編集済
今回のこの展開は、もう少しどうにかならなかったのかなと思うほど、晋軍の採った策は愚策で、余りにもご都合主義と思えますね。陸機は魏城の漢軍の兵糧が不足していることは予想しており、力攻めがダメでも兵糧攻めはできますし、張軌も劉曜の拘束には成功していますからね。王浚と馬隆が残っているので、苟晞にどちらかをつけてやればすぐには石勒に敗れる心配はないでしょう。
張賓が兵糧が余っているように見せる計略を成功させるか、蜀漢の遺臣の子孫が籠もるには余りにも不吉な名の魏城から包囲脱出する展開だったらよかったですね。ピンチを演出して、援軍の心強さを印象づけたり、役割の終えた武将に最期の花道を与えて盛り上がりを高めて欲しかったです。
追伸
なるほど。現場を知らない孫恂(と司馬冏)の軽率な提案、勇ましいがゆえに忍耐を要する作戦を弱気ととらえて短気決戦に逸る若者・司馬乂、指揮官としての重圧に耐えきれず路線変更をしたがる司馬穎、立場を守るために失策を受け入れる陸機という構図が生んだ失敗ととらえるわけですね。
司馬穎も三国志後伝では頭脳が明敏な方ですが、有能な人間の集まりでも立場や性行の差が失策を生むわけですな。
色々な考えた方があるのですな。参考になりました。あまりに合理的に考えすぎるのもかえって不自然かもしれませんね。
作者からの返信
【追伸を受けて】
単に、あまり批判的に物事を考えないから、という可能性もありますね。考え方がゆるゆる(笑
※
こんばんは。
〉晋軍の採った策は愚策で、余りにもご都合主義と思えますね。
「第百三十一回 王彌と劉曜は晋の伏兵を敗る」の冒頭に陸機が攻城の軍を引いた事情をさらっと記していますが、齊王と成都王の関係から孫恂の失着を容れざるを得なかった事情が垣間見れます。
思うに、樂毅の卽墨攻めの結末を知る人には、受け入れられる素地があったんじゃないかなあ、と。
そういう点では、私も実はそれほど違和感なく受け入れています。すまじきものは宮仕え、ではありませんが。
〉張軌も劉曜の拘束には成功していますからね。
とはいえ、晋の陣営に入るのは敗報ばかりでしたから、本営内の空気は推して知るべし、ここで局面の転換を提案されて拒むのは、よほど肚の座った人物でなくては難しく、陸遜ならともかく陸機ではねえ、という感じで観ています。
〉ピンチを演出して、援軍の心強さを印象づけたり、役割の終えた武将に最期の花道を与えて盛り上げて高めて欲しかったです。
このあたりが、洗練される機会がなかった原因、というと身も蓋もないですかね。不完全燃焼になってしまった点はまったく御説のとおりかと思います。
でも、そんなに筋が通らないわけではないと思いますよー。
漢賊を一つに糾合させたらマズイんじゃない?
晋軍の兵力が漢賊の何倍なのか?、分からなくなってしまったが、晋軍が三つに割れても個別には漢賊を上回っているのでは? 兵法には沿っていると思うけどなぁ。
しかも、石勒と劉曜に対峙したら、籠城する張賓に後背を襲われると思う。
ヤン・ウェンリーなら「下策の下」と断じよう。
作者からの返信
100万の大軍ですから、明らかに各個撃破されにいってます。三分してあたればたしかに各戦場での数は優位になりますが、攻城戦はそうもいかず、諦めたのでしょうね。
ヤン・ウェンリーは各個撃破の人ですから、絶対に採らない策です。