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  • 三国志後伝における
    郝元度の匈奴か羌かという問題ですが、

    三国志後伝第9回に、

    劉伯根曰:「兆天之淵,應魚之投,祥莫幸矣。即當改名為劉淵,字元海,必有滅仇興漢之徵。
    我昨打聽,羌胡與匈奴之地,曹魏將來分作五部:左部即左國城,今在晉陽,左賢主帥姓劉名豹,乃吾蜀陽泉侯也,姜都督調他撫按羌胡,黃皓用事,索豹寶物不遂,不許還朝。羌人立為匈奴部之帥,稱左賢公,乃是我漢舊臣,理合去就,此去較遠。北部主帥姓郝名元度,乃涼州北境人,頗深文墨,敬賢禮士,亦有中土之風。此去甚近,可以相就。」

    按《晉史》:郝元度字中立,祖貫西涼人氏,幼習詩書,及長,善能騎射,極有勇力,乃棄文就武。因與鄰里構爭,揮拳打死人命,逃羌中投入北部,北部大人敬其才,令贊軍務。後因魏朝調遣北部征討遼西、陰山諸處,與胡兵極戰,中箭而亡。北部無主,因見元度勇而有文,待眾以寬,恩威兼篤,遂推為北部之主。轄下所統,有馮翊羌胡撫帥馬蘭、北郡羌胡撫帥盧水。

    とありました。

    ここで分かることは、三国志後伝では、
    ①羌胡與匈奴之地を曹操が五部に分けたこと
    ②劉豹は、羌人に左部である匈奴部の帥に立てられたこと
    ③郝元度は北部の帥であること
    ④郝元度は羌に逃亡し、北部に入って、北部の主になったことです。
    ⑤郝元度の統制下に、馮翊羌胡撫帥である馬蘭と北郡羌胡撫帥の盧水がいること
    です。

    私は五部の直属=匈奴と解釈していました。


    河東さんのお考えでは、
    『羌は匈奴の下部を構成しており、五部は匈奴を支配層として羌を内包すると理解すれば通じる。』
    『だから、匈奴でよい。』
    『匈奴・羌と併記するのがベスト』とのことでしたので、ここに記載します。

    史実を考えても、郝散・郝度元兄弟は匈奴なので、少なくとも羌ではなく、匈奴という面は含めた方がよさそうと、私も、考えます。



  • 読破した…。
    お疲れ様でした。勿論、河東さんにですよ。

    充電のため、続編に進むには半年以上の間が空きそうです。
    レビューは少し待って下さい。何を書くべきやら、頭を整理させて下さい。
    但し、必ず書きます。ランキングのレビュー者に名を残すのが最近の趣味なので。所詮は確率ですけど。

    作者からの返信

    おつかれさまでした。
    読む方が大変だと思います。読了頂いて、なんか悪い気がするって一体。
    レビューは義務ではありませんから、お気になさらず。ゆるりと。
    気力体力が許せば続編もチャレンジしてみて下さい。長いですよ(笑)


  • 編集済

    正統三国志に比べると、二流人、三文役者のドタバタ劇だと能く分かります。統率が取れてないもん。蛮族の集団だよなぁ。

    作者からの返信

    演義は刈り込みがスゴイですから。北伐では張郃と司馬懿のイザコザもありましたが。史書はさらにドタバタ劇が多いですよ。ドタバタが常態なのかも知れません。

  • またもや乱闘。懲りぬ奴ら。

    作者からの返信

    当時の戦は先鋒の力比べ、勝った方が嵩にかかって攻めかかる感じなので、実はリアルかも知れません。
    なかなかキレイにはいかないものです。

  • やっぱり陣形の変成をイメージできん。詳述すると躍動感を喪失しちゃうし、文字の限界だなぁ。

    作者からの返信

    そもそも著者が戦場を経験していなかったでしょうから、仕方ありません。
    訳しながら想像しても、イマイチ細部が読み取れませんでした。

  • 陣形の争いは映像で見たいものだ。その点、映画レッド・クリフは秀逸だったなぁ。

    作者からの返信

    そうですね。
    あれは細部も雰囲気よくできてましたし。ああいうのが増えて欲しいです。

  • いよいよ最終章。毛沢東の長征並みの読書だった。
    いや未だ完了してないか…。さっ! ラストスパート。

    作者からの返信

    いやー長い長い。でも、このあたりは動きがあるからまだしもです。個人的には李雄のパートがビミョーにキツかったです。原因は不明ですが。

  • 籠城組が軍師の命令を無視するのは、空腹過ぎて頭に血が上ったと好意的に解釈しよう。
    でも、諸葛孔明は泣いて馬謖を切ったのになぁ。

    作者からの返信

    当時の軍はいわば一族郎党みたいなもので、中央集権の蜀漢とは異なり、兵と将のつながりが強かったんだろうなあ、と思います。だから、馬謖を斬ると兵が四散する、なので、馬謖は斬れない、だったのかなあ。。。

  • 漢賊を一つに糾合させたらマズイんじゃない?
    晋軍の兵力が漢賊の何倍なのか?、分からなくなってしまったが、晋軍が三つに割れても個別には漢賊を上回っているのでは? 兵法には沿っていると思うけどなぁ。
    しかも、石勒と劉曜に対峙したら、籠城する張賓に後背を襲われると思う。
    ヤン・ウェンリーなら「下策の下」と断じよう。

    作者からの返信

    100万の大軍ですから、明らかに各個撃破されにいってます。三分してあたればたしかに各戦場での数は優位になりますが、攻城戦はそうもいかず、諦めたのでしょうね。
    ヤン・ウェンリーは各個撃破の人ですから、絶対に採らない策です。

  • 「戦わないぞ」と言っておきながら、結局は大乱闘しちゃうのね。しかも、憂さ晴らしに酒を飲んで寝ちゃうとは…。
    「晋軍って馬鹿⁉︎」と思ってしまう。

    作者からの返信

    戦意は旺盛です。
    しかし、攻めかかられると戦を避けられないのも事実です。戦場で戦を避けるのはかくも難しいのだなあ、と思いました。

  • 妄りに戦闘するな、との下知は守られませんなぁ。

    作者からの返信

    ダメですねえ。。。
    ただ、死を覚悟して戦うには、やはり勢いが大事ですから、気持ちは分かります。ヒトは戦時に冷静になるには臆病すぎるんでしょうね。

  • 武士道…と思いきや、やっぱり匹夫集団。
    晋軍も愚かとは思いますが。

    作者からの返信

    齊萬年もそうでしたが、本作中の蜀漢遺臣はフツーに闇討ちも二枚舌も使いますので、この場合は張賓に手玉に取られた感があります。
    武士道とかはこの世界観では愚者の行いなんでしょうね。実に大陸的です。

  • 分かったような、分からぬような、諸葛孔明の魔法陣。

    作者からの返信

    まあ分かりませんよね。
    陣を並べただけで摩訶不思議な計略にはなりませんので。
    なので、ここはなるべく『人形劇三国志』の八卦の陣のイメージに近くしたいと思って翻訳しておりました。あれはなかなか怖かった記憶があります。

  • 映像化すれば、荘厳な布陣シーンとなるだろうと思う。

    作者からの返信

    同じ色に揃えた無数の人たちがざざーっと動いて整然と布陣するわけですから、見栄えがしますよねえ。『レッドクリフ』とかのイメージで中国で映像化して欲しい。。。一歩間違えたらマスゲームになっちゃいますけど。

  • 戦団同士の対決。それでも武士道の趣きが漂うは古き良き時代の名残と言えようか。

    作者からの返信

    古代の名乗りを上げてから戦を始めるイメージに近いですね。日本だと、源平合戦の頃くらいのイメージでしょうか。足軽が出てくる前のイメージです。
    個人的には室町時代もけっこう好きです。垣根涼介『室町無頼』サイコー。

  • どことなく長閑。
    銀英伝の早い段階で、ラインハルトの軍勢に反攻しようと、ブラウンシュバイク公が貴族達を糾合して大見得を切った場面を思い出す。

    作者からの返信

    うは。銀英伝2巻でしたっけ。リップシュタット戦役。懐かしいですね。
    彼らの比べるとより純真な感じもします。

  • 連戦に次ぐ連戦、長い動乱でした。まるでベトナム戦争のよう。
    ところで、羅尚は、登場したては賄賂集めに腐心してましたが、最期は武将らしく成りましたなぁ。優秀だとは思いませんが。

    作者からの返信

    おつかれさまでした。
    蜀の混乱は二転三転、読む方も疲れる目まぐるしさです。しかも、後半に置かれているのでしんどさも倍増。
    羅尚は慷慨して死にましたが、もう少し早くに辺境防備の任に目覚めればよかったなあ。。。イマイチ同情できませんでした。

  • 裏切り者は二度三度。そんなもんなんでしょう。

    作者からの返信

    三国志の張飛を彷彿とさせますが、閻式を失うのはイタいです。いきなり先行きが怪しくなりました。

  • 無血開城とは珍しいパターンですね。

    作者からの返信

    羅尚が逃げ出してしまい、子の羅特には荷が重かったですね。果たして羅尚は守り切れると考えたのか、成都を捨てたのか、謎です。

  • そんなに好都合な人物が行き成り登場するとは…。

    作者からの返信

    ここまで李特や李雄は蜀の名のある人と結んでいませんでした。毛植と襄珍は降将だから別として。
    このあたりから、蜀の豪族たちと結びはじめたのでしょうか。范長生、なんとなく象徴的な人物です。

  • 強いのか、弱いのか。

    作者からの返信

    古代の戦は先陣の強弱で趨勢が決まっていたようです。なもんで、先陣に李雄のようなカリスマがいると強かったでしょうね。
    意外にリアルな描写なのかもしれません。

  • 三国志もそうですが、この時代の古典(勿論邦訳)を読むと、少数の英傑と、その他大勢の構図。
    優秀な中間管理層が不在なため、末端まで統率不能なんでしょう。そんな事で足元を掬われる李特が気の毒で…。

    作者からの返信

    李特がワンマンだったのは確かですよね。あわせて、持久戦に持ち込んだ徐輦の計略がハマった感じです。
    李特は民からの支持と流民の自制を過信したようで、楊褒、閻式、李流はキッチリ諫言していますが、従いませんでした。
    なので、やはり李特がお人好しすぎたのかなあ、と思いながら読んでいました。
    ふうむ。

  • 何だか能く分からぬ内にアッサリと。

    作者からの返信

    これまで接近戦ばかりだった王彌が飛び道具を使ったあたりが新機軸となります(キッパリ)

  • 見事な謀略ですなぁ。

    作者からの返信

    計略はニセ手紙を送るというありがちなものですが、漢の軍勢を怖れるココロにつけ込んだわけです。
    長々しい描写はありませんが、心理戦、ということなのでしょうねー。

  • 攻城戦は内容に複雑さが生じて面白いですね。
    剣戟戦は打ち合うだけで、どこか単調さを否めず、読んでいて倦んでしまいます。ビジュアルな媒体だと、剣戟戦も面白いんですけど。

    作者からの返信

    仰るとおり、超絶武芸や大規模会戦は映像があってなんぼですよね。
    時代小説もそうですが、野戦と剣撃は描写がパターン化してしまいます。むしろパターンを楽しむしかないかも知れません。

  • 昔の中国人は故事に明るいなぁ、と感じます。上官説得には積極的に過去の偉人を引合いに出しますから。
    まぁ、著者が詳しいだけかもしれません。
    でも、そうすると、如何なる理屈で説得したのやら。やはり故事に明るくなければ士官には昇進しないのか。

    作者からの返信

    そうですねー、故事は大事です。

    甘寧が100人で曹操の大軍に斬り込んだのは、濡須の戦ですね。これは正史にありますね。

    ただ、張泓が甘寧を引き合いに出したのは史書にないみたいですから、創作っぽいです。

    身分が士大夫の人はある程度は歴史に詳しかったようですが、わりと個人差があって、伝に博渉経史とか記述がある人はガチみたいです。

    将軍になる人の大半はイイトコのボンです。少なくとも豪族クラス。張泓さんは征虜将軍に任じられており、かなりエライです。

    だから、史書に詳しくても不思議はなさげです。奴隷から成り上がった石勒みたいのは例外中の例外ですねー。

  • いつか来た道。歴史は繰り返されるとは言うものの、短期間過ぎますね。
    この頃から坂を転げ落ちるかの如く晋が衰退する事は知ってますが。

    作者からの返信

    魏では皇帝が兄弟をいたぶってアレでしたが、晋は一族のバトルロイヤルですからねー。これで衰退しない方が不思議です。仲悪すぎ。。。

  • めでたし、めでたし。一旦は…。

    作者からの返信

    めでたしめでたし、、、
    待って!章題は「緒戦」ですよ(笑

  • 戦だから何でも有りだけど、娯楽小説の中では後味が悪いですなぁ。

    作者からの返信

    闇討ちなんかするあたり、英雄っぽくは描かれていないのですよね。

    なんかリアルだなあ、、、と思います。

  • 人物リストは有難いのですが、段々と脇役の名を頭に留めなくなりました。
    その方が物語を楽しめるので。

    作者からの返信

    こんにちは。

    それが一番いいかも知れませんね。
    チョイ役の嵐ですから。
    特に後半はもう、ムリです。。。

  • 確かに登場人物が多いですね。頭が混乱します。登場人物一覧は有難い一里塚です。

    それはさて措き、河東さんの知識は凄いですね。他の出典での存否まで注釈するとは…。本職は学者さんですか?

    作者からの返信

    こんばんは。

    人物一覧は「まめ」さんがコメント欄に上げて下さったものを丸パクリした逸品です。便利ですよねー。

    本文に全部は移せていませんので、コメント欄をご参照いただきますと、たまにまめさん作の人物一覧が見れます。

    知識があるわけではなく、毎度『三國志』をチラ見して引き写しておりますよ。

    最近気付きましたが、歴史にはあまり興味がないらしいです。学者でもなんでもなく、単なる漢文好きです。

  • これは大作。遅読も止む無し。
    ザイル代わりに❤️を入れて行きます。

    作者からの返信

    時織拓未さま

    こんばんは。

    キョーレツに長いので
    体調にご注意頂きつつ、
    ゆるゆるとお読み頂ければ
    幸いです。

    イッキ読みは心身の健康に
    ビミョーな影響を及ぼす
    可能性があります(笑

  • 滅んでいく側にももちろん道理はあるでしょうが、それにともなう反発はしかり、受け入れられないとなると逃げるしかないですよね……。若干の物悲しさを感じます。

    人物一覧表、分かりやすくていいと思います。

    作者からの返信

    こんばんは。

    国が滅びるところからスタートですから、蜀漢ファンにはなかなか厳しいです。
    初手から暗雲が。。。

    儒教は主君への忠を顕彰しますが、実際の人々は同族意識=孝の原理で生きていたらしいので、国のために故郷を捨てるというのはよほどの場合だけだったようです。

    日本のお家大事と同じですね。

    人物一覧はコメント頂いているまめさんの労作ですが、まだすべて本編回収できておらず、申し訳ありません。

  •  呉の残っていた人たちは十分強かったんですね……長引けばまた変わったかもしれませんが。正攻法がだめなら他の手で、それもだめなら戦ではない手で。”手続き”を踏まえてあげて初めて降ることのできる人たち。人の感情を読み解くのも戦のひとつですね。

    作者からの返信

    こんばんは。

    吾彦は呉の遺臣でも出色の人物です。すなわち、亡国にもすぐれた人はいる。それだけのことです。
    なお、陸玄たちは事績が残っておりません。

    ちなみに、
    晋に降った吾彦は西海に近い金城や涼州の太守を転任しており、イマイチ任官に当を得ていないように思います。これがつまり、司馬炎の西晋の限界なのでしょうね。

    いかんですなあ。

  •  お邪魔します!かんからです。

    一応確認ですが……建康=今の南京で合ってますか?北京も昔は大都だったり北平やらと地名変わって、個人的にはそういうところからも一種の歴史の変遷を感じれてます。(今話にはまったく関係ありませんが)

     呉の主が降伏してしまった以上は南に控える諸将は”残党”ということにもなるでしょうが、まだまだ後方には土地が広がっていて、そこに住まう民も一緒についてきてくれる。そこですよね……日本史との違いは。日本史で”残党”と言ってしまえば、山にでも潜んで逃げたりたまに出没して抵抗してみたり。それが中国だと、まだまだ戦いが続くぞ、果てしないぞときりがない(笑)

     どのような戦が展開されるか、楽しみにしてます。

    作者からの返信

    こんにちは。
    わざわざありがとうございます。

    〉建康=今の南京

    ご理解の通りです。歴史クラスタ的には色々あると思いますが、都市機能としては間違いなく同じです。長江下流の大都市です。


    〉北京も昔は大都だったり北平やらと地名変わって

    このあたり、地名は与件と考える日本人とは違いますよね。町の名前を変えまくります。
    織田信長の岐阜や徳川家康の江戸は特殊事例かな。あ、福岡も黒田家が備前福岡発祥だから名付けたんでしたっけ。そう考えると、わりと地名の変更もあるのかなあ。余談でした。


    〉日本史との違い

    実際には、蜀や呉の滅亡後も抵抗したのは一握りの例外です。それだから名前が残るわけでして。
    あと、中国は早くから都市化していますから、面的な支配より点の支配が先にくる印象です。それで人口の多くを支配下におけるのですね。

    まずは都市を奪い合うのが戦の常態です。日本だと軍事拠点である城の奪い合いになりますよね。

    最終的には、親玉の首の取り合いになるわけですけど。。。そもそも国土の広さが違いますから、第一の問題はそこでしょうね。

    かなり雰囲気が違うと思いますが、お楽しみ頂ければ大変うれしいです。

  • ついに、最終回! 本当に膨大な内容、お疲れ様でした。

    三国志後伝の司馬穎は、司馬懿の才能を幾分か引き継いだ英俊ですが、それでも如何ともしがたかったですな。

    同時に、この結末は、三国志演義ファンが夢見たであろう「演義の世界において、蜀漢オールスター対魏呉連合軍が実現したら」の結論であると思います。結論は、「蜀漢が勝つが、消耗が激しく、相手の領土を全て奪うまでに至らないのでどこかで折り合いをつけねばならない」だと思います。軍事力で全て叩きつぶすのは難しく、政治的決着か相手方の内紛が必要でしょう。

    もっとも、勝利した漢軍は主力を拘束して、別働隊を分けて、相手の弱い部分を突くことができるのでメリットが大きいのは間違いないのですが。

    これが最後になりますが、漢軍を整理したリストです。ここは「三国志後伝」から補っています。范隆、朱紀の存在は後の伏線でしょうし、馬荷、盧忝はおそらく、馬蘭・盧水の縁者でしょう。こういう何気ない登場はうれしいですね。

    第1-Aグループ 平陽を首都とした幷州・冀州一帯
    劉淵(字は元海)、劉和、劉義、劉宣、劉累、劉歓、劉膺、胡延氏、崔游、游光遠、陳元達(字は長宏)、崔瑋、許遐、徐光(字は普明)、程遐、

    第1-Bグループ 第1-Aグループに合流する
    劉聰(字は玄明)、劉曜(字は永明)、劉霊(字は子通)、劉宏、劉欽、諸葛宣于(字は修之)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、関河(字は継遠)、関山(字は継安)、関心(字は継忠)、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、張雄、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、石勒(字は世龍)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、姜發(字は存忠または継約)、姜飛(字は存義または守約)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、王彌(字は飛豹)、王如、王邇、廖全、廖翀(字は鳳起)、楊龍、楊興寶(字は國珍、生死不明)、馬寧、汲桑(字は民徳)、孔萇(字は世魯)、刁膺、支雄(字は世英)、虁安、曹嶷(字は子高)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、靳準、靳術、陳國賓、靳都、喬昕、喬旿、劉徴、劉寶、張曀僕、張越、孔豚、胡莫、趙鹿、呉豫、劉膺、支屈六、呼延模、普魯、胡寧(戦死)、庾融(戦死)
    ※趙周は1-Eに、王伏都は1-Fに入る

    第1-Eグループ 南陽を攻める
    趙周、周振

    第1-Fグループ 上党・晋陽を攻める
    喬晬、范隆、劉雅、朱紀、王伏都

    第1-Gグループ 定襄・馬邑を攻める
    馬荷、盧忝


    作者からの返信

    こんにちは。

    お付き合いありがとうございました。いやー長い長い。果たして今後、何人の方がここまで読み通せますやら。第一回で死屍累々なので、もうちょっと読みやすくしないといけません。やっぱりルビと注釈の充実ですね。。。


    > 司馬穎

    司馬懿っぽいですかね。なんというか、人に任じて用いるところが長所だなあ、という印象です。これが、「逆境に強く順境に弱い」という司馬氏のお家芸でだんだんアレになっていく感じを今は堪能しております。あーあー。


    > 蜀漢が勝つが、消耗が激しく、相手の領土を全て奪うまでに至らないのでどこかで折り合いをつけねばならない

    なるべくご都合主義を排した感じですよね。外から襲われて崩れる国家は少ない、というのは歴史の常ですし、これはこれでいいかなと思います。

    スペインの南米侵略のような圧倒的技術差がある場合を除く。


    > 漢軍を整理したリスト

    いつもありがとうございます!
    早めに剽窃させて頂きます。。。

    『續後三國志』はここからスタートですね。さて、どうなりますことやら。

    引き続き、よろしくお願いいたします<(_ _)>


  • 編集済

    晋軍の計略は当たりましたが、漢軍は強く敗戦したとはいえ、さほどの危機にはなりませんでしたな。もっとも、楊興寶は次回に名前が出るだけで、おの後の出番はないため、この傷が元で死んだか、引退したと思われます。

    漢軍の七強は、劉霊、劉曜、王弥、石勒、関防、楊興寶、汲桑と思っているので、漢軍の打撃はそれなりに大きかったでしょう。

    もっとも、私はこれから先は出番がない特別出演の馬隆や決着をつけていない夏侯駿・孟観らを追加して倒してもいいので、史実上の人物が新たに次々と出ますから、架空人物でこれから必要な役割が特別に振られていない関謹・関河・張實・趙概・黄臣・黄命・廖全・楊龍・姜發・姜飛・関心(関防・関山と余り強くないであろう馬寧・王邇・廖翀は除く)は、強くて退場させるのが難しいので、この会戦でなんらかの形で半分ぐらい退場させて欲しかったですね。桃虎・桃彪も史実上の十八騎がいれば、無理に出す必要もなかったと思います。

    この会戦や冀州・司州攻略ではあれほどまでに強かった漢軍が、今後の展開では史実にかなり沿うため、苦戦続きになりますから、そういう落差の説明も退場者が多いとつきやすくなりますし。

    石勒が討ち取った周拝は『三国志後伝』第百三十八回で伏兵となった周并となっています。周并は再登場しないので間違いないかと。

    包廷が支雄に討ち取られるのは、強さバランス的には意外ですが、晋軍に対しては架空人物を整理したい気持ちは働いているみたいですね。

    作者からの返信

    こんにちは。

    > 楊興寶

    そういえば、あれだけ活躍した楊興寶も『續後』には出ませんね。強すぎた感ありありでしたし、バランスを崩すから仕方ないと言えば仕方ないのですが。


    > 漢軍の七強は、劉霊、劉曜、王弥、石勒、関防、楊興寶、汲桑

    負け戦にならない人たちですから、彼らが戦う分には講談のお客も安心して聞いていられたでしょうね。戦隊モノのレッドみたいな感じ?


