第3話

「逃げろったって! はやく起きろよ!」

「オレは無理だあ。力使い果たしてまだ動けねえ」

「ちくしょう!」

 ぐっと守り人を抱えてカトウは走り出した。

「櫟さんすんません! 急用出来ました! 家の損壊についてはあいつが悪いのであいつに文句言ってください! じゃあ!!! ありがとうございました!!!」

 町人たちに聞こえるようにそう叫びながらどこへともなく駆けていく。

「オレのことは置いてけよお」

「馬鹿野郎! 今更置いてけるかよ! お前がいなくなったら俺帰れなくなるだろ!!」

「オレの他にも守り人はいるから大丈夫だよお。オレが死んだらそいつがここまで派遣されることになってんだからあ」

「うっせえええ! なんかそういうことじゃねえんだよ! ったく何だって俺はテディベア抱えて走ってんだよ! 彼女出来たときの予行練習かよ!」

「そんなにしゃべってたら息切れるぞお」

「うっせえよ!! なんか無性に腹立ってんだよ!! なんでこんなことに巻き込まれちまったんだよ! 勉強うまくいかなくてムカついてんのにわけわかんねえやつに襲われてんだよちくしょうがあああああ!!!!!」

 叫んだところでカトウの耳元を電撃が突き抜けていった。思わずカトウが悲鳴を上げる。ちりちりと右の襟足が焦げた気がする。ちらと後ろを見ると悠然と近寄ってきているフードが見えた。ゆっくりと歩み寄っているように見えるのにその距離は瞬く間に縮められていく。

「ありえねえ」

「でもありえてる。だからオレ置いてけえ。あいつはオレが狙いなんだからあ」

「そんなこと、できねえっつってんだろ!!」

 悪態をつきながらカトウは走り続ける。息はもう切れてきた。足ももつれ始めている。もっと運動出来るようにトレーニングをしておけばよかったと後悔した。帰ったら、帰ることが出来たら運動もしっかりするようにしようと心に決めた。だから帰らなくては。自分のもといた世界へ。

 まだ折れるには早い。とにかく走った。走って、走って、その足に電撃が走った。

「がああああああああ!?!?」

 顔面から地べたに滑って、勢いを殺せずに転がり続けた。それでも守り人は手放さない。

 どうにか立ち上がろうとして、また駆け出そうとしたが、足が痺れて言うことをきいてくれない。もっと走って逃げることが出来ると思っていた。あっという間だった。本気になればドールはきっと自分など簡単に殺せたに違いない。なのにわざと弱い電撃で足を痺れさせたのだ。そんなことをせずともよかったのに、わざわざ。無性に腹が立つ。何もできない自分に腹が立つ。ちくしょう、と漏れる。ふらつきながら、這って、逃げようとする。

 気づけば目の前にドールがいた。

「哀れよな」

 顔をあげるとドールはフードをとってこちらを見下していた。美少女だ。フランス人形のような、陶磁器のような肌で、透き通った金髪で、赤い目。

「かわいい」

 危機的状況だったから。ありえない状況だったから。漏れた声もありえなかった。だからだろうか、ドールも隙が生まれた。

「……は?」

「逃げろおカトウ」

 守り人の声で我に返ったカトウは這う這うの体でまた駆け出した。ドールはまだその場に立ち尽くしている。カトウたちの姿が米粒ほどの小ささになったころ、櫟が家屋の影で一息ついた。

