第7話
橘が呼び出されて出て行ったのを見送ってから、蒼井が淡々と語り始めた。
「紅はね、死のうとしたことがあるんだよ。」
「…え?」
「何度もね。まあ、幸か不幸かそのたびに助かっちゃうんだけどさ。」
蒼井は薄く笑っていた。
「君のね、おじいさんも、紅を助けてくれた一人なんだってさ。詳しく聞きたかったら、紅に直接きいてごらん。ちゃんと教えてくれるから。」
そこまで話すと、予鈴が鳴った。ほら、君も教室に帰りなさい。と楓は蒼井に送り出された。
「波が荒れてる日を選んで、冬の海に行ったんです。死ぬつもりでね。」
数日後、楓は橘の家にいた。祖父と紅の話を聞くために。
話している内容は、壮絶なものだが、現実味を感じないものだったためか、楓は落ち着いて聞いていた。
「誰もいないだろうと思って行ったんですけど、一人の若い男性が居たんです。私と同じような目をして、波を見てました。その人も私に気がついて、こちらを見たんです。でも、お互いに何を言ったら良いかわからなくて、ただ黙って見つめ合っていたんです。傍から見れば珍妙な光景だったでしょうね、荒れる海を背景にただ黙って互いを見ているだけなんですから。」
「その内に、どちらともなく海に向かって歩を進め始めたんです。でもね、一歩一歩足から脛、膝、腿と体が冷たい水にのまれるたびに、少し前を進む人も同じように沈んでいくのを見て、『これでいいのか』って気持ちが海水と一緒に体を這い上がってくるんです。それで気がついたら、その人を引っ張って砂浜まで戻ってました。」
「じゃあ、おじいちゃんが先生に助けられたんじゃ…」
「いいえ。あそこで出会っていなければ私は今ここには居ません。だから、あなたのおじいさんは私の命の恩人です。」
「でも、なんで海に…」
「おじいさんがですか?それとも私が?」
「いえ、あの…どっちも…」
少しだけ緊張感を持った楓の声に被さるように「はい、どうぞ」とやけに明るい声が割り込んだ。湯気の立つマグカップが二つ乗ったトレーを手にした小太郎がにこやかに二人の前に立っていた。
「ココアなんてどうでしょう。温まりますよ。はい。」
「私はね、まあなんというか、前にお話しした通りで、あまり楽しい人生ではなかったんですよ。だから、生きている意味がわからなかった。」
一呼吸おいてから、でもね、と続けた。
「今は、生きていてよかったと思っていますよ。」
「おじいさんは…そうですね、今風に言うと、失恋ですかね。昔は家柄とかそういったものに厳しかったですから。家への抵抗だったそうです。」
春こぼす よしの @yosino-fuma
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