第2話

 ものすごい音がして駆け寄ってきた連中の姿を見てカトウは肝を冷やした。思わず漏れ出た言葉は、

「なにこれ」

 だった。

 敵襲かとそれぞれに声を上げて駆け寄ってきた連中。その男たちの身なりは和化粧で、髷を結った如何にも武士と思しきものだった。腰に携えた刀を抜きだし、カトウたちに向ける。

 守り人が小さな声で「やっべえ」と言ったのをカトウは聞き洩らさなかった。

「やべえってなんだよ、何がどうなってんだ!」

「どうなってんだと言われてもなあ」

「そこの珍妙なものたちよ、貴様らは何者か!」

「あいあい、お前らいったん落ち着けって」

 パン、と手を叩いた音がして、男たちが意識をその方へ向けた。

「逃げるなら今かあ?」

 守り人がカトウの手を握る。

「今しかないだろうなあ」

 カトウの手をぐんと強く引いて、近くの塀へ向かって走り出す。その小さな背のどこにそんな力があるのかと疑問に思うほどの腕力でカトウを引っ張り、そして跳躍した。ジェットコースターに乗っているような感覚があった。体ばかりが先に行って、意識がそこに置いてけぼりになっているような、その最中にカトウが見たのは見事に咲いていた椿の花だった。

 吐き気を堪えながら飛び越えた塀の向こうに広がる道を走り抜けていく。

「やっちまったなあ」と守り人は息も切らさずぼやいていた。

 どれほど走り回っただろうか。カトウの息は切れて最早無呼吸に近かった。意識が飛びそうで、気持ち悪いとか疲れただとか、そんな考えもまとまる暇はない。

 町を駆けていく奇妙な生き物に町人たちは目を引かれていた。その町人たちの中から自然と出てきて、二人のそばへ駆け寄って、

「こっちに来な、匿ってやる」

 と言った男があった。ちらとそちらを見やって、足を止めずにいる守り人に、

「おいおいこのまま走ってたらその坊主が死んじまうぞ」

 と真剣に言って、守り人の目の前に腕を伸ばして止めようとした。

 立ち止まり、後ろに追ってがいないことを確認すると、足早にそばの家屋の影へ身を隠す。

「お前を信用出来ると思うかあ?」

 守り人が可愛い目を細めて男を睨む。

「奇妙この上ねえお前を見て、声をかけるような男は信用出来ねえか?」

 守り人は無言で男を睨み続ける。

「このまま走り続けていたらこの坊主が死ぬのは事実だ。見ろ、今ようやく呼吸し始めた。ついさっきまでこいつは無呼吸で走り続けていたんだ。しかもあの屋敷をでてからずいぶんな時間をな」

