火崎日向子の友情と初恋。

ピクルズジンジャー

第1話

 私には変な友人がいる。

 

 名を門土みかどという。年齢は現在16の高一だ。

 

 私は火崎日向子ひなこ。13歳の中一だ。中一のガキと何かと一緒に遊びたがる高一という点でみかどがどの程度めんどくさいかおおよそイメージがつけられるのではないかと思う。それに500を掛けたのが門土みかどの面倒くささの値と思っていただいて結構である。

 

 そいつとのことを中心に、現在の私をとりまく人間模様を簡単に報告しようと思う。



「火崎さん、いらっしゃる?」

 

 中等部一年の教室に高等部のお姉さまがおいでになる。最初は皆ざわついていたがこのところ頻繁だったのでみんなもう注目もしない。

 私も昼食のパンを口の中にぐいぐいつっこんでペットボトルのストレートティーを煽って立ち上がる。

「ごめんなさい、いつもいつも……。また門土さんが不機嫌になって……」

 まだパンが塊になって食道あたりにつかえているのではっきり口には出せないが、視線で皆までいうなと訴える。

 高等部のお姉さまの名前は紫竹あおいという。典雅な名前にふさわしい上品で雅やかな美人だ。女子校じゃないのについ「お姉さま」と呼んでみたくなる。そんな人がお困り遊ばしているので、どうしても助けになりたくなる。


 中等部と高等部は中庭と渡り廊下を挟んで隣り合った敷地にある。本来中等部制が高等部の敷地に足を踏み入れることはまかりならんとされているが、今日は(今日もというべきか)あおいさんがいるので平気である。


 高等部の校舎の階段を上がり、固く施錠されている屋上のへのドアの手前でみかどはゴロゴロ横になっていた。埃まみれにならないようにそのエリアだけは念入りに掃除している。

「何やってんの、みかど。あおいさんが困ってるよ」

「しらねえし、勝手に困らせとけばいいし」

 ふて寝した様子のみかどはスマホをいじくっている。

「あおいさんだけじゃなくあたしも正直めんどくさいし。……つうかなんなの、今日は何が気に入らなくてスネてんの?」

「……五限目が体育でバレーボールだから」

「はあ⁉ そんなことで人を煩わせんなバカ!」

「うっさい、あんたには分からないんだ。『好きな人とペアになって~』って言われた時に組む相手のいないヤツの孤独なんかっ」

「そんなことで不幸ぶるなっ、あたしだってそういう時ずっと担任とペア組まされてたぞ」

「だろうね、あんた国宝級にうざいから嫌われるよね」

「世界遺産級にうざい奴にいわれたくないよ。それだけ減らず口叩く元気があるなら体育出なよっ、絶対!」


「あ、あの……門土さん」

 

 今まで私たちのやり取りを黙って聞いていたあおいさんがおずおずと切り出す。


「なんだったら私がペアを組みましょうか?」

「はあ? なんであんたが? あんたにはお友達がたくさんいらっしゃるでしょおお? なのにあたしなんかとペア組んだらお友達の嫉妬があたしにむかうでしょお? 『なんであたしたちの偉大なプリンセスのあおいさんがあんな外部育ちの陰気なバーバリアンとペアを組むの? きいい妬ましい!』ってなるでしょお? あたしいじめられちゃうでしょお? ちょっと考えたらわかるんじゃないですかあ?」

 

 みかどはとにかくあおいさんには一層刺々しい。あおいさんはそれを聞いてみていて可哀そうになるくらい委縮する。


「ごめんなさい、門土さん。私、あなたの力になりたくて……」

「はああ? 前世がお姫様で何度も地球をお救いになった愛と希望のプリンセス様はおっしゃることがちがいますねえ~。博愛精神の塊でございますねえ~。その愛のお力で私みたいな底辺ゴミムシをも照らしてくださるんですねえ~。プリンセス様のノーブレスオブリージュのお役に立てて本望でございますうう~」

 

 もう聞いちゃいられないので私はみかどにげんこつを一発お見舞いした。


「みかど、体育に出ろ! あおいさんを困らせるな! それを守ったら帰りにアルフォート買ってやる」

「……なんだよ、日向子まで紫竹あおいの味方するのかよお……。ちくしょう、もうやだ。私このままここで死ぬ。階段の踊り場で学校の怪談になってやる」

「まだごちゃごちゃワケわかんないこと言うならアルフォート買ってやらないからねっ」

「わかったよ。もう。行くから先に教室戻れよ」

 

「門土さん、本当に体育に参加してくれるかしら……?」

 あおいさんはしきりに振り向きながら階段を下りた。

「多分来ますよ。あ、これからあいつがゴネたらアルフォート買ってやればいいですよ。そっちの方が話がすぐすみます。きのことたけのこではいけません、アルフォートです」

「……お菓子で人を釣るというのはちょっと……」

「いいんです。あいつと交流しようとするときは『真心をもって接すれば誰だって心を開く』という幻想を捨てるべきです。ビジネスライクにつきあうのが肝要です。真心のみでつきあおうとすると闇に飲まれます」

 愛と希望のプリンセスの生まれ変わりであるあおいさんは納得できないようだったが、ここは割り切りが肝要である。予鈴が聞こえたので、きのことたけのこではなく必ずアルフォートだともう一度念をおしてから階段を駆け下りた。

 

 


 この春、努力が実って私は念願の私立中学に入学した。地域では一応最難関と呼ばれる教育大学の付属校だ。

 みかども同じ教育大学の付属高校を受験していた。そして普段スマホをいじくってキラキラした芸能人やセレブリティへの誹謗中傷ばかり書かれている掲示板を覗いてばっかりいるくせにしっかり合格していた。それを私にしばらく内緒にしていた。


「おらどうだ、春からあたしのことをセンパイっつって敬えよ!」

 春休みに門土家へ遊びに行くと、みかどは高等部の制服をきこんでエバってきた。どうやらサプライズのつもりだったらしい。確かにびっくりはした。でも、私の驚きはみかどの思い描いていたものではなかった。


