも気付かれないように、必死だったのに。

 けれど、彼は気付いていた。

 それが、とても嬉しく思えた。


 一緒に暮らし始めてからは、俺も昔ほど自分の見た目を嫌いではなくなっていた。

 多分、誰に好かれようと、誰に褒められようと、どうでもいいと気付いてしまったからなのだと思う。だって、俺が見つめられて嬉しいのは、褒められて嬉しいのは、彼にだけだ。

 カウンターに軽く身を乗り出して、俺は彼が料理するところを眺めていた。

 今日は、久しぶりに予定のない休日で、たまにはじっくり和食を、という彼の提案で、さっき一緒にスーパーから帰ってきたばかりだった。

 完全に自己流で、料理の本もレシピもほとんど持っていない彼が作り出す料理は、とてもおいしい。さすがにお菓子は材料を量って作っているが、料理に関しては大抵が目分量。その日の気分によって味の濃さを決めているらしく、塩辛すぎるときは、かなりストレスが溜まっている証拠だ。怒りにまかせて塩分増量、という感じなんだろう。でも、怒っているときに塩辛いものって、血圧上げちゃうだけのような気がする。

 平鍋に水、酒としょうゆ、砂糖、味噌を混ぜて火にかけ、味をみる。さばの切り身は半身を二枚、それをそれぞれ二等分して、煮立った鍋に加えた。生姜の薄切りを加えて火を弱め、一回り小さい鍋のふたを落し蓋にしてそのまま煮込む。どうやら鯖の味噌煮。味噌は後入れするのが一般的らしいけれど、彼はいつもこう。合理的ではある。

 鶏モモ肉は小さめに切り小鍋で炒める。同じくらいに切ったゴボウ、こんにゃく、にんじん、まいたけを加えてさっと炒め、酒と砂糖としょうゆで味付けし、といだ米を入れた炊飯器にまずは煮汁を、足りない分は水を加えて具を乗せ、炊飯スタート。炊き込みご飯。

 木綿豆腐は1丁を8等分して、2丁分をしばらく軽い重しをして水気を切っておく。

 水菜と貝割れ、千切りにしたグリーンカールとセロリ、スライスオニオンの水気を丁寧にきり、いつものサラダボウルではなく渋い陶器の鉢に盛り付ける。首をかしげていたら、今度は煮立った湯に豚肉を入れてゆで、氷水で締め、水気を切った。豚しゃぶサラダだった。ドレッシングももちろん手作り。お酢としょうゆ、オリーブオイルに叩いた梅干。これは材料を小さなボウルに入れて渡されたので、俺が混ぜて作った。

 ジャガイモとゴボウ、にんじんを煮てだしを加え、いつもの半分の量の味噌と、酒かすを加えてかす汁風の味噌汁を作る。

 水気を切った豆腐は片栗粉をまぶして油で揚げる。大皿にそれを平らに並べた。シンプルな揚げだし豆腐ではなく、今日はあんかけらしい。フライパンでもやしと千切りのにんじん、ほぐしたしめじを炒めて酒、めんつゆ、砂糖少々で味付けし、軽く煮込む。汁気は多め。それを水溶き片栗粉でとろみをつけ、豆腐の上に豪快にかけた。

 俺のお腹はきゅるきゅると音を立てていた。

 彼は、何か物足りねーな、なんて言いながら、手早くえのきと三つ葉をさっとゆでて、レモン汁としょうゆを加えて簡単な和え物まで作ってくれた。

 料理をする彼の姿はとにかくかっこいい。

 始めてその姿を見たとき、思わず見とれた。あの狭いアパートの台所で、きっと邪魔だったであろう俺を邪険にもせず、黙って受け入れてくれた。

 無駄のない動きだった。

 料理中の彼はとても楽しそうだ。なんとなく口元を緩ませ、頭の中でどう動くかがきちんと計算されていてスムーズで、俺はその姿を見ているだけでとても幸せだ。

 かっこいいなぁ。

 思わず口にしそうになった。

 彼は俺をきれいだと言うけれど、俺は彼をとてもかっこいいと思う。

 一般的には二枚目とは言えないのかもしれない。でも、真面目な顔をしているときには少し近寄りがたい鋭い目つきも、背が高いせいで感じる威圧感も、一度笑うとすべてが柔らかに変わる。目元は少し下がり、逆に口元はくいっと上に向く。

