微笑み姫と優しいピエロ

淺羽一

〈掌編小説〉微笑み姫と優しいピエロ

 昔、ある国のある町に一人のピエロがいました。

 ピエロは顔に色とりどりの化粧をして、大きな赤い鼻を付けて、いつも決まった時間に町で一番大きな広場に現れます。

 ピエロの話はとても面白く、芸はとても楽しく、町に住む人々はみんなピエロの事が大好きでした。でも、誰一人としてピエロが一体誰なのかを知りませんでした。


 そんな中、たった一人だけこのピエロの事が好きでない男がいました。

 その男は町の外れの、町で一番貧しい家に住んでいる、背の高い男でした。彼は真面目でとても心の綺麗な男でしたが、気が弱く誰ともあまり話せませんでした。そして、一人で淋しかった彼は体を動かす事が得意だったので、面白い化粧や付け鼻で顔を隠し、色んな芸を始めました。

 不思議な事に顔を隠した途端、それまでの気が弱かった自分からは想像も出来ないほど、色んな事をする為の自信が湧いてきました。芸はどんどん上手くなり、色んなお話がどんどん生まれ、最初は少なかった見物人もすぐに増えて、沢山の人が彼を見て笑ってくれるようになりました。


 そう、ピエロの正体は彼だったのです。でも、彼はピエロにならなければ人と楽しく過ごせない、気の弱い自分の事があまり好きでありませんでした。


 男は朝、目が覚めると荷物運びの仕事に出掛け、午後に仕事が終わるとピエロになって、町の広場で日が暮れるまで芸やお話をするのでした。そうして、夜になると家に帰るという毎日を送っていました。

 晴れた日は太陽の下で跳んだり跳ねたり体を動かして、雨の日は静かに雨音を聞きながら遠い異国のお話をしました。空が曇ればみんなが明るくなれるように、とても愉快な芸を見せました。何時でも、どんな時でも、彼は毎日休む事なく広場へ行きました。


 家でも独りぼっちの男はいつも早く寝るのですが、ある晩は鳥の鳴き声がうるさくてなかなか眠れませんでした。

 そこで彼が外に出てみると、一羽の可愛い小鳥が木の下で鳴いていました。その小鳥は木の上の巣から落ちたらしく、とても一人では上れそうにありませんでした。

 彼は、そっと小鳥を掴み器用に片手で木を上ると、小鳥を巣の中へと戻してあげました。でも暗かった為、小鳥を巣に入れようと手を伸ばした時に、誤って足を滑らせてしまいました。彼が木から落ちた大きな音に驚いて、巣から顔を出した小鳥に少しだけ笑うと、彼は家の中へと戻っていきました。


 それからしばらく経ったある日、町で一番大きなお屋敷が完成し、偉い人達が沢山訪れてきました。男はそのお屋敷に仕事で家具などを運ぶ為に出入りしていました。

 そして仕事が最後の日、一人の美しい女性がそのお屋敷へやって来ました。その人はなんと、彼の国のお姫様でした。しかし、お姫様は、生まれてから一度も笑ったり泣いたりした事がなかったので、その美しさと相まって「人形姫」と呼ばれていました。

 彼はそれまでに一度もそんなに美しい人を見た事がなかったので、一目で恋に落ちてしまいました。でも、ただの荷物運びとお姫様が結ばれるはずがないと、諦めていました。


「ねぇ、あのお姫様がこんな田舎町に来た本当の理由ってご存じ?」

「えぇ。何でもお姫様があまりにも感情を出さないものだから、お城の人達が気味悪がって仕方ないんですって。だから王様は、お姫様が成人を迎えたのを機に、一人で暮らさせようって思ったんだそうよ」

「そうそう。でもそれって、実は体のいい厄介払いよねぇ」

「そうねぇ。そう思うとあのお姫様もお気の毒よねぇ」


 ある日、男が広場で芸をしていると、彼を見に来ていた子供達の母親でしょうか、女の人達が集まって話をしているのが聞こえてきました。

「……そうだったのか」

 それを聞いて、彼はとても悲しい気持ちになりました。

 それはお姫様に対する同情などではなく、何人もの召使いを抱えていても、自分と同じように彼女が本当は独りぼっちなんだという事を知って、ただただ悲しい気持ちが込み上げてきたのでした。