「あんたまさかカンニングやらかしたんじゃないでしょうね⁉」

 私はみかどの普段の成績をよく知っていた。遊びに行くと定期テストの答案をその辺に投げ散らかしていたからだ。ムラっ気のひどいみかどは答案いっぱいに人民を処刑する架空の独裁者の絵を描いたりして、担任と学年主任を大いに困らせていた。

 そんなみかどが(中等部よりは偏差値と倍率が下がるとはいえ)進学校の高等部に合格できるわけがないという発想になるのも無理がないではないかと自己弁護したい。


「はあっ? やってねえし! あんたがガリ勉してる間あたしも冬休みに塾行って猛勉強してたんだし! うっわー、たった一人の女友達に不正疑われたー。やってらんない。死ぬー」

「あーもうわかった、ごめんごめん。アルフォートあげるから許して」

「徳用パック一袋じゃないと私のこの悲しみは癒えない」

「贅沢言うな、レジ横の小さいので我慢しろ。……にしてもあんたが塾って! 似合わないなあ」 

 

 レジ横で売ってミニサイズのアルフォートでみかどの機嫌はあっさり直った。

 みかどと知り合ってそろそろまる二年になる。その過程で、付き合いの中で機嫌を損ねた時はアルフォートを与えれば何とかなることが分かった。ブルボン製菓様様である。


 みかどの家に遊びにいっても特に何をするわけでもない。みかどは常にスマホを覗いてキラキラしたお姫様系セレブリティの悪口をお経みたいに唱えるだけだし、わたしはそれをBGMに勉強したり本を読んだりするだけである。

 みかどが一方的に嫌っているお姫様系セレブリティたちが信心している言霊信仰には「悪口を言い続ける人のところには悪いことが招き寄せられます」という考えがあるらしい。私も本来他人の陰口悪口を叩く輩は大嫌いで近寄りたくない。

 が、みかどのそれは「あーもうあいつ本当に消費期限の切れたスーパーの総菜にあたってくれないかな」とか「あいつの来てる服の裏っかわにカメムシ五匹ぐらいくっついてくんないかな」とか果てしなくくだらないので聞いていてあまりストレスにならなかった。

「あいつが飼ってるミニチュアシュナウザーが散歩中にリード振り切って逃げたがオナモミばっかり生えてる草むらに飛び込めばいいのに」と「白いパンプス履いてる時にヨウシュヤマゴボウの実でも踏んづけてくれないかな」は悔しいがお気に入りだ。

「ああいう人たちはヨウシュヤマゴボウが自生するような田舎をウロウロしないよ。しかもパンプスで」

 たまに引っかかったフレーズにだけコメントするのは結構楽しかった。


 

 みかどの生い立ちは多少複雑で、今は霊能力を使える人たちが所属するとある団体の長を務めるおばあさんと共に暮らしている。血のつながりはない。おばあさんがみかどのただならぬ呪術師としての素質を見抜いて養子に迎え入れたのだという。

 その見込み通り、おばあさんの会得した呪術の奥義のようなものを十になるかならないかのうちにマスターするなど並々ならぬ才能をみせつけたとのこと。

 おばあさんは国内トップクラスの呪術者の大先生らしいが、私に姿を見せる時はまあまあ普通のおばあちゃんだ。孫と一緒にあそんでくれてありがたいありがたい、いつまでも仲ようやってくだされと頼みながら、ホワイトロリータやルーベラやバームロールとともにお茶を出してくれたりする。こんな孫を可愛がるおばあちゃんにしか見えない人が、大金と引き換えに悪人を呪殺するような仕事をしているとは。世の中わからないものだ。


 私とみかどの出会いもなかなか説明がむずかしい。

 

 誰からも虐げられて生きていた前世のみかどに唯一優しい声をかけてきた私のパパに恋するあまり殺そうとし、転生した今世でもつきまとっては想いが募って私を誘拐し邪神の生贄しようと目論んで失敗したことがきっかけなんだが、それを聞いても「ハア?」となるだけの人が多いだろう。納得できないかもしれないがそれが事実なんだから仕方がない。

 とりあえず、「門土みかどは才能のある呪術師」「門土みかどは愛情表現が独特すぎて嫌がられやすい」「門土みかどはどえらいさびしんぼう(ただし自業自得すぎて同情できない)」、この三点だけ押さえてくれたら十分である。


  そんな私は世界を救った勇者と勇者を召喚した巫女としての力を持つ異世界のプリンセスの間に生まれた娘である。両親の経歴は華々しいが、私自身はこの国の郊外で生まれ育ち、ここより外の世界をよく知らないただの子供である。

 パパゆずりの赤い髪や、「○○ちゃんが日向子ちゃんのことを変な子だって言ってたよ」とわざわざニヤニヤしながら報告してきた子ごと○○ちゃんを捉え「私のどこが変なのか簡潔に説明せよ」「それが私の出自と外見は由来するものであるなら親御さんにまで直接抗議に向かう。謝罪撤回は受け付けない」と要求・宣告して泣かせるようなこどもだったので敵が多く友達のいない女児ではあった。しかしみかどよりはずっと扱いやすい子供であったろうという自負はある。すくなくとも愛情表現に関しては子犬のように素直である。


 思い切って私立校を受験してよかったと思えるのは、私やみかどのような変なやつが周囲にゴロゴロいたことだ。みかどほどの問題児はさすがに目立つが、私程度の「変な子」はここではただの普通の子だ。

学校の方針もあったのだろう、外国籍の子供、異世界籍の子供が当たり前で、目の色肌の色が変わってるのは当たり前で、角や羽や尻尾の生えてる子もいる。魔法使いや超能力者という子供もいる。欠けた体を機械で補っている子もいる。髪が赤いこと以外は在来地球人で特殊な能力や前世の記憶などを持たない私など普通も普通だ。


 そんな普通の私が脚光をあびたのが五月の連休明けである。

 

