どらごんすれいや~

淺羽一

〈掌編小説〉どらごんすれいや~

 鈍色の鱗に覆われた指の隙間から覗く王女の顔は、生気を失ったように瞳を閉じていた。

 王子は王家に伝わる宝剣の柄の感触を確かめながら、自身の背丈の何倍もあろうかという竜と、それによって持ち上げられたままの王女を見上げて、思わずため息をついた。

 本音を言えば、厄介なことになったと思っていた。しかし、背後では彼に次いで王位継承権を持つ弟が顔面を蒼白にして震えながらも剣を構えているし、また間違いなく王宮では遠見の水晶に映し出された自分たちの姿を何人もの人間が見守っているはずだし、何よりそもそも竜の求めに応じて自らが一人(結果的に弟が付いてきたので実質は二人だが)で行こうと次期国王らしく勇敢な名乗りを上げたのは他ならぬ彼自身だった。いや、と言うよりも、彼にはどうしても他の無関係な人間を連れてくるわけにはいかなかっただけなのだけれど。

 ふと気付くと、彼はまたしてもため息をついていた、しかも今度は先ほどよりも深く。本来、彼は何かを偽ったり、騙したりすることはきわめて苦手なのに。

 いい加減、このままではいられないか。そこで彼は己の心を立て直し、改めて竜の様子を確かめた。

 岩山の頂上に立った巨竜は、まるで彼らなど相手にしていないとでも言うように、単なるトカゲやワニと一線を画す威厳を持った顔を明後日の方へ向けていた。もうすでに小一時間もこの調子だった。

「邪悪なる竜よ!」と、王子は芝居がかった口調で声を張り上げて、竜を呼んだ。だが、その瞬間、金色の双眸がぎろりと彼を睨み付け、大人でも抱えきれないだろう尻尾がずどんと大地をたたいた。巨大な体を挟んで彼らと対照的な位置にあった岩石が、あっさりと砕けて山肌を転がっていった。

「………………」

 王子は岩の残骸が消えていく様を無言で見送った。最早、弟はしゃっくりじみた悲鳴を上げたきり、岩肌の上にへたり込んでしまっていた。ただし、剣を手放していなかったことだけは褒めて良いだろう。或いは、強ばった手から力を抜く余裕すら忘れてしまっているだけなのかも知れないが。

 王子は再び竜へ向き直ると、わざとらしい咳払いをしてから、口を開いた。「偉大なる竜よ」

 けれど、その途端に竜は顔を背けてしまい、状況は振り出しに戻る。

 しかし今度こそ王子は怯まなかった。「絶対なる竜よ」、「神々しき竜よ」、「この世で唯一の竜よ」、と聞きようによってはあたかも称賛めいた言葉を繰り返し放った。

 だが、それでも一向に竜は彼の方を見ない。それどころか、徐々に首の向きがさらに遠くなってさえいるようだった。

 ……仕方ない、と彼は内心で呟いた。いつしか、弟がやや困惑している風に自らを見つめていることに気付いていたが、もうそれに構っていられる場合ではなさそうだった。せめてもの救いは、遠見の水晶が音声を伝えず光景しか映し出さないことだろう。

 彼は大きく息を吸い込むと、迷いのない声を発した。「この世で最も美しき竜よ」。

 瞬間、竜の顔がぴくりと動き、ほんの少しだけ顔の向きが戻ってくる。王子は間髪を容れずに続けた。「この世で最も気高き竜よ」、「この世で誰よりも輝かしき竜よ」、そしてだめ押しとばかりに「我が愛しき竜よっ!」

