第10話 素直な子は好きよ

「マネキンの風体の男?」

私は首を傾げながら繰り返す。

一体何のことだか、全く心当たりがない。


私が地獄に堕ちてから今まで、この鬼を除いて誰にも会っていないのだから。


……それとも何かの隠語だろうか?

「えーと、分かりました。気を付けます」

「いい子ね。素直な子は好きよ」

緑鬼は親しげなウインクをこちらに寄越してきたが、私は見なかったことにした。

相手は別に味方でもないのだから、あまり気安くし過ぎるのも考え物だ。

「さて、そろそろ試練の説明に入らないとね」

私の警戒を知ってか知らずか、緑鬼は気持ち悪いくねくねした動きをしながら、大仰な動きで側の血の池地獄を指さす。

「貴方にはあの池の底に沈んだ○○の糸を取ってきてもらうわ。ひと巻分入手してきてくれたら、私が上に繋げて登れるようにしてあげるから」

血の池地獄、ねえ……。

私はトマト祭り会場を一瞥しながら、この試練のヤマを冷静に計っていた

ただ池に素潜りして糸を持ってくるだけなら、特に問題なさそうな気がするけど……?

と、私の考えに割り込むように、緑鬼がその太い腕を差し出してくる。

「そうそう、貴方にはこれを付けてもらうわ」

その掌に乗っているのは……華美なフリルのついたビキニであった。


「なに……? なんなのよこれっ……! なんて可愛さなのっ!!」


オカマ(?)の鬼が選んだとは思えないほどの、センスの良い水着である。

「さぁ! この中で着替えて☆」

そう鬼は言いながら、どこから出したか分からないが、小型テントに入るよう促してくる。

これまたどこから出したのか、姿見もセットであるのは、全く。

気が回る鬼である。

とにかく、着替えないことには始まらない。


「さぁ~て。どんな感じかしら~ん?」

……あら。

あまりに美しすぎて、言葉を失っていたわ。オホン。

鬼の言葉で我に返り、テントから出る。


「あら! あらあらあら! 似合ってるじゃな~い! 思わず 嫉 妬 しちゃいそう☆」

鬼のはしゃぎようと言ったら、これが試練の一部であることを忘れさせるほどである。

もしかして、この水着は単に鬼の趣味なのかもしれない。

うん。

そんな気がする。

まあ、私の美しさを引き立てる、このようなビキニを用意できることに関しては、認めてあげてもいいかしらね。

さて。このまま立っているわけにもいかないし、いざ、血の池地獄に行かん!

そう思いながら歩き出そうとした私は、臓物を投げ合う男たち全ての眼が、私を見つめていることで、ある事実に気が付く。


……そう。

私はまた、罪を犯してしまったのだ。


ただでさえ美しい私が、このビキニを着てしまったら、どうなるか。火を見るよりも明らかである。

私の姿を見た人は、老若男女問わず、全てを投げ打ってでも (目の前の男たちは既に内臓を含めて全てを投げ打ってしまってはいるが)、私に尽くそうとしてしまうだろう。

いつもであれば、【ビューティ☆千代子☆うつくしい】 を抑えられていたというのに、次々と起こる環境の変化からのこのビキニで、すっかり気が緩んでしまっていたのであろう。

ともあれ、一度魅了してしまったからにはしょうがない。

彼らの思いに応えるのもまた、贖罪となるのであろう。

「そこのお方。さっきは蹴り飛ばしたりしてゴメンナサイネ。ひとつだけお願いがあるのだけども。」

私はそういって、先ほどの老人に話しかける。

「あっしにッ! あっしに話しかけてくださるなんてッ! ありがたやー!

何でもお聞きしやしょうッッ!!」

「そこのトマト祭り会場?……に○○の糸を沈めてしまって。すぐにひと巻き分集めないと、私は炎に焼かれることになってしまうの……」

そう私が言うと、老人は目に涙を浮かべながら、答える。

「なんと酷い話でしょうか! あっしらでよろしければお助けしましょう! ただ、ひとつだけ! お名前をお聞きしてもよろしいでしょうかッ?」

こんな老人に教える名前などないと思いつつも、これも試練だと割り切り、仕方なく答えることにする。

「千代子よ。」

「ありがとうございますッ!! おら! おめーら! トマトなんか投げてねぇーで、さっさと千代子様のために揖保の糸を探すんだ!…………」


どうして、どいつもこいつも、名前を教えたくらいで喜ぶのかしら。

全く。

天国や地獄を信じていなくとも、言霊の力は信じている、そんな私が本名を教えるわけないじゃない。


…………ねえ。

そうでしょ?

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千代子のお散歩 @matsumiike

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