 伸びっぱなしで鬱陶しかった髪を思い切ってベリーショートにしてみたのだ。

 連休中にバーベキューをしたパパの会社のお姉さんが「日向子ちゃんは頭の形がいいからジーン・セバーグみたいな髪形が似合いそう」とだしぬけに口にしたのがきっかけだ。

 知らない名前だったので帰宅してからネットでその人の名前で検索をかけ、昔の映画に出ていた女優さんだと知り、出てきた画像にほうほう……となり、そのお姉さんが普段一切お世辞やおためごかしの類を口にしないことを信用して美容院に予約を入れたのだ。

 結果は大成功も大成功、鏡ばっかりのぞき込むようなやつはバカだと思い込んでいた私ですら「これが……私⁉」と一日何度も鏡や窓ガラスに見入って弟に気持ち悪がられるレベルの変身を遂げた。お姉さんの鑑定眼はさすがだった、自分の頭の形がこんなにきれいだったとは、首筋から肩にかけてなんか我ながら芸術品のようだ。


 こうしてフェアリーというよりピクシーというタイプの妖精系美少女(自分で言うなとあきれる人もあろう。でも身内から見ても両親は美男美女だし私の容姿が芸能人を務められる域に達しているのは客観的事実である。そういう人間が「ええ~そんなことないよ」とヘタに謙遜しようものなら却って反感を買うので積極的に認めることにしているのである)に変身した私は学年でちょっとしたセンセーションを巻き起こした。

 

 烏丸ヒカル君に声をかけられたのはそのころだ。

「火崎さんて、中原淳一の描く女の人みたいだね」


 中原という人の名前も知らなかったので帰ってから調べ、こんな繊細な絵を描いていた人のことを当たり前のように知っている男子が存在するということの方にすっかり驚愕してしまったのだった。私の知っている男子というのは公立小学校にうじゃうじゃいる、掃除をまともにやらないわ、給食のプリンをめぐって血みどろの争奪戦を繰り広げるわ、危ないからヤメロと言われたことばかり率先してやっては大けがするわ、学校で大便した児童の人権を剥奪するわといったそういった類の生き物だった。そういう連中と同じカテゴリに入るとは思えない、月光の魔法にかかって夜中にだけそっと動き出す繊細なガラスの人形を思わせる神聖な生き物のような少年、それが烏丸くんである。


 烏丸くんは図書委員をつとめていて、普段からよく本を読んでいた。何やらむずかしそうな文学系のご本だ。『少年ジャンプ』と『コロコロコミック』しか読んで無さそうな公立校の男子とはそこからして違う。

 髪の色は薄い茶色で、肌は白い。全体的に細くてはかなげだ。しかし体つきには芯があり、動作や所作が美しい。そして脚が長い。肌に毛穴が見当たらない。幼稚園のころからこの付属高校に通う生粋の内部生で、物腰もやわらかく誰にも親切だ。まさに王子様と呼ぶにふさわしい少年だ。彼とは同じクラスにいたが、あまりに接点がなかったのと私が所属する社会には存在しない人を認識、把握するのに脳みそが手間取ったとみてそれまであまり意識してこなかった生徒でもある。


 それが彼から声をかけられたことで一気に距離がちぢまり、そして気が付けば交際する運びとなっていた。今まで見たこともない美しい人類に魅入られてしまったのだろう。美人や美形の類はわりと頻繁に目にする機会に恵まれていたけれど、動作や身にまとう品や教養といった点からすべて美しい人は初めてだ。制服のニットには毛玉すらない。


 烏丸くんは中等部の女子にとって王子様かつアイドルであった。それがこんな、中等部から入学したようなやたら気の強いモンチッチみたいな髪の女と付き合いだしたと知っていきり立つ烏丸ヒカルファンの女子からさまざまな嫌がらせを受ける日々が始まったが、まあその辺はどうでもいいの割愛する。「お金持ち学園の王子様とつきあうことになった庶民の私」みたいな設定の少女漫画のヒロインが遭遇するイベントを大体こなしたといえば伝わるだろう。



「ふーん、失恋の傷がいえない私をさしおいて男女交際ですか。ふーん。おモテになりますねえ火崎日向子さんはあ」

 交際が始まってしばらくたってもみかどはぐちぐちスネていた。

「失恋の傷って、あんたまだパパのこと引きずってんの? しつっこいなあ。頑固な油汚れかよ。セスキ炭酸ソーダで落とせよ」

「生まれ変わって十数年ひきずったんだからそう簡単に解消されないしい。一途なんだしい。ていうか失恋してないしい。まだまだ奪う気まんまんだしい」

「やめてよ、あたしあんたのことママって呼ぶような事態だけは避けたいんだけど」

「あたしだってあんたみたいな可愛くない娘いらないしい」

「いらなくても、あんたがあたしのパパをママから奪う気なら全力で火崎家のママになってもらうからね。パパのこと奪うってそういう意味だからね。セスキと石鹸でナチュラル家事させるからね」

「はあ? お前らはママとくっついてどっか行って木造モルタルアパートでシンママ家庭築くにきまってんだろ。ていうかさっきから言ってるセスキなんとかって何?」

「セスキ炭酸ソーダ、重曹の強力版みたいのだよ。ママがテレビで見てから一時期それで家中そうじするのにハマってた。今はもう飽きてるみたいだけど」

「っだよ。あいかわらずしょっぱいことやってんなあ、マリママは」



 烏丸くんはつきあうことになっても私がみかどと一緒に遊ぶことをいやがりはしなかった。むしろ積極的に背中をおしてくれたといっていい。


「いいよいいよ、僕は門土さんから君を奪いたくてつきあってるわけじゃないから、門土さんと遊びを優先したいときは遠慮なくそう言って」

 