    > 馬隆

    子の馬咸は長沙王の部将として登場しますが、ご当人は晋漢の戦の後は名前が出るくらいですね。長沙王と齊王の放逐を企てていた節もあり、もったいない気もします。


    > 夏侯駿・孟観

    夏侯駿はフェードアウトですね。孟観は『後傳』では趙王が淮南王を殺した際、弟の孟平が淮南王の部将であったことから族滅されていました。この辺は追記しても罰は当たらないですね。
    ちなみに、柳林川での劉淵の挙兵が元康四年(二九四年)春三月ですから、この永嘉二年(三〇八)まで実に十四年が過ぎております。。。


    > この会戦でなんらかの形で半分ぐらい退場させて欲しかったですね。

    後には繋ぎやすくなりそうですが、漢の分が悪くて和平を結んだようになるので、なかなか難しかったんでしょうね。
    『水滸伝』のように滅ぶところまで織り込んだ物語ならよいのですが、これでやっちゃうと単なる敗戦になってしまい、講談として成立させるのが難しそうです。やはり、勧善懲悪の方が受けたでしょうし。。。難しいものです。

  • 最終回!
    おめでとうございます!

    お疲れさまでした。
    編集や校正のおさらい、注釈の充実など、ここからまた一手間あるとは思いますが、まずは本当に「お疲れさまでした」です。
    膨大な字数を制したこと、お見事でした。

    そして2017年はたくさんお世話になりました。
    漢文というニッチなところを通じて河東さんや佐藤さん、(間接的ではありますが)まめさんとお知り合いになることができ、ちょくちょく遊んでいただいて(笑)、人の縁の面白さを感じています。

    来年もまたどうぞよろしくお願いします!

    作者からの返信

    明けましておめでとうございます。
    旧年中はお世話になりました。

    本年もよろしくお願いいたします。

    『襄陽』にコメントしてないのは異論やツッコミをすべきところがないからなので、サボリではないですよー。毎回楽しませて頂いております。

    とりあえず、9月にはじめた『通俗續三國志』もようやく終わりまして、後は興味のある方に向けて読みやすく&内容の充実を図りたいと思います。まめさんからの宿題も山積みですしね。

    翻訳を終わらせてからだったので、完結は予定とおりではありましたが。。。

    次の仕込みが難航中なのでアレではありますが、引き続き、三國志から中国史に興味を持った方をさらに先にご案内できるよう、環境を整えていければいいなあ、と考えております。
    佐藤さんもいますしねー。

  • 晋軍の残りはおそらく八十万程度に対し、漢軍は魏城に守備を除いたら、三十数万でしょうから、4:1の割合で倒していけば、四十万ほど倒したところで晋軍は壊滅するでしょうが、漢軍の犠牲も大きいですし、その後の鄴攻めを考えると、和睦は妥当でしょう。漢軍は慕容部・段部・拓跋部が背後から平陽を攻める可能性があるリスクもありますから。

    しかし、連勝を重ねている軍の武将は、驕っている上に功績が大きいため処分されないゆえ君命を聞かないことを利用した苟晞の今回の策は、なかなか正鵠を突いておりますな。追撃を予想された四将のうち、石勒だけは外れているところは、石勒は冷静・優等生という反面、漢軍でボッチになっているという意味で興味深いです。同僚からは劉曜の方が人気がありそうですな。

    ここで劉聰の洛陽時代からの腹心という印象が強い胡延攸が入ったのは意外でした。個人的には、張敬の方がイメージにあいましたな。

    作者からの返信

    明けましておめでとうございます。
    本年もよろしくお願いいたします。


    〉晋軍の残りはおそらく八十万程度

    後段で蕩陰に留まった軍勢が七十万とありますが、最後の四将の追撃で数万を失ったと考えると、七十万半ばくらいだったんでしょうね。


    〉その後の鄴攻めを考えると、和睦は妥当でしょう。

    漢の軍師が懸念したような力攻めは、成都王や陸機のようなインテリにはムリでしょうから、仕方ないですね。本質的に戦は物量なので、愚直に攻められるのが一番キツイ、ということがよくわかりました。あまり軍記物では描かれない部分ですよね。


    〉苟晞の今回の策

    苟晞は人間離れした、無機的な戦闘マシンっぽい感じに描かれているように思いました。まさに「屠伯」ですね。ここでの献策も適切でしたね。


    〉石勒は冷静・優等生という反面、漢軍でボッチになっている

    このあたりは次作向けの仕込みだったんですかね。たしかに、打ち解けた描写がないです。


    〉胡延攸

    唐突ですよね。仰るとおり、張敬か張實のがそれらしいです。関氏や趙氏の兄弟はやらなさそう。魏延からの流れですかねー?


  • 編集済

    結構、ここいらは、「三国志後伝」、「続三國志演義」で晋将の記述が乱れているところですね。こういう場合は、最初にこの会戦以降登場する必要がないリストをつくっておいてそこから死なせるですが、そういう作業をせず、筆の勢いで殺しすぎですな。馬隆やその武将はこれからは出てこないので、率先して登場させていいはずなのですが、なぜか、あまり出てこないのがちぐはぐです。

    具体的には、張敬が倒したのは、「三国志後伝」では『王甲始』、「続三國志演義」では『王甲』。『王甲始』はこの後も出番が多いです。「三国志後伝」では『傷』とありますので、失った六将の一人ながら負傷で済んでいたのかもしれません。

    続いて、関山が捕らえたのは、、「三国志後伝」では『王昌』、「続三國志演義」では『郭勵』。『王昌』も『郭勵』も出番があり、ここで死なせては支障をきたします。講和した後に、帰されたという解釈もありとは思います。関一族だけは、捕らえた武将を斬るのに、あまり賛成ではない気配がありますし。

    おそらくは、中村浩然さんは、このことと南陣に王浚の将・王昌がいるという不自然さに気付いて変えたのでしょうが、『郭勵』も出番があったのは失敗だったのかと考えます。

    死んだことにして、名前を変えるなら、『王甲始』に代わるものは王浚配下に候補者はいませんが、李矩配下では実は『夏雲』がその後の出番がないので、『郭勵』に変えるのはありかと思います。関山にあっさり倒されるのは弱体化は否めない感じはしますけど。

    追伸
    >このあたりの戦死者はやはり総見直しです。
    いや、この問題はこの会戦まででこれ以降は問題ないはずです。昔、私がリストをつくって確認した記憶があります。私が指摘した王甲始・王昌(郭勵)・林成・郭誦と百二十二回で捕まった張皮、百二十八回で死んだ霍原を死なせずに、高潤をうまく処理できれば問題はないでしょう。とにかく、会戦終了まで確認します。それ以降はほぼ間違いなく、問題ないです。リストを作った上で確認されて書かれていると思われます。

    三国志演義や水滸伝でも似たような漏れは少しあり、封神演義は結構ありますから、これは講談にありがちなことで無理に探して全て直す必要はないでしょう。指摘しておいた方が親切ではあると思いますが。

    作者からの返信

    【追伸を受けて】

    情報のご提供ありがとうございます!

    リストを作って確認されましたか。。。人が多いので大変だったでしょうね。

    たしかに、以降はわりあい史実に忠実になりますから、死者が甦る事象は少なくなりそうです。

    地理には興味あるのですが人に興味が薄いので(暴言)、「何かやらかしてそうだけどまあいいや」で進めてしまいました(笑)

    さっそく林成が甦って再登場していましたから、「おいおい」という感じでした。時間を取ればこのあたりは調査は可能ですから、御説を軸に指摘と修正を進めます。

    翻訳だけだと粗が色々出てくるものだなあ(詠嘆)





    こんばんは。

    まっっったく気づきませんでした。。。さすがまめさんです。

    このあたりの戦死者はやはり総見直しです。まー仕方ないっちゃあ仕方ないです。

    講談では毎回聴く人は限られますし、そもそも憶えるのが難しいですから、あまり力を入れるところではないのでしょう。

    つまり、羅貫中や施耐庵はとっちらかってこんな感じの講談話を辻褄合わせて整理して、今に伝わる『三國志演義』や『水滸伝』にまとめ上げたんでしょうね。

    そう考えると感慨深い、けど面倒臭い。。。気持ち悪いからキッチリしたいところではありますが(笑

    編集済
  • への応援コメント

    「酉陽野史」は、「酉陽雑俎」(ゆうようざっそ)という書物が元ネタとしてあるので、そちらを憶えれば間違うことはありませんね。なお、東洋文庫で邦訳が発売されているので、唐代伝奇や唐代の文化に興味がおありになる場合はご覧いただけるとありがたいです。以上、元盛唐ファンの宣伝でした。

    しかし、この序で窺える酉陽野史の見識は現代から見ても素晴らしいですね。小説を史書と勘違いして、小説を批判して知識自慢をしたがる自称・歴史マニアに読ませてあげたいです。彼らのような小説に完璧な史実性を求めたりするような思想が創作やその意欲をつぶす原因になりえると考えております。

    小説は歴史のような学問ではなく、暇つぶし、あるいは、世事を忘れて広い歴史に心を一時遊ばせるに過ぎない。その通りです。結果的に学問の一部になり得ることや誘うことがあるだけです。

    この物語は虚構に他ならない、とはいい心がけと思います。これは史実であるという前置きをして、読者を混乱に陥れる「反三国志」などとは史実に対する愛情が違いすぎますと感じます。

    「三国志後伝」、「続三國志演義」が日本人によって忘れられることなく、「小説」として再生し続けることをうれしく思います。

    作者からの返信

    こんばんは。

    > 『酉陽雑俎』

    頭からすっぽり落ちてました。
    どうも、秦の焚書坑儒の際に小酉山に書籍を隠匿したという故事から、酉陽には「蔵書家」に近い意味合いがあるっぽいですね。まだ出典までは調べ切れていませんので、もうちょっと調べてみます。


    > 彼らのような小説に完璧な史実性を求めたりするような思想が創作やその意欲をつぶす原因になりえると考えております。

    なかなか難しいところですよね。宮城谷版『三國志』のように史実を忠実になぞると、『通鑑』の抄訳みたいになっちゃいますし。史実を改変するならそれだけの効果が求められるところです。
    そういう意味では、陳舜臣さんはバランスがよかったですね。


    > これは史実であるという前置きをして、読者を混乱に陥れる「反三国志」

    周大荒でしたっけか。中学生くらいの頃に講談社文庫版を読んだような、読まなかったような。印象が薄いので、読んでも面白くなかったんでしょうね。

  • ついに、三国志演義から続く、因縁の決戦ですね。今度は代理の張賓ではなく、本当に劉+諸葛VS司馬+陸という形になりました。劉備と陸遜にも因縁がありますから、その決着の意味もあるでしょう。

    切り札を残していた上に、強力な札が2枚入った漢軍に対して、陸機よりも司馬穎の方が正確にその強さを判断しているような感じを受けます。

    簡単に挑発に乗って当初の誘い出す予定から変更してしまうところからも、陸機に余裕の無さを感じますね。

    しかし、晋軍の数が思ったより減ったように見えない気がしていたのですが、百十六回で死んだはずの高潤が生きており、百十七回で落馬して死んだと思われた郭誦が普通に戦っていますね(笑)。

    郭璞あたりがこっそり生き返らせている設定があったらそれはそれで面白いのですが。

    作者からの返信

    こんにちは。

    〉今度は代理の張賓ではなく、本当に劉+諸葛VS司馬+陸という形になりました。

    これがやりたくてここまで来たんでしょうねー。それだけに、最後あたりの戦はかつてなくド派手な感じになっています。まあ死ぬわ死ぬわ。とにかく漢将の周りは敵だらけ、という感じが出ているとよいのですが。


    〉簡単に挑発に乗って当初の誘い出す予定から変更してしまうところからも、陸機に余裕の無さを感じますね。

    普通に考えて動いてはいけない局面なんですけどね。前回の陣闘の轍をまた踏んでいるというか、まあ、焦りなんでしょうけど。兵力差から一回崩せば再起不能という漢軍の事情からして、早く片付けたいという気持ちは分からなくないです。


    〉百十六回で死んだはずの高潤が生きており、百十七回で落馬して死んだと思われた郭誦が普通に戦っていますね(笑)。

    このあたりは完全に制御できなくなっていますね。山東の動線と晋漢大戦の戦死者は、訳している段階で「これはあかんヤツやなあ」と思っていましたが、手が回りませんでした。完結後に▼を入れてきっちりさせます。


    〉郭璞あたりがこっそり生き返らせている設定

    まさに志怪小説。。。郭璞はかなり後で王敦とキャッキャしていますね。あのあたりは伝統的な志怪小説風でわりと好きでした。果たしてたどり着けるのか。。。


  • 編集済

    ついに、劉曜・石勒が合流して漢軍の危機は救われました。一応の手柄合戦は諸葛宣于を置いて、余力を残したおいた劉曜の勝ちでしょうか。石勒の方が危なげのない戦いでしたが。

    ここで死んだ林成という武将は後に生き返るような気がしますが、これは続きがあったらの話しですね。

    劉霊は初期では齋萬年に比べると、冷静沈着な性格と描かれていましたのに、話しが進むにつれ、短気で勇猛になっていきましたが、今回のことを見ると、王彌の方がやはり劉霊より軽率のようですね。

    ただ、王彌と劉霊は初期では親友であったのに、先鋒を争う時は罵りあうなどちぐはぐなところは感じます。劉曜・石勒と違って、この二人は尊重しあいながら争うといった違いは見せて欲しかったです。

    ここで、劉曜・石勒が合流したので、変更したリストです。多少の追加と戦死者がでています。曹嶷も字が設定されていたので追加しています。

    第1-Aグループ 平陽を首都とした幷州・冀州一帯
    劉淵(字は元海)、劉和、劉義、劉宣、劉累、劉歓、劉膺、胡延氏、崔游、游光遠、陳元達(字は長宏)、崔瑋、許遐、徐光(字は普明)、程遐、

    第1-Bグループ 魏城
    劉聰(字は玄明)劉霊(字は子通)、劉宏、劉欽、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、関河(字は継遠)、関山(字は継安)、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、王彌(字は飛豹)、王如、王邇、廖全、楊龍、楊興寶(字は國珍)、桃虎、桃彪、靳準、靳術、王伏都、陳國賓、趙周、靳都、張雄

    第1-Cグループ 第1-Bグループに合流 
    石勒(字は世龍)、汲桑(字は民徳)、姜發(字は存忠または継約)、姜飛(字は存義または守約)、虁安、桃豹(字は露化)、劉徴、劉寶、張曀僕、郭墨略(死亡)、張越、孔豚、王揚(死亡)、冀保(死亡)、胡莫、趙鹿、呉豫、劉膺、支屈六、呼延模

    第1-Dグループ 第1-Bグループに合流
    劉曜(字は永明)、諸葛宣于(字は修之)、関心(字は継忠)、廖翀(字は鳳起)、孔萇(字は世魯)、刁膺、支雄(字は世英)、曹嶷(字は子高)、馬寧、喬晞(死亡)、喬昕、喬旿、岐顔(死亡)、普魯、古禄烏(死亡)

    追伸
    >諸葛宣于抜きで戦い抜いた劉曜を推したいところですが、
    >頭領としては石勒のが上、という印象でした。
    >これは意図的なんだろうか。。。

    先に魏城に着いたのは劉曜が先ですからね。三国志後伝では石勒は武勇では劉曜に劣らず、知略と他人の言葉を聞く力では上という感じがしますが、その分、慎重なので、勝つときの爆発力は劣るかもですね。ゲームユニットとしては石勒の方が使い勝手がいいけど、攻撃関係スキルはひそかに劉曜の方がかなり上にしたの方がそれっぽくなりそうです。

    古い漫画ですが、銀河戦国群雄伝ライの主人公・竜我雷は、当時としては珍しい残酷なところがある主人公でしたので、石勒がモデルかもと思ったものです。

    >二人とも初期のキャラは崩壊してますよね(笑
    酉陽野史は水滸伝キャラの転用はどうしようもなく下手くそですね(笑)

    >前後の筋に影響しないなら、後では省いてしまえばいいのでしょうね。
    林成は、出番はそこそこありますですから、続きがあったら、ここでは負傷が終わらせた方が無難でしょうね。

    作者からの返信

    【追伸を受けて】

    〉石勒の方が使い勝手がいいけど、攻撃関係スキルはひそかに劉曜の方がかなり上

    そうそう(笑
    そんなイメージですよね。


    〉銀河戦国群雄伝ライ

    漫画は数を読んでいないのです。しかし、残酷なところがある主人公って一体。。。ダークシュナイダー?


    〉酉陽野史は水滸伝キャラの転用はどうしようもなく下手くそ

    侠を理解できなかったに違いない、と考えていますが、概念としては読書人層まで共有されていたようにも思いますし、なんなんでしょうね。


    〉林成は、出番はそこそこあります

    それは厄介ですね。ここで戦死する必然性は薄いようですから、しれっと修正させて頂きますね。





    こんにちは。
    いつもありがとうございます。

    〉手柄合戦は諸葛宣于を置いて、余力を残したおいた劉曜の勝ちでしょうか。

    二人のケンカが勃発しそうなネタですね。諸葛宣于抜きで戦い抜いた劉曜を推したいところですが、頭領としては石勒のが上、という印象でした。これは意図的なんだろうか。。。


    〉林成

    はやししげるさんですか。筆が滑った例のアレですね。滑りそうなありがちネーム。前後の筋に影響しないなら、後では省いてしまえばいいのでしょうね。


    〉王彌と劉霊

    当初の王彌は劉霊を「霊兄」と呼ぶ義兄弟の仲だったはずなのに、先鋒争いでケンカしまくりですからね。よくよく考えれば張飛や李逵の系譜の暴れ者がいないので、代わりに二人のケンカを採用したんでしょうか。
    物語としてのバランスから来たものかも知れませんが、二人とも初期のキャラは崩壊してますよね(笑

    編集済

  • 編集済

    今回のこの展開は、もう少しどうにかならなかったのかなと思うほど、晋軍の採った策は愚策で、余りにもご都合主義と思えますね。陸機は魏城の漢軍の兵糧が不足していることは予想しており、力攻めがダメでも兵糧攻めはできますし、張軌も劉曜の拘束には成功していますからね。王浚と馬隆が残っているので、苟晞にどちらかをつけてやればすぐには石勒に敗れる心配はないでしょう。

    張賓が兵糧が余っているように見せる計略を成功させるか、蜀漢の遺臣の子孫が籠もるには余りにも不吉な名の魏城から包囲脱出する展開だったらよかったですね。ピンチを演出して、援軍の心強さを印象づけたり、役割の終えた武将に最期の花道を与えて盛り上がりを高めて欲しかったです。

    追伸
    なるほど。現場を知らない孫恂(と司馬冏)の軽率な提案、勇ましいがゆえに忍耐を要する作戦を弱気ととらえて短気決戦に逸る若者・司馬乂、指揮官としての重圧に耐えきれず路線変更をしたがる司馬穎、立場を守るために失策を受け入れる陸機という構図が生んだ失敗ととらえるわけですね。

    司馬穎も三国志後伝では頭脳が明敏な方ですが、有能な人間の集まりでも立場や性行の差が失策を生むわけですな。

    色々な考えた方があるのですな。参考になりました。あまりに合理的に考えすぎるのもかえって不自然かもしれませんね。

    作者からの返信

    【追伸を受けて】

    単に、あまり批判的に物事を考えないから、という可能性もありますね。考え方がゆるゆる(笑





    こんばんは。

    〉晋軍の採った策は愚策で、余りにもご都合主義と思えますね。

    「第百三十一回 王彌と劉曜は晋の伏兵を敗る」の冒頭に陸機が攻城の軍を引いた事情をさらっと記していますが、齊王と成都王の関係から孫恂の失着を容れざるを得なかった事情が垣間見れます。

    思うに、樂毅の卽墨攻めの結末を知る人には、受け入れられる素地があったんじゃないかなあ、と。

    そういう点では、私も実はそれほど違和感なく受け入れています。すまじきものは宮仕え、ではありませんが。


    〉張軌も劉曜の拘束には成功していますからね。

    とはいえ、晋の陣営に入るのは敗報ばかりでしたから、本営内の空気は推して知るべし、ここで局面の転換を提案されて拒むのは、よほど肚の座った人物でなくては難しく、陸遜ならともかく陸機ではねえ、という感じで観ています。


    〉ピンチを演出して、援軍の心強さを印象づけたり、役割の終えた武将に最期の花道を与えて盛り上げて高めて欲しかったです。

    このあたりが、洗練される機会がなかった原因、というと身も蓋もないですかね。不完全燃焼になってしまった点はまったく御説のとおりかと思います。
    でも、そんなに筋が通らないわけではないと思いますよー。

    編集済
  • への応援コメント

    とても今更なのですが、「酉陽野史」が、
    どうしても「にしのひろし」と読めて仕方がありません……

    うーん、錯視怖い。

    作者からの返信

    こんばんは。

    コメントありがとうございます。

    うーん、ボケにくい。。。


  • 編集済

    あちゃー。事績のよく分からない冀保はともかく、後に活躍がある王楊(正史の王陽)と仏図澄を推薦してくれる郭黒略がここで戦死してしまいましたな(笑)

    講談には絶対に出番がありそうな仏図澄が三国志後伝に出てこないのはこの時のポカのせいだとしたら、残念です。

    今回は晋は総力であたったようですが、石勒を狙うという作戦が裏目に出て、序盤の小競り合いでの勝利を生かせなかったですね。應詹配下はあまり猛将がおらず、総力で負けていた感がありますな。苟晞と石勒・汲桑の因縁はここからですな。現代の小説なら、第二十四回での伏線をもう一度読者に思い出すことを促すのでしょうが、汲桑はおぼえているかどうか微妙な感じですね。

    追伸
    >総じて怪異を避けている感じがありますね。
    講談ではかなり硬いと言われる三国志演義ですら、左慈・于吉・管輅・華陀・張角などの志怪話しは積極的に取り入れて、話しのバリエーションを増やしているのに、三国志後伝はそういう意味ではそれ以上に硬いですね

    >講談話で人気があるのは道教方面の印象
    三国志演義は採取したエピソードが仏教があまりない時代のものだから仕方ないとして、西遊記・封神演義・平妖伝、どれも道教が中心ですが、仏教は面白みはないけど、格上と描かれますからね。人気はどうなのでしょう。ただ、仏教は悪役になりやすくもあるので、酉陽野史はそっちの思考が強かったかもしれません。

    >今回はまだ伏線の回収に至っていないわけです。
    そこは、「苟道将」を名を思い出し、壬申は五年後、大丈夫と思い直す展開に(伏線を思い出させる手法として)現代ならなりそうと考えた次第です。壬申の時には、忘れていたか、軽く考えていたという感じで。

    作者からの返信

    【追伸を受けて】

    > 左慈・于吉・管輅・華陀・張角

    三國志演義もこう抜き出すと確かに志怪譚が多いですね。『晋書』も正史では怪異譚が多いと評されていますし、ネタは色々ありそうなんですが、全然使わないというものちょっと不思議です。怪談は地域を選ばず受けそうなものですが、どうもよく分からないですね。


    > 仏教は面白みはないけど、格上と描かれますからね。

    北魏の頃は明らかに社会上位層の宗教だったようですけど、このあたり、仏>道教の神様の図式は当時の庶民が仏教をどう見ているかが反映されているのかも知れませんね。


    >「苟道将」を名を思い出し、壬申は五年後、大丈夫と思い直す展開に(伏線を思い出させる手法として)現代ならなりそうと考えた次第です。

    たしかにそうですね。かつ、同一人物が執筆しているなら、ですね。このあたりのせっかくの仕込みを使い切れていないところも、結局はまめさんの複数人執筆説を補強しますが、割ともったいないですね。