「……あ、兄上?」 背後から呆然とした弟の声が聞こえたが、彼はそれを無視して待った。

 数秒の沈黙を置いて、果たして竜はようやく彼の方を向いた。金色の瞳から真っ直ぐに注がれる視線に込められた感情の正体は分からなかったけれど。

「どういうつもりよ」

 やがて怒りを凝縮させた雹のごとく、天から降るように王子の鼓膜へ響いてきたものは、雰囲気とは裏腹に何とも可愛らしい女声だった。

 しかしながら、王子自身はまるで驚いた風もなく、それどころか一層に神妙な態度で「誤解なんだよ、本当に」

「誤解ですって?」

「とりあえず、その人を放してくれ。ちゃんと説明するから」

「駄目」

「どうして」

「そんなことを言って、また騙すつもりでしょ。この女を下ろした途端、私の前から逃げるつもりなのよ」

「そんなわけないだろう」

「どうだか」

「私が愛しているのは、お前だけだ」

 竜の動きが止まった。背後で弟の息を呑む音が響き、王子は腹をくくった。

「だから、な。もう良いだろう。全ては誤解なのだから」

「…………」

 硬い鱗に覆われた顔面から感情をうかがい知ることは難しいものの、竜は確かに迷っている気配を漂わせていた。

 そこで王子は剣を鞘に収めながら、ゆっくりと一歩、近づこうとした、その時だった。

「何を仰っているのですか、兄上……」

 唐突に割って入る声があり、竜の眼光が鋭さを増した。

 王子は、すでに分かっていたこととは言え、空気を読まない弟の生真面目さに内心で呆れつつも、辛うじて王族らしい口調で言った。「お前が今、見ている通りだ」と。

 いつの間にか、弟は立ち上がり、竜と王子を交互に見ていた。「私には分かりません。一体、何がどうなっているのですか」

「弟よ。全てが終わってから、お前にはきちんと話をすると約束しよう。だから、今は大人しくしていてはくれまいか」

「いえいえ、そういうわけには参りません。あそこに捕らわれているは隣国より我が国へおいでになった姫君。それも、兄上、あなたと婚姻を結ぶ為に。なのに、あなたは――」

 瞬間、ずどんと凄まじい地響きが起こり、早口でまくし立てていた弟が悲鳴を上げてよろめいた。

「落ち着け、エーミア!」 慌てた王子がその名を叫ぶと、今まさに二撃目を放とうと尻尾を振り上げていた竜は、不服そうに鼻を鳴らしながらも静かにそれを地に下ろした。

「……お前も、少し黙っていろ」

 王子が心底から疲れた声で告げると、弟は再び顔面を蒼白にしてぎこちなく頷いた。

 そして王子はあたかも舞台を眺める観客へアピールするかのごとく、儀礼じみた所作で剣を構え、しかし口調はいかにも億劫そうに語り出した。

「私とエーミア……この竜は、もうずっと以前から面識があるのだ」

「そんな!?」

 信じがたい事実を突きつけられて言葉を失う弟だったが、そんな彼らを見つめる竜の眼差しは全てを肯定するかのように静かなものだった。

「今から何年も前、当時まだ身も心も未熟だった私は、周囲の者の言葉も聞かず一人で馬を駆り、この山へとやって来た。それこそ、この地に住むと伝えられる巨竜を打ち倒し、己の名前を世に認めさせようとしたのだ。だがしかし、現実は厳しいものだ。おそらく動物的な本能だったのだろう、山へと入ることを拒む馬を置いて、何も考えず一人で歩き出した私は、勇者になるどころか早々に迷い、あっという間に帰る術を失ってしまった」

 岩山の麓に広がる深い森の中は昼でさえも薄暗く、ましてや日が暮れると辺りは闇に包まれた。木々の葉がこすれる音はまるでさまよい歩いた末に命を落とした者の怨嗟の声に聞こえ、時折、どこからともなく響いてくる獣の鳴き声は新しい亡骸が増えることを今か今かと待ちわびているようであった。

 当てもなく進みながら、王子は情けなくも震えていた。しかし、無様に立ち止まり、泣き叫ぶことはしなかった。現状を打開する役には立たなかったが、それが王族としての矜持だった。

 殴られたような衝撃を受けたのは突然だった。それが前触れもなく木々の間から現れた獣の咆吼であったと気付いた時にはもう、彼は本当に飛びかかられた衝撃で地面を転がっていた。

 暗さに慣れた目にぼんやりと映っていたのは、二つの瞳を明星さながらに光らせた野犬か狼らしき獣だった。

 食われる、彼はそう考えた。状況はあまりにも悪く、かといって背中を向けて逃げ出した所で、あっという間に追いつかれるに違いなかった。

 だから彼は、剣を抜いた。理由など最早、言うまでもなかった。

 だが、どうしてなのか、獣はいつまで経っても襲いかかってこなかった。それどころか、やがては威嚇のうなり声さえ消えていた。まさか、森に迷い込んだ人間のたかが一人、武器を持っていた所で敵ではないだろうに。王子は油断無く構えながらも、釈然としない気持ちを抱え――