 理解があるといえば言えるのだが、私は別に朝から晩までみかどと一緒にいたいわけではない(そんな奇特な人類がいてたまるか)。

 二年付き合って大体の気心は知れているみかどより、今まで全く目にしたことのないタイプである烏丸くんと一緒にいてどんな人を知りたかったのだ。


 正直にそう言うと、烏丸くんは何冊か本を貸してくれた。


「火崎さんも好きな本があったら教えて。読んでみるから」


 おお、愛読書を交換して感想を語り合うなんてなんかこう初々しい上に上品だな、さすが烏丸くんだな……とちょっと上ずった気持ちになりながら、自分の本棚の中から読書家の烏丸くんに貸しても恥ずかしくないような本を一生懸命探した。ああなんで私は1999年の勇者やヒーローの伝記しか読んでないのだ。もっとこう、賢そうな、考え深そうな印象を与える本はないのか。熟考の結果、次の日には水木しげるの『総員玉砕せよ!』を手渡していた。


「……なんだか火崎さんらしいね」

「うちは父さんが元勇者で、なんだかあんまり語りたくないような体験をしてきたみたいだからこういうの読むとちょっと理解できるかなって思って」


 烏丸くんから借りた本は勉強の合間や登下校中の電車、そしてみかどと一緒の時に読んだ。


『父が北京のあの小さい掘割の公使館に降りました頃、私もあの都にしばらく住みました。北京はご存知の通り西紀千四百二十一年から清朝の帝都でございましたゆえ、有名な聖廟、寺院、大塔や、あの名高い八匹の騎馬を並べて璧上を走らせることができるという北京城の厚壁も、今も残されて哀れに懐かしい老大国の過去の栄華の宏大な過去を語っているのでございます。』


 戦前の小説の文章は美しいな、どういう敗け方をするのか理解しえない豊かな時代な残滓をこういう形で嗅ぐのはなかなか趣があるなと読みながら、時折うつらうつらと船を漕ぐ。



 紫竹あおいさんが烏丸くんの従兄弟だと知ったのはつきあってしばらくのことだ。

 

 登下校中にすれ違った時などに、あおいさんが「ヒカルくん、今度の日曜のこと叔母様にお知らせしてね」と家族への言伝を頼むことがよくあり、その流れで知った。内部生には周知の事実だったようだけど、私には知らないことだった。

 思えば烏丸くんとあおいさんは醸し出す雰囲気がよく似ていた。銀の匙を咥えて生まれてきた人というのはこう人達をいうのかもしれない。

 

 あおいさんはその上前世の記憶を有する極めてまれな特質を持つ人だった。超古代に神々と共に戦った聖なる姫巫女としての記憶は異世界考古学や異世界文化人類学の発展に寄与する貴重な証言として大学の研究にも参加していると聞く。力はかなり薄まったが今でもほんの少し不思議な力を扱えるとも聞く。美人、家柄よし、そだちよし、頭もよし、性格もよし、魂の履歴もよし、非の打ちどころのないパーフェクトプリンセスである。


 そんなあおいさんが、みかどのような息を吸うだけで人を不愉快にさせることだけには秀でているヤツに構うのはかなりの不思議であった。利他的で心の美しい女の人ほどだめんずにハマるようなものかもしれない。


 昼休みに教室で一緒にお昼を食べている時に、またダダをこねているみかどとそれをなだめるあおいさんの姿を目撃した。


『門土さん、ねえ、私の何が気に入らないの? 教えて、私一生懸命治すから』

『はあ? 頼んでもねえことしようとすんじゃねえよ。つうか構わないでくれますう?』

 おそらくそんな会話を繰り広げているのであろう。私は脳内でアテレコをする。


「烏丸くん、あおいさんに言った方がいいよ? あんまりみかどに深入りすんなって。メンタルやられるよ?」

 私は心配になって烏丸くんに忠告したが彼は微笑んでこう言った。

「あおい姉さんは前世の記憶を持つ人だろ? そういう人ってこの学校でも結構稀だから同じように前世のことを覚えている門土さんにに出会えてうれしいんだって」

「……あおいさんの前世とみかどの前世は質がだいぶ違うよ。多分」


 みかどが世の中のプリンセスというプリンセスを嫌い呪っているのは、前世で一応プリンセスである私のママにひどい目に遭わされた上に好きな人を奪われたからだが(ママの名誉のために断っておくがそもそもの原因は前世のみかどの求愛行動に問題があったのである)、それだけでは済まない業というものがあるのだ。

 さげすまれ虐待され利用された上に最期は邪神に頭から食べられて死んだという記憶を転生しても維持しつつけたみかどにとって、神々に愛され人民からあがめられた超能力戦士である姫巫女という神々しい前世を生きてきたあおいさんに付きまとわれるのは屈辱でしかないのである。パンが無ければお菓子を食べればいいのにと困窮を知らない女王様の呟きを耳にしてしまった、その日のパンやスープに事欠く人々のような気持ちがするのであろう。


 そういった旨を烏丸くんに説明した。

「みかどはみかどなりにプライドがあるみたいだからさ。あおいさんが本心から親切にしようとすればするほどあいつは一層卑屈になるよ。放っておいた方が二人にとっていいんだよ」

 

 烏丸くんは面白そうに私を見つめる。

「火崎さんは門土さんのことをよくわかってるんだね」

「まあ、二年もいるし。ていうかあいつ自分からぐちぐちぐちぐち過去の恨み言をいつまでもつぶやき続けるから嫌でも理解させられるし」

「門土さんのことが本当に好きなんだね」

「好きじゃないよ。あいつスネさすと世界にとってマイナスにしかならないから面倒見てやってるだけだよ。現にあおいさんが泣きそうになってるし」

 

 中庭ではみかどにつきとばされている。よろめいたあおいさんを無視してみかどはさっさと立ち去る。黒々とした髪をなびかせて高等部の校舎の中に入る。振り向くことすらしない。

 突き飛ばされたあおいさんの下へ、あおいさんの友達が駆けよって慰める。うちの学校では(女子校じゃないというのに)ソロリティと呼ばれている選ばれし高等部のお姉さまたちだ。