     ※


    こんばんは。

    〉後に活躍がある王楊(正史の王陽)と仏図澄を推薦してくれる郭黒略がここで戦死してしまいましたな

    そうでしたか。郭黒略がそんなことを。仏図澄はけっこうなトンデモ事績がたくさんありますから、登場するなり志怪要素が強くなりますね。


    〉仏図澄が三国志後伝に出てこないのはこの時のポカのせいだとしたら、残念です。

    これまでも志怪要素は金龍城のくだりしかなかったように思いますし、総じて怪異を避けている感じがありますね。『西遊記』はともかく、講談話で人気があるのは道教方面の印象ですが、どうなんでしょう。


    〉現代の小説なら、第二十四回での伏線をもう一度読者に思い出すことを促す

    「壬申の年、苟道将は避けるべし、甲戌の歳、王彭祖は図るべし」ですか。永嘉元年(三〇七)は丁卯の年だから、壬申は五年後の永嘉六年になりますね。今回はまだ伏線の回収に至っていないわけです。
    汲桑は気にしてないでしょうね。。。性格的に。

    編集済
  • 結局、諸葛宣于と孔萇が未到着終いで勝ってしまいましたな(笑)

    兵力はほぼ互角のようですが、董鈞もなかなか強かったので、晋軍第三位の武勇である北宮純と姫澹がいて、涼州の将の後々の活躍を思えば、組織的に戦えば、晋軍の方が勝てたのではないかと思えました。

    そこは陳敏、邵續配下のメンツを慮った涼州の将や、自分たちのメンツを潰す発言をした董鈞たちへの手助けを躊躇った姫澹らがお見合いした結果の敗戦という解釈をしています。

    しかし、全体としては損害が大きく物量で勝っているだけの晋軍でこういう認識を持っている武将が多いことに違和感を感じますが、追撃戦や城攻めにしか加わらなかった将が多いということでしょうか。


    作者からの返信

    こんにちは。

    〉組織的に戦えば、晋軍の方が勝てたのではないかと思えました。

    ここは劉曜無双をお楽しみ頂くパートなので、晋将のみなさまには各個撃破の具になって頂くよりないですね。張軌が出てきた意味なし。。。


    〉自分たちのメンツを潰す発言をした董鈞たちへの手助けを躊躇った姫澹らがお見合いした結果の敗戦という解釈をしています。

    戦前のDisは宋配vs董鈞、白耀、花如の援軍内で展開されていますね。姫澹たちもドン引きだったことでしょう。そこに劉曜が攻め寄せてやむなく出戦、足並みがそろわず各個撃破されて大敗、といった感じですか。

    人の和を得た感じがありませんものね。。。


    〉追撃戦や城攻めにしか加わらなかった将が多いということでしょうか。

    全軍動員は陣闘だけですから、漢軍にあたった将帥は限られていますよね。城攻めはひたすら張賓にやられただけみたいですし。全軍が同じ温度感ではない、というのはリアルかも知れません。

    少しは人の話も聞こう、とは思いますけども。

  • 劉曜と対戦した張光配下の夏庠はそれなりな知略を見せ、劉曜を苦戦させたのに、陶侃配下の朱伺と呉寄はさっぱりでしたな。呉寄なんて、百十回で晋軍の先鋒に名乗り出るほどの武将であったのに、あっけない最期でした。

    しかし、結果的には夏雲の策通り、驕らせてはいるので、なぜ、糧秣を焼くことに中止したかは不明ですな。思った以上に被害が大きくて、作戦続行が不可能になったということでしょうか。

    朱伺は正史では名将ですので、もう少し善戦してもらいたかったので少し残念です。



    作者からの返信

    こんにちは。

    〉なぜ、糧秣を焼くことに中止したかは不明ですな。

    戦況を見る限りは推測されているとおり、ダメージが大き過ぎたようですね。しかし、夏庠が劉曜を谷口に取り籠めた策も別働隊を送って漢軍の糧秣を焼くように見せかけていましたから、作戦が似たもので盛り上がりそうにない、というのが物語側の事情ではないでしょうか。

    「第百二十三回 夏庠は計って劉曜を囲む」から「第百二十四回 曹嶷は来たりて劉曜を救う」の盛り上がりはなかなかでしたから、それには及ばないと見切ったのかも知れません。

    むしろ、盛り上がりを考えれば、苟晞と張軌を早く出したかったのでしょう。


    〉朱伺は正史では名将ですので、もう少し善戦してもらいたかったので少し残念です。

    『通鑑』ではなかなかの活躍だった(内容はウロ憶え)朱伺の使い方は疑問がありますが、特に晋将はあまり正史の評価は反映されないんですかね。このあたりは、蜀漢寄りということを改めて感じます。


  • 編集済

    石勒、汲桑、姜發、姜飛という英傑揃いで虁安、桃豹を2軍にするぐらい安定的な強さを誇る石勒組に比べ、劉曜組は後趙組を分けてもらっているのに(ネタバレ?)、諸葛宣于と孔萇の影が薄くて、ほとんどワンマンで苦戦続きで、曹嶷だけが頼りですな。なにげに劉曜は曹嶷とだけは仲が良いというのは、史実に意識しているのかなとは感じますが。

    劉岳や劉黒などはこのあたりから出てきて欲しかったですね。史実上の劉曜配下は出番が少なくてほとんど最後の方に唐突に出てくるだけなのは残念です。

    作者からの返信

    こんにちは。

    〉諸葛宣于と孔萇の影が薄くて、ほとんどワンマンで苦戦続きで、曹嶷だけが頼り

    劉曜を補佐するはずの諸葛右丞はまだ沙麓山に到着していませんから、孔萇もそうだったんでしょうね。劉曜は結局先鋒の将扱い?という気もします。


    〉なにげに劉曜は曹嶷とだけは仲が良い

    唯一台詞をべらんめえ調にした曹嶷と劉曜は絶対に仲良くなれない感がありますが、なんか仲がいいですね。本日も仲良くしております。


    〉劉岳や劉黒などはこのあたりから出てきて欲しかった

    ただでさえ登場人物爆盛りなんで省略に従ったんでしょうけど、劉曜配下は伝無しが多いから紛れた事情もあるかも知れません。劉岳も劉黒も劉曜の部将くらいしか情報がないので、扱いにくいのは確かですね。

    『十六国春秋』さえ現存していればこんなことには。。。


  • 編集済

    いよいよ、初期から伏線を張られていた二大英雄の活躍ですな。劉曜が初陣も果たしていないとは、三国志後伝の世界では蜀漢滅亡と呉滅亡の間の期間は時間が進んでいなかったとでも考えないと、理屈にあいませんな。

    しかし、当初は大将は姜發になるはずで、先鋒を募集して劉曜・石勒が争っただけなのに、陳元達の発言で両名が大将になりました。なにげに、陳元達は姜發は台頭を抑えようとしていたとも見えますね。たった4人で来た姜發よりも手飼いがいる石勒と、劉淵の従子であり、漢軍でもおそらくは武勇で知られていた劉曜の方が、指揮官に向いていると思っただけかもしれませんが。

    なお、劉曜の正先鋒は関山と「三国志後伝」「続三國志演義」ともになっていますが、ここは前後の記述を読むと、関心の誤りであることが分かります。リストがあると便利ですね、と自画自賛しておきます。

    喬皁は三国志後伝、続三國志演義ともに「喬旿」となっていますね。維基では喬皁ですが、リストでは喬旿としておきます。

    軍は4つに分かれたので、また、リストをあげておきます。喬昕はこの後の晋漢会戦で出てきますので、喬晞、喬旿と同じ劉曜組にいれています。

    漢は劉氏と文官以外の戦力を全て投入したのが分かりますな。

    第1-Aグループ 平陽を首都とした幷州・冀州一帯
    劉淵(字は元海)、劉和、劉義、劉宣、劉累、劉歓、劉膺、胡延氏、崔游、游光遠、陳元達(字は長宏)、崔瑋、許遐、徐光(字は普明)、程遐、

    第1-Bグループ 魏縣
    劉聰(字は玄明)劉霊(字は子通)、劉宏、劉欽、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、関河(字は継遠)、関山(字は継安)、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、王彌(字は飛豹)、王如、王邇、廖全、楊龍、楊興寶(字は國珍)、桃虎、桃彪、靳準、靳術、王伏都、陳國賓、趙周、靳都、張雄

    第1-Cグループ 霊昌河へ向かう
    石勒(字は世龍)、汲桑(字は民徳)、姜發(字は存忠または継約)、姜飛(字は存義または守約)、虁安、桃豹(字は露化)、劉徴、劉寶、張曀僕、郭墨略、張越、孔豚、王揚、冀保、胡莫、趙鹿、呉豫、劉膺、支屈六、呼延模

    第1-Dグループ 沙麓山へ向かう
    劉曜(字は永明)、諸葛宣于(字は修之)、関心(字は継忠)、廖翀(字は鳳起)、孔萇(字は世魯)、刁膺、支雄(字は世英)、曹嶷、馬寧、喬晞、喬昕、喬旿

    追伸
    >このあたりから三國志の影響下から離脱しようと考えていたように思います。
    >いよいよ、五胡を描く転換点だったんじゃないですかね。
    ああ、なるほど。確かにこの辺りから、関防らオリキャラの影が薄くなり、石勒や劉曜、張賓ら史実組の蜀漢先祖設定も前面に出ないようになりますね。これは気付きませんでした。鋭いですね。
    会戦以後は、生き残った蜀漢子孫オリキャラが話しの流れを悪くする邪魔な存在になっているな、とは感じていました。

    もっとも、稚拙なところはありますが、三国志を絡めて他時代を紹介するという手法の原型としては、かなり完成度が高いと思います。私はこの作品が好きな理由がやっと分かりました。すでにある高い知名度を活用して印象づけたいという発想が私と同類ですね(笑)

    >このあたりの手慣れた場面転換も、当初とは別人の筆のようです。
    >それぞれにファンが付けば講談としても成功しやすいでしょうから、よく出来ているように思います。

    これは私も思います。この後の繰り返しの戦いは、我々からすると冗長ですが、毎日交替でやってくるお客に対し、新たな主人公を印象づけるためでしょう。4回やれば全員に知れ渡ると言ったような。

    三国志演義と違って講談の種本のままのところもあるので、単純に比較して優劣をつけるのは酉陽野史には可哀想なことかもしれません。

    再追伸
    >『唐玄宗軍談』ならどうなったのかなあ。。。
    資治通鑑に唐代を舞台にした小説を加えた作品ですな。どうせなら、資治通鑑を読んだ方がいいという印象ですね。5年ぐらい前は盛唐好きだったので、一応、全部読みましたが。
    多分、私の慕容恪まとめのタイトルに「諸葛孔明」という言葉が入っていない時のview数に近い状態になると思います(笑)。現在は4300程度ですが、入ってなかったら、他の類似のまとめから判断するにview数は1000いくかいかないかぐらいでしょう。やはり知名度は大事です。

    作者からの返信

    【追伸を受けて】

    〉生き残った蜀漢子孫オリキャラが話しの流れを悪くする

    酉陽野史さんもそう感じていたんでしょうね。後半からはかなり史実に寄せてきますから、おそらく本命はあっちで、蜀漢遺臣は客寄せパンダだったんだろうなあ、と思います。


    〉三国志を絡めて他時代を紹介するという手法の原型としては、かなり完成度が高い

    実際、入手した『通俗二十一史』のどれを読むか考えた際、『續三國志』が一番ニーズがありそうに思いましたし、ユーザー動向を見ても一定量は外部検索エンジンからの流入があるんですよね。
    Google、Yahoo!、bingのいずれでも「続三国志」で検索した際にトップページに出ているお蔭もありますが、興味がある人はそれなりにいるようです。

    『唐玄宗軍談』ならどうなったのかなあ。。。


    〉講談の種本のままのところもある

    しかし、その割には演義小説に必須の聴衆に呼びかける箇所があまりないようにも思いますし、なんか変な感じです。『両晋通俗演義』あたりだと毎回登場なんですけどねー。成立過程の研究が進んでいないみたいなので、藪の中です。





    こんにちは。

    〉初期から伏線を張られていた二大英雄の活躍

    しかもいきなり大喧嘩という。。。まあこれも伏線ということで。


    〉三国志後伝の世界では蜀漢滅亡と呉滅亡の間の期間は時間が進んでいなかった

    辻褄を合わせるには設定がブッ飛びすぎでしたね(笑
    このあたりは、酉陽野史さんの苦心を察して頂ければ。。。「蜀漢の滅亡から✖︎✖︎年を経た」は意図的なんですが、なければ気づきにくいんじゃないですかね。


    〉当初は大将は姜發になるはずで、先鋒を募集して劉曜・石勒が争っただけなのに

    意図的ですよね。
    このあたりから三國志の影響下から離脱しようと考えていたように思います。いよいよ、五胡を描く転換点だったんじゃないですかね。このあたりの切り替えはわりと好きです。


    〉ここは前後の記述を読むと、関心の誤りである

    ご指摘ありがとうございます!
    助かります。ここはとにかく沙麓山と霊昌河の調べ直しで手一杯でした。特に霊昌河はねえ。。。超時空石勒って感じになってます。


    〉「喬旿」

    篇が同じなので、喬晞、喬昕兄弟の三弟なんでしょうね。なんとなく直してしまったので、戻しておきます。


    〉漢は劉氏と文官以外の戦力を全て投入したのが分かりますな。

    なかなか燃えるシチュエーションですね(笑
    このあたりの手慣れた場面転換も、当初とは別人の筆のようです。それぞれにファンが付けば講談としても成功しやすいでしょうから、よく出来ているように思います。

    編集済

  • 編集済

    ついに、ここで全ての漢側の人物が漢に集結しましたね。ここまで本当にお疲れ様です。

    曹嶷と夔安は結構、出番が多くておいしい役割ですな。しかし、この間に十五万や二十万といった大軍を集めることができた諸葛宣于の手腕はさすがですな。諸葛宣于は、正史・諸葛亮に近い能力も持っているようですね。

    しかし、援軍の指揮官が孔萇で不安なら諸葛宣于か劉淵が軍を率いればいいと思うのですが、平陽もまだまだ不安定のようですな。

    リストもここで第1グループにまとまると感慨深いです。漢軍のリストはもう少し続きますが、次回に劉伯根と死亡した人物はリストから外します。

    第1-Aグループ 平陽を首都とした幷州・冀州一帯
    劉淵(字は元海)、劉和、劉義、劉曜、劉宣、劉累、劉歓、劉膺、諸葛宣于(字は修之)、胡延氏、馬寧、孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、刁膺、支雄(字は世英)、喬晞、喬昕、崔游、游光遠、陳元達(字は長宏)、崔瑋、許遐、徐光(字は普明)、程遐、虁安、曹嶷

    第1-Bグループ 魏縣
    劉聰(字は玄明)、劉伯根(字は立本、生死不明)、劉霊(字は子通)、劉宏、劉欽、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、関河(字は継遠)、関山(字は継安)、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、趙藩(字は文皋、死亡)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、王彌(字は飛豹)、王如、王邇、廖全、楊龍、楊興寶(字は國珍)、馬寧、桃虎、桃彪、靳準、靳術、王伏都、脱弓(死亡)、帙蒙(死亡)、孟彪(死亡)、孟豹(死亡)、没突艧(死亡)、陳國寶(死亡)、陳國賓、趙周、靳都、張雄、没突臧(死亡)

    第9グループ 第1-Aグループに合流
    石勒、汲桑(字は民徳)、劉徴、劉寶、張曀僕、郭墨略、張越、孔豚、王揚、冀保、胡莫、趙鹿、呉豫、劉膺、支屈六、呼延模

    第14グループ 第1-Aグループに合流
    姜發(字は存忠または継約)、姜飛(字は存義または守約)、関心(字は継忠)、廖翀(字は鳳起)

    作者からの返信

    こんにちは。

    〉ここで全ての漢側の人物が漢に集結しましたね。

    いやー長かったですね。しかも、五月雨なので水滸伝の集結シーンみたいな感動がない。。。このあたりが普及しなかった原因でしょうか。

    まめさんも整理おつかれさまでした。おかげさまで分かりやすくなりました!

    あとは剽窃して回末に上げるだけです(笑

    何より、熱心な読者の方が一人でもいるのは有り難いですね。やる気が違います。


    〉曹嶷と夔安は結構、出番が多くておいしい役割ですな。

    どうも優遇されてますよね。翻訳でも何か遊びを入れたくなる二人です。
    しかも、数奇な運命に追い込んだ石勒の道案内をするという。。。石勒は劉曜の前に二人と戦うべき。


    〉孔萇

    王伏都は実戦に出てるのに、こちらは全然でしたね。やはり孔北海の孫だからでしょうか。諸葛宣于も不安になりますよね。

    さて、いよいよ最終局面が近づいてきました。その後は。。。とりあえずやることをやります(笑


  • 編集済

    この漢の陣もとにかく盛り上げようと言う意欲は伝わってきますな。こちらは梁山泊が童貫と戦った時に布いた「九宮八卦陣」の影響が強そうです。

    孟獲の孫の孟彪の登場は突然で、一陣を任されるほどの武将なのにどこにいたのかという感じですが、多分、劉伯根が連れてきたのだろうと補完しております。

    ここで、整理のためのリストです。今回、外征組のメンバーが大体分かったので、留守組と外征組に第1グループを分けました。

    廖全は陣に入っていませんが、戦場で出てくるので第1ーB、喬昕・王邇・靳術は兄と同じグループにいる可能性が高いと見て整理しました。桃彪だけは兄が別れていて分かりませんが、紛れているなら、1-Bの方が高いと考えて整理しています。

    第1-Aグループ 平陽を首都とした幷州・冀州一帯
    劉淵(字は元海)、劉和、劉義、劉曜、劉宣、劉累、劉歓、劉膺、諸葛宣于(字は修之)、胡延氏、馬寧、孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、刁膺、支雄(字は世英)、喬晞、喬昕、崔游、游光遠、陳元達(字は長宏)、崔瑋、許遐、徐光(字は普明)、程遐、

    第1-Bグループ 漳水で軍営を布く
    劉聰(字は玄明)、劉伯根(字は立本)、劉霊(字は子通)、劉宏、劉欽、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、関河(字は継遠)、関山(字は継安)、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、趙藩(字は文皋)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、王彌(字は飛豹)、王如、王邇、廖全、楊龍、楊興寶(字は國珍)、桃虎、桃彪、虁安、曹嶷、靳準、靳術、王伏都、脱弓、帙蒙、孟彪、孟豹、没突艧、陳國寶、陳國賓、趙周、靳都、張雄(後から加わる)、没突臧(後から加わる)

    第9グループ 武郷
    石勒、汲桑(字は民徳)、劉徴、劉寶、張曀僕、郭墨略、張越、孔豚、王揚、冀保、胡莫、趙鹿、呉豫、劉膺、支屈六、呼延模

    第14グループ 成都
    姜發(字は存忠または継約)、姜飛(字は存義または守約)、関心(字は継忠)

    追伸
    >漢兵を退けたいなら、平陽直撃がよさげ。
    リアリティで考えると、王浚・劉琨・邵続・苟晞は元々の赴任地から平陽へ進撃させた方がよさそうです。晋軍は漢軍が広げた領地を半包囲している状態ですから。

    作者からの返信

    【追伸を受けて】

    〉王浚・劉琨・邵続・苟晞は元々の赴任地から平陽へ進撃させた方がよさそうです

    おっ、そりゃそうですね。
    王浚・劉琨・邵続・苟晞
    VS
    劉淵、劉曜、諸葛宣于and石勒

    わりと見たいかも。。。







    こんにちは。
    ようやく終わりが見えて来ましたので、宿題も順次片付けていきたいです。

    〉とにかく盛り上げようと言う意欲は伝わってきますな。

    映像としてはド派手になりそうですね。原色バリバリの軍勢が全面展開ですから、紙芝居風にするとよさそうです。

    日本中世なら絵解きがあったようですが、民代はどうだろう。やはり話芸ですかね。


    〉梁山泊が童貫と戦った時に布いた「九宮八卦陣」の影響が強そうです。

    これが先駆だったわけでしょうね。それなら聴衆も慣れていたわけで、「あー、アレね」という感じだったかも。テンプレの功徳を求めた事情もあるかもしれません。


    〉孟獲の孫の孟彪

    雲南からわざわざおつかれさまです。。。しれっと書かれていますが、漢軍は北狄だけでなく南蛮もいますね。明も異民族に苦しめられた王朝でしたから、蜀漢は異民族支配に成功した、と理想化したのかも知れません。


    〉劉伯根が連れてきたのだろう

    たしかに、最初の陣容には含まれていませんし、ここまで登場なしでしたから、そう考えると辻褄が合います。


    こうして見ると、主力を欠いた平陽は弱そうですね。漢兵を退けたいなら、平陽直撃がよさげ。あ、劉曜がいるか。。。




    編集済
  • ここで、漢軍の魏将子孫討伐戦が終わり、成の部分の始まりになりますな。いったん、漢につながる姜發の話題にして、蜀の地に舞台を移した後、趙廞や李特に視点を変えるというやり方は、当時としてはそれなりに巧みかと感じます。

    ここで関心が加わったのでリストの変更ですね。第1グループは平陽組と晋討伐組に分けようと思ったのですが入れ替わりが激しく、整理が困難なので、ここでは順番の整理のみにしました。劉欽は正史を見ても劉淵の一族ではなさそうなので、『三國志後伝』では劉宣に近い匈奴の一族と見なしたリスト順にしています。

    死亡した人物と李瓚は次のリストでは外します。

    第1グループ 平陽を首都とした幷州・冀州一帯
    劉淵(字は元海)、劉和、劉義、劉聰(字は玄明)、劉曜、劉伯根(字は立本)、劉霊(字は子通)、劉宣、劉累、劉歓、劉膺、劉宏、劉欽、諸葛宣于(字は修之)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、関河(字は継遠)、関山(字は継安)、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、趙藩(字は文皋)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、胡延氏、王彌(字は飛豹)、王如、王邇、廖全、楊龍、楊興寶(字は國珍)、馬寧、李珪(死亡)、李瓚(負傷・生死不明)、樊榮(死亡)、孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、虁安、曹嶷、靳準、靳術、刁膺、支雄(字は世英)、喬晞、喬昕、胡文盛(死亡)、胡宓(死亡)、崔游、游光遠、王伏都、陳元達(字は長宏)、崔瑋、許遐、徐光(字は普明)、程遐、麻哈(死亡)

    第9グループ 武郷
    石勒、汲桑(字は民徳)、劉徴、劉寶、張曀僕、郭墨略、張越、孔豚、王揚、冀保、胡莫、趙鹿、呉豫、劉膺、支屈六、呼延模

    第14グループ 成都
    姜發(字は存忠または継約)、姜飛(字は存義または守約)、関心(字は継忠)

    作者からの返信

    こんばんわ。
    山東の地理の調査に時間がかかってもう大変です。
    関中から山西までは詳しいんですけど、山東はちょっと。。。

    > いったん、漢につながる姜發の話題にして、蜀の地に舞台を移した後、趙廞や李特に視点を変えるというやり方は、当時としてはそれなりに巧みかと感じます。

    これは私も思いました。
    ちゃんと百十八回で回収されてますから、うまいですよね。


    > 劉欽
    『晋書』の初出は「武牙將軍」、次は「武衞」なので軍功で成り上がった感じですね。石祗に殺された時には「尚書」になっていますが、実質があったのかどうか。。。同一人物かもちゃんと調べてないですが。