「こりゃ俺が手を出すまでもねえか」

 森の中まで逃げおおせたカトウたちは木に体を預けて息を整えようとした。

「驚きだなあ」

「……なにがだよ」

「まさかドールにあんなことを言うやつがいると思わなかったあ」

「だってかわいかったろ」

「そうなのかあ。でもおかげでここまで逃げられたあ」

「どうにかな」

「思えばそれも知識かもなあ」

「都合良い言葉だな」

「でもそれが知識だあ。都合がいいのが知識なんだあ」

「……そんなこといいからまだ動けないのか?」

「もう少しだなあ」

 まいった、とカトウはうなだれた。

「もし元の世界に帰れたら運動も頑張ることにするよ」

「それもまた——」

「知識、だろ。経験のおかげで身についたよ」

「そういうもんだからなあ」

 日が傾いていく。街灯のないこの時代の森はあっという間に暗くなっていく。辺りも暗く、自分がどこにいるのか判断がつかなくなっていく。

「こんなに暗いのか」

 カトウがつぶやいた。

「でも空を見上げてみれば、ほらあ」

 守り人に言われてともに空を眺める。

「すげー星見えるな」

「綺麗だろお」

「ああ、すげー綺麗。出来ることならもっとこう、落ち着いて眺めたいな」

「またいつか、機会があったらなあ」

「こんなのはごめんだぜ」

「オレだってごめんだよお。好きで戦ってんじゃねえんだあ」

「その割に即斬とか言ってんじゃねえかよ」

「それが仕事だからなあ」

「そうかよ。はあ、よし、少し休めた」

「人が変わったみたいだなあ」

「うるせえよ。俺は帰りたいの、ただそれだけ」

「ああ、オレが絶対帰らせるよお」

 よいしょ、とカトウの腕から飛んで、守り人は体をストレッチした。

「もう大丈夫なのか?」

「ああ、もう大丈夫だあ」

 ぐうと背伸びして、可愛らしい腕を前に突き出した。

「本当はやりたくなかったんだけどなあ、こんな状況じゃあしかたねえなあ」

 守り人が迅速に印を結んでいく。するとそこに新たに扉が現れた。

 しかし。

「これ、あの扉じゃねえよな」

「あれはもうだめだあ。ドアノブ壊れたろう? 現実世界でも壊れているだろうから使えない」

「マジで? やべえ、俺怒られるかなあ」

「大丈夫だあ」

「何がだよ、てか、じゃあこの扉なに? また違う世界に行くの?」

「違うよお、これはお前の世界の扉だあ。あの扉の近いところだあ」

 守り人がドアを開ける。その向こうにあったのは、カトウの自室だった。

「俺の部屋?」

「よかったあ、うまく行ったあ」

 二人はその扉をくぐって、閉めた。

「壊さなくていいのかよ」

「言ったろお、壊したら使えなくなるって。お前の部屋の扉を壊していいのかあ?」

「よくないね」

「だろお?」

 部屋を眺めて、何度か深呼吸をして、

「帰って、来れたってことでいいんだよな?」と守り人に聞いた。

「ああ。ただ、オレが疲れたから、少し眠らせてくれえ」

「俺も疲れたから寝るよ、ありがとな」

「感謝の言葉が言える。それもまた——」

「知識、な。おやすみ」


 目覚めると、部屋に守り人の姿はなかった。どうやらいつのまにか消えたらしい。もしかすると夢だったのかもしれない。規則正しい生活を繰り返していたおかげで、今日も遅刻することはない。朝食を食べ終えて、学校へ向かう道中、教師のヨネヤマから渡された英単語帳を読む。昨日は逃げ出してしまった。けれども、今度は逃げ出さない。

 知識を身につける。いつ、どこで、何に対して役立つのかはわからない。もしかしたら役立つことなんてないかもしれない。それでも、いつかくるいつかのために、何かしらの知識を身に着けておこうと思うようになった。なんとなく、霞がかっていた頭がクリアになったように思える。

 朝のホームルームのあと、ヨネヤマが入ってきて、いつも通りの挨拶をする。なんとなく居心地が悪かったが、

「それじゃあ英単語の小テストをするぞ」

 と言われたとき、おや、と思った。黒板にある日付を確認すると、昨日のままだった。思わず笑った。

「どうしたカトウ。何かいいことでもあったか?」

 ヨネヤマが訊ねてくる。

「ああいや、別に」

 

 ちょっとしたおまけだ、と守り人はあの世界でつぶやいた。

 なにもかも、それもこれも、きっと、

「知識が必要だと、教わったんで」


 なんだそれ、というクラスメイトの視線と、何か変わったな、と気づいたヨネヤマの笑顔。少し恥ずかしいと赤らめたカトウの顔と、それをはるか遠くから見つめる赤い目。

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秋の夜長に千代の子の声を 久環紫久 @sozaisanzx

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