 ――直後、全身の皮膚が泡立つほどの寒気を感じ、少しでも気を抜けば即座に崩れ落ちてしまいそうなほどの震えに襲われた。

 ちゃんと理解したわけではなかった。ただ、本能的に直感しただけだった。王子の眼前で死んだ振りでもしているかのごとく地に伏している獣を見続けていたのは、単に背後を振り返れなかったからだった。

 彼のすぐ後ろに、空から巨大な力の塊が降ってきたのは一瞬の後だった。

 月明かりがその場を照らしたかと思えば、太い木々の粉砕される音が森中に響き渡り、彼は凄まじい衝撃波に紙人形よろしく吹き飛ばされた。

 ……おそらく、数秒ほど意識を失っていたのだろう。全身に痛みを感じつつも、ようやく彼が地面に膝と手をついて顔を上げた時、暗い森の中においてぽっかりと浮かぶように現れていたのは、竜だった。

 彼の喉は声を失い、四つん這いになっている体は滑稽なほどに震えていた。何かを考えられる余裕は無く、唯一ちゃんと理解していたことと言えば、こんなものに一介の人間ごときが敵うはず無いという真理だった。獣はとっくに姿を消していた。

 どうしよう、と考えようとして、彼は引きつった頬で苦笑した。どうするもこうするもない、どうしようもないのだ。この竜の前では、彼の意志など枯れ葉一枚程度の価値しかない。吹かれれば飛ばされ、踏みつぶされれば地に帰る。むしろ、まだこうして命をつなげていることの方が奇跡じみていた。

 そして彼は、遂に諦めようとした。と言うよりも、それ以外の選択肢などあるはずが無かった。

 ガチガチとぶつかり合う歯の音に混じって、カタカタという音が耳に届いてきたのは、その時だった。

 そこで初めて、彼は己の右手がまだ剣を握ったままでいたことを知った。

 勿論、それは意図して行っていたのでなく、ただそれを手放す余裕さえ無かっただけだ。むしろ、柄を砕かんばかりに恐怖に強ばり硬直した指は、いっそ彼が自由にほどくこと自体出来なさそうだった。でも、たとえそうであったとしても……。

 下手くそな操者に操られた人形さながらに、今にも倒れてしまいそうな有様でありながらも、彼は確かに地に突き立てた剣を支えにして、立ち上がっていた。彼自身、どうしてそんなことを出来ているのか不思議だった。ましてや、やがてその切っ先を、あろう事か自身よりも遙かに強大な存在へと向けるなんて。

 月明かりを反射してらんらんと輝く双眸が見下ろしていた。

 彼は、未だに震え続ける足を必死で支えながら、それをにらみ返した。

 ほんのかすかに竜の眼差しが変化した気がした。まるで、面白がっているかのように。そして竜は、あたかも何かを確かめようとするかのごとく、凶悪そうな爪の生えた前足を振りかぶり、それをゆっくりと一向に怯まない王子の頭上へ――

「あんなにも勇敢な人は初めてだったわ」

 当時を思い出して機嫌を直したのか、いつしか竜の口調は愉快そうで、王子はかすかに気恥ずかしくなった。弟は、少なからず気味悪そうな表情をしていた。

「体を掴んで持ち上げられた時は、さすがに食われるのだと覚悟したがな。まさか、草食の竜がいるとは思ってもいなかった」

 おそらく弟にとって信じがたい会話を平然と交わしながら、王子と竜は時折、真剣な顔で見つめ合う。

「……まさか。そんなことになっているなんて」

 唖然とした声を漏らす弟に、王子は「お前は知らないが」と前置きしてから「人の姿となった彼女は、とても美しいのだぞ」。

 弟は反論こそしなかったものの、その視線は明らかに「嘘だ」と語っていた。

「ごめんなさいね。人としての姿は、唯一、夫となる者にしか見せられないの」

「夫、ですって!?」と弟。

「そういうことだ」と王子。

「そんなっ……。このようなこと、父上がお許しになるはずがないでしょう。それに、何よりあの姫君との婚約はどうされるおつもりですか」

「そもそも、私達は婚約を交わした覚えなど全くない。あれは、父上と向こうの王が勝手に決めた話だ」

「だとしても、です。仮に、この婚姻を破棄したとしても、このようなばけも」

 と、そこまで言った瞬間、竜の視線が弟を貫き。

「こ、このような女性を父上がお認めになるはずがありません。いえ、人の姿をしてない王妃など、父上だけでなく、全ての民が認めはしない」

 慌てて言い直した弟を気遣わしげに眺めながらも、王子は断固とした声で応えた。「だから、それも含めて父上とはいずれきちんと話をするつもりだった。つまり、王位継承権をお前に譲る、とな」。