  • 編集済

    今度は一転して苦しい撤退戦ですね。殿軍を伏兵として置いて、敵を遅滞させるという戦例通りの戦いです。酉陽野史は軍事関係はかなり史書を読み込んでそうですね。

    これなら最初から魏県で迎え撃っていればと思いますが、結局、演義において「諸葛亮が無理に司馬懿の陣営に攻め込んでいたら」のIFに近い展開になりましたな。もっとも、陸機も戦術特化で戦略では盧志・祖逖に劣りそうなので、張賓と似たもの同士な感じはしますけど。

    祖逖は講談における主人公側の英雄は接近戦では化け物だが、弓矢相手だと人間に近くなることをよく熟知していますな(笑)

    丘文と岑瑞は注釈で対応了解しました。名前を差し替えるなら百九回の武将でいうと同軍から選ぶとすると、丘文は李遠もしくは楊武、岑瑞は華文以外なら誰でもいいと思います。

    漢軍の名のある将が次々と倒れていきますが、実は劉伯根もこの後フェードアウトします。戦場からの引退だけなら高官として出てきておかしくないので、おそらくはこの傷が元で死んでしまったと思われます。

    大尉であり全軍の副元帥格である彼が退場したのは大きいですね。ついに漢軍初の大ピンチです。

    作者からの返信

    こんにちわ。

    〉酉陽野史は軍事関係はかなり史書を読み込んでそうですね。

    そうでしょうね。
    山東河北の動きに疑義はありますが、それは地理的な知識不足によるものでしょうし、已むを得ないかと思います。


    〉最初から魏県で迎え撃っていればと思いますが、

    そこは劉淵から鄴取りを命じられていますから。張賓の評価的にはノーカウントですね。


    〉陸機も戦術特化で戦略では盧志・祖逖に劣りそう

    盧志・祖逖の進言は曹操との戦で賈詡が張繍に献策した内容の翻案でしたね。
    演義もうまく使っている感じがします。


    〉接近戦では化け物だが、弓矢相手だと人間に近くなる

    飛び道具には弱いですよね。
    趙藩もあっさり戦死しちゃいましたし。


    〉丘文と岑瑞

    ▼付けてなかったことにしました(笑


    〉劉伯根

    そういえばそうですね。
    劉宣=劉伯根とすると、初期からの登場人物として趙藩に続く二人目の死者となりますね。


    〉ついに漢軍初の大ピンチです。

    さて、いよいよ煮詰まってきましたが、次の展開に期待したいところですね(笑


    なお、魏縣は地理的にやっぱりダメですね。鄴との間に漳水を挟まなそうです。
    晋漢大戦は完結後に地理を再設定不可避です。
    あーあ。

  • 漢軍が勝っているとありますが、なんか、初めの方の漢軍の勝利が嘘のように一気に苦しくなりましたね。

    序盤戦では晋軍の損害が
    ①本陣を攻められ1万7千
    ②陣破りに敗北、1万以上の軍を率いる四将が全て捕らえられる

    という感じで漢軍の損害は記載されない程度で、張賓の思惑通りに運んでいたのに、晋軍の一斉攻撃で晋軍の2人で漢軍の1人を倒す計算でいっています。

    晋軍は百十七万三千で、漢軍は二十数万ですから、ほぼ5:1なのでこの計算でいくと苦しいのは当然です。それにあれだけの武将数の上にさらに増えています(笑)から、1軍の将か先鋒の二人ぐらい撃たないと打撃にならないでしょう。

    実際は晋軍は数度の敗北や犠牲があっても崩壊することなく、粘り強く戦っているのが分かります。実は陸機もかなり非凡で、張賓が見込み違いを認めていないだけではないでしょうか。

    作者からの返信

    こんばんは。

    〉初めの方の漢軍の勝利が嘘のように一気に苦しくなりましたね。

    物量の差が明らかですからね。
    張賓「晋の大軍が厳戒を敷いて待ち構えていれば、仕掛けて勝つのは至難の業です」の明言とおり、どっしり構えて浮足立たなければ、漢はジリジリと苦しくなって当然ですよね。

    諸葛宣于「晋朝が大軍を集めたところで、諸侯の心は異なっております。それでは将士が心を一にしている吾が軍に敵しようもございますまい」は追い込まれてはじめて現れますから、この程度では晋の優位は覆りません。

    こういう場合、官渡の戦のように大軍の糧秣を焼くのが定石ですが、漢軍がどう切り抜けるか、ですね。


    〉実は陸機もかなり非凡で、張賓が見込み違いを認めていないだけではないでしょうか。

    負けず嫌い臭いですからね。
    そう簡単に敵を褒めたりはしないでしょう、あの方は。

    ちなみに、台詞の訳にあたっては、曹嶷と夔安は初登場が山賊なんで以降もやたらガラが悪いですが、張賓はエラソー、諸葛宣于はバカ丁寧な感じになるようちょっと注意しています。
    あんまり定石から外すとおかしいので、ほんのりではありますが、そんな遊びもやってます。

    なんで、張賓が齊萬年に出会う前に斬られそうになって必死になるところとか、割りと面白かったです。

    編集済

  • 編集済

    いよいよ、正式に優秀な文官も加わり、匈奴五部の体制に劉淵と両軍師をトップにして切り回すという梁山泊とさほど変わらない素朴な体制から、本格的に統治を可能とした国家体制に変わっていきますね。

    崔瑋・許遐・程遐の登場は唐突ですが、おそらく文通で知り合っていたのでしょう。

    第七十回分も話しも加えて、これで石勒グループと姜發グループ以外は全て合流で、リストも変更ですね。

    関河と関山につきましては第六十七回で劉義とともに加わったと読んでいましたが、河東さんの解釈に従い、すでに加わっていたとしています。

    ここの6行に李通という人物がいますが、「三國志後伝」では李邇となっていましたので、前後から王邇のことではないかと思います。多分、酉陽野史の癖字で李と王が間違いやすく、印刷段階で変わってしまっていたのでしょう(笑)

    また、リストには龐鷹に斬られた麻哈がこの段階でほぼ間違いなく存在したと考えて、リストに含めています。胡文盛と胡宓は死ぬ時は姓は「湖」になっていますが、リスト上は胡に統一します。韓橛は次回のリストでは除外します。

    このリストシリーズも残り2グループが加われば終わりと考えると感無量ですな。

    第1グループ 平陽
    劉淵(字は元海)、劉和、劉聰(字は玄明)、劉曜、劉伯根(字は立本)、劉霊(字は子通)、劉宣、劉累、劉歓、劉膺、劉宏、諸葛宣于(字は修之)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、関河(字は継遠)、関山(字は継安)、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、趙藩(字は文皋)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、胡延氏、王彌(字は飛豹)、王如、王邇、廖全、楊龍、楊興寶(字は國珍)、馬寧、李珪、李瓚、樊榮、孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、虁安、曹嶷、靳準、靳術、刁膺、支雄(字は世英)、喬晞、喬昕、胡文盛、劉義、劉欽、胡宓、崔游、游光遠、韓橛(金龍池となる)、麻哈(後から加わる)

    第9グループ 武郷
    石勒、汲桑(字は民徳)、劉徴、劉寶、張曀僕、郭墨略、張越、孔豚、王揚、冀保、胡莫、趙鹿、呉豫、劉膺、支屈六、呼延模

    第10グループ 第1グループに合流
    王伏都

    第11ループ 第1グループに合流
    陳元達(字は長宏)、崔瑋、許遐

    第12グループ 第1グループに合流
    徐光(字は普明)、程遐

    第14グループ 成都
    姜發(字は存忠または継約)、姜飛(字は存義または守約)

    補足
    >これはもう、独立した一つの資料ですよ(・_・;
    ありがとうございます。大変光栄です。

    当初、提案させていただいた人物リストですが、漢側の登場・合流の流れが分かることと、登場・退場の激しい司馬諸王公のリストの並記があれば複雑さもだいぶ緩和されることから、もうお作りになる必要はないと思います。おかげ様で長年の謎もかなり解けました。単独ではもっと遥かに時間がかかったと思われます(^0^)

    他民族の融合もなかなか大きいテーマですね。私も調べてから考え方をまとめて、是非ともお話したいです。

    >何らかの補足もしないといかんなあ、と思います。
    これも楽しみにしています。

    >孟獲の孫とか横入りの蛮族がワラワラおりますが、それらは別とするのがいいでしょうね。。。
    石勒たちと合流前なのでこれも第1グループにいれたリストにいれますよ。百十二回にコメントしていないのはそのためです(^^ )
    晋討伐も本格的に始まるので第1グループをさらに区分けするのもいいですね。

    作者からの返信

    【補足を受けて】

    〉提案させていただいた人物リストですが、

    たしかに。。。これ以上に分かりやすい解説はなかなか難しいです。リストは静的なので、動的な人の移動や戦死を整理できません。
    まめ知識として回末に収める方が親切というものですね。


    〉他民族の融合

    これは五胡南北朝好き共通の興味でしょうね。

    多様性は現代社会でも国際的問題になっていますが、河北江南に加えて遼河東西、陰山南麓、河套に隴西、河西回廊、蜀と雲南に交趾と異文化に囲まれた世界は中東と並ぶ文化的結節点のようなもので、どの方面も興味深いです。

    残念ながら中東は凄惨な状態になってしまいましたし、中華もチベットのような暗い歴史を抱えていますが。。。


    〉石勒たちと合流前なのでこれも第1グループにいれたリストにいれますよ。

    目配りの広さには毎度頭が下がります。翻訳は文章を呑んで吐く感覚なので楽なんですけど、整理が苦手なんですよねー。書いてる大意ママで読みやすくしたよ、で終わってしまうんですね。

    なんで、とりあえず訳す、手直しは後!って感じでやってます。次とかストックがないから悲惨なことになりそうですよ。笑えません(笑


    〉晋討伐も本格的に始まるので第1グループをさらに区分けするのもいいですね。

    晋討伐は1局面→3局面→1局面という感じなので、意外に複雑なんですよね。明日明後日から分岐開始です。楽しみ楽しみ。





    こんにちは。
    最初は少なかった人物がエライことになりましたね。

    これはもう、独立した一つの資料ですよ(・_・;


    〉梁山泊とさほど変わらない素朴な体制から、本格的に統治を可能とした国家体制に

    荀彧の推挙で清流人士を登用した曹操を彷彿させますよね。実際には同じく士大夫層の横の繋がりからの推挙だったんでしょうね。


    〉崔瑋・許遐・程遐の登場は唐突ですが、おそらく文通で知り合っていたのでしょう。

    いきなり別件ですが、慕容や拓跋の出自が黄帝によるという正史の記述を考えていまして、黄帝からの出自の自称他称により中華文明への参加を認めることで、中華文明圏が拡大したのではなかろうか、という仮説を妄想しています。

    中華の拡大はご承知の通りですが、それを実現した仕組みはイマイチはっきりしていないですから、特に五胡の頃の多民族化と融合過程が気になっています。

    で、それを可能にするには、漢人文化が一枚岩ではなく、地縁血縁社会階層によって分断された「ゲル状」社会である必要があります。それなら異民族という新しいゲルを加えられるだろう(抵抗の大小は別)、と。

    なので、文通の背景には、諸葛宣于や張賓が士大夫層に属してることで、同じ士大夫層にあって地縁が異なるゲルと交渉をできたから、と理解しています。

    だから、本作の人物は士大夫層にほぼ限られ、虁安や桃豹のような無頼は例外的になっていますね。

    このあたり、階層を無視している『水滸伝』とは別の理屈になりますので、何らかの補足もしないといかんなあ、と思います。


    〉関河と関山につきましては第六十七回で劉義とともに加わったと読んでいましたが、河東さんの解釈に従い、すでに加わっていたとしています。

    これも前後の記述が矛盾するため、完結後に見直しますね。


    〉ここの6行に李通という人物がいますが、「三國志後伝」では李邇となっていましたので、前後から王邇のことではないかと思います。

    王邇→李邇→李通の流れですね。伝写の誤りとしてはありそうですから、これが正しいでしょうね。


    〉胡文盛と胡宓は死ぬ時は姓は「湖」になっています

    胡芳の甥の文盛の姓が湖はおかしいので、最初から胡に統一した気がします。胡宓は胡芳の縁者ですかね。


    〉このリストシリーズも残り2グループが加われば終わりと考えると感無量ですな。

    孟獲の孫とか横入りの蛮族がワラワラおりますが、それらは別とするのがいいでしょうね。。。

    編集済
  • お疲れ様です。

    いやあ、まさに孔明の罠ですねえ(笑)

    諸葛亮は辱めるだけで解放したのに、張賓は親指を切ってメッセンジャーに送り返すのですか。この陣破りは命がけのスポーツ的な感じで三國志演義では描かれていたので、陸機がこれを機会に会戦を挑もうとしたとしていても、かなりえぐい感じはしますな。

    その張賓の親指を切るのを命じた武将が二名となっているのが不明なところがありますね。「三國志後伝」では「二人」の親指を切り、自殺をしておらず、「三國志後伝」、「続三國志演義」双方ともに、この後に丘武と岑端は出てきます。

    「三國志後伝」の私の解釈は
    王豺・王秉・・・長沙王、東海王の左右を固めるほどの上将なので処刑
    丘武・岑端・・・地方官の張光と劉喬の一武将に過ぎないので、一応は生かして返して諸葛亮をリスペクトした上で陸機を挑発

    ですかね。

    自殺をさせる改変は武人らしくて格好いいところもあるので、王豺・王秉が親指を切られて自殺も上将らしくていいかなと思いました。

    そこは河東さんのご判断で注釈か、改変されてもいい場所と考えますのでお任せします。

    作者からの返信

    こんばんは。
    陣闘の第一回ですが、陸機は分が悪いですね。

    〉陸機がこれを機会に会戦を挑もうとした

    張方と祁弘に陸機が語ったとおり、王豺と王秉に瀬踏みをさせて、崩れたら先鋒二人を投入して蹂躙という策だったようですが、そこまで至りませんでした。


    〉丘武と岑端

    解釈はまめさんと変わらないですね。

    加えるなら、上将の下の二人は生存した際に上将の戦死を復命する義務があるでしょうから、張賓はそれを利用したのでしょう。

    サイコパス風ですが、自殺するあたりは講談っぽくて好きですね。本作はあくまで『通俗』ベース、なるべく明治の人が読んだままにしたいので、二人はそのままにすると思います。
    後段で再登場したら差し替えです。代わりの部将だけは沢山いますからね。

    そっちに注釈するのがいいかな、と思っています。

    編集済
  • はっけ……(;゚∇゚)

    このあたりは全く以て少しもわかりません。
    なんというか、すごい陣形の連発ですね。
    調べもの、お疲れさまです。

    易に基づく陣の数々は、キラキラな効果と勇壮なBGMが付いたCGアニメーションで表現したら物凄く映えるんじゃないかな。
    などと阿呆なことを考えていました。

    翼の生えた幻獣等が登場する魔法陣に「カッコいい!」と萌えるのは、近年の中二病の症状に限らないのですね。
    ミステリアスな魔法陣からパワーを得る演出って、やっぱり嬉しくなりますもんね。

    作者からの返信

    こんにちわ。
    二十八宿につづき、今回は八卦ワールドとなりました。

    〉このあたりは全く以て少しもわかりません。

    大丈夫ですよ、私も分かってません(T-T)


    〉キラキラな効果と勇壮なBGMが付いたCGアニメーションで表現

    今時な感じでいいですねえ。
    二十八宿や八卦は無機的なので、なんか分かんないけどスゴそう、な感じになりそうです。

    ちなみに脳内イメージは人形劇の三國志でした。
    (ドライアイスの煙使用)


    〉翼の生えた幻獣等が登場する魔法陣

    ギリシャ以西の神獣、幻獣はスゴそうですけど、『山海経』あたりの中華の神獣は親しみやすいというか、まぬけそうというか、人間に捕まったりしそう。。。

    張賓と陸機が大真面目にやってるのに、軍旗にはなんか可愛げのある神獣を掲げた魔方陣を想像してしまい、ずっと半笑いで訳してました。

    アジアの神様は絶対感に欠けるから仕方ないですね。


  • 編集済

    「八王の乱」第五幕も終わりですな。もう中央政権の権威は完全になくなり、諸王はライバルに勝つこと以外の方法では、安定した政権を築くことは不可能になりました。

    趙王・司馬倫の政権では、かの周處を嵌めた梁王・司馬肜が高位を占め、司馬倫の敗北後も要領よく立ち回って生き残りますが、翌年には特に何もなく死んでいるため、リストでは梁王・司馬肜も死んだものとします。

    梁王・司馬肜も八王に数える説があるそうなので、広義の八王はすでに半数が死んだことになります。太子の地位はまた空席です。羊献容は正確にいうと皇后の地位に復帰します。

    (帝室)
    皇帝:(司馬倫)→司馬衷(恵帝)
    皇后:?   →羊献容
    太子:✕司馬夸
    執政:✕孫秀→司馬冏

    (八王)
    ✕趙 王・司馬倫
    斉 王・司馬冏
    長沙王・司馬乂
    河間王・司馬顒
    成都王・司馬穎
    東海王・司馬越
    汝南王・司馬亮(死亡)
    楚 王・司馬瑋(死亡)
    淮南王・司馬允(死亡)※八王にいれる説あり

    (親王公)
    瑯琊王・司馬睿
    ✕梁 王・司馬肜
    南陽王・司馬模
    呉 王・司馬晏
    范陽王・司馬虓
    東瀛公・司馬騰
    東安王・司馬繇
    新野王・司馬歆
    予章郡王・司馬熾
    東平王・司馬楙

    追伸
    司馬肜は、伏胤の元主君でありますし、史実のままに趙王・司馬倫の仲間として登場させてもいいような立ち位置でもありますが、どういう背景があってうまく生き残れたかよく分からないところがありますね。司馬倫が捕らえられた後、司馬倫親子を糾弾する上書をして、それが通っており
    ます。斉王・司馬冏政権下でも太宰に就任しています。

    想像するに、司馬冏に内通していたか、司馬倫への洛陽における反乱において、主導もしくは内通、呼応したかしたのでしょう。

    死期も中途半端でわざわざそこに文章を割くのも小説としての流れが悪いし、史実に反して司馬倫と一緒に死なせる気にもならず、登場がカットされたのだと思われます。

    作者からの返信


    【追伸を受けて】

    〉司馬肜は、伏胤の元主君でありますし、史実のままに趙王・司馬倫の仲間として登場させてもいい

    フセインは淮南を斬りましたからね。
    ワルモノキャラなんでそうなるかと思ってました。


    〉司馬倫が捕らえられた後、司馬倫親子を糾弾する上書をして、それが通っております。斉王・司馬冏政権下でも太宰に就任しています。

    世渡り上手。
    勧善懲悪のテーマから外れますから、史実通りには扱いにくそうですね。


    〉死期も中途半端でわざわざそこに文章を割くのも小説としての流れが悪い

    講談で話すにしても始末に爽快感がありませんし、確かにそうなると書くだけの意味はないですね。

    ご教示ありがとうございます。
    勉強になりました。





    こんばんは。

    司馬肜は目立った割には後に現れないのでどうしたのかと思いましたが、薨じられてましたか。

    齊王と成都王の関係がこのあたりから晉の命綱になってきますが、趙王以来の権力を握るとダメになるパターンを順当に踏襲していますね。

    それにしても死屍累々ですなあ。。。

    編集済

  • 編集済

    ついに三国志演義では謎のままであった司馬懿が使った「混元一気の陣」の正体が陸機により、明かされたわけですね。『懿入中軍帳下,手執黃旗招展,左右軍動,排成一陣』って細かく描けばここまで細かくなったのか(笑)

    しかも、なにげに西晋側の武将も以前の人名からさらに追加されています。本当、どれだけ増やすつもりなのでしょうか。酉陽野史は(笑)

    ただ、劉聰が「渾天の陣」をなぜ知っていたかは謎ですが、司馬懿のものは真性の「渾天の陣」で、陸機のものは不完全な「混元一気の陣」ということかもしれません。

    描写としては、この「混元一気の陣」は、水滸伝の遼軍都統・兀顔光が展開した「大乙混天象の陣」の影響がありそうですね。

    作者からの返信

    こんばんわ。
    いよいよ最初の山場ですね!

    〉懿入中軍帳下,手執黃旗招展,左右軍動,排成一陣。

    成都王の位置に司馬懿がいたとすれば旗は黄色になりますから、記述との矛盾はないようですね。


    〉西晋側の武将も以前の人名からさらに追加されています。

    この後も増えつづけますが、それはそれで楽しいところもありますね。


    〉劉聰が「渾天の陣」をなぜ知っていたかは謎です

    洛陽に滞在していた設定なので、そこで兵書を学んだと考えるのがよいのでしょう。


    〉司馬懿のものは真性の「渾天の陣」で、陸機のものは不完全な「混元一気の陣」ということかもしれません。

    三国志演義にも現れているんですね。両儀と四神は易の根幹のように思いますが、明代はどうだったんでしょうね。あまり変わらなさそうに思いますが。

    水滸伝の影響は濃厚ですよね。

    講談好きの共通言語的な扱いだったのかも知れません。明代の庶人は豊かだったんだなあ。。。

    編集済

  • 編集済

    諸葛宣于の作戦指示が孔明っぽくなって、三国志感が増してきましたね。
    楽しみながら読み進めています♪

    >城中の軍士も民も齊萬年を欠いたところを晋軍に囲まれて不安を募知ると、張賓を呼んでどうらせる。劉淵はそのことをすべきか諮った。

    ↑2文が混ざっているようです(((^^;)


    <追記>
    曹操の、もとい早々のご返信とご対応をありがとうございます。
    すっかり寝る前の楽しみになってしまって、つい先へ先へと読み進めてしまいます。最初のうちは慣れない人物名に引っ掛かりながらでしたが、最近はメインキャラが大体わかってきたので、スピードも上がってきました(それでも一向にゴールが見えてきませんが…)。

    キャラかぶりは、原作の成立事情からいって宿命なのでしょうね。深く考えずに、贔屓の三国武将の子孫登場に「キタ━(゚∀゚)━!」とか言いながら読むのが一番いいのかなと思います。

    また過日は、拙作への丁寧なレビューをありがとうございました。あそこまでしっかり読み込んでくださるとは、感激の至りです。おかげさまで、とても励みになりました。

    引き続き楽しみに拝読いたしますので、更新よろしくお願いいたします!