『あおい、だから言ったでしょ? あんな人に構うのはやめなって』

『そうよ。あおいにはあたしたちがいるじゃない』


 きっとそんなことを語り掛けて慰め励ましているのだろう。とりあえず今度みかどに説教してやろうと私は決意した。


「私はみかどよりあおいさんの方が心配」

「そうか、火崎さんはあおい姉さんの心配もしてくれるんだ。優しいね」

 烏丸くんとの受け答えが若干噛み合ってない気がしたが、褒めらるのは悪い気がしなかった。



基督教女学校ミッション・スクウルは、官立の女学校よりも、生徒同士の友情がこまやかで、いろいろな愛称で呼びあっては、上級生と下級生の交際が烈しいということくらい、三千子もうすうす聞いていたけれども、それが実際どんな風に行われるものか……。』


 烏丸くんから借りた本の中に中原某という人の挿絵がついたものがある。この絵の人みたいかなあ、私。と、夜にその本を読みながらそんなことを考えていたら、その日もいつの間にか寝ていた。



『岬の学校に行くには一度大きく内陸側に逸れる。車の通れる道はそれしかないからだ。別にズルをして料金を稼ごうとしてるのではないのだよ。運転手はそんなようなことを言ったらしいが、あまりよく聞き取れなかった。窓ガラス越しに色彩の褪せた外の風景を眺めていると、五分もしないうちに港町は終わった。そしてに十分後くらいに、うつらうつらしていた矢咲は目に入ってきて驚いた光景に驚いて目を覚ました。窓の外には町があった。それもとびきり異様な光景の町が。』



 その日はみかどの家で烏丸くんに借りた本を読んでいた。みかども珍しく烏丸くんの本をパラパラめくっている。


「……あいつ変わった趣味してるなあ。お前なんかを気にいるだけのことはあるよ」

「みかどの癖に小説の趣味の良しあしが分かるの?」

「お前より文字に触れてる時間が圧倒的に長いんだぞ。読解力舐めんな」

 文字に触れてる時間って、スマホでチェックしてる嫌いなプリンセスたちのブログやSNSと悪口ばかり書き込まれる匿名掲示板ばっかりの癖に。

 借り物の本を開いたまま、みかどがお菓子を食べようとするので慌てて取り上げた。ルマンドはやめろ、ルマンドは。あれはぽろぽろすぐ崩れるんだ。



 あおいさんの献身が少しずつ実りつつあるのか、お昼休みにいっしょに弁当を食べてる様子なんかを教室から確認できるようになる。とはいえみかどは仏頂面で、あおいさんがにこやかに話しかけている様子ではあった。

「絵になる二人だね」

 嬉しそうに烏丸くんは言った。


 確かにみかどは黙っていれば美人の部類である。黒髪ストレートのロングヘアと青白い肌、すらりとした長身。媚びを売るときにやる目を弓のようにした笑顔も、私と一緒の時によくやる人を馬鹿にしたような笑いも、なかなかぞくっとさせるものがある。ムラっ気が強くて、大人であろうがなんであろうが気に入らないヤツの言うことは頑としてきかない気まぐれ猫のような姿勢も、好きな人にはたまらないものに映るのかもしれない(ひょっとしたらあおいさんもみかどのそういうところに魅せられたのかもしれない。難儀な)。


 その様子をみていて、私は肩の荷がおりたような気がした。やれやれ。これでみかども高一の女子らしく同世代の友達を手に入れることができたか。こうしてゆっくり普通の女子らしい幸せを手に入れて、いつまでも前世のことでぐちぐち恨み続けるような日々に別れを告げてくれればいいが……。そんな思いがため息になる。

 烏丸君はそれを聞きとがめたようだ。

「やきもち?」

「はい?」

「いや、門土さんをあおい姉さんに取られて……」

「? なんで? あおいさんの心身は心配だけどみかどと仲良くしてくださってるのはありがたいなって思ってるよ。あんなややこしいやつだし」

「そうか……。うん、ごめん、変なこと言って」

 なぜか二人の間に妙な間が生まれた。なんだこのしっくりこない感じ。

 その間を埋めるように、私は烏丸くんを映画に誘ってみた。今週末から封切られる大作映画が面白そうで興味がわいたのだ。あと、付き合ってる人と一緒に映画にいくというドラマや漫画でよく見かける行いにも興味があった。

 

 ところが烏丸くんの反応は意外なものだった。


「え? 門土さんおいていいの? 日曜は二人で一緒にいるんでしょう?」

「別に日曜日は一緒にいなきゃって決めてるわけじゃないし。ていうか、私と烏丸くんとつきあってるんだよね? なのになんでわたしとみかどが一緒に過ごすことを勧めるの? おかしくない?」

 また妙な間が空いた。

「……そうだね。じゃあ映画に行こうか。なんていう映画?」

 映画はアフガン帰りの元兵士が家族を殺した宿敵を追ううちに自分に失われた記憶があることに気づくというアクションサスペンスだったが、それを説明しながら一点に引っかかっていた。

 

 ‶じゃあ″ってなんだよ、‶じゃあ″って。



『あのひとと私は同い年だ。体操着の色が同じだった。体操着は学年ごとに色が違う。一年生は垢抜けない臙脂色だ。胸元に、各自の名前が白い糸で縫い取られている。その名前が読み取れない。あのひとの名前をわたしはまだ知らなかった。』


 烏丸くんに借りた本が睡眠導入剤になり、緊張感にまみれた初デート前日でもすっきり心地よく眠れた。お天気も快晴。とりあえず今の自分が一番かわいく見えるコーデで待ち合わせ場所の駅へ向かう。私服の烏丸くんは気張った格好をしてるわけでもないのに雑誌のページから抜け出たようだった。