「馬鹿げている」

 本来であれば喜んでしかるべき内容であっただろうに、弟はそれを一蹴した。

「父上や民が次期国王として望んでいるのは、私でなく兄上、あなたです」。自嘲めいた響きを宿す弟の言葉は、けれどだからこそ真実なのだろうと悟らせる力があった。

「お前は良き国王になれる」

 なのに、王子はいともあっさりとそう告げた。

「なるほど。確かにお前は武人としては未熟かも知れない。だが、それを補ってあまりあるほどの知性がある。これからの世は剣よりも、むしろそのような人間こそが国を担うべき者として相応しいのだ」

「それは違います、兄上。政治や経済と言ったものは、王の意志の下で、それを補佐する人間たちによって整えることが出来るのです。しかし、国全体を一つに束ねることは、圧倒的なカリスマ性を備えた、真に王に相応しい人間にしか不可能なのです。百年後に国を潤わせられる政治手腕でなく、何よりもこの瞬間に皆を従わせられる魅力、英雄性こそが、王に求められる資質なのです」

「ならば、お前が英雄になればいい」

 あまりと言えば簡単に発せられた言葉に、弟は何を言われたのか理解出来なかったらしく、「……は?」。

「なぁ、エーミア。誤解も解けたことだし、お前もそう思うだろう」

 だけど王子はやはりそんな弟の様子などまるで気にせず、あっけらかんと竜へ向き直った。

「そうね」 果たして、竜もあっさりと頷いた。ただし、見た目だけで言えば、それはさながら大きく開いた口を王子の頭上へ落とそうとしている風なものだったが。

「あなたが私を裏切ってこんな女と結婚するって聞いた時は、いっそ国ごと滅ぼしてやろうかしらと思ったけれど」

「私がお前を裏切るわけがないだろう。ただし、状況が状況だ。こうなってしまった以上、私は王位を失うだけでなく、一切のものを失ってしまうことになるだろうが」

「私がいるじゃない。あなた一人くらい養ってあげるわよ」

「それは困る。妻を養うのは夫のつとめだ」

「はいはい、分かりました旦那様。あなたって実は亭主関白なんだから」

「そう言うわけだ。お前も分かったな」

 と、いきなり話を振られた弟の反応など、言うまでもないものだった。

「一体、何を仰っているのですか!?」

「お前らしくもない。まだ分からないのか」

「分かるはずがないでしょう!」

「要するに、今から私はちょっとエーミアに殺されるから、お前が彼女を退治し、あの姫様を救うのだ」

「…………は?」

「では、いくぞエーミア。なるべく派手に頼むぞ」

「ちょ、ちょっと待っ――」

 慌てた弟の声は、直後に響いた竜、いや、彼の義姉の咆吼によってかき消された。

 剣を振りかざし、雄叫びと共に駆けていく王子。すると、そんな彼の脇を竜の口からほとばしった炎が薙いでいく。それは落ち着いて観察すれば、明らかに炎の方が彼の動きに合わせて放たれているのだけれど、その迫力の前にそんな冷静さを保っていられる人間など間違いなく皆無であったはずだ。唯一、全てを知っている弟を除けば。いや、その凄まじさは、何もかもを理解している弟にさえ悲鳴を上げさせるほどだった。

「何をしている、お前も来い!」

「しかし兄上!?」

「大丈夫だ。彼女に任せておけば心配は要らない」

 直後、その言葉に呼応するかのごとく、竜の尾が暴力的な勢いで振り回され、結果、弟と彼女を結ぶ線上にあった岩などが一掃された。しかも、さらに都合の良いことに、いつの間にかその道の先にはちょうどお姫様の姿がある。