    作者からの返信

    【追記を受けて】

    ご丁寧にありがとうございます。

    〉すっかり寝る前の楽しみになってしまって、つい先へ先へと読み進めてしまいます。

    お好きな方にそう言って頂けますと、翻訳してよかったと思いますが、内容は酉陽野史と中村昂然御両名のお力です(^_^;)

    私も最初はけっこう違和感ありました。
    読み進むうちに慣れてきましたから、読書とは不思議なものですね。


    〉贔屓の三国武将の子孫登場に「キタ━(゚∀゚)━!」とか言いながら読むのが一番いいのかなと思います。

    本作の正しい楽しみ方かと存じます。


    レビューは読んでお気に召した際に好きで書いているだけですので、お目汚しでした。
    楽しんだ感をお伝えできたなら幸いです。


    ご指摘歓迎ですので誤りなどはご遠慮なく頂ければ助かります。
    引き続き、よろしくお願いいたします。





    二条千河さま

    はじめまして、ですね。

    フリーウェイ・キッド -Freeway Kid-
    https://kakuyomu.jp/works/1177354054884247875
    楽しく拝読しました。

    他のシーンは昼間でもモノトーンな印象なのに、ラストシーンだけがカラフルな印象であることの言及を欠いているため、レビューは近々修正しますね。


    〉諸葛宣于の作戦指示が孔明っぽくなって、三国志感が増してきましたね。

    三国志との違いは最初から鳳雛に相当する張賓がいることでしょうか。
    キャラかぶりまくりです。
    諸将への言葉遣いで色分けしてみましたが、ライトユーザーには分かりにくいでしょうね。。。


    〉楽しみながら読み進めています♪

    ありがとうございます。
    スゴイ勢いで読まれているので、心配していました。

    クセのある文章は飽きも早いですから、ムリせずゆるゆるお楽しみ頂ければ幸いです。

    とにかく、長いので。


    〉2文が混ざっているようです(((^^;)

    なんかマッシュアップされてますね。
    って、「ちゃんと校正しろ、ついでに更生もしろ」って感じですね、すみませんm(_ _)m
    以下に改めさせて頂きました。

    城中の軍士も民も齊萬年を欠いたところを晋軍に囲まれて不安を募らせる。それを知ると、劉淵は張賓を呼んでどうすべきか諮った。

    ご指摘ありがとうございます!

    編集済

  • 編集済

    お待たせしました。第9グループは調査した結果は以下の通りです。「三国志後伝」のこの後の展開を読むと、郭敖・逯明がまだいない代わりに、やはり胡莫という謎の人物が入っていますね。呼延莫と同一人物とすると、人数としても合わないし、後からも胡莫という名は出てくるのでリストには入れています。呼延莫は後では呼延模となっていたのでリストは呼延模にします。王揚も正史では王陽なのに偏が変わっています。石莧は五十三回で死んでいますね。石富は次回のリストでフェードアウトです。

    ここらはあまり整理されずに登場させたという印象を受けます。

    それではまた、漢の人物のリストを整理します。劉聰の字をいれていなかったのでそれも追加します。

    第1グループ 左國城
    劉淵(字は元海)、劉和、劉聰(字は玄明)、劉曜、劉伯根(字は立本)、劉霊(字は子通)、劉宣、劉累(後から加わる)、劉歓(後から加わる)、劉膺(後から加わる)、劉宏(後から加わる)、諸葛宣于(字は修之)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、関河(字は継遠)、関山(字は継安)、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、趙藩(字は文皋)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、胡延氏(後から加わる)、王彌(字は飛豹)、王如、王邇、廖全、楊龍、楊興寶(字は國珍)、馬寧、李珪、李瓚、樊榮、孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、虁安、曹嶷、靳準、靳術、刁膺、支雄(字は世英)、喬晞、喬昕、胡文盛、

    第9グループ 武郷
    石勒、汲桑(字は民徳)、石莧(死亡)、石富、劉徴、劉寶、張曀僕、郭墨略、張越、孔豚、王揚、冀保、胡莫、趙鹿、呉豫、劉膺、支屈六、呼延模

    第10グループ 酒泉
    王伏都

    第11ループ 棲鳳崗
    陳元達(字は長宏)

    第12グループ 酒泉
    徐光(字は普明)

    第14グループ 成都
    姜發(字は存忠または継約)、姜飛(字は存義または守約)

    追伸
    十八騎と十四悍の違いを見ていたのですが、支雄(字は世英)がいないのに気付きました(笑)第四十一回にしっかり出てきていますね。ここと、第四十一回、第五十七回のコメントのリストに加えておきます。

    唐突に出ていた印象がありますけど、三國志後伝における第十四回(河東さん版では第二十二回)で廖全が知り合っているのですな。続三國志演義ではカットされていますね。

    もっとも、カットしたのは似たり寄ったりの武勇談関連なので理解はできます。水滸伝と三國志演義の融合を狙っていたのでしょうが、酉陽野史は、水滸伝的な話しは苦手だったみたいです。

    また、王伏都も実はまだ加わっていないので、ここと第四十一回、第五十七回リストの第10グループとして復活させます

    作者からの返信

    【追伸を受けて】

    〉支雄(字は世英)がいないのに気付きました(笑)

    支雄は『通俗』では飛び入りですね。
    仕方ないけど唐突感ありありです。

    石勒は十八騎の存在も魅力ですが、本作ではあまり生かされていないのが残念です。


    〉カットしたのは似たり寄ったりの武勇談関連なので理解はできます。

    完全版を読みたい気持ちもありますが、このあたりは『通俗』準拠の方が読みやすそうですね。





    こんばんは。

    まめ知識最新版ですね。
    本拠地だから当然ですが、第1グループは増える一方だなあ。

    > 呼延莫と同一人物とすると、人数としても合わないし、後からも胡莫という名は出てくるのでリストには入れています。

    調査してみましたが、『後傳』では胡莫を含む十三人とともに「十四悍」と呼ばれるようになってから、胡延莫に師事していますので、仰るとおり、「胡延莫」≠「胡莫」ですね。

    ご教示ありがとうございました!

    呼延模と胡延莫の相違はちょっと考えます。
    「蠕蠕」=「茹茹」=「柔然」を不思議に思わない北族派としては、どっちもアリではありますが、統一しないと読む人が混乱しそうなんですよね。。。

    編集済
  • いよいよ晋漢大決戦の開始ですな。

    司馬懿の曾孫と陸遜の孫が組み、劉備の曾孫と諸葛亮の兵法を継いだ張飛の孫が兵を戦わすとは。三国志演義ファンが考える「蜀漢ベストメンバーが魏呉連合軍と戦ったら」という想像が時代を超えて、ついに実現したわけですね。

    しかし、両軍の先鋒の四人は三国の残影ではなく、晋時代の新鋭(漢の二人と先祖は完全に別キャラ)というところが歴史好きの気持ちも微妙にくすぐってくれますな。

    確かに成都王・司馬穎は、張方のファンっぽいですね。祁弘のこの時の微妙な心理が後々の歴史の伏線になっていると考えると面白いです。

    作者からの返信

    たしかに、よく見れば、魏➕呉vs蜀の図式になってますね。

    先鋒四人が実在する人物というのも、後の展開を見据えた配置なんでしょうね。

    しかし。。。

    八門金鎖はまだしも、混元一気はやめて欲しかったです。

    易は読み込んでないし、二十八宿とかあんまり興味ないんですよね。

    とりあえず、ルビ振るだけでも大変です。

    ここから▼が少なくなりますが、調べきれていないだけなので、後で補います。。。


  • 編集済

    百万を越える大軍から、名乗り出させて、最も武勇に優れたものを選ぶという場面は想像するだけで、ロマンがありますな。

    『後三国石珠演義』では一騎打ちを見せる祁弘と張方が、ついに晋軍第一と認められました。ここについては伏線がちゃんと仕掛けてありましたね。祁弘はもう少し活躍させておいても良かった感じはしますけど。

    続三國志演義ではカットされているのですが、さらに姫澹と北宮純が左右の副帥に任じられています。

    後々で、河間王の息子・司馬暉が「張方が左先鋒になったのは、成都王が先に先鋒を許したからだ」という場面があった時に「そんなのなかった。おそらく、続三國志演義には原作があってカットがあるんだな」ということをなんとなく理解した記憶があります。

    ※司馬歆はこの時は、新野王です。私のためにご迷惑をおかけしています。

    追伸
    『後三国石珠演義』は読むほどの価値はないでしょう。話しの種程度のものでしょうか。邦訳を読むと、三国志後伝が当時としては完成度が高いと私がみなしている意味がお分かりになると思います(笑)。

    作者からの返信

    【追伸を受けて】

    そうですか。
    『後三国石珠演義』はイマイチですか。個人的には表紙もアレだったんで読む気ゼロになりました。

    あと、やたら高かった記憶があります。

    あれで中身がキレキレだったら、それはそれでコワイ。。。

    邦訳があるのは素晴らしいので、リメイクがあるといいかも知れませんね。



    講談らしくていい感じですよね。

    〉『後三国石珠演義』

    石崇&緑珠からみのアレですか。
    あっちはイマイチ興味が持てなくて買ってないんですよね。邦訳も出てるみたいですが、「軍談を訳してみる」がさしあたりのテーマなので。


    〉姫澹と北宮純が左右の副帥に任じられています。

    二將は拜領して台を下り、再び姬澹、北宮純を喚び、封じて左右副帥と為す、ですね。
    封の扱いがあからさまに間違ってるのはどういうことなんだろう。そこは「授けて」か「任じて」になるはずなんですけどね。。。


    〉後々で、河間王の息子・司馬暉が「張方が左先鋒になったのは、成都王が先に先鋒を許したからだ」という場面があった

    んー、あんまり記憶にないです。まだ訳してないのかなあ。しかし、以下が対応するかと思います。

    成都王「関中の張方は驍勇にして容貌魁偉、敵に畏れられるであろう。彼を先鋒に任じるのがよいかと思うが、元帥はどのように思われるか」

    最初からほの字だったわけですな。


    〉司馬歆はこの時は、新野王です。私のためにご迷惑をおかけしています。

    直しておきました。
    前回のご指摘を修正した際に勢いあまったようです。

    ご指摘ありがとうございました!

    編集済
  • いよいよ、最大の盛り上がりの場面となる西晋オールスターズの総登場、漢との大会戦ですね。面白いかどうかは別です(笑)。

    おそらく、酉陽野史はオリジナルのこの戦いを書きたくて「三國志後伝」を書いたのでしょう。西晋は統一王朝でありながら、ほぼ全国で戦乱が起きたがために、これほどに各所にいる地方官や武将の名前が正史に残っている時代はありません。隋末にしても蜀の地は平和でしたし、同時代王朝オールスター軍を作るなら、西晋ほど網羅できる王朝はないでしょう。

    この十四人は馬隆以外は続三國志演義で知りましたが、資治通鑑を読んだ後ならすごいメンバーであることが分かります。三國志後伝でついている「晋史」という怪しげな書物の注釈もまあ楽しいです。九家のうちどれかは謎ですが、適当に裴松之にしています(笑)

    注目は以前に述べられた通り、劉弘・張軌・王浚・劉琨・陶侃・苟晞、そして孟観と並ぶ知勇兼備の将、三国志の最後の生き残り馬隆でしょうか。

    作者からの返信

    こんばんは。
    いよいよ始まりますなあ。

    史実に照らして&品質について考えれば仰るとおりですが、晋漢オールスター対決をやりたいという酉陽野史のお気持ちはよく分かります。

    単純に燃えるじゃないですか(笑

    しかし、オールスター対決にしながらも、闘陣や空間と人員を限定した戦場をいくつか設定してわかりやすさとバリエーションを担保するやり方は、物語の設計として配慮されているなあ、と感心するところもあります。

    これらはマンガなどでもよく使われる手法で、藤田和日郎さんあたりの作品に重なる部分が大きいなあ、と思ったりもします。

    まあ、あれほどまで緻密な伏線回収は望むべくもありませんが、方向性として、ですね。

    編集済
  • ついに私たちが待っていた慕容部・拓跋部の登場ですね(笑)。なお、一応、私は匈奴・羯派です。

    拓跋猗㐌ではなく、拓跋猗盧というのも何気に年代が合っていてうれしいところです。蒲洪と姚弋仲は年代が合いませんが、そこは講談のご愛敬ですな。設定として、きちんとして登場したものでなく、その後の前燕・前秦・後燕・後秦・北魏の伏線を一気に出したかったのでしょう。

    慕容部と拓跋部は味方になるのも変ですし、ここで敵に加わったら、さすがの漢も勝ち目は薄いし、諸葛宣于の見せ場を作る意味でも折り合いとしてはいいところでしょう。

    作者からの返信

    〉ついに私たちが待っていた慕容部・拓跋部の登場ですね(笑)。なお、一応、私は匈奴・羯派です。

    えーっと、私たち=まめさん、佐藤さん、河東という理解でよろしいでしょうか(笑

    羯は難しいですね。
    匈奴系とされていますが、石勒から初登場じゃないのかなあ。後日、用例を調べてみましょうか。

    北魏で専権を振るった肆州秀容の爾朱氏は「契胡」とされており、どうも羯らしいという説がありますが、何となく釈然としないんですよね。

    稽胡=歩落稽の気持ちはどうなるのか、と。あからさまに音通くさいですしね。ただ、調べると契胡=稽胡も成立しないっぽいし、なんなんだろう。。。

    ちなみに、姚薇元『北朝胡姓考』では宇宙大将軍・都督六合諸軍事の侯景も羯とされていますが、理由が檄文中で「凶羯」呼ばわりされているから、というマユツバモノなので、あまり説得力はないですね。

    あ、個人的には拓跋部推しです。


    〉蒲洪と姚弋仲

    世代的には合わないんですね。
    姚弋仲は誰彼構わずオレオマエで話す空気読めない系男子だったらしく、それが性格的なものか、習俗的なものか、なかなか興味深いですね。

    蒲洪はなんかちゃんとした人って印象でした。

    通鑑読むだけでけっこう書き分けられていて、面白いなあと思いました。


    〉諸葛宣于の見せ場を作る意味でも折り合いとしてはいいところでしょう。

    赤壁の戦直前のアレをやりたかったわけですね、分かります。『後傳』の議論はもう少し構えが広いので、差し替えてもいいかもしれませんね。

    編集済

  • 編集済

    いよいよ、西晋に実質的な崩壊を完全に決定づける、司馬倫の簒奪事件ですね。これで、皇帝の権威だけでは西晋をまとめることは不可能となり、軍事的・政略的な勝利のみでしか正統性を立証することはできなくなりました。

    続三國志演義では司馬倫はあくまで摂政どまりですが、実は帝位を奪っています。司馬師・司馬昭も出来の悪い弟が皇帝を名乗るとは生前、想像もしていなかったでしょうね(笑)

    リストも大きく変わります。正史では孫秀の政敵として張林(張燕の曾孫)がいるのですが、ここではただの端役なので、執政は孫秀一人にしています。また、東平王の司馬楙も、今後も出番があるのでリストに加えます。

    (帝室)
    皇帝:司馬衷(恵帝)→(司馬倫)
    皇后:賈南風(死亡)→?
    太子:(空席)→司馬夸
    執政:司馬倫・孫秀・司馬冏→孫秀

    (八王)
    趙 王・司馬倫
    斉 王・司馬冏
    長沙王・司馬乂
    河間王・司馬顒
    成都王・司馬穎
    東海王・司馬越
    汝南王・司馬亮(死亡)
    楚 王・司馬瑋(死亡)
    淮南王・司馬允(死亡)※八王にいれる説あり

    (親王公)
    瑯琊王・司馬睿
    梁 王・司馬肜
    南陽王・司馬模
    呉 王・司馬晏
    范陽王・司馬虓
    東瀛公・司馬騰
    東安王・司馬繇
    新野王・司馬歆
    予章郡王・司馬熾
    東平王・司馬楙

    作者からの返信

    こうして観ると、いかにタコが自分の足を食ったか分かりますね。
    司馬懿、司馬師、司馬昭も不本意の極みでしょう。


    > 皇帝の権威だけでは西晋をまとめることは不可能となり、軍事的・政略的な勝利のみでしか正統性を立証することはできなくなりました。

    高貴郷公(曹髦)の殺害事件より皇帝の権威が地に落ちたわけで、晋もその影響から自由ではなかったでしょうね。これも一種必然の結果だったのかも知れません。


    > 続三國志演義では司馬倫はあくまで摂政どまりですが、実は帝位を奪っています。

    『晋書』本紀ではあからさまにやっちゃってますね。

    永寧元年春正月乙丑、趙王倫は帝位を篡う。丙寅、帝を金墉城に遷し、號して太上皇と曰ひ、金墉を改めて永昌宮と曰ふ。皇太孫臧を廢して濮陽王と為す。五星は天を經て縱橫するに常なし。


    > 正史では孫秀の政敵として張林(張燕の曾孫)がいる

    唐突に出てきたので何だろうかと思ってしまいますが、史実ではけっこう重要なファクターだったのですね。というか、張燕って黒山賊の張燕??

    陸機の晉惠帝起居注に曰はく、「門下通事令史の張林は飛燕の曾孫なり。林は趙王倫と亂を為し,未だ周年に及ばず,位は尚書令、衞將軍に至り、郡公に封ぜらる。尋いで倫の殺す所と為る。

    『三國志』張燕傳の注に曽孫と明記されていますね。これは意外。
    いやー面白いですね!後で本文に回収しておきます。

    編集済

  • 編集済

    久しぶりに蜀漢子孫の新しいグループが出てきましたね。あくまでも蜀の地で劉氏の子孫を立てる形での再興を考えていたのでしょうか。

    姜兄弟の字がなぜ二つあるか謎ですが、継約や守約だと避諱を破りますね。

    ただ、ここの部分の計略はあまりにも溢れている割に効果的過ぎて、結果が見えているのに戦闘が長すぎる印象を受けます。また、ここは後からの展開を考えても、姜兄弟ではなく、李特や李庠の活躍にした方がよかったと自分は思います。

    なお、姜發は姜維の子であるかはともかく、晋書でも趙廞の配下として存在しています。

    それでは第1グループを親族ごとに整理した上で、第14グループを追加します。

    第1グループ 左國城
    劉淵(字は元海)、劉和、劉聡、劉曜、劉伯根(字は立本)、劉霊(字は子通)、劉宣、劉累(後から加わる)、劉歓(後から加わる)、劉膺(後から加わる)、劉宏(後から加わる)、諸葛宣于(字は修之)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、関河(字は継遠)、関山(字は継安)、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、趙藩(字は文皋)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、胡延氏(後から加わる)、王彌(字は飛豹)、王如、王邇、廖全、楊龍、楊興寶(字は國珍)、馬寧、李珪、李瓚、樊榮、孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、虁安、曹嶷、靳準、靳術、刁膺、支雄(字は世英)、喬晞、喬昕、胡文盛、

    第9グループ 武郷
    石勒(以下略)

    第10グループ 酒泉
    王伏都

    第11ループ 棲鳳崗
    陳元達(字は長宏)

    第12グループ 酒泉
    徐光(字は普明)

    第14グループ 成都
    姜發(字は存忠または継約)、姜飛(字は存義または守約)

    作者からの返信

    こんばんは。
    整理ありがとうございます!

    久々の蜀漢新グループ、しかも姜維の子孫ということで蜀漢ファンはワクテカではないでしょうか。

    〉継約や守約だと避諱を破りますね。

    そういえばそうですね。
    姜維の字は伯約でしたか。

    後段は存忠、存義ばっかりだったので、あまり意味はないですね。

    戦闘が長いのはきっと敵の強さを表すためでしょうね。&姜發兄弟大活躍にしたかった、そんな感じではないでしょうか。

    あくまで本作は蜀漢ファン向けですからねえ。

  • 荊州きた!
    地元の野球チームかサッカーチームの試合を観戦するみたいな気持ちになっています。単なるミーハーです(笑)

    (荊州とひとこと言いたかっただけの中身のないコメントでした)

    作者からの返信

    大好きな荊州ですよ(笑

    しかし、蜀の動揺を荊州刺史が憂慮するという展開は現実的ですよね。

    『三國志』では荊州から長安を狙う展開がなかったのであまり描かれませんが、『史記』で劉邦が関中に入ったのは荊州発武関経由で長安に攻め込むルート、その途中の商洛地域からは洛陽に転進も可能、北に魯陽関を抜ければ洛陽直撃、長沙から南は廣州に通じ、建康にとっては上流の要地、まさに四通八逹、荊州ヤバイ。

    蜀獲りに向かう蜀漢御一行にとってはまさに「背中は任せた」というわけですから、そりゃ、諸葛亮と関羽を荊州に残しますわ。

    戦乱の度に争奪戦になるわけですよね。

    編集済
  • これでめでたし、めでたし、大団円ですね。(違う)

    この体制で李雄の退位31年間は、おおむね平和が続いたことを考えれば、李雄は、五胡十六国一の名君候補に挙げられても、おかしくないでしょう。李雄は比較的平凡な感じはしますが、それゆえに確かに光武帝に近い趣きを感じますね。

    公孫述といい、劉備親子といい、蜀の地は外部から人を迎えて安定した政権をつくるのに、よい土地のようです。おそらく蜀の地は、突出した英才があまり出ない代わりに、生々しい権力欲のある人間が少ないのだと思われます。

    作者からの返信


    大団円(笑

    李氏の蜀獲りを描く小説を書くなら、これで終わらせるのがオススメです(謎

    李氏も春秋の呉のようなお家騒動を起こしてしまいますからねえ。。。李雄後はわりとサスペンスなイメージ。


    李雄≒劉秀ですか。
    本作だけで見れば、李雄は猛将のイメージでした。

    そう言えば、范長生の遜辞はあきらかに李雄を劉秀に擬えていましたが、背景に李雄に対する評があるんですかね?


    蜀は地理的にも孤絶しやすいですから、中原が乱れると劉焉がやったみたいな避難場所になりますよね。

    その積み重ねで遺伝的に穏やかになったのでしょう(嘘

    実際には生産力が高かったので、安定していた時期が長いんじゃないかと思います。
    秦の制覇、西魏が東魏を破り得たのは、明らかに蜀を得て国力が高まったことにあると思います。

    高い生産力の理由はおそらく豊かな水にあり、都堰江が象徴的ですが、蜀の旱魃という記事はあまり記憶にないのです。

    安定的な生産が基盤となり、それゆえに避難場所になった、と考えると、歴史事象が一本の線に繋がるように思います。

    これがまあ、憶説というヤツですね(笑


  • 編集済

    続けざまに、「八王の乱」、第四幕ですね。淮南王・司馬允は八王に加える説もあるので、これも幕にいれていいかと思われます。洛陽城内で堂々と戦闘が行われる、勅使が刺客となるなど、西晋王朝の権威が地に落ちたのが分かりますな

    司馬允は長沙王・司馬乂と並び、八王の中では比較的人間として良い方なのですが、殺伐とした武人肌の人間がかなりマシというところに当時の司馬氏の人物がいかに絶望的であったか思いやられます。

    (帝室)
    恵帝:司馬衷
    皇后:賈南風(死亡)
    執政:司馬倫・✕司馬允・司馬冏・孫秀→司馬倫・孫秀・司馬冏

    (八王)
    趙 王・司馬倫
    斉 王・司馬冏
    長沙王・司馬乂
    河間王・司馬顒
    成都王・司馬穎
    東海王・司馬越
    汝南王・司馬亮(死亡)
    楚 王・司馬瑋(死亡)

    (親王公)
    瑯琊王・司馬睿
    梁 王・司馬肜
    南陽王・司馬模
    呉 王・司馬晏
    ✕淮南王・司馬允
    范陽王・司馬虓
    東瀛公・司馬騰
    東安王・司馬繇
    新野公・司馬歆
    予章郡王・司馬熾

    作者からの返信


    〉洛陽城内で堂々と戦闘が行われる、勅使が刺客となるなど

    早くも曹魏末期のような感じになってしまいましたね。

    宗室を疎外して権臣に簒奪された曹魏を鑒とし、晋は宗室に権限を与えたものの、それが裏目に出て内訌が絶えなかったというのは通説ですが、加えて親王の質の悪さもかなりの部分を負っているように思われます。

    司馬氏は河内温の名家のはずなんですけどねえ、無為自然を旨とする老荘思想、清談の流行あたりが害になったような気もしますが、さて。


  • 編集済

    ここに出てくる譙登は譙周の孫です。多分、祖父が降伏を主張してしまったせいで劉淵のもとに駆けつけるのをやむを得ず断念したんでしょうね。(笑)

    しかし、文頊のついていた権太守って何でしょうね。三國志後伝は権守となっていますし、ただの守備責任者って意味でしょうか。

    内紛による暗殺で三人も重臣を失うとは、漢の圧勝ぶりとは確かに違いますね。蜀という地は来歙・岑彭・張飛と暗殺で名将が散りやすい場所ですな。

    ただ、張金苟は確かに強くて活躍もしたので、不当な地位であったのは間違いないかと思えます。これは少し同情しますね。

    追記
    そういう用例があるなら、それで間違いないでしょうね。名前からすると、文碩の親族でしょうか。蜀の大姓に文氏がいることは華陽国志からも確認できるようです。
    http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/10314/1/shigaku_40_okayasu.pdf

    そして、いよいよアレですな。そこからしばらく続く部分は奇作・怪作の類といっていいでしょう。

    作者からの返信

    > 譙登は譙周の孫です。

    マジですか。
    譙氏は蜀の豪族なので、そういう人もいるわなあ、と思っておりました。
    調べんといけませんね。宿題。


    > 権守

    用例から考えると、「権に守せしむ」で「仮に鎮守を委ねる」という用例が『周書』あたりにはありますので、あまり違和感なく、仮の郡太守ですかねえ、という感じで訳しておりました。
    もうちょっと突っ込んでみる方がいいかもですね。


    > 蜀という地は来歙・岑彭・張飛と暗殺で名将が散りやすい場所ですな。

    費禕もそうでしたね。
    少数民族が漢族に支配されているという構造も、
    原因の一つなのかも知れません。

    そういえば、『呉漢』が出ましたね。
    読みたいなあ。。。


    > 張金苟

    閻式も厳しい人だったんでしょうね。
    何となく人となりが分かる気がしました。

    これで蜀の覇権は李雄に帰して、次回で
    成編は完結ですね。
    そこからいよいよアレに入ります。


    【追伸を受けて】

    権守は掘り下げてもイマイチかも知れませんが、一応は説得力がある推論くらいまでは持っていきたいところです。

    文姓はそうですね。
    蜀の大姓というと民族的にはどうだったのかなあと気になるところがあります。
    北魏に入っても蜀から河東に移った賨人が差別を受けたという記述が『魏書』にあり、漢人からは明確に異民族と見られていたようですから、何か習俗や外見に決定的な違いがあったんだろうかと推測してしまいます。

    そう考えると、板循出身の王平は曹操に従って洛陽で任官したこともあるようですから、当時の漢人は異民族に大らかだったんでしょうね。

    〉そこからしばらく続く部分は奇作・怪作の類といっていいでしょう。

    まさに奇作ですが、一番の見せ場ですからね!