「それはあ、わからなかったあ」

「お前は十全な武士なようだが、その坊主は違うだろ?」

「武士ぃ? 俺は守り人だあ」

「ああ、今はそれはどうでもいい。とにかく俺が匿ってやる」

「お前、名前は」

「名乗るなら普通自分から名乗るんじゃねえのかねえ。俺は櫟だ」

「そうかあ。じゃあ、やっぱりこの世界は武士の世界だなあ」

 守り人の言葉がよくわからなかったが、櫟は二人を自分の店へと連れて行った。

 腰を落ち着かせ、カトウを横にならせたところで守り人が櫟に頭を下げた。

「ありがとう。助かったあ」

「いいってことよ。刀も何も持たねえやつらがああ数で囲まれているのを見るとあいつを思い出しちまって」

「やっぱりあの声もお前かあ」

「しかしお前ら何者なんだ? お前は人間じゃあねえよな? 妖怪とかそういう類か?」

「まあ、そうも言えるなあ。オレは人間ではないけれど、あいつは人間だあ。オレたちはちょっとした手違いでこっちの世界に来ちまったんだなあ」

「こっちの世界?」

「そうだあ。お前らの世界は武士の世界。近代の江戸時代をモチーフに描かれた世界」

「ちょっと待て、なんだ、描かれたってのは? まさか神様がいてよ、そいつが書いたのか?」

「そうとも言えるなあ」

「言えるのかよ。じゃあ何か、お前はへんてこな生き物が戦士として戦う世界の住人かい?」

「そうとも言えるなあ」

 くつくつと櫟が笑った。

「そいつは傑作だなあ。あいつが知ったらきっと喜んで話を聞きたがりそうだ」

「あいつって誰だあ?」

「俺の頭だよ。殿様だ。今ちょっと江戸まで出ててな。そいつはちとめんどくせえやつだが、人が良い」

「会ってみたいなあ」

「俺も会わせてみてえよ。ま、機会があったらぜひとも会わせてやるさ。で、その坊主はなんだ? お前も奇妙だが、そいつの身なりも十分妙だ」

 櫟がカトウを見やった。

「あいつはそうだなあ。この世界の未来の世界からやってきたんだなあ」

「未来? 信じられねえがお前もしゃべっているのも信じられねえからな、信じるしかねえんだが。へえ、未来じゃあ、こんな格好になるのかよ」

 まじまじとカトウを見る。ただの学生服ではあるが、江戸時代では珍しい。

「で、お前らは何に追われてんだ?」

「あの武士たち」

「ではなくてよ、ここに来ることになっちまった原因だよ」

「ああ、それはそうだなあ、オレみたいなやつだあ」

「お前みたいなやつ? そりゃ随分と可愛らしいじゃねえか」

「でもオレは嫌いなんだあ」

「そうだろうなあ、戦なんて好き嫌いで始まっちまうようなもんだ」

 カトウが目を覚ました。静かに起き上がり、

「よう、目ぇ覚めたか?」

 櫟が訊ねると、死んだふりをした。

「馬鹿、俺は熊じゃねえんだからひっかからねえよ。つうか熊に死んだふりなんてしたって無駄だぜ?」

「そうなの!?」

 カトウはがばりと身を起こした。

「元気になったみてえだな」

「助けてもらったんだあ、お前からもお礼言えよお」

「あ、ありがとう、ございました」

「なに、気にすることねえよ」

 てか、とカトウが守り人に言い寄った。

「この世界なに!? あの時お前やべえって言ったよな!?」

「言ったあ」

「何がどうやべえんだよ!? いや確かにあの刀で斬られたら一たまりもないだろうなとは思ったけどさ!」

「この世界は武士の世界なんだけどなあ、オレの世界渡りの能力は一日一回だけなんだあ。だから明日にならねえとお前の元いた世界に戻れないんだあ」

「それはやばいね。さらっとすごいこと言ってたけど、やべえよ」

「ああ、その間にあいつがオレたちの後を追ってきてしまったら、逃げられないから戦うしかないしなあ」

「そういえばあいつなんなんだよ! いきなりバチィって雷落としたみたいに電撃飛んできたけど!」

「電撃が飛んでくる? 妖術使いか?」

「そんな感じ! 魔法使いみたいな!」

「ま、まほうつかい?」

「ああ、えっと妖術使い? それと一緒!」

「あいつはドールだよお。もとはオレと同じ守り人だったんだけどなあ」

「さらっとまた重要なこと言いやがったな!」

「とにかく騒いだって何も始まらないから、オレは、寝るう」

 守り人はばたん、とその場に倒れた。櫟とカトウは目を見合わせ、それから守り人を見た。守り人は静かに寝息を立てている。

「どっからどう見ても……テディベアだよなあ」

「熊の子供みたいな風体だよなあ。こんな人形を作って売ってみたら金になるかもしれねえ」

「ああ、売れると思うっすよ? 俺の世界だとこの手の人形は人気ですから」

「そうなのか。それよりお前、体は大丈夫か? 武士じゃねえんだろ?」

「ええ、まあ。武士なんて本かテレビの世界の存在ですし」

「て、てれ、てび、て」

「テレビ。ええっと、能とか、歌舞伎とかそういうのを見るやつです」

 へえ、と櫟が眉をあげた。

「しかしそのどおるとかいう追ってが来たら厄介だな。お前は戦えないんだろ?」

「はい……」

「困ったもんだな」

「でも、こいつが戦ってくれるし、その、危なくなったら、俺は逃げますから」

「潔いな」かかと櫟が笑った。

「でもまあ、俺は力なくとも敵と戦えるような胆力を持っているやつを一人知ってる」

「え、誰です?」

「俺の頭の嫁さんだ」

「鬼嫁ってやつ?」

「ああ、怒らせたら鬼より怖えぜ」肩を震わせて櫟は言う。

「腕っぷしがなくとも、大切なものを想うその一心のみで動いちまうようなお人だ。おかげで殿は救われた」

「かっこいいっすね」

「かっこいい、か。確かに、かっこいいな」

 にやりと櫟が口元を上げると、カトウも笑った。

「しかしどうっすかねえ。こいつが動けねえんじゃどうしようもねえわな」

「そうですね、どうしよう……」

 と、カトウの腹の虫が鳴きだした。

「あれだけ走ったんだ、腹も減るだろう。待ってろ、何か作ってやる。ちいと走って食材揃えてくるから」

「すんません」

 頭を下げるカトウに「いいってことよ」と返して櫟は戸を開けて出ていった。どうしたもんか。それはカトウも考えていた。

 この世界は江戸時代の世界だとして、タイムスリップをしたものにせよ、何か違う世界に来てしまったにせよ、守り人が守る世界からあの追ってが今来ないとは限らないはずだ。

 守り人の能力である世界渡りの能力をドールと呼ばれたあいつも持っているとしたら、襲われるのは時間の問題だろう。さっき守り人はドールはその能力を持っていないと明言していなかった。むしろ追ってくることが可能である口ぶりだった。

 自分は戦えない。戦い方がわからないし、電撃を飛ばしてくるようなやつと戦える現代人がいるとしたらそいつは確実にただの高校生ではないはずだ。カトウはあくまでただの高校生。どうしようもない。そして今守り人は見た目に似合うようにテディベア然と眠りについている。戦力にならない。来たら迷わず逃げる。それしかない。

 それにしても空腹だ。意識が飛ぶほど走るなんて後にも先にも今日だけだろう。目の前で眠りこける守り人を見る。

 こんな小さな体のどこにあれだけの力が隠されているのだろうか。塀を跳躍したのもすごかったが、意識が飛びかけていても走り続けることが出来たのは、守り人がずっと力強く引っ張り続けてくれたからだ。

「ほんと、ただのテディベアみたいなんだけどな」

 だらけた頬をつんとつついてみる。こてんと寝返りを打つ姿はテディベアというより肥えた猫のようだった。

 と、その時、眠っていたはずの守り人が相変わらず間の抜けた声で、

「逃げろお」

 と言った。え、と身を守り人の方に寄せて聞き返した瞬間。ついさっきまでカトウが横になっていた辺りがきれいに消し飛んだ。爆風と身を焼くような熱に後ろを振り向く。辺りが騒がしくなっていくのが遅々と感じる。時間に取り残された感覚。振り向ききると、そこにはあの漆黒のフードと、その向こうで赤い眼光がカトウと守り人を捉えていた。

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