「さぁ行け!」

 最早、弟は抗わなかった。と言うよりも、半ばやけくそになっていたのだろう。

 彼は悲鳴とも雄叫びともつかない声を上げながら、剣を振りかざして全速力で突き進み、やがて遂に竜の前足へとそれを振り下ろした。

 鉄板へと力任せに切りつけたみたいな音が響き、彼の剣はいとも容易く根本から折れた。竜の鱗には糸くずほどの傷さえついていなかった。

 天を引き裂かんばかりの悲鳴を上げたのは竜で、それとは裏腹に、お姫様の体はとても丁寧に弟の腕の中へと下ろされた。無我夢中という感じでその体を抱きしめた弟の姿は、なるほど感動的であった。

 すると、一転して劣勢に陥った(風を装った)竜は関係ない場所に炎をまき散らしつつ崖の方へと走り出し、王子は王子でことさら剣を高く掲げながらそれを追い、弟は開き直った風にお姫様をその場に横たえて彼らに続いた。

 やがて弟が追いついた時、王子と竜は崖の縁で対峙していた。そして彼らはちらりと弟の姿を確認するやいなや。

 「やぁーっ!」と気合いの声を張り上げた王子が竜へ飛びかかった刹那、こちらはこちらで猛々しい咆吼を発した竜がその爪を王子へと突き出した。

 太く鋭い爪が、王子の体を貫通した。

 と言っても、実際は腕と脇腹の間を通っているので怪我など無い。しかしながら、王子は迫真の演技で、最後の力を振り絞り弟へと握っていた剣を投げた。そして竜は竜で、弟が足下に落ちた剣を拾うやいなや、体ごと口を彼の正面へと向けて。

 自身の背丈よりもずいぶんと高い場所を駆け抜けていく炎をかいくぐり、弟は一直線に竜の胸元へとひた走り、やがて遂にその胸へと剣の切っ先を突き立てた。

 果たして、またしても剣は頑強な鱗に軽く弾かれてしまったものの、竜はそれがまさしく致命傷だとでも言うかのように、大げさに首を振りながらよろよろと後ずさり、間もなくその足は崖の縁へと……

 状況に流される以外為す術のない弟の眼前で、巨大な竜はその爪の先に王子を串刺しにしたまま、豪快に崖を転がり落ちていった。

 「兄上ーっ!」と我に返ったらしい弟の叫びを遙か遠くに聞きながら、王子は心の中で「ありがとう」と「すまない」と、そして「頑張れ」を何度も何度も繰り返していた。





 その後、その国では大きな代償を支払いながらも、無事にお姫様を連れて帰った弟が王位を継ぎ、また彼によって救われた彼女が王妃となった。

 結局、兄の遺体は竜の亡骸共々見つからず、王を初めとして他の人々は皆、それをいたく悲しんだものの、一方で歴史に名を残すであろう英雄の誕生に沸いた。

 そうして弟は知性とカリスマ性を兼ね備えた国王として、きっと長く長くその国を平和のままに守り続けていくのであろう……。

 と、そんな輝かしい未来を夢想しつつ、王子、いや今となっては元王子は、戴冠式を終えて民衆の前に姿をお披露目している新国王を人混みに紛れて眺めながら、傍らに寄り添う美女に語りかけた。

「上手くいったな」

「えぇ、何もかも」

「まさかあのお姫様がお前の友人だったと、しかも以前からあいつに想いを寄せていたなどと聞かされた時は、さすがに驚いたが」

「悩んでいたのよ、あの子も。一国の王女である立場を考えれば、自由に結婚相手を選ぶことも出来ないし」

「次期国王との婚姻が条件だったからな。お互い、難儀な話だ」

「でも、もう大丈夫でしょう。あの子も、意外としっかりしているし」

「あの騒ぎの間、ただの一言も漏らさぬまま、じっと気絶した振りを続けられたのだ。その強さは間違いなくこの国を支える助けになってくれるだろう。ただし、将来、あいつが尻に敷かれそうなことも、また間違いなさそうだが」

「その点、うちは心配要らないわね」

 と、優雅に微笑む美女をちらりと一瞥した彼は、やがてとても穏やかな表情を弟へと向けて。

 「お互い、難儀な話だ」と呟いた。

〈了〉

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どらごんすれいや~ 淺羽一 @Kotoba-Asobi_Com

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