 私たちの町から最寄りの繁華街に出て、映画館へ。その後つつがなく映画を見る。期待通り面白い映画ですっかり満足した。

「普段見ないタイプの映画だったけど、面白かったよ。ラストに冒頭に戻る脚本の構成が見事だった」

 脚本の構成って、私はそんなことを考えながら映画を一度も見たことない。は~っとすっかり感心してしまう。

「普段見る映画ってどんなの?」

「そうだね、来月公開される予定だけど一緒に見に行く?」

 もちろん、と首を縦に振る。楽しみが一つ増えた。


 

 来月公開される映画を一緒に見に行こうと誘ったその週の終わりになんでそういう流れになるのか、私にはさっぱり分からないが一方的に烏丸くんから別れを告げられてしまった。

 学校からの帰り道、よく立ち寄っていた遊歩道を歩いていた時のことだ。


「ごめん、火崎さん。もうこれ以上君と付き合えない」


「⁉」


 はい? 私は無言で目を見開いた。思いっきり間抜けな顔をしていた筈である。

 なぜだ、私は何かをしただろうか? 何かヘマを? 

 

 烏丸くんから返してもらった『総員玉砕せよ!』をパラパラみたみかどが「これを初めて付き合った男に貸すやついる? っていたー! 目の前にいた~! ウケる~! おなか痛ぇ~!」

とげらげら笑ったが、やっぱりあれがまずかったのか。


「なんだよ、水木先生バカにするなよな」

「水木先生のことはバカするわけないけどあんたは近年稀にみる大バカ娘だと思う。あ~おもしろ」


 みかどに爆笑のネタを提供したことは人生最大の不覚だが、やっぱりあれがいけなかったのか。でもあの名作を受け入れられないから別れると言い出すような人物など到底尊敬しえないから別れもやむを得ない。……ていうかまだ別れの理由を聞いていない。


 私は息を吸い込んだ。


「理由は何? 私よく無意識に人から鬱陶しがられることをやっちゃうみたいだけど、そういうことあった? だったら謝る」

「ごめん、火崎さんはなにも悪くないんだ……。その、僕の問題なんだ」

「私そういうよく本を読む人っぽいもって回った言い回しが苦手だから、単刀直入に言ってほしいんだけど」


 烏丸君の方でも息を吸い込んだ気配があった。


「僕は火崎さんが好きだよ。今でも好きだ。でも僕と一緒にいる火崎さんは好きじゃない」

「……だから、そういうもって回った言い回しはやめてほしい。怒るかもしれないけど、はっきり言って」

「うん、だから……」

 少しきまり悪そうな表情を見せてから、意を決したように口にした。

「門土さんと一緒にいる火崎さんを見るのが好きなんだ」


 意味が分からなかった。


「もっと正確に言うと、門土さんと火崎さん、門土さんと友達になろうとするあおい姉さん。あおい姉さんを心配する火崎さん、その関係を眺めるのが好きなんだ」


 打ち明けてしまうとすっきりしたのか烏丸くんの口調は熱を帯びてきたが、私は却って冷静になった。

 まるで意味が分からないせいだ。


「……ええと、みかどと一緒にいる私が好きって、私とみかどと二人一緒に付き合いたいとか?」

「ちがうちがうそうじゃない!」

 とんでもないと言いたげに烏丸君は手と首を同時に左右に振る。

「君たちを見てるのが好きなんだ。むしろ僕はいらない。僕は路傍の石でいい。君たちに混ざりたくない」


 やっぱり分からない。


「はた目でみていると君と門土さんの関係は完璧に美しいんだ。その関係に深みを与えるあおい姉さんの行動……。見れば見るほど涙があふれそうになる。それを僕みたいな人間が混ざっていいわけがない。美への冒涜だ。わかるっ?」


 わかるわけがない。理解の範疇を越えている。

 とりあえず分かったことは、烏丸くんも結構変なやつだということぐらいだ。繊細な美意識を持っている人は大変だ。


 私がなんだか、困惑したような表情を浮かべているせいで烏丸くんは何かを勝手に悟ってあきらめたらしい。寂しそうに笑った。


「火崎さん、僕の貸した本を読んでた?」

「……ごめん、読もうという努力はした」

「いや、いいんだ。だろうと思ったよ」


 その表情があまりにも寂しそうだったので、私はなんだか烏丸くんに対してとてつもなく酷いことをした気になったが、いやいやいやいや、私はよくわからない理由で一方的にフラれたんだから怒る権利はこっちにあるんだ。

 ふーっ、と息をついてからとりあえず要点を整理した。


「烏丸くんは私のことが嫌いじゃない。でも付き合いたくない。なぜならみかどと一緒にいる私をみるのが好きだから。合ってる?」

「合ってます」

「念のためにいっておくけど、あたしとみかどの関係は烏丸くんが言うようなきれいなもんじゃないよ? みかどがめんどくさくてほっとくと何をしでかすかわからないし、あとまあたま~にちょっと面白いことを言ったりやったりするからいっしょにいるだけだよ?」

「そう、それがいいんだよ!」

 急にテンションをあげる烏丸くんに吃驚してしまう。その反応を見て、烏丸くんは瞬時に反省した。

「……ごめん」

「申し訳ないけど、あんなんでも一応あいつは友達だし、ともだちと一緒にいる所をそういう風な目で見られるのはなんつうか、あんまり言いたくないけど、気持ち悪い」

 