 すっきりと男らしいその見た目から、わりとラフな性格に見られるけれど、実は俺なんかよりもずっと繊細で優しい。時々、俺を傷つけないように気遣いすぎて、一人でぐるぐると悩むくらいに。

 テーブルに料理を並べて、彼がしまった、と顔をしかめた。

「どうしたの?」

「いや、炊き込みご飯に鯖の味噌にって、いまいちか? 鯖味噌は白飯だよな」

「おいしいなら、どっちでもいい」

 俺の答えに笑顔になった。

「そーかよ」

 いただきます、と両手を合わせてから、俺は箸を取る。

 当然、おいしい。

 二人分とは思えない量の料理が並んでいるが、これをほとんど食べるのは俺である。元々大食いな俺だけど、彼の料理は際限なく食べられてしまうから不思議だ。いくら食べてもおいしいと思う感想は褪せなくて、皿が空っぽになるまで箸が止まらない。

 彼は、俺が食べる姿をいつも嬉しそうに、楽しそうに見ている。

「お前の顔、好きだ」

 突然そんなことを言われて、俺は危なく喉を詰まらせそうになった。

 確かに、俺は昔に比べたら、自分の顔が嫌いじゃない。だからと言って、まだそれだけを褒められることには抵抗があった。

 彼はなぜか、とても幸せそうに笑っていた。

「お前が俺の作った料理を食べてる顔、最高に好きだ」

 俺のどこが好きなんだろう?

 昔から、俺を好きだと告白してきた人たちに、それを訊ねてみたかった。きっと、ほとんどの答えが俺の見た目だと言うに違いなかった。だって、そうだろう。話もしたことのない俺の、一体何を知っているというのだろう。

 それを断り続けているうちに、いつの間にか罪悪感は消えた。まるで荷物を右から左へと移動するかのような簡単さで、告白されたら断る、ということを繰り返してきた。

 笑わない俺を、それでもかっこいいと言う。きれいだと言う。

 本当にほしい物はそんな言葉じゃなかった。

 けれど、俺のほしい言葉なんて、もらえるはずがなかったのだ。当たり前だ。俺はその努力をしなかった。見た目じゃなく、中身を知ってもらう努力を。

 ぽたぽたと、俺の目から涙が落ちた。

 目の前の彼が、ぎょっとした。

「ど、どうした。──俺、何か悪いこと言ったか?」

 慌てて俺の傍にやってきて、指先で涙を拭ってくれる。

「それとも──不味いのか?」

 見当違いなことを訊ねてくる。その顔はとても焦っていて、心配そうで、どうしていいか分からないようだった。俺はおかしくなって、笑った。

「──いくら何でも、不味くて泣いたりしない」

「そ、そうだよな」

 笑った俺に、幾分ほっとしたように、彼がうなずく。

 俺は自分の顔が嫌いだった。周りの人間はいつも、俺の見た目だけを褒めた。

 誰とも目を合わせないように向ける視線を、彼はまっすぐで潔いと言ってくれた。

 あんなに笑うことを拒んで、閉じ込めていた俺の笑顔を引き出してくれた。

 一口食べるだけでこんなにも幸せになる料理を作ってくれた。

 そして、それを食べる俺の顔を、好きだと言ってくれた。

 それが、こんなにも嬉しい。

「俺も──」

 目の前でまだ困ったような顔をしている彼に、俺はできるだけの笑顔になった。

「俺も、大好き」

 料理をしている姿が、その指が。

 俺の名を呼ぶ声が。

 そして──

 彼はその表情を緩ませた。口元が持ち上がり、少し垂れた目が優しく変わる。

 この、笑顔が。

 彼の全てが好きだった。

 多分俺は、世界で一番かっこよくて、優しくて、最高の人に出会ったんだと思う。

 俺の頭をくしゃりと撫でて、彼は言った。

「いつもみたいに、食って、笑ってくれよ」

 おいしい料理と、大好きな彼を目の前に、俺はもう一度、笑った。


 了

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