第8話:人を信じるということ

そのビルは鏡張りの高級ビルだった。アレクシスのビルもすごかったけど、こっちのほうがどことなく洒落ている。

「ここがアジトね。頑張れわたし。きっとできる」

そう自分に言い聞かせて、わたしは最上階へ向かった。人生で、こんなに緊張したことはない。


エレベーターを降りると、いきなりだだっ広いリビングルームが開けていた。赤いカーペットが敷き詰められて、ちょっと古臭い高級家具が並べられていた。現代のエンジニアはモダンな人種のはずなのに、何だか違和感を抱いた。

「いきなり撃たれたらどうしよう。まぁ、それも運命か」

おそるおそる歩いて行くと、窓際に大きなデスクがある。しかし、そこには誰もいない。


ホッとしたのも束の間、大きなジェットエンジン音が聞こえてきた。

「やばい、屋上だ。このまま行かせるわけにはいかない」

屋上までは、廊下のつき当たりから階段を昇っていけるようになっていた。わたしは急いで階段を駆け上がり、今にも飛び立ちそうな航空機の前に立ちはだかった。


「おいお前、何やってる。どけ」

「あなたがミスタージャックね」

「誰だ、お前。どけって言ってんだろ」

「わたしは結子。あなたと話がしたくて来たの」

「どかないなら、そのまま轢き殺すぞ」

「いいえ、あなたは人を殺すような人じゃない」

「お前バカなのか? こっちはミサイル積んでんだぞ」

「あなたは国民に恐怖と不安を植え付けようとしているだけ。でも、それには理由があるんでしょ?」

「いったい何の話だ」


「あなたは感情を失ったこの世界の人々に、もう一度、意志を持って欲しかったのよね。だから人がいちばん反応しやすい、『恐怖』という感情を煽ったんでしょ。やり方はひどいけど、あなたもこの世界を変えたかったのね」


ミスタージャックは驚いたような顔をしながらも、口を閉ざしている。

「わたしも、あなたと同じことを感じたからわかるの。この世界の人は、生きているのか死んでいるのかわからない。そんな生き方をしても、何の実りもない。それを世に知らしめたかったのね」

「お前に何がわかるんだ」

「わかるわ。わたしもずっと死んだように生きてきたから。この世界は必ずアレクシスが変えるから、どうか彼女のことを信じて欲しい」

「あいつが、この世界を殺した張本人なんだぞ。そんなこと信じられるわけねぇじゃねぇか」


そう言いたくなる気持ちもわかる。でも、ここは絶対に引き下がれない。

「そうね、そう思って当然よ。でも人には試練が必ずやって来る。彼女にとっての試練がこれよ。試練というのは、いくら逃げても、必ずまたやって来るの。乗り越えるまで何度でもやって来る。だからあなたは、人を信じるという試練を乗り越えて欲しい」

「人を信じるだと? 今まで人を信じて良かった記憶なんてない。人を信じても、ろくなことにならねぇよ」

「そんなことない。あなたが人を信じられるようになった時、きっと人生が急に明るくなったように感じるはずよ。わたしだって、自分の運命を受け入れた。はじめは怖かったし、自信もなかったけど、飛び込んでみたら案外できるものだと知った。だからあなたにも、きっとできるはず。だから、あきらめないで」


ミスタージャックは意外な申し出に戸惑っている様子だったが、ふぅ~っと一息つくと、ジェットエンジンを止めた。

「俺は、この世界が大嫌いなんだ。だから、こんな世の中なら破滅すればいいと思った。だから、めちゃくちゃにしたかったんだ」

「そうでしょうね、わかるわ」

「だけど人を殺すほど俺は悪人じゃねぇし、本当は世の中が破滅すればいいなんて思ってなかったんだ。だけど後に引けなくなっちまって、こんなことに」

「大丈夫よ、安心して。ただ人を信じるだけでいい。それだけでいいの。あなたの人生の転換期が、いま目の前にあるの。これはチャンスよ、絶対に掴み損ねちゃいけない」

思わず熱弁をふるってしまった自分が、何となく恥ずかしくなってきた。でもミスタージャックの心は、動きはじめているようだった。

「わかったよ、信じてやる。だけどアレクシスじゃなく、お前に免じて信じるんだからな」

「ありがとう。あなたのこと見直したわ。きっと前世でも、わたしたちは敵だったはず。だけど何百年もの時を超えて、やっと分かり合えたようね」


「お前はやっぱりバカなのか? いったい何の話をしてんだ」

「いいの気にしないで、ひとり言だから。それじゃぁ、戦闘機を乗り回している部下にも、ちゃんと連絡しておいてね。言っておくけど、もしまたミサイルを落としたら、その時はこのビルごと吹っ飛ばしてやるから」

「わかったよ、お前って見かけによらず怖えな」

「言ったでしょ、わたしも変わったのよ」

そう言った瞬間、わたしは無性に屋上から飛び降りたくなった。今なら、空も飛べるような気がしたからだ。まさか、そんなはずはないのに。


屋上の端まで全速力で走り、そのままわたしは空へ飛び立った。ものすごい勢いで風をきる感覚が、妙に心地よかった。しかし確実にわたしの体は、下へ向かって落ちていった。

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