 烏丸くんがあまりにもしゅんとした様子をみせるので可哀そうなことをしてるきになったが、いやいやいやいや、それぐらい言ってもいいはずだ。どう考えても。


「……ごめん。火崎さんの言う通りだと思う」

「そんな顔で謝るのはずるいよ。私今かなり怒りたいのに怒れないじゃん」

「……ごめん。本当にごめん」

「だから--!」


 いらだった声が出そうになって、私は息を吸い込みそしてゆっくり吐き出した。


「もういい、分かった。今までありがとう。楽しかったし嬉しかった。あと烏丸くんの性癖のことは誰にも言わないから安心して。じゃあね」


 ごねるのは嫌だ、すねるのも私の美意識に反する。別れた相手をくそみそにけなすのも私の沽券にかかわる。

 だから振り向かずにその場を後にする。気が付けば駆け足になっている。しかもわあわあ喚いている。通りすがりの人たちがぎょっとして振り向いていたが、知ったことか。


 走りながらワンワン泣きわめく付属の中学生という不名誉な噂をまきちらしているなと自覚したけども、とにかく感情がおさまらないのだ。

 家に帰って自分の部屋で一人になりたかったが、悲しいことにこれから電車に乗って帰るという作業があるのだった。こんな顔と気持ちで電車に乗れそうにない。


 一人になれる場所を求めて私は学校に戻る。

 吹奏楽部の人たちがパート練習をしている中庭をとぼとぼ歩きながら、そういえばみかどは高等部の階段の上でごろごろ転がっていたな、なんてことを思い出す。

 今日はあおいさんもいないので高等部の校舎へは立ち寄れない。

 

 吹奏楽部の人たちに死角になる、つつじの植え込みの根本に寝転がって、くれてゆく空を見上げた。このまま白骨死体にでもなりたい。


 そんなことを思っていたら、不意に茂みががさがさ揺れた。慌てておきあがり、涙でべたべたの目元をこする。


「? 火崎さんじゃない。どうしたの、こんなところで」

 つつじの茂みの向こうから現れたのはあおいさんだった。

「やだ、目が真っ赤よ? だれかとケンカでもしたの? 門土さんと? それともヒカルくん?」


 その名前を聞いて、せっかく収まりかけていた涙がまたぶわっと噴き出す。それであおいさんはある程度のことを察してくれたらしい。優しく微笑んでしゃがむと、私の頭を撫でる。短い髪を撫でる指の感触に甘えたくなったタイミングで、あおいさんは私にハンカチを差し出す。香水の香りか、それとも柔軟剤か、とにかくいい匂いがした。

 いい匂いのするハンカチを目元にあてた。垂れる鼻水をそれで拭くのは忍びなかったのでポケットティッシュを取り出して音をたててかむ。格好悪いけど鼻水垂れっぱなしよりはマシだ。


「……ありがとうございます。みっともないところをお見せしました。ハンカチは洗ってお返しします」

「元気が出たならよかったわ」

 やさしくあおいさんは微笑む。そんな笑顔を見てしまうとますます甘えてしまいそうだ。甘えるのは嫌だ、私は甘えさせる係なのだ。


「みかどは、一緒じゃないんですか?」

「……それが、髪の短い女の子が泣きながら学校の外を歩いてるって聞いたとたんに走り出して……」

 駈け出したみかどを探して、あおいさんはこの中庭にやってきて、寝転がる私を発見したのだろう。そう推測した。


 嫌な予感がした。みかどは呪術師なので人探しの類は得意である。仕事で激しいアクションをこなす必要もあるのでいつもダラダラしてるくせに体力はわりとある。

 私の一大事だというのに私の下に現れなかったというのだから、行く先は一つである。烏丸くんが危ない。


「すみません、失礼します!」


 私は駈け出した。あれから時間はかなり経っている。烏丸くんが私と別れた場所にとどまっている確証はないがとりあえず急ぐしかない。私は走り、遊歩道の出入り口にさしかかる。

 別れたあたりにきたが、やはり二人の影も形もなかった。はあっ、ととりあえず息を整えた。

 こういう時は文明の利器に頼るのが一番だ。私はスマホでみかどを呼び出した。


 呼び出し音が数回なったと思ったら、ドラッグストアの袋の音をがさがささせて悠々と遊歩道を歩きながらみかどがやってきた。


「……何その顔、とんでもないブスになってるぞ」

「うっさいな。失恋したばっかりなんだからたまには労われよ」

「いたわりはしないけど盛大にパーティーを開いてやるよ」

 恩着せがましく宣言して、遊歩道わきのベンチにお菓子でパンパンの袋をがさっと置いた。徳用アルフォートの他にルーベラ、ルマンド、エリーゼ、ホワイトバーム、ロリータ等、ブルボン製菓の菓子が山のようにあった。雰囲気が一気に老人会めいてしまう。

 

 みかどはベンチにすわり、さっさとアルフォートの袋を開けてむしゃむしゃ食べ始める。

「アルフォート様は偉大だぞ、嫌なことあってもこれ食べると大抵のことは吹っ飛ぶからな」

「万能薬じゃあるまいし。ていうか私さっきまでワンワン泣いてたんだよ。それでビスケットなんか食べたらのどにつっかえるし」

「そんなこと言うならやらねえし。あたし一人で食べるし。一人でブルボンパーティー開くし」

「やだ。あんたがあたしのためにお菓子買ってくれるなんてもう二度とないだろうから」


 点灯した街灯の下、私たちは偉大なブルボン製菓のお菓子をもそもそ貪り食った。妙すぎる状況だが、アルフォートは美味しかった。喉につかえたがみかどはその点ぬかりなくペットボトルのお茶をかっていてくれていた。


 無言のブルボンパーティーが続き、お茶も無くなり、もう口の中の甘ったるさがどうにも仕様がなくなったころ、私は言った。

「もう二度ということはないと思うけど、ありがとう。みかど」

「は? あんたにお礼いわれるようなことしてねえし、ブルボンパーティー開きたくなっただけだし」

「そういうことにしておくよ。……で、烏丸くんはどうしたの」

「石にした」

「はい?」

「あいつの望みは石になってあたしらを見守ることだったんだろ? だから石にした。その辺に転がってる」

「⁉」


 私は飛び上がり、ベンチのしたの街路樹の根本をあたりを見下ろした。植え込みの下には大小さまざまな石が転がっている。


「ちょ、どれっ⁉ 烏丸くんだった石はどれっ?」

「知らない。覚えてない」

「なに無責任なこと言ってんだよ。どうすんの? いくらなんでもマズイって」

「ほっとけばいいじゃん。三日もたてばもとに戻るし」

 そういうわけにもいくか! と怒鳴って、その日はとりあえずもてるだけの石を全部拾って帰宅した。


 普段より遅い時間、泣きはらした目で大量の石ころを持って帰ってきた娘を心配そうに両親は見つめ、その後三日間石を拾って帰っては机に並べて「烏丸くん、もう許すから元に戻って」と祈る姉を見た弟からは「オレは普段の姉ちゃんに戻ってほしいよ……」とボヤかれた。