    編集済

  • 編集済

    「八王の乱」、第三幕ですね。ついに三国志演義最後の英俊である張華が死に、西晋の崩壊が決定づけられ、戦乱の時代に再び入ります。

    賈后についても、近年出版された「魏晋南北朝のいま」で項目立てられ、その政治能力や度量の広さが再評価されているようですね。母の賢婦人(笑)郭槐については、賈后も母と同じことをしているだけなので、「よく言うよ」とは思いますが。

    また、司馬雅、士猗は太子・司馬遹が廃されて生前に救おうとしたのに、孫秀が趙王・司馬倫に「殺されてから、賈后を討伐した方がよい」と進言して司馬遹が殺されるのを静観したことも改変され、二人の悪辣さがマイルドになっています。

    今回で執政ががらりと変わります。皇后の地位は早期に次の就任者がでるため削除をせずにそのままにします。

    (帝室)
    恵帝:司馬衷
    皇后:✕賈南風
    執政:✕賈南風・✕張華・✕(賈模)・✕裴頠・王戎→司馬倫・司馬允・司馬冏・孫秀

    (八王)
    趙 王・司馬倫
    斉 王・司馬冏
    長沙王・司馬乂
    河間王・司馬顒
    成都王・司馬穎
    東海王・司馬越
    汝南王・司馬亮(死亡)
    楚 王・司馬瑋(死亡)

    (親王公)
    瑯琊王・司馬睿
    梁 王・司馬肜
    南陽王・司馬模
    呉 王・司馬晏
    淮南王・司馬允
    范陽王・司馬虓
    東瀛公・司馬騰
    東安王・司馬繇
    新野公・司馬歆
    予章郡王・司馬熾

    追伸
    >経済方面は新しい研究が進んでないのかなあ。。。
    これは総論で「違和感をおぼえる読者がいるだろう」と言及されていますね。ただ、「研究状況は大きく変わってきている」そうです。マルクス経済の問題があったため、忌避されたのかな。あくまで推測ですが。

    >日本人は生々しい政争を嫌うんですかねえ。
    続三國志演義からの改変でしたね。一つの事件に善悪をつけたがるのかもしれません。柴田錬三郎の三国志で、孫峻を善人に、曹髦を暗愚に無理にしていたのを思い出しました。

    孫秀の件は三国志演義の劉岱と同じように故意に単純化したのかもしれません。彼の暴走が西晋を滅亡に追いやったことと、天才的な政争能力と壊滅的な国家の大略能力の頭脳のちぐはぐなところを説明する面白い改変なのですが。やはり、初期は別人が書いたのかも、と考える次第です。

    作者からの返信

    こんばんは。

    御教示ありがとうございます。
    『アジア遊学』で魏晋南北朝を特集したんですね。
    「晋恵帝賈皇后の実像 小池直子」ですか。
    地理方面では国都・都城は良さそう、これは読んでおく方がいいだろうなあ。

    しかし、すっかり政治・社会寄りになって、経済方面は新しい研究が進んでないのかなあ。。。


    〉母の賢婦人(笑)郭槐

    かなり違和感あります。たしか、妬心がひどくて賈充も手を焼いていた記憶が。。。当時における典型的な悪妻やないかい。

    謝安も恐妻家として有名でしたし、婦道の建前だけでは家の中はうまくいきませんよね。


    〉二人の悪辣さがマイルドになっています。

    朱子学が隆盛した江戸の時代性もあるのかも知れませんが、日本人は生々しい政争を嫌うんですかねえ。

    このあたりから孫秀無双がスタートするわけですが、第一回の呉滅亡の報に接して復讐を誓う伏線がイマイチ生きてないのが残念です。

    そこだけ抜き出すと、なかなかの悪漢小説になりそうなのに勿体ない。人物を取り違えてはおりますが。。。


    【追伸を受けて】

    経済は意図的に外したのかもしれませんね。
    だいたい論文が長くなる傾向にありますし。
    動向くらいは載せてほしいところですが。。。


    〉一つの事件に善悪をつけたがるのかもしれません。

    白黒をはっきりさせたがる感じはありますね。
    灰色というか、判断を保留する態度を潔しとしないというか、日本の地形上、勢力圏が線的になるためか、確固たる三者以上が入り乱れた複雑な政情というのは、あまり経験がないようにも思います。

    だから、灰色としなければ立ちいかない状況では暴発する傾向が。。。

    案外そのあたりが三国志が受けた遠因にあるかもしれません。


    〉三国志演義の劉岱

    これは知りませんでした。
    同姓同名はともかく、字まで同じとは斬新ですね。

    劉岱が意図的かは議論の余地がありそうですが、孫秀は意図的な混同でしょうね。趙王倫傳をはじめ、随所に出自に関する記述が散見されますから、気づかないはずがない、と思う。


    〉初期は別人が書いたのかも、と考える次第です。

    行き着く結論はこれなんでしょうね。。。

    編集済

  • 編集済

    あくまで八王の乱の幕間劇には過ぎませんが、危うい均衡で維持していた西晋がついに崩壊に向けて動き出しますね。賈后は司馬遹が英邁でなくなり、皆が忘れたでもと思っていたのでしょうが、暗愚である司馬衷が帝位につけたのは聡明だった司馬遹が太子であることが条件だったのです。これで司馬衷が皇帝であるという正当性が非常に弱くなり、恵帝政権、ひいては西晋が崩壊に向かいます。

    なお、三国志後伝はこの後も生きている賈模ですが、実は、司馬遹が殺される前の前年に死去しています。さほどの英才でもなかった彼が絶妙なバランサーだったことに、政権維持の困難さを感じますな。

    次回から太子のポジはなくなります。
    (帝室)
    恵帝・司馬衷
    皇后・賈南風
    太子・✕司馬遹
    執政・賈南風・張華・賈模・裴頠→賈南風・張華・(賈模)・裴頠・王戎

    (八王)
    趙 王・司馬倫
    斉 王・司馬冏
    長沙王・司馬乂
    河間王・司馬顒
    成都王・司馬穎
    東海王・司馬越
    汝南王・司馬亮(死亡)
    楚 王・司馬瑋(死亡)

    (親王公)
    瑯琊王・司馬睿
    梁 王・司馬肜
    南陽王・司馬模
    呉 王・司馬晏
    淮南王・司馬允
    范陽王・司馬虓
    東瀛公・司馬騰
    東安王・司馬繇
    新野公・司馬歆
    予章郡王・司馬熾

    作者からの返信

    こんばんは。

    賈后の悪巧み全開でついに司馬遹も退場となりましたが、太子空位がつづくというのもなかなか異常ですね。

    子を産んで家を保つのが人の義務という現代では歓迎されない考え方が当然だった当時から考えれば許される話ではないでしょうに。

    賈模の死は気づきませんでした。調べて補足するようにします。

    「第二十九回」の和嶠もそうでしたが、こういう地味な間違いは見つけるのが大変なんで、ホント勘弁してほしいです。。。


  • 編集済

    「八王の乱」、第二幕ですな。今回は中国史になれていると当然の結果に見えます。

    これを見ると、「三国志後伝」では、騙されたふりをして汝南王・司馬亮と衛瓘を殺して利用価値のなくなった楚王・司馬瑋を殺したという展開にしない分、賈后は正史よりは比較的善人に描いているようです。また、恵帝も暗愚とはいえ、それなりの自主性と判断能力があるように描いていますね。概説書の読書後でしたので、ちょっと意外に感じたものです。

    (帝室)
    恵帝・司馬衷
    皇后・賈南風
    太子・司馬遹
    執政・賈南風・張華・✕司馬瑋→賈南風・張華・賈模・裴頠

    (八王)
    ✕楚 王・司馬瑋
    趙 王・司馬倫
    斉 王・司馬冏
    長沙王・司馬乂
    河間王・司馬顒
    成都王・司馬穎
    東海王・司馬越
    汝南王・司馬亮(死亡)

    (親王公)
    瑯琊王・司馬睿
    梁 王・司馬肜
    南陽王・司馬模
    呉 王・司馬晏
    淮南王・司馬允
    范陽王・司馬虓
    東瀛公・司馬騰
    東安王・司馬繇
    新野公・司馬歆
    予章郡王・司馬熾

    作者からの返信

    こんばんわ。
    いつもありがとうございます。

    まだまだ序の口ですよね。
    お楽しみはこれからだってわけです。

    賈后は『千姫御殿』のモデルということで、強い悪女属性を与えられてしまった悲劇がありますよね。

    実際、賈后執権中はそれほど大きく崩壊してはいなかった王朝が死後に崩れていくことを考えると、政治的手腕はあったのかな、という疑いもありつつ。

    則天武后と同じく、牝鶏が~という男尊女卑思想がある間は受け入れられなかったでしょうけど。

    実は『三國志後傳』は徹底的な悪役キャラはいないんですよね。完全白痴状態の無能も同様にいないですし。

    あ、でも権力奪取前後での劣化が激しい印象がありますが、これは仕方がないんでしょうね。

    靳準とか、激しい鬼畜っぷりを期待していたのに。。。残念。

    編集済

  • 編集済

    ついに、「八王の乱」の第一幕ですね。このあたりはまだある程度乱れた王朝ならよくある宮廷劇という感じですが。汝南王・司馬亮は、司馬一族では長老格として名声のあった人物ですが、政治手腕がそれに及ばなかった印象です。

    衛瓘は鄧艾を謀殺したことで知られた人物ですが、二次創作の続編で報いを受けるという珍しい人物になりましたな。

    一覧では執政でご指摘ありましたので、色々考えて→は一つだけにするようにしました。賈后政権までは微妙な入れ替わりがあるので。なお、八王は死んでも消さずに、(死亡)といれて下に入れ込む形にします。

    後、成都王の方が河間王の上に来るべきでしたね。失礼しました。

    (帝室)
    恵帝・司馬衷
    皇后・賈南風
    太子・司馬遹
    執政・✕司馬亮・✕衛瓘・張華・賈南風
       →賈南風・張華・司馬瑋

    (八王)
    ✕汝南王・司馬亮
    楚 王・司馬瑋
    趙 王・司馬倫
    斉 王・司馬冏
    長沙王・司馬乂
    成都王・司馬穎
    河間王・司馬顒
    東海王・司馬越

    (親王公)
    瑯琊王・司馬睿
    梁 王・司馬肜
    南陽王・司馬模
    呉 王・司馬晏
    淮南王・司馬允
    范陽王・司馬虓
    東瀛公・司馬騰
    東安王・司馬繇
    新野公・司馬歆
    予章郡王・司馬熾

    追記
    そうですな。長沙王・司馬乂だけは、悲劇的な最期もあわせて少しだけ勘弁してやってください。(慣用句)
    八王については資治通鑑も似たようなものですよ。正直、三国志後伝の扱いが一番ましです。晋書でそこまで非難しないのは司馬衷も含めて「こういう人たちに責任を問うこと自体が不毛。子孫がこのようなものばかりであった司馬懿・司馬師・司馬昭・(特に)司馬炎の功罪を問う」という姿勢だからと思います。
    李世民の粉飾説もありますが、司馬氏に有利な記事も晋書では採用されていたりもしますし、晋王朝の天命は認めているので、貶める意図ではなく、その四人の人徳的な面を責めたのかと。
    正史・三国志は司馬氏に配慮しまくりの歴史書なので、この四人の評価は晋書の方が、李世民の思惑があったにせよ、正当かなと思えます。

    作者からの返信

    ふふふ。
    まめさんの労作をまた頂戴するわけですが。

    司馬氏の諸王のダメっぷりはなかなか歴朝にないレベルでアカン感じですよね。

    衛瓘や賈充なんかは優れた人だと思いますよ。
    鄧艾も優秀ですが、処世が致命的に拙劣でしたね。

    ただ。
    八王いずれも残らずダメ。
    ついでに汝南王もダメ。

    一人くらいは英明な人がいてもいいのに、(事後的に評価すると)残らず全部ロクな人間がいません。
    印象に残る逸話もありませんし。

    その割りに『晋書』は甘口な評価をしているように感じます。李世民や魏徴あたりなら激しくDisりそうな気もするんですけどねー。
    褚遂良なら血管キレるレベル。

    『魏書』ほど悪しざまに言わないのは品がいいのか、やる気がないのか。フツーにダメ王朝だと思うのですが、皇帝や執政が自ら戦陣に出る『北齊書』『周書』、逸話が豊富な『隋書』ばっかり読んでいるからかなあ。。。『北齊書』は違う方向で極北ではありますが。

    そう考えると、人を知るよすがになる逸話が少ない『晋書』の問題ですかね。なんか、肩書きだけののっぺら坊が並んでるイメージになっちゃってます。

    読書百遍で読み込みが不足しているのか、合わせて『通鑑』を読み返せば印象変わるのか。ああ、傳や載記の併読が足りない可能性もありますか。。。


    【追記を受けて】

    勉強になります。
    『晋書』は司馬炎および先二代の責を問う態度なのですね。

    『三國志』も大概イレギュラーな史書ですよね。このあたりから入るのは困るなあと、常々思います。

    書とか普通ないからね。

    じっくり読むと色々と見えてきそうな気もしますが、なかなかその時間もありませんから、まめさんの見解を伺ってみたかったのです。

    長沙王の今後に期待したいと思います。

    取り急ぎ、お礼方々。

    編集済

  • 編集済

    この回の攻防が、続三國志演義の白眉だと思います。兵糧を巡る土豪や民の扱いの難しさ、お約束では必ず有利に進むはずの李特の善行が仇となる展開、民のあっさりとした変節、豪族・土豪を内部に取り込むことの是非を巡る李特と参謀の意見の食い違いによる破綻、今までの勝利全てが嘘のような李特軍の急速な崩壊。

    やたらと強い漢軍や陰湿な西晋側と違い、李特たち流民たちに行動原理や事態の因果関係が分かりやすいのもあって、この前後が最も面白かったです。

    作者からの返信

    よくよく読んでみると、漢軍無双との対比が凄いですよね。

    戦術も反間を入れたり地味なものがエライ効果を上げるし、「あっちはファンタジー、現実はコッチ」みたいな。

    劉氏がまったく戦死しないのに、李氏は次々と陣没がつづいてオーバーキルまで発生する始末。

    おっしゃる通り、生々しさは作中随一です。


  • 編集済

    こちらで、「八王の乱」の前振りが終了ですね。この後、楊太后(楊芷)は、賈后(賈南風)によって、謝罪した上で懇願したにもかかわらず生き残った母親が処刑され、さらに餓死させられるという結果になります。

    さすがに胸糞悪すぎるためかカットされていますが、例え西晋の人物が悪役だとしても、講談として正解だと思います。遊牧民の残酷なところは理解できるのですが、この西晋は陰湿もしくは権力欲が強すぎる人物が多すぎて、理解に苦しみ、感情移入しにくいです。

    正直、続三國志演義から読まなかったら、資治通鑑もこの時代で読むのをやめていたかもしれません。そういった意味でも続三國志演義は思い出深いです。

    次回に、執政(政治責任者)が司馬亮・衛瓘・張華・賈南風に変わるので、整理しました。次のリストでは、太后は消えます。

    (帝室)
    恵帝・司馬衷
    皇后・賈南風
    太后・✕楊芷
    太子・司馬遹
    執政・✕楊駿→司馬亮・衛瓘・張華・賈南風

    (八王)
    汝南王・司馬亮
    楚 王・司馬瑋
    趙 王・司馬倫
    斉 王・司馬冏
    長沙王・司馬乂
    河間王・司馬顒
    成都王・司馬穎
    東海王・司馬越

    (他王)
    瑯琊王・司馬睿
    梁 王・司馬肜
    南陽王・司馬模
    呉 王・司馬晏
    淮南王・司馬允
    范陽王・司馬虓
    東瀛公・司馬騰
    東安王・司馬繇
    新野公・司馬歆
    予章郡王・司馬熾


    作者からの返信

    西晋の権力闘争は歴朝の比ではないですね。求心力を欠いた、というのが正しいのか分かりませんが、自壊して横から劉淵にトドメを刺された印象です。

    執政の交代ですが、長々とつづくこと請け合いなので、✖︎が増える間は維持するとして、執政交代時には→から改行するのがよいと思います。

    執政・✕楊駿
    →✕司馬亮・✕衛瓘・張華・✕賈南風
    →・・・・

    代変わりにも使えそうですね。
    しかし、そんな政権もどうよって話ですが。。。

  • ここで出てくる徳陽を守る張徵ですが、何気に蜀漢の張翼の子です。(なお、正史では張微になっています)

    羅尚も実は蜀漢の羅憲の甥にあたるので、この二人も三国志後伝の世界なら劉淵のもとに駆けつけるのが筋ですが、そこは都合が悪かったのか、酉陽野史はほとんど無かったことにしていますね(笑)

    作者からの返信

    あー、言っちゃった(笑

    羅憲は『三國志演義』読者はまあ知らないでしょうから、特に触れるに及ぶまい、と。

    張徴と張微は史料が少ない&錯綜しているので、知らないフリをしました。

    『三國志』裴注引『華陽國志』では「張翼の子の張微は廣漢太守まで進んだ」とあって時期が不詳、『晋書』恵帝紀太安元年五月條に「廣漢太守の張微が殺された」とあるので、まあ確定でいいのですかね。

    名前がありがち過ぎてイヤな感じです。
    さらに張微&張徴の問題まであるので、触らぬ記事に祟なし、というわけで、本件はスルーさせて頂きました。


  • 編集済

    いよいよ、ここから中国史の概説書で「複雑過ぎて理解しにくいので省略される」八王の乱の前段の始まりですね。私は、続三國志演義で八王の乱をおぼえました。ここをクリアできないと、五胡時代に辿りつけないという難関ですから、整理したいと思い、西晋王朝と司馬一族の諸王の一覧をつくりました。(王号は史実では変更ありますが、あくまで三国志後伝に沿っております、王号は三国志後伝の第六回と第五十八回を参考にしています)

    続後三國志もなされるとのことでしたので、これを参照にされればと思います。死んだ人物は人名の名前の前に✕を、ポジション交替したら、→をつけます。執政は役職ではなく政治の実質的な最高責任者です。

    (帝室)
    恵帝・司馬衷
    皇后・賈南風
    太后・楊芷
    太子・司馬遹
    執政・楊駿

    (八王)
    汝南王・司馬亮
    楚 王・司馬瑋
    趙 王・司馬倫
    斉 王・司馬冏
    長沙王・司馬乂
    河間王・司馬顒
    成都王・司馬穎
    東海王・司馬越

    (他王)
    瑯琊王・司馬睿
    梁 王・司馬肜
    南陽王・司馬模
    呉 王・司馬晏
    淮南王・司馬允
    范陽王・司馬虓
    東瀛公・司馬騰
    東安王・司馬繇
    新野公・司馬歆
    予章郡王・司馬熾

    作者からの返信

    なるほど。

    これなら目まぐるしく変わる八王の
    乱も分かりやすく整理できますね。

    また剽窃させて頂く方法を考えます(笑


    【ご報告】
    ▼まめ知識、追加しました。

    これなら分かりやすくなりますね。

    工夫が不足しているんだなあ。。。反省。

    編集済
  • 後から考えると、上官晶・李蕩・李雄らを相手どってまだ余裕のある羅尚配下の田佐の強さは化け物ですな。それにしては、呆気のない最後ですが妙な臨場感があります。

    大勢で一人にかかったり、隠し矢を射たりする李特側は卑怯ではありますが、流民側の必死さが出ており、堂々と正面から敵を攻撃することを基本とする漢軍との違いの個性が出ていると感じております。

    作者からの返信

    後段であきらかになりますが、上官晶が実はかなり強いですから、田佐はたぶん怪物なんですよね。

    それを弩弓で仕留めるあたり、かなり生々しいのはご指摘とおりだと思います。

    しかし、この話を講談でやって盛り上がったのかなあ。

    疑問。


  • 編集済

    これで蜀漢の子孫たちの初期グループは、ついに集結ですね。参謀は主要の二人しかおらず、文官がほとんどいないこの構成は水滸伝の影響でしょうか。

    関河、関山、関心はここで加わったことになっていますが、六十七回、八十一回を見ると、この段階では加わっていないようなので、『三國志後伝』での混乱があるのかもしれません。『関河、関山、関心、王彌』とある最後は、『王邇』だと思います。

    ただ、劉聡が次回にいきなり出てきていますが、これは酉陽野史が出すタイミングを逸してやむを得ずということでしょうか(笑)。これなら、能力如何にかかわらず父を長年補佐した功績から兄である劉和が太子になるのが筋だと思うのですが。

    第1グループ 左國城
    劉淵(字は元海)、劉霊(字は子通)、廖全、劉曜、劉伯根(字は立本)、喬晞、喬昕、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、趙藩(字は文皋)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、楊龍、劉和、楊興寶(字は國珍)、胡文盛、諸葛宣于(字は修之)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、馬寧、劉豹(死亡)、劉宣、支雄(字は世英)、関河(字は継遠、加入不明)、関山(字は継安、加入不明)、関心(字は継忠、加入不明)、王邇、劉聡(後から加わる)、胡延氏(後から加わる)、劉累(後から加わる)、劉歓(後から加わる)、劉膺(後から加わる)、劉宏(後から加わる)

    第4グループ 第1グループに合流
    王彌(字は飛豹)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、王如、李珪、李瓚、樊榮

    第5グループ 第1グループに合流
    孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、靳準、靳術、刁膺

    第8グループ 第1グループに合流
    虁安、曹嶷

    第9グループ 武郷
    石勒(以下略)

    第10グループ 酒泉
    王伏都

    第11ループ 棲鳳崗
    陳元達(字は長宏)

    第12グループ 酒泉
    徐光(字は普明)

    作者からの返信

    むむ。

    「関河、関山、関心、王彌ならびに諸家の眷属をも捜索させ、数ヶ月を経ずにみな左國城に会するに至る。」

    この文章は複数の解釈が可能になっていますので、
    ちょっと見直してみます。

    結果はまた後ほど。
    毎度ですが時間かかるかもですが、
    すみませんすみません。


    【ご報告】
    ご指摘通り、「王彌」は「王邇」の誤りでした。王彌の一族なんですね。また、関河、関山はここで加わっているようですが、関心は後段で姜發兄弟とともに蜀を脱出しますので、ここでは左國城に到っていません。文意を修正しました。

    ご指摘ありがとうございました!