 次の日もいつもと同じように男が芸をしていると、お屋敷の人がやって来ました。

 その人はピエロの姿をした男を見つけると、彼に「屋敷に来て、姫様を楽しませてやってくれ」と言いました。

 彼は、大好きなお姫様を自分が楽しませてあげられると思うと、とても嬉しくなりました。そしてすぐに「それでは毎日、日が暮れる頃に参ります」と答えました。


 彼がお屋敷に着くと、召使いの人が彼をお姫様の下へと案内してくれました。

 やがて、部屋でお姫様と二人きりになった彼はとても緊張して、いつも以上に色んな芸やお話をしました。

 すると、お姫様が唐突に「貴方の事を聞かせて下さい」と言いました。でも、彼は自分の事など面白くもないと思い、色んなお話を作って聞かせました。


 それからも男は毎日毎日お姫様の下を訪れ、色んなお話をし、凄い芸を披露しました。けれどお姫様は笑うどころか、その眉をピクリとも動かしませんでした。むしろ、日に日に悲しそうな顔になっていくようにさえ見えました。お姫様の笑顔が見たかった彼はそれでも、いつも寝ないでお話や芸を考えては、お姫様の前でそれらを披露しました。


 そんなある日、お姫様に変化が訪れました。しかし、それは男が何より待ち望んでいたお姫様の笑顔ではなく、大粒の涙を伴った泣き顔でした。

 彼は驚き、混乱し、ただただお姫様を泣き止ませようと、話し掛けるしかありませんでした。

「どうしたのですか。どこか痛いのですか。私が何かお気に召さない事でもしてしまいましたか」

 お姫様は静かに首を横に振りながら、ゆっくりと口を開きました。「私には、分かるのです。私の周りは嘘つきばかりでした。汚い心を隠して、綺麗な事ばかり言うのです。でも、貴方はとても綺麗な心の持ち主なのに、それなのに、どうして自分の心を隠してしまうのですか。それはあまりに悲しすぎます」。

 彼は、お姫様を楽しませようとしていた事が何より彼女を傷つけ、悲しませていたかを知り、酷くショックを受け後悔しました。


 家に帰った彼はその夜ずっと考えました。生まれて初めて出した感情が悲しみだなんて、なんと辛い事でしょう。考えて、考えて、考えて、そうして彼は生まれて初めて勇気を出して、ある事をする決心をしました。気が付くと、窓の外では夜が明けていました。


 男は初めて仕事を休み、化粧も何もせず、本当の姿のままお屋敷に向かって走り出しました。

 いつもの広場を駆け抜け、高い柵を跳び越え、広い庭を走り、お姫様の部屋の窓、その真下までやって来ました。

 誰も彼がピエロの正体だなんて知りませんでしたから、警備兵達がすぐに、突然入ってきた男を取り押さえようとしました。しかし、体中を捕まれ、殴られながらも、彼は大声で叫びました。


「私は町で一番貧しい男です。唯一の取り柄は体が丈夫な事なので、荷物運びの仕事をしています。家族も友人もおらず、いつも一人で淋しかった私は、みんなと一緒にいたくてピエロの格好をして芸をしていました。私は気が弱く、意気地のない、貴方の事が大好きな男です!」


 ――すると、お姫様が窓から顔を覗かせました。その肩には以前彼が助けた小鳥が留まっています。そしてなんと、彼女は顔に満面の笑みを浮かべながら言いました。


「私は知っています。貴方が、自分が傷つく事も恐れずに、弱い者を助けられる、優しい心の持ち主だという事を。貴方が、誰かを喜ばせる為にとても一生懸命に頑張り努力できる、純粋で強い心の持ち主だという事を。他の誰が知らなくても、私達だけは知っています」


 肩の小鳥も、嬉しそうに鳴きました。周りの人々がお姫様の笑顔に驚いている中、彼は殴られた痛みも忘れ、大粒の涙を流しながら、生まれて初めて心の底から声を上げて笑っていました。


 後にこの男とお姫様は、お屋敷で一緒に暮らすようになりました。

 お姫様を訪れる者はどんな者でも、彼女の笑顔を見て心を満たし、化粧を捨てた代わりに素敵な笑顔を手に入れた、優しいピエロの芸に心を和ませられ。人々はこの二人の事を「微笑み姫と優しいピエロ」と呼んで、とても憧れるのでした。

 そうして今日も、優しく背の高い男は小さな鳥を肩に乗せ、笑顔で人々を楽しませるのです。


〈了〉

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