 みかどは呪術師であって魔法使いではない。人間を石に変えることはできない。ただし人間が石ころににしか見えないようにに第三者の視覚を狂わせることなんてお茶の子さいさいである。

 そのことに気づいたのは神隠しに遭っていた烏丸くんが例の遊歩道で発見された報が学校中にで駆け巡っていたのを聞いた時だ。あの遊歩道で早朝のジョギングをしていた女性が、乱れた制服姿でぼんやりベンチの下で膝を抱えて座っていた彼を発見し、そのまま保護されたいらしい。

 それを聞いた日は心から安堵したのちに、「あの時のあんたは傑作だったなあ」とゲラゲラ笑うみかどをなぐりつけ、家に帰った後は石ころを全部捨てた。


 石ころにしか見えなくなる呪いをかけられた烏丸くんだったが、自身も石ころになった気持でいたらしい。正確に言うと、石ころになりきった間の意識はすっかり消失していたのだそうで、‶完全なる無″とやらを味わっていたとのこと。

「石には脳も感覚もないからね。思考も感情も生まれない。すべて無だった」

 元気になった烏丸くんは興奮したように貴重な石体験を語ってくれた。

「五感がないということは視覚もないということだから、石になったところで君たちを観察するという夢は果たせないことを理解したよ。門土さんには感謝しかないね」

「ああそう」

「残念だけど、君たちを見続けるには人間をやめるわけにはいかないみたいだ」

「……変な流れで結構絶望的なことを言うね。私一応烏丸くんには人間やめて欲しくないといおもってるよ。私たちをみて変な妄想するのはやめてほしいけど」

「……大っぴらに語らないので許してもらえないかな」

 はあっと私はため息をついた。烏丸くんにとって私たちをみて「美しさ」に涙するのは、みかどがプリンセスへの悪態をやめられないような、一種の業なのかもしれない。悪態は問題だが、美とやらに心を震わせるのは一般的には悪いことではないので黙認することにした。


 そんなわけで烏丸くんとの交際を解消した私だが、石になった経験を興奮して語るような人との関係を断ち切ってしまうのは惜しく思われた結果その後も友人関係は続いている。烏丸君にとっても初めて自分の抱える業をさらけ出した相手である私が必要であるらしく、今でも本や漫画を貸してきたりする。私は一応目を通すが大抵途中で寝てしまう。

 烏丸くんはどこかの小説サイトでひっそり自分の考える美を詰め込んだ小説を発表してるらしい。私達のことはモデルにするなとくれぐれも念を押したがはたしてどうなってることやら。



 烏丸くんが視たがっていた映画は、ユニットを結成したアイドルの女の子たちが初ライブ開催のために奮闘するというアニメ映画だった。うーわーあ~……となったが、小説と違って映画は勝手に話が進んでくれるので眠らずにすんだ。

 その映画の中に出てきた先輩キャラの名前が「蒼井さん」というのがちょっとくすぐったかった。あおいさんに借りたハンカチは洗ってアイロンをかけて返したが、あの時の香りが蘇る。


 

 学校でのあおいさんは、みかどなんかに構い続けているせいで栄えあるソロリティのメンバーから愛想をつかされ気味である。そんな様子を中庭で見続けて私はやきもきしている。みかどは相変わらずあおいさんにつれないのに、あおいさんは冷たくされてもみかどの隣に立とうとする。なぜそこまで……、私は日に日にやつれていくあおいさんが見ていられない。あおいさんには完全無欠のパーフェクトプリンセスでいてほしいのだ。


「なんであんたはあおいさんにそんな冷たいの! 優しくしなっ」

 一度本当に腹が立って中庭で説教すると、ふんっと鼻息をみかどはそっぽを向いた。二月十四日のことである。

「たまにはこういうのもいいんじゃないかしらって、なんか歯にからむネチャっとしたのが中に詰まったこぎれいなチョコを寄越したんだもん。嫌味くせえ」

「……みかどさん、言ったじゃないですか。こいつにはアルフォート、アルフォートでいいんです。下手に高級なものを与えなくていいんですっ。お金と真心の無駄ですっ!」

「でも……せっかくのバレンタインなのに……」

 

 涙ぐむあおいさんが見ていられなくて、このタイミングで手渡すのはどうかと一瞬なやんだが先日デパートで買ったハンカチを手渡した。ついでにその時一緒に買ったチョコレートも添えて渡す。

「あの、日ごろ、みかどがご迷惑をおかけしてるので……。あと、いつかお世話になったのでそのお礼です。どうぞお納めください」

「あら」

 あおいさんは美しい指で涙をぬぐい、にっこりと微笑む。

「嬉しい。ありがとう火崎さん。大切にいただくわ」

 いただくわ、いただくわ、いただくわ……、私の耳にあおいさんの美しい声が響いたが、それはみかどの無粋な声で打ち消された。

「何、あたしよりさきに紫竹あおいにチョコ渡すの? 唯一の女友達差し置いて? 何それ酷い。あーもうやる気出ない。死ぬ」

「うっさいなあもう、帰りにアルフォート買ってやるから黙れ」


 ふと視線を感じたので自分の教室を見あげると、こっちを見ている烏丸くんと目が合った。気まずいのでベーっと舌を出すと、相変わらず彼はきれいに微笑んだ。



 二月十四日だというのにみかどからチョコの類は一切プレゼントされなかった。まあそれでこそ門土みかどである。


 

 以上で私の報告は終わり。お付き合い感謝申し上げます。

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火崎日向子の友情と初恋。 ピクルズジンジャー @amenotou

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