    編集済

  • 編集済

    ここで、勝っているのも関わらず講和する理由が当時としては戦略的ですな。『後三国志』の単純さに比べたら大きな違いがあります。

    いくら漢が名将揃いと言っても、相手は中国全体を統一した相手であり、一応の統治が行われている相手です。蜀漢の諸葛亮が長安をおとせば、魏の天子の天命を疑われて魏が内部崩壊する可能性があるのとは事情が違います。

    元々決起した時は匈奴の北部だけで、劉淵、劉霊、劉伯根、齊萬年、郝元度、馬蘭、盧水の七人で行ったようなものなので、そのうち4人が死んでは兵士の士気も下がり、戦闘の続行を断念もやむなしと感じます。

    孟観や傅仁が決して愚かではないということに丁寧さが感じますね。

    今回、劉宣らの匈奴の四部が加わったので、また、整理しました。馬蕙、盧冰は北部に戻ったという解釈で生死不明の王情とともに、次回にフェードアウトです。

    第1グループ 山西
    劉淵(字は元海)、劉霊(字は子通)、齊萬年(字は永齢、死亡)、廖全、劉曜、劉伯根(字は立本)、喬晞、喬昕、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、趙藩(字は文皋)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、楊龍、劉和、楊興寶(字は國珍)、胡文盛、諸葛宣于(字は修之)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、馬寧、郝欽(死亡)、王情(生死不明)、董綦(死亡)、林茂(死亡)、馬蕙、盧冰

    第4グループ 馬邑県
    王彌(字は飛豹)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、王如、李珪、李瓚、樊榮

    第5グループ 馬邑県
    孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、靳準、靳術、刁膺

    第8グループ 黒莽坂
    虁安、曹嶷

    第9グループ 武郷
    石勒(以下略)

    第10グループ 酒泉
    王伏都

    第11ループ 棲鳳崗
    陳元達(字は長宏)

    第12グループ 酒泉
    徐光(字は普明)

    第13グループ 山西  第1グループに加入
    劉豹、劉宣、劉累(後から加わる)、劉歓(後から加わる)、劉膺(後から加わる)、劉宏(後から加わる)

    追伸
    孟観は史実では圧勝だったのに、連敗に変えられていますしね。本来ならもっと活躍してもおかしくないのに呆気ない退場に三國志演義の影響化にある「史実を重視する」姿勢が見えますね。ただ、死ぬタイミングの改変に多少の酉陽野史の愛情は感じました。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます。

    王情とか存在さえ忘れてました。
    山西は人が増えましたねえ。

    > 勝っているのも関わらず講和する理由が当時としては戦略的ですな。

    曹操の鶏肋も有名ですが、あれはちょっと文学的な匂いがしますね。
    実際、政治家としての曹操がどうしてあの判断をしたのかは、説明
    がなかったように思いますし。

    『三國志演義』を読み返してみます。

    孟観も扱いがひどいと言えばひどいですよね。
    齊萬年を討ち取るなど活躍したのに。
    傅仁もこれ以降はほとんど出てこないですし。
    宮城谷版『三國志』と同じく群像劇という感じですね。

    色々スピンオフが創れそうという点ではよい素材かも?

  • まさかの二連敗! 力量はともかく、重要な立場にある人物が三人も戦死した時に「これは面白い類に入る講談だな。最後まで読もう」と思った記憶があります。

    いままでは単独で個人的力量の高い相手ばかりで、齊萬年と劉霊がいれば勝利できましたが、参謀を必要とする戦いに代わった時ですな。もっと、ちょっと張賓の軍師就任を印象的に描いてくれた方がよかったと思いますが。

    ここで郝元度、馬蘭、張瀘が戦死し、第7グループが劉淵たちに吸収されたので、改めて整理しました。(第9グループは未整理なので省略した形です)

    兀哈台はフェードアウトしてしまいますが、後に出てくる郝欽、馬蕙、盧冰はそれぞれ郝元度、馬蘭、張瀘の縁者っぽいですね。

    第1グループ 涇陽
    劉淵(字は元海)、劉霊(字は子通)、齊萬年(字は永齢)、廖全、劉曜、劉伯根(字は立本)、喬晞、喬昕、張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、趙藩(字は文皋)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、楊龍、劉和、楊興寶(字は國珍)、胡文盛、諸葛宣于(字は修之)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、馬寧、郝欽(後から加わる)、王情(後から加わる)、董綦(後から加わる)、馬蕙(後から加わる)、盧冰(後から加わる)

    第4グループ 馬邑県
    王彌(字は飛豹)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、王如、李珪、李瓚、樊榮

    第5グループ 馬邑県
    孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、靳準、靳術、刁膺

    第7グループ 第1グループに吸収される
    郝元度(字は中立、死亡)、兀哈台、馬蘭(字は国香、死亡)、張瀘(字は盧水、死亡)、突兀海牙(死亡)

    第8グループ 黒莽坂
    虁安、曹嶷

    第9グループ 武郷
    石勒(以下略)

    第10グループ 酒泉
    王伏都

    第11ループ 棲鳳崗
    陳元達(字は長宏)

    第12グループ 酒泉
    徐光(字は普明)

    作者からの返信

    このあたりの敗戦の折り込み方はいい感じですよね。

    王彌たちの合流で序盤が終了、となります。

    そこからはいよいよ晋漢の戦いの本線開始、というわけで。

    ただ、近況にも書きましたが成の折り込み方がうまくいっていないので、やはり話の断絶は覆えないです。

    実際、成に限らず蜀を地盤とする政権は積極性にかけるため、歴史の表舞台に出ることはあまりないですから、仕方ないのですが。

    恵まれた地理的孤立ゆえのジレンマなんでしょうね。


  • 編集済

    いよいよ、趙勒改めて石勒の登場ですね。

    趙雲の孫というのは、字やスペック、演義での扱いの関係で納得ですが、なぜ、忠臣である趙雲の子孫が漢と争う設定にしたのかは少し疑問です。石勒は李特みたいに全然、蜀漢と縁がない人物でもいいような。やはり、別人から引き継いだのかな。

    石勒のいた人物が一気に増えた第9グループを整理しました。今となっては十八騎としてマニアックな人気がありますが、当時はこれを読んで、人物名をおぼえる気はしませんでした(笑)

    第9グループ 武郷
    石勒、汲桑(字は民徳)、石莧、石富、胡延莫、劉徴、劉寶、張曀僕、郭墨略、張越、孔豚、王楊、冀保、胡莫、趙鹿、呉豫、劉膺、支屈六、石桑(後から加わる)

    追記
    おっとそうでしたか。この部分の読み込みが足りませんでしたな。ご指摘ありがとうございます。ここは後の展開を見て、改めてリストとしてあげます。

    再追記
    石勒主役の小説は、私自身も10年ほど前から構想がありますからね(笑)
    何十年先の話しでそこまで生きているか知りませんが、自力本願でいきたいなと考えています。
    史実ベースではありますが、基本的にこの時代の史料は頼りないし、歴史論文の発表ではないので比較的資治通鑑を重視するぐらいで、後は自分の想像でいいかなと。そうなっていいように仕掛けも考えたつもりです。
    日本人が適当につけた名前はなぜか浮くので、オリキャラが必要な時は、三國志後伝の人物の名前を貸してもらうつもりはあります。

    作者からの返信

    石桑ですが、「第六十二回 成都王司馬穎は孫會と戦う」で石勒の兄とされており、その実は石氏の養子となった汲桑です。

    趙氏から石氏に改姓したのは、石勒や石虎が有力な部下に石姓を授けて義子にしているため、その伏線なんですかね。

    また、胡延莫と胡莫は同名を略しただけかも知れません。
    この種の省略は複姓の北族にはよくありますね。

    【再返信】
    石桑の登場は先の話ですから、のんびりお楽しみ頂ければ幸いです。

    石勒は単体で小説化する方が面白くなりそうですね。

    奴隷から皇帝ですから、やはりドラマティックです。

    十八騎もそっちのが生きそうですし、『漢を襲う』に期待したいと思います。他力本願。

    史料が限られますから、書きにくいでしょうね。。。

    【再々返信】
    石勒の物語、面白そうですね。
    物語に完璧ということはありませんから、見切り発車でも書きたいものは書いた方がいいみたいですよ。

    司馬遼太郎さんは長編前に短編を書くことが多いみたいですね。
    『花神』が好きなのですが、その前に同じ主人公の短編も書いており、膨らませたんだな、と思いました。

    プロットを組むテストだったんでしょうね。

    こういうサイトのよいところは、好事家が集まってワイワイできるところなので、試しにプロットを短編として上げるのもいいと思います。

    といいつつ、私自身は翻訳を上げているだけなのですが。。。

    編集済
  • 呂虔の孫と李典の孫という渋い人選でしたが、守将たちは大仰な紹介とは異なり、李眷以外は意外とあっけない最期でした。呂苔が案外、凡将でしたな。

    ただ、この戦いは講談でよくある「参謀の言っていることに完全に耳を貸さずに敗北」ではなく、「参謀の言っていることを理解し、敵の策は分かっていたが、兵力の重点配分を誤り敗北」というそれなりに高度な敗北の説明の手法がとられていることは評価したいです。

    作者からの返信

    私もこの戦はけっこう好きです。
    張賓が敵の城塞を観察して策を練るあたり、リアリティを感じます。

    呂苔や李眷もよくある「バカ過ぎる敵」ではなく、ちゃんと判断しながらも及ばなかった、という操作がされています。

    前半の一騎打ちで敗れて全軍覆滅、とはだいぶんと隔たりがありますよね。

    編集済

  • 編集済

    ここでの魏三兄弟が胡延姓になった事情は続後三國志の首巻・姓氏のところにも説明文があるので、ここはカットせず、注釈の説明があってもいいのかなと思います。

    後、魏収という人物はおらず、関氏はまだ仲間になっていないません。三國志後伝ではそういった記述はないので、これは続三国志演義の誤りでしょう。カットもなかなか難しいですね。

    ここで、徐光が新しいグループとなったのと、第2・第3・第6グループが第1グループに合流したので、整理します。趙概の字は変更して、趙染の方をリストの上位とします。喬晞・喬昕・胡文盛も追加です。後、楊興寶の字は忘れていたので追加します(笑)



    第1グループ 柳林川
    劉淵(字は元海)、劉霊(字は子通)、齊萬年(字は永齢)、廖全、劉曜、劉伯根(字は立本)、喬晞、喬昕

    第2グループ 第1グループに合流
    張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙染(字は文翰)、趙概(字は文勝)、趙藩(字は文皋)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)

    第3グループ 第1グループに合流
    諸葛宣于(字は修之)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、馬寧

    第4グループ 馬邑県
    王彌(字は飛豹)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、王如、李珪、李瓚、樊榮

    第5グループ 馬邑県
    孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、靳準、靳術、刁膺

    第6グループ 第1グループに合流
    楊龍、劉和、楊興寶(字は國珍)、胡文盛、胡芳(安定に残る)

    第7グループ 匈奴北部
    郝元度(字は中立)、兀哈台、馬蘭(字は国香)、張瀘(字は盧水)、突兀海牙(後から加わる)

    第8グループ 黒莽坂
    虁安、曹嶷

    第9グループ 逃亡中
    趙勒、汲桑(字は民徳)

    第10グループ 酒泉
    王伏都

    第11ループ 棲鳳崗
    陳元達(字は長宏)

    第12グループ 酒泉
    徐光(字は普明)

    追記
    そこは中村昴然さんの間違いですから(笑)
    カットしているため、起こった誤りでしょうね。

    こちらの方こそ、河東さんをリスペクトさせていただいております。
    私ではこんなに早くこれほどのレベルの翻訳はできなかったでしょう。
    翻訳していただいているおかげで、人物の整理が容易になり、ご指摘が可能となっているだけで、河東さんのご貢献が多大なのは間違いありません。

    ※ついでに『張、趙、黄、魏、王』の『王』もまだ、仲間になっていないので削除か、『馬』もしくは『楊』に改訂お願いします。

    作者からの返信

    魏収って。
    北魏なら大好きですが。
    攸の間違いかな。

    調べて修正します。

    詳細はまた後日。

    【御報告】
    魏収は『通俗』由来の誤りでした。
    修正させて頂きました。
    見破れないとは情けない。。。

    〉関氏はまだ仲間になっていないません。

    たしかに。
    「第四十一回 関防と王彌は左國城に到る」から関氏は合流しますから、誤りでした。
    記述を省かせて頂きました。

    いつもご指摘ありがとうございます!

    あー、早く整理を追加したい。
    明日作業予定です。
    ▼まめ知識
    を見出しに追加予定です。
    Respect!

    【追加ご報告】
    〉『張、趙、黄、魏、王』

    こちらも手直ししておきました。
    トラップ盛りだくさんです。。。

    編集済
  • ここで、趙概の字が第六回の「総翰」から「文勝」に変更され、おそらくは兄弟順も趙染が兄に変更になっていますね。

    私の勝手な考えですが、劉宣のことといい、初期の第九回(三國志後伝での第七回)ぐらいとその後とに、設定の断絶やストーリーの構成能力などの力量の差を感じます。初期は普通のよくあるあまり出来の良くない講談なのに、途中からはある程度の魅力がある作品になっている印象を受けるのです。

    これは酉陽野史が導入を書いた後に、かなりの期間を置いて途中から書き続けたか、あるいは他の人の導入部だけで終わった講談の設定を借りて続きを書いたか、どちらかではないかなと考えています。

    作者からの返信

    > これは酉陽野史が導入を書いた後に、かなりの期間を置いて
    > 途中から書き続けたか、あるいは他の人の導入部だけで
    > 終わった講談の設定を借りて続きを書いたか、どちらかでは
    > ないかなと考えています。

    これは魅力的な仮説ですね。

    原文を比較していないのですが、用語などに相違があれば、
    決め手にできるかも知れません。

    同じ表現の用字の傾向が異なるとか。

    訓読も別の人がやっているわけですから、原著者が複数でも
    なんの不思議もありませんよね。

    納得してしまいました。

    編集済

  • 編集済

    何気に曹勒が曹勤に、三國志後伝にあわせて修正されていますね。お疲れ様です。

    ここで、武将たちに民家を壊して筏を作ることを命じる張賓は、能力や立場は諸葛亮から受け継ぎながらも、かなりドライで現実主義者な考え方をする軍師に描かれていますね。大体は講談の軍師は、諸葛亮かもう少し軍令に厳しい太公望タイプのどちからなので珍しいです。ここいらは史実の反映でしょうか。

    李瓚もやられてしまい、李厳の子孫は全滅してしまい、他の遺臣との子孫の差(特に関羽の子孫)が歴然としすぎて、正直、ちょっとひどいですね。小説の手法としては、一人だけ残ったなら憶えやすいから、死ぬなら他の兄弟がいる人物が適当だと思うのですが。

    水滸伝もそうですが、活躍する人物を集中させすぎるところが中国の講談の残念なところですね。

    追伸
    張賓が現実主義と思うのは、石勒の王彌や王浚に対する対応の進言からですね。
    張賓と諸葛宣于は、演義の諸葛亮と龐統を足して2で割った結果かもですね。諸葛亮要素が強い分、戦術要素は張賓に移ったということでしょうか。

    作者からの返信

    関羽の一族は『太平記』の楠木正成みたいなもんですよね。
    講談的にはその方が盛り上がるかも知れません。

    李厳に厳しい理由は分からないですね。個人的嗜好かなあ。
    まあ、好まれるタイプとは言い難い人ですが。

    ここでの張賓は意外な印象の人もいるんじゃないですかね。
    個人的には、あーそういう人なのね、という感じでした。

    張賓の傳はチラ見した程度ですが、それほど冷徹な印象は
    受けなかったかなあ。もう一度しっかり読み込んでみます。

    『晋書』何か読みにくいんですよね。『魏書』ばっかり
    読んでいるからかなあ。『宋書』とかよりマシですけど。

    南朝の正史は何か読みにくく感じます。
    隔意があるからかも知れませんが、同じ漢文なのに不思議です。

    ふと思いましたが、諸葛宣于は明らかに演義の諸葛亮を意識していると思います。そうなると、鳳雛や法正のような生臭い軍師がいなくなります。
    なので、やはり諸葛宣于との対比のために設定された現実主義なのかもしれないですね。

    【再返信】
    『晋書』石勒傳をざっと見ましたが、なるほど、
    確かに現実主義というか、人間が辛いですね。

    モデルの宣于脩之も方術の人でしたから、諸葛宣于は
    諸葛亮の弁舌や八陣などを受け継いでいますね。
    その分、張賓が現実的な位置づけに置かれているという
    理解でよさそうに思いました。

    編集済

  • 編集済

    この回ではまた新たなグループが加わったので、追加します。
    第2グループに趙藩が趙兄弟に追加され、趙勒たちが分離しています。
    さらに3グループが現れています。
    ここらあたりから兄弟を無駄に増やさないように気をつけはじめているのが分かりますね(笑)

    第1グループ 柳林川
    劉淵(字は元海)、劉霊(字は子通)、齊萬年(字は永齢)、廖全、劉曜、劉伯根(字は立本)

    第2グループ 棲鳳崗
    張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙概(字は総翰)、趙染(字は文翰)、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、趙藩

    第3グループ 酒泉地方(「後伝」より)
    諸葛宣于(字は修之)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、馬寧

    第4グループ 馬邑県
    王彌(字は飛豹)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、王如、李珪、李瓚、樊榮

    第5グループ 馬邑県
    孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、靳準、靳術、刁膺

    第6グループ 安定(二十二回で明かになる)
    楊龍、劉和、楊興寶(後から加わる)、胡芳(後から加わる)

    第7グループ 匈奴北部
    郝元度(字は中立)、兀哈台、馬蘭(字は国香)、張瀘(字は盧水)、突兀海牙(後から加わる)

    第8グループ 黒莽坂
    虁安、曹嶷

    第9グループ 逃亡中
    趙勒、汲桑(字は民徳)

    第10グループ 酒泉
    王伏都

    第11ループ 棲鳳崗
    陳元達(字は長宏)

    追伸
    劉曜が斉万年の乱の時にはすでに成人しており、戦力に数えられたのではという疑問はこの際なしですね(笑)後伝の感覚としては、蜀の滅亡後、数年で呉も滅亡していて、10年ぐらい時間軸が短くなっている感じを受けます。

    作者からの返信

    たびたびのご協力、痛み入ります。

    なるほど。
    劉伯根と趙藩は成都脱出の際には名前がなく、
    後から出てきていますね。

    劉和はともかく楊興寶もまだ幼年扱いというのは、
    後からの活躍を考えるとどうなんでしょうね。

    まあ、挙兵が成都陥落から三十年過ぎているので、
    その頃には少なくとも壮年くらいにはなってますから、問題ないと言えばないのですが。

    趙勒もよくよく考えると、けっこうな年齢になって
    いるはずなんですよね。。。

    三十路過ぎの参戦時の描写をお楽しみに、ですね(笑)

    【再返信】
    同じく時間軸の件は私も気になっておりまして、感覚的に同意見です。
    蜀漢滅亡から10年短いとすべてがしっくりと行くんですよね。
    誰かへの抗議の意味を籠めて「蜀漢の滅亡より〜年後の」という表現をよく使っています。

    バラしてどうするって話ですが。

    史実と比較して致命的な破綻に至っていないのは、ちゃんと調べて書かれたからでしょうね。

    劉淵=蜀漢の末裔、という設定ありきの話ですから、それが可能かはちゃんと調べたように思います。

    ただ、そこで安心してしまい、蜀漢滅亡を経験したはずの石勒や劉曜が、30年後に若武者として描写されてしまうわけですが。。。

    まあ、講談ならではのご愛嬌ということで。

    編集済

  • 編集済

    ここでまた、新たな集団が味方になったので整理します。劉和・楊龍がいなくなっていて不思議に思っていましたが、後から安定に置いてきたことが明かになりますね。劉宣は完全にいなくなったのでリストから落とし、劉伯根を正式に加えます。

    また、三國志後伝の「第八回」で、魏三兄弟は「胡延」姓を名乗っており、兄弟順が胡延晏の方が胡延攸より兄に、設定変更(あるいは決定)されたようなので、リスト順と人名も変更します。

    お尋ね者にならなかった第3グループの方が、第2グループより先に酒泉についたと考えております。

    第1グループ 柳林川
    劉淵(字は元海)、劉霊(字は子通)、齊萬年(字は永齢)、廖全、劉曜、劉伯根(字は立本)

    第2グループ 放浪中(漢中あたり?)
    張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙概(字は総翰)、趙染(字は文翰)、趙勒、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、汲桑(字は民徳)、趙藩(後から加わる)

    第3グループ 酒泉地方(「後伝」より)
    諸葛宣于(字は修之)、胡延晏(字は伯寧)、胡延攸(字は叔達)、胡延顥(字は季淳)、馬寧

    第4グループ 馬邑県
    王彌(字は飛豹)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、王如、李珪、李瓚、樊榮

    第5グループ 馬邑県
    孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、靳準、靳術、刁膺

    第6グループ 安定(二十二回で明かになる)
    楊龍、劉和、楊興寶(後から加わる)、胡芳(後から加わる)

    第7グループ 北地郡・馮翊郡
    郝元度(字は中立)、兀哈台、馬蘭(字は国香)、張瀘(字は盧水)、突兀海牙(後から加わる)

    追伸
    >ちょっと形を変えて回末に▼で入れてよいですか?
    問題ありません。お役に立てるなら嬉しいです。

    地理ですが、史実の郝度元(郝元度に非ず)は匈奴の上、郝元度は後伝では匈奴の『北』部を率いていますから、おっしゃる通り、かなり北の方に勢力を張っていたと思われます。盧水胡や馬蘭羌も地名でなく、人名になっているのも故意的なものではないでしょうか。

    明代の人々の北方民族のイメージは北元という意見もありますが、私もそのように酉陽野史も意識していたと考えます。

    作者からの返信

    やっぱり分かりやすいですね!
    ちょっと形を変えて回末に▼で入れてよいですか?

