第9話:心の森

「結子ちゃん、起きて」

かすかな声が聞こえて、わたしは目を覚ました。そこは、いつものオカマバー「Honesty(オネスティー)」のカウンター席だった。

「わたし、どうしてたの?」

「いつもみたいに飲んだくれて、そのまま寝ちゃったのよ」

律子ママが、あきれたような顔でわたしを見る。

「確かわたし、屋上から飛び……」

頭の中が混乱していて、何が起きたのかよく理解できない。


「何か知らないけど、あんた寝言言ってたわよ。ジャックがどうとか、人を信じろとか」

今までの出来事は、すべて夢だったのか? いや、それにしては鮮明に記憶に残っている。こんなにハッキリとした夢は、見たことがない。

今のが夢かどうか判断するには、1億円を確認するしかない。でも、どうやって受け取るのか聞いていなかった。

「確かにわたしはバカだ」


考えられる場所といったら、あの青い屋根の家しかない。

「とりあえず、行ってみるか」

わたしは始発に乗って、あの丘の上にある青い屋根の家を目指した。


「もし本当に夢だったなら、あの家はないはず」

そう思って、わずかな望みを胸に丘を登った。するとそこには、確かにあの時の青い屋根の家があった。

「やっぱり夢じゃなかったんだ」

時の番人が、わたしが前世で住んでいた家だと言っていた。ということは、あれが夢ならこの家は存在しないはずだ。

でも、確かにここに存在している。かなり古くてガタが来ているけど、大きくて立派な西洋建築の家。わたしは、おそるおそる玄関の扉を開けて、中へと入って行った。


きしむ階段を昇り、時空間を超えた最初の扉である鏡の前に立った。

「ここから始まったんだ」

結局、来世の自分がどうなったのか確認しないまま現世に戻ってしまった。

「今ごろ、アレクシスはどうしているだろう。ちゃんと改革を進めているかな」

そう考えた時、鏡にある光景が映し出された。発展した明るい街が見える。そこにはアレクシスのビルと、肩を並べてそびえ立つミスタージャックのビルが見えた。


どうやら二人は、手を組んで世の中を変えているようだ。

「良かった。あの二人がいれば、未来は安心だ」

わたしは気づいていた。ミスタージャックは、わたしが前世で首をはねた国王だと。

あの時代に生きた二人は、きっと志が高かったのだろう。でも方向性が違ったから、あんな悲しい結末を迎えてしまったんだ。


もし同じ方向を向いていれば、より良い世の中に変えられたはずなのに。

「じゃぁ、現世でのミスタージャックは誰なんだ?」

そんなに敵対している相手なんていない。わたしは今まで、なるべく波風立てないように生きてきたから。感情をできるだけ出さないように閉じこめて、何も感じないように生きてきた。だから、人を信じるという感情はとっくに葬ったのだ。


「あっ」

そうだった。わたしは気づいてしまった。ミスタージャックに偉そうなことを言ったけど、自分こそ人を信じるという気持ちを失ってしまっていた。

それに、なるべく感情の波を立てないように、何も考えないようにして生きてきた。まるでアレクシスが作った世界の国民のように。


あの世界で出会った人たちは、みんな現世でのわたし自身の姿だったのだ。もしかしたらあれは未来じゃなく、私の頭の中の世界だったのかもしれない。未来でも幻想でも、それはもうどっちでもいい。

わたしが変わらなければいけないという、神からの啓示だったのだと思う。


人はそんな簡単には変われない。でも変わることは確実にできる。

わたしもまだ変わりきれていないのかもしれないけど、これから先の人生をかけて、変わって行かなきゃいけない。そう思った。


「きっとゴールには、永遠にたどり着けないんでしょうね。でもゴールに向かって進んでいるという姿勢が大事なんだ」

そう自分に言い聞かせるように呟くと、鏡の中に時の番人が映し出された。

「結子ちゃん、よく頑張ったね」

「あなたは、時の番人」

「言ったでしょ。結子ちゃんが必要になった時に、また会えるよって」

「でも、なんでここにいないの?」

「じつは、そっちの世界に行くには、かなり体力を使うんだ。結子ちゃん以外にも、僕を必要としている人がいて、助けなきゃならない。あいにく結子ちゃんだけじゃないんでね」