    実は第7グループに引っかかっています。

    おそらく地理が疎い人が想像する関中から河套地方を
    想像することになるので、かなり困難ですが、一応、
    ざっくりした位置特定をやってみますね。

    「第十三回 齊萬年は郝元度に與す」
    (郝元度たちによる)北地と馮翊の失陥は朝廷に聞こえ、
    雍州刺史の解系は防備を固めて二郡を恢復せんと図る。

     ここで、郝元度は北地郡と馮翊郡を落としています。
     その後に雍州刺史と戦っていますからこれはガチです。

    「第十九回 劉淵は柳林川に兵を聚む」
    郝元度「~前略~この北地は秦州に近く、刺史の夏侯騄には
    万夫不当の勇があり、近隣の郡太守を統べて羌族の叛乱に
    備えている。~後略~」

     『晋書』地理志によると秦州の治所は上邽ですが、
     これは長安の西にあり、長安の東にある北地とは
     近くないのですよね。
     少なくとも、北地で反乱すれば長安から平定する
     軍勢が出るだろうと思います。秦州ではない。
     なので、この「北地」は「長安の北の土地」という
     一般名詞と考えるのがよいかな、と考えています。
     いや、地理的にあり得ないので、辻褄合わせですよ。

    「第四十回 梁王司馬肜は傅仁を遣りて漢と和す」
    張賓「~前略~秦州、涇州の地は苦戦して得た土地だが、
    関中に隣接して晋の大州である雍州、梁州に近い。
    晋朝の人材はなお多く、秦州と涇州の割譲を求めても
    そう簡単には応じるまい。~後略~」

     『晋書』地理志では、北地郡も馮翊郡もともに雍州に
     含まれていますので、郝元度も二郡の地を占めていた
     とは考えにくいと思うのです。
     反乱した後に北に逃げたのではないかと考えます。

    「第十九回 劉淵は柳林川に兵を聚む」
    齊萬年を先鋒、劉霊を後詰めとし、劉淵が中軍を率い、
    劉伯根が糧秣を掌り、新たに召募に応じた喬晞、喬昕を
    遊軍とする三万の軍勢が、秦州との境界を越えて攻め入る。

     柳林川から秦州に攻め込んでいるため、柳林川は秦州の
     北辺、高平(固原)よりさらに北にあるだろう、と想像
     しています。

    「第二十九回 趙王司馬倫は郝元度を斬る」
    趙王の軍勢は山西路より北に向かい、馬邑の地に近づいた
    ところで哨戒網にかかって報告される。郝元度は馬蘭、
    盧水と兵を合わせて迎え撃つこととした。

     郝元度は馬邑を攻めているものの、それより南の晋陽を
     押さえてはいないことが分かります。
     趙王の軍勢が洛陽から山西を北上したわけですから。
     つまり、郝元度はかなり北で黄河を渡って馬邑を襲った
     と考えるのがよいと思うのです。そもそも軍勢が馬邑に
     向かったという時点で河套地方でもかなり北にいた、と
     推測してよいと思います。
     そうなると、本拠地は夏州あたりにあったと想像するのが
     よいかな、という印象です。

    これらより、酉陽野史さんの頭の中では、郝元度は長安の
    遥か北方の夏州あたりにおり、劉淵は夏州の南西あたりの
    柳林川の地を与えられ、そこから秦州に攻め込んだ、という
    イメージを持っていたのではないか、と考えております。

    まあ、間違った地理を無理やり整合させるとすれば、
    という話なのですが。。。どうでしょうか?

    【再返信】

    > >ちょっと形を変えて回末に▼で入れてよいですか?
    >  問題ありません。お役に立てるなら嬉しいです。

    ありがとうございます!
    宿題も含めて順次対応させて頂きます。

    地理イメージが大間違いじゃなさそうなので安心しました。

    > 盧水胡や馬蘭羌

    これらの出典はおそらくここですよね。

    『晋書』孝恵帝 永平六年五月條
    匈奴の郝散の弟の度元は馮翊、北地の馬蘭羌、盧水胡を
    帥いて反し、北地を攻む。太守の張損は之に死す。

    馬蘭と盧水は種族名から発生している、と。

    「盧水胡」は沮渠蒙遜の出身種族でしたっけか。
    月支の分派じゃないかという説もありますね。

    たしか、内田吟風『北アジア史研究 匈奴篇』に論文が
    あったと思いますので、匈奴の分派ではあるのかな。

    匈奴の上位種は金髪だった、と書かれているのを見て
    「マジか?」とびっくりしました。マジみたいですね。

    『晋書』孝懐帝 永嘉三年七月條
    辛未,平陽の人の劉芒蕩は漢の後と自稱して羌戎を誑誘し、
    帝號を馬蘭山に僭す。支胡の五斗叟、郝索は眾數千を聚めて
    亂を為し、新豐に屯す。芒蕩と黨を合す。

    新豐ということは長安の東ですね。
    そのあたりに馬蘭山という山があり、文章を見る限りは
    羌族がいたらしいですね。

    なので、馬蘭羌は馬蘭山に住む羌族という理解でよいかな、
    というように考えております。

    以上、余談でした(長いわ)。

    編集済
  • この邯鄲攻めは、関羽の一族が龐徳の子の龐会に皆殺しにされたという演義を読んだ後に正史を読んで屈指の衝撃を受ける部分への報復話しですね。演義にない話しですが、この部分は勝利者による暴虐という意味でも有名だったのでしょうね。

    三國志後伝の『引』にある書かれた動機と酉陽野史の関羽贔屓を考えると、この話しが作られたのも宜なるかな、ですな。

    ただ、龐会が生きていることにして、子孫が次々と戦死させて延々と苦しめる展開にしなかったところに、酉陽野史の品の良さを感じます。

    作者からの返信


    〉関羽の一族が龐徳の子の龐会に皆殺しにされた
    〉という演義を読んだ後に正史を読んで屈指の
    〉衝撃を受ける部分への報復

    まさに、ですね。

    このあたりの、何処に逃げても敵がいる絶望感が
    陰惨で、ムカつきながら訳した記憶があります。

    何かに似てるなあと思ったら、樊城で敗れた関羽が
    討ち取られるまでの、逃げ場のない感じでした。

    それが狙いなんでしょうけど。。。


    〉この部分は勝利者による暴虐という意味でも
    〉有名だったのでしょうね。

    三族を滅ぼされた話は枚挙に暇がありませんが、
    大半は刑勠ですよね。

    敵国を降した後に、というのはどうでしょう。

    それこそ、蒙古には屠城のように一城皆殺し、
    ただし技術者は除く、があったようですが、
    降った仇を一家殲滅はパッと浮かばないですね。

    やはり例外的なのかなあ。

    〉龐会が生きていることにして、子孫が次々と
    〉戦死させて延々と苦しめる展開

    その展開はモダンホラーですよ。。。

    編集済

  • 編集済

    ここでまた新たなグループが出てきたので、再度整理すると、

    第1グループ 放浪中(漢中あたり?)
    劉璩(後に劉淵、字は元海)、劉宣(すぐに消える)、劉霊(字は子通)、楊龍、齊萬年(字は永齢)、廖全、劉和、劉曜、劉伯根(字は立本、後から加わる)

    第2グループ 放浪中(漢中あたり?)
    張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙概(字は総翰)、趙染(字は文翰)、趙勒、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、汲桑(字は民徳)、趙藩(後から加わる)

    第3グループ 酒泉地方(「後伝」より)
    諸葛宣于(字は修之)、魏攸(字は叔達)、魏晏(字は伯寧)、魏顥(字は季淳)、馬寧

    第4グループ 馬邑県
    王彌(字は飛豹)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、王如、李珪、李瓚、樊榮

    第5グループ 馬邑県
    孔萇(字は世魯)、桃豹(字は露化)、桃虎、桃彪、靳準、靳術、刁膺

    となりますね。続三國志演義は、カットもあってより分かりづらくなっていますな。続後三國志になるとカットは大分、減るのですが。

    実際、私も作業しながら、気付くことが多いです(笑)

    追伸
    河東さんの調査能力は素晴らしいですね。私はせいぜい中国歴史地図集を読むぐらいで、そこまでは到底行けません。正直、学者さんによって市販の書籍として翻訳が出ていたとしても、ここまで内容研究が進んではいないのではないかと思います。

    色々な疑問が明らかになっていく、これは確かに楽しい作業ですね。

    作者からの返信

    おつかれさまです。
    『水滸伝』がそうですが、色々な人が同時並行で
    移動する話は面白いのですが、地域ごとの特色や
    印象的なエピソードがないと似たような話ばかりで
    分かりにくくなってしまいますよね。

    だからカットしたのかな、と好意的に解釈しています。
    伏線があるならいいんですけどね。

    彼らの移動のおおまかなイメージですが、

    第1グループ
     成都 → 梓潼 → 漢中 → 岐山 → 天水
     → 高平 →安定 → さらに北の河套地方
    さすがに斜谷や子午谷を抜けて関中の真ん中には
    出ないだろう、という勝手な解釈です。

    第2グループ
     成都 → 蜀のどこかに身を隠す → 梓潼
     → 漢中 → 岐山 → 天水 → 武威方面
     → 酒泉(黒莽坂~陳元達宅)
    これはまあ、当時のルートに従って普通に行けば
    こういう形になるかなあ、という印象です。

    第3グループ
     第2グループに酷似
    よくよく考えると、結局は酒泉方面に出ているため、
    一旦蜀のどこかに身を隠した点でも第2グループと
    ほとんど変わらないのでは?と疑っています。

    第4グループ
     成都 → 梓潼 → 漢中 → 岐山 → 天水
     → 高平 → 五原 → 馬邑
    これもまあたいがいな感じではありますが、▼で
    しつこく書いているとおり、馬邑というのは納得
    できないんですよね。馬邑を隴西方面だと思って
    ないですか?という疑惑のルートです。
    しかも、黒莽坂で逸れた汲桑と趙勒も上党に到る
    までの経路が北から山西に入っているし、何なの?
    と思ってしまいます。

    第5グループ
     馬邑あたりで土着されているみなさん

    愛する楊守敬『水経注圖』が手元にないので誤りが
    あったらすみません。
    あー、そんなイメージ持ってるんだな、と思って
    頂ければ幸いです。異論は大歓迎です。

    地理的な矛盾がどうも気になるんですよね。
    その極めつけが「霊昌津」なんですけど、
    登場はまだまだ先になります。

    位置を特定しようとして由来を調べた時、
    『水戸黄門』で角さんが八兵衛に「ファイトファイト!」
    と言っているのを見たのと同じ衝撃を受けました。

    江戸時代だろ!

    蜀の地理も知りたくて任乃強『華陽國志校補圖注』も
    買い込んで調べ倒してやろうと思っていたのですが、
    なかなか時間が取れずにこんなざまです。

    でも、これがまた、非常に面白いんですよねえ。。。

    【再返信】
    おほめに与り光栄ですが、調査能力は駆け出し同然です。

    大学時代の恩師が『水経注』佚文蒐集をされていたので、
    「もっとちゃんと教えて貰えばよかったあああ」と後悔
    仕切りです。

    歴史小説を読んでいて一番わかりにくいのが地理ですから、
    ただでさえ馴染みがない中国史を扱う以上、この辺は
    やはりちゃんと読んで解説しないとダメだと思います。

    明代史に詳しいと別の意味でもっと面白いでしょうね。

    編集済
  • 第7回までの蜀漢の遺臣たちの分離をまとめてみました。

    第1グループ 西門から突破
    劉璩(後に劉淵、字は元海)、劉宣(すぐに消える)、劉霊(字は子通)、楊龍、齊萬年(字は永齢)、廖全、劉和、劉曜、劉伯根(字は立本、後から追加)

    第2グループ 南門(「後伝」より)から突破
    張賓(字は孟孫)、張實(字は仲孫)、張敬(字は季孫)、趙概(字は総翰)、趙染(字は文翰)、趙勒、黄臣(字は良卿)、黄命(字は錫卿)、汲桑(字は民徳)、趙藩(後から追加)

    第3グループ 成都にとどまる
    諸葛宣于(字は修之)、魏攸(字は叔達)、魏晏(字は伯寧)、魏顥(字は季淳)、馬寧 ※後ろの4人は後から合流

    第4グループ 南門から突破
    王彌(字は飛豹)、関防(字は継雄)、関謹(字は継武)、王如、李珪、李瓚、樊榮

    第2グループと第3グループが分かれていることが、続三国志演義を何度読んでも分かりづらかったですね。三國志後伝でも、諸葛宣于が成都に留まったのは分かりましたが、後の4人がいつの間にか張賓と分かれて諸葛宣于と合流したのか分からないままでした(笑)

    作者からの返信

    いつもありがとうございます!
    丁寧に調べて頂いて、手が回っていないので助かります。

    なるほど、こうなっていたのか。。。
    って、もっとちゃんと掘り下げないとダメですね。

    確かに、諸葛宣于は突然徐光の家にいました。

    魏延の三子も名前だけは早くから出るのですが、
    徐光の家に到る経緯は描写なしですね。

    第1グループと第4グループは目立ちますが、
    成都にとどまった第3グループが派手めな
    第2グループの陰に隠れて意識から落ちて
    いたようです。

    これは意図的なのか、そうじゃないのか。
    酉陽野史さんは天然っぽいところがあるのかな。

    『後傳』はおそらく講談をまとめたものではないので、
    このあたりの練り込みはやはり不足していますね。

    全話掲載してからじっくり見直したいなあ。。。


  • 編集済

    >この王彌という人は北地将軍の王平の子で字を子均という。

    子均は王平の字で、この時点では続三国志でも三國志後伝でも、王彌の字は明かになっていませんね。よければ、修正お願いします。

    王彌といい、関兄弟といい、初登場の段階で、全て字を明かにしていてくれれば、参照するのが、比較的容易になっているのにと思いながら、読んでいました。

    追記
    三國志後伝ではこの場面で「飛豹(王彌の字)兄」と呼ばれていますね。王子均を王飛豹に変えれば問題ないと思います。

    また、第六回の趙朸は第十八回からは趙勒となっていますね。続三國志演義はこういう間違いが多いから、河東さんのご尽力には頭が上がりませんな。

    作者からの返信

    いつもご指摘ありがとうございます!

    『三國志』王平傳
    王平の字は子均,巴西の宕渠の人なり。

    うわあ。。。
    どうもすみませんでした。

    うーん、やっぱり人物リスト作成だなあ。。

    また何かあればご教示ください。

    【返信】
    関羽の子の関興は世代的に王平の子より上でしょうから、
    「飛豹兄」はちょっと違和感ありますね。
    ご提案に従って修正しておきました。

    趙朸→趙勒とか何か意味があるのか調べましたよ。
    兄が概、染と木を含む字に揃えようとしたんでしょうね。

    こういう話をしているのが一番面白いですね。

    編集済

  • 編集済

    ここの晋呉の戦いは、周處以外は後の伏線となる人物がほとんどいないのは残念ですね。魏・蜀と違い、史実でも、陸機・陸雲など、呉の人物たちの子孫は晋代にも活躍している人物は多く、死なないのなら、ここで登場させておけばいいのにと思いました。

    正直、陸晏・陸玄は、世説新語の周處との関係を踏まえても、陸機・陸雲にしても問題ないと思います。当時としては、完成度は高いのは間違いないと考えますが、こういう点は残念なところです。

    追記
    そうです。そのエピソードです。後には、呉の人物の子孫である顧栄・甘卓
    賀循・周處の息子たちもでてくるので、ちょい役や架空人物を出すのなら、ここで出して欲しかったですね。

    作者からの返信

    総じて、伏線というものは少ないですね。

    「第二十九回 趙王司馬倫は郝元度を斬る」に姚信、劉學が
    夏侯駿を謀って洛陽に逃げ戻る役で出るくらいでしょうか?
    そこでも、「姚信は晋のために全力を尽くしていない」と
    言及されていました。

    > 陸晏・陸玄は、世説新語の周處との関係を踏まえても、
    > 陸機・陸雲にしても問題ない

    『世説新語』自新篇ですか。
    <原文>
    竟殺蛟而出。聞里人相慶,始知為人情所患,有自改意。乃自吳尋二陸。平原不在,正見清河,具以情告,並云:「欲自修改,而年已蹉跎,終無所成!」清河曰:「古人貴朝聞夕死,況君前途尚可。且人患志之不立,亦何憂令名不彰邪?」處遂改勵,終為忠臣孝子。

    <訓読>
    (周處は)竟に蛟を殺して出ず。
    里人の相い慶ぶを聞き,始めて人情の患う所と為るを知れり。
    自ずから改むる意有り。乃ち吳より二陸を尋ぬ。
    平原(陸機)は在らず,正に清河(陸雲)に見えて具に情を以て告ぐ。
    並びに云えらく、
    「自ら修め改めんと欲するも、年の已に蹉跎にして
    終に成す所無からんか!」と。
    清河は曰わく、
    「古人は朝に聞きて夕に死するを貴ぶ。
    況わんや君の前途は尚お可なり。
    且つ人は志の立たざるを患う。
    亦た何ぞ令名の彰かならざるを憂えんや?」と。
    處は遂に改むるに勵み,終に忠臣孝子となれり。

    陸雲っていい人ですよね。
    こういう背景は『通俗』では省略されていますね。
    『後傳』では『晋書』に基づいて書かれていますが、
    冗長に過ぎる上にイマイチ面白くない感じでした。

    編集済

  • 編集済

    第七十八回で、関防は兗州の守りについたのに、ここで攻撃に加わっているのはおかしいですね。

    史実でも強い王彌や劉霊はいいとして、酉陽野史が関羽が好きなためか、関羽の子孫に功績が集まりすぎ、張實らが影が薄くなっているのが残念です。

    追伸
    修正ありがとうございます。右大司馬である関防が黄命と同列のような扱いを受けていることに不思議に思っていましたが、そういうことだったのですね。続三国志演義は、字呼びされることが多いため、本当に誰が誰か、読んでいて分かりづらかったですね。

    作者からの返信

    ご指摘ありがとうございます。
    翻訳をしくじっていました。

    原文
    劉聰從之,以張敬、馬寧、刁膺守鉅鹿,關山、李瓚、王伏都守常山,命趙概、廖全、支雄守兗州。賓曰:「兗州還要提防苟晞來爭,再使關繼遠、黃錫卿將兵一萬,分左右二總兵共守之。」聰然其議,乃分撥各將往二郡助守,率領大兵齊望汲郡而去。

    關繼遠は関河です。
    關繼雄が関防なので翻訳ミスです。
    ちなみに關繼武が関謹ですね。

    關防見其衣袍不類卒伍,乃馳去大叫曰:「郭戎賊子,你欲走往那裡去?認得擒許戌關蕩寇將軍否?」

    よって、こちらは問題ありません。

    関羽の子孫が多いですが、まあ神様ですから。。。

    【再返信】
    > 続三国志演義は、字呼びされることが多いため、
    > 本当に誰が誰か、読んでいて分かりづらかったですね。

    劉霊こと劉子通が出た時点で
    「字を記録しておかないと分からなくなるな」
    と思っていましたが、さぼってしまいました。
    反省です。

    編集済
  • 三國志後伝のこの冀州・司州方面は、魏の名将・参謀たちの子孫の宝庫ですね。任命してわざわざ同郡に配置した晋の高官は、相当な曹操好きなんだな、と思います(笑)

    三國志演義では敗北している印象が強い郭淮の子孫までいて、その知謀を称えているところに、相当に作者は、三國志演義を読み込んでいたんだな、と感じました。

    作者からの返信

    郭淮は渋いチョイスですよね。

    史実ではなかなかの名指揮官ですし、
    蜀からすれば奸物だったでしょうね。

    『三國志』の評ではなかなかの高評価です。

    評して曰わく
    滿寵は志を立てて剛毅,勇にして謀あり。
    田豫は身を清白に居きて,規略は明練、
    牽招して義を秉るに壯烈,威績は顯著なり。
    郭淮は方策精詳にして秦、雍に垂問す。
    而して位に豫るに小州に止まり,
    招きて郡守に終わる,
    其の用をいまだ盡くさざるなり。

    招終於郡守(招きて郡守に終わる)の読みが
    調べきれていませんが、激賞と言ってもよい
    のではないかと思います。

    しかし、名前はもうちょっと何とかならなかったのかなあ。
    実際に高官だった満奮あたりはチョイ役なのが残念です。

    【追記】
    言わずもがなの感がありますが、
    郭淮さんの素晴らしさが広く伝われば幸いです。

    編集済
  • 襄陽大砲 Σ(゚∀゚)!
    思わず全力で反応してしまいました。
    南宋モンゴル戦争の悪夢の新型兵器、回回砲が明代に成立した小説にも取り入れられているというのは、何だか感慨深いです。

    投石機のような攻城兵器は、襄陽周りの13世紀の記録を見る限りでは、材料(組立キットみたいな状態?)を現地に運んで、ターゲットのそばに置いた軍営で造っていたようです。
    が、常山の城は、そのそばまで材料や大型兵器を運ぶのが大変そうな地形ですね。

    水攻めにまで遭うなんて、大迫力の戦闘シーンでした。

    作者からの返信


    『明史』兵志の火器條に次の記述がありました。

    「明は兵仗、軍器の二局を置き、火器を分造せり。
    將軍と號する者は大より五に至る。
    又た奪門將軍の大小二樣、神機礮、襄陽礮・・・凡そ數十種有り」

    こちらは火器條にあるので明らかに火砲ですね。
    ここで言う襄陽礮(炮)かとも考えたのですが、
    他に類例がなく、鉄砲もないのに大砲を出すのはなあ、
    と考えると、回回砲と考えるよりないと考えております。

    『後傳』を見ても、
    「日晚に至るを挨ち,張賓は軍士に命じて砲架を將て推して城下に至り,襄陽子母炮を架け起こすこと十餘處,一齊に放動せり。猶お天崩地裂一般の如く,聲は數十里に聞こゆ」

    よし、砲声であるとは一言も言ってないぞ、というわけで、
    それなら破城の音と考えても誤りではなさそうに思いました。
    と思ったら砲声とか書いているので、改めておきます。。。

    しかし、「奪門將軍」ってなんでしょうね。


    真定周辺の地形は細かく調べませんでした。

    そもそも劉聰の進軍路が怪しくて、平陽から山東なら
    井陘関を抜けて常山に出るか、南の長治周りで邯鄲に
    出るかなので、いきなり鉅鹿は地理的に厳しいのでは、
    とも思うのですが、このあたりで地理へのツッコミに
    力尽きた節がありますね。

    地理は改めて補填しておくようにします。

    編集済
  • 結構、苦戦が続きますね。講談で主人公側が水攻めを受けるのは、珍しいと思います。主人公側の計略が意外と決まらず、敵の計略が決まることが多いという起伏があるところが私が「当時としては完成度が高い」と思う理由の一つです。

    確かに、歩将の楊興寶は大活躍ですね。どうやら水滸伝の方が先で、三國志後伝もその影響を大きく受けたと思われる部分も多々みられますので、水滸伝の李逵や魯智深、武松たちの影響を受けてそうですね。楊興寶の先祖が蜀漢の名将ではないというところもそういうところが関係してきそうです。

    作者からの返信

    けっこうリアルですよね、連戦連勝で進まないというか、
    このあたりは気合入っているなあって感じがします。

    でも、水攻めなら于禁か龐徳の子孫にやせて危地に陥る
    のが関謹や関山なら、復讐!って感じでより面白かった
    かなあ、と思ってしまいました。

    罵倒にも力が入りそうですよね、「ざまーみろ」って。

    『水滸伝』の李逵、魯智深、武松あたりは騎乗しない
    豪傑ですね。武器が大鎚、大斧というのも武骨の限り
    ですし、たしかに『水滸伝』っぽいかも。