「そうなんだ、意外と忙しいのね」


「まぁね。それはそうと、ここにはアレを探しに来たんでしょ」

「アレって?」

わたしは、ちょっととぼけてみせた。

「アレだよ、結子ちゃんの人生を買ったお金」

良かった、どうやらここに来て正解だったようだ。

「あぁ、そうそう。あのお金ね。あの1億円で、恩返ししたい人がいるの。それに、やりたいこと見つかったよ」

「うん、知ってる」


「またそれ? あなたはどこまでわたしのこと知ってるの?」

「今、結子ちゃんがとぼけたのもお見通しさ」

わたしは自分の卑しさに、何とも言えない恥と憎悪を感じた。変わったと思ったけれど、まだまだ醜い自分がいる。そう頭の中で考えていた。


「そんなことないよ。人間なんて、誰だって醜い感情を持っているものさ。本当に心が純白で美しい人なんて、そうそういるものじゃない。だから自分を卑下しないで、もっと素直な結子ちゃんでいてよ」


「もしかして、わたしの頭の中までお見通しなの?」

「もちろんさ。結子ちゃんは、そのままで良いんだよ。それが結子ちゃんの人間らしさでもあるんだから」

「そうなのかな。そう言ってもらえると、何だか救われる気がする」


時の番人は、寂しそうな安心したような複雑な表情を見せると、ホッとしたようなため息をついてわたしを見た。

「そろそろ時間が来たようだ。僕は、もう結子ちゃんの前には現れないだろう。なぜなら、その必要がないからさ。結子ちゃんは、これからの人生でつらいこともあるかもしれない。でもきっとうまくいくから、安心して精一杯に生きるんだよ。いいね」


「もう二度と会えないの?」

「いいや、現世ではという意味さ。またきっと来世では会えるよ」

「じゃぁその時のわたしは、アレクシスなのね。わたしは来世の救世主になれたのかな」

「あぁ、なれたとも。だから今、ここにいるんだよ」

「そっか、良かった」

「結子ちゃん、僕が鏡の中から消えたら、クローゼットの中を見てごらん。これからの運命を変えるための道具が入っているから。きっと結子ちゃんなら、人のために尽くせると信じてる。じゃぁ、また来世で会おう」

そう言って、時の番人は鏡の中から姿を消した。わたしは時の番人の名前すら聞いていないことに気づいた。名前なんてないのかもしれないけど。


何かちょっとだけ寂しかったが、わたしにはやるべきことがある。時の番人が言ったようにクローゼットの中を見ると、見たこともない量の札束が積まれていた。

「これが1億円」

1億円なんて見たこともないから、どれくらいの量だか知らなかった。率直な感想は、意外と少ないという感覚だった。


そのお金で、わたしは早速この青い屋根の家を買った。

この家をどう使うかは、もう決まっている。その名も「フェアハウス」。


「シェアハウス」ではない。「フェアハウス」だ。この家は、わたしが経験したような寂しく惨めで、つらい思いをする子どもが減ることを願ってつくることに決めた。他の子どもと変わらないフェアな愛情を注ぐための場所。


これからの未来はどんどん進歩して、便利になっていくだろう。

便利さと引き換えに、心がどんどん希薄になっていくのは想像がつく。それを少しでも阻止するため、わたしは未来を担う子供たちに、心の大切さを教えていけたら良いと思う。


このフェアハウスは、子供たちが「学び」「遊び」「交流する」ことができる場所にしたい。心の傷があるなら、このフェアハウスで「治す」こともできるようにしたい。それが現世でのわたしのやるべきことであり、人のためになることなんだと思う。


わたしはこの「フェアハウス」を「心の森」と名付けた。ここから多くの幸せを世の中に送りだしたいと思っている。





END

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あなたの人生、1億円で買います 壇条美智子 @tuki03020302

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