第6話『雪解け』

「リタ、おかえり」

「あれ? なんだ、起きてたんだ。ただいま、クラーク君」


 まだ、月が薄れる気配も見せない真夜中。

 リタは、出ていった時と逆の方角からペレグリンにまたがって帰ってきた。

 勿論、リバティも一緒だ。


「さっき起きたところだよ。それで……何か見つかった?」

「いいや、特に何も。『郊外では何も見つからなかった』っていう収穫があったとも言えるけどね」

「それ、何も無かっただけじゃないか」


 リタは「そうだね」と、溜め息と苦笑いを同時に零す。


「やっぱり、町外れなのかな。トラックの居所」

「それは、範囲が広すぎて骨が折れるなあ。この国は中心街以外は本当に人気ひとけが少ないところばかりだからね。まあ、住人に見つかるのを覚悟して、日が昇ってからペレグリンで飛べば、見つからないことも無いだろうけれど」

「……なるべく早く子供達を助けたいからね。少し危ないけれど、僕もその方法が一番だと思う。なら……どうする? 今からまた、トラックを探しに行く?」

「いや、少し休んでからにしよう。一日中頼りきったせいで、ペレグリンが魔力ねんりょう切れを起こしかけてるから、日が昇るまで休ませたい。……それに、私達だって休み無しで動くのは、あまり効率的じゃないからね」

「そっか。じゃあ、今日はもう朝まで寝て──」

「た、大変です……っ!」


 リバティの声だった。声のした方を振り向くと、彼女が丁度こちらへ走り寄っているところだった。


「どうしたんだい、リバティ?」

「と……ッ」

「“と”?」

「トラックが、見つかりました……!」


 僕とリタは、互いの顔を見合わせた。

 リタは、置いていた鞄を引っ手繰たくるように掴むと、リバティの方へと歩き出す。

 リバティは僕達を案内するように、早足で先頭を歩いた。


「あれです!」


 そして、彼女は手摺てすりの前で立ち止まり、街の一点を指差した。

 指差す先には、闇夜と街路に紛れるようにして、黒塗りのトラックが停まっていた。

 雪が所々に積もっているのを見る限り、結構な時間あそこに停められていたようだ。


「本当にトラックだ……全然気が付かなかった」

「お手柄だね、リバティ」

「では、今から子供達を助けに──」

「……いや。さっきも言ったが、朝までペレグリンの回復を待とう。残念ながら、私の身体ひとつじゃ、有事の際に君達を担いで逃げられないからね。それに、標的が見つかったのならわざわざ焦る必要も無い」


 リタはそう言って、トラックのある方角から背を向ける。


「で、でも……!」

「大丈夫。ペレグリンは箒だから眠らないんだ。だから、もしも朝までにトラックが動き出したりしたら、彼に知らせてもらおう。……という訳だけど、お願いできるかな?」


 リタがそう言って壁に立て掛けたペレグリンの方に視線を投げかけると、ペレグリンはくるくると肢を回してみせた。


「うん。それじゃあ任せたよ。……そういう訳だから、リバティ。今日はもう、ゆっくりと休もう。君も逃げたり飛んだりと、一日疲れただろう」

「……っ、……はい。分かりました」


 リバティは、渋々といった風に視線を下げて頷く。

 リタはにっこりと微笑み、「それじゃあ、各自しっかり休むようにね」と告げると、自身の両手の平を枕にして、仰向けに寝転んだ。

 僕は、ペレグリンの隣で壁に寄りかかって、静かに目を閉じる。

 細めた視界の端で、リバティが外套に身を包んで横になるのが見えた。


 ──それから、一時間も経たないくらいだろうか。

 寝て起きたばかりだった僕は当然眠れるわけが無く、ただ目を休ませていただけだったのだが、それがさいわいした。

 リバティが突然、起き上がったのだ。それも、音を立てないように……まるで僕達から忍ぶように、ゆっくりと。

 彼女はこちらに視線を巡らせてから、これまた静かに外套を拾い上げる。

 そして案の定、彼女は時計台の螺旋階段を降りていった。

 僕は、瞼を開ける。瞼がシャットアウトしていた夜風が眼球を冷やすとともに、薄目で見ていた視界がクリアになる。リバティの姿は当然無かった。

 はてさて、こんな場合は僕はどうするべきかと考えたが、取り敢えず彼女を野放しにする訳にはいかないので、彼女に続いて僕も螺旋階段を下ることにした。

 音を立てずに、石造りの階段を踏む。一歩、そして、もう一歩。

 そうして僕は、見晴らし台からゆっくりと離れていった。


 ──カラン。


 二人分の呼吸が聞こえなくなった見晴らし台に、小気味の良い音がこだまする。

 音の正体は、ペレグリンだ。

 彼は、風に撫でられるように倒れて音を鳴らし、ただの箒のように床の上で横たわっていた。

 それから間も無く、リタがぱちりと瞼を開けて、独り言のように呟いた。


「ありがとう、ペレグリン」


 リタは起き上がり、ペレグリンの肢を掴む。ついでに鞄も拾い上げ、それから短く伸びをした。


「まったく……世話のかかるお嬢さんだ」


 そう言って彼女は、気怠そうに欠伸をしながら、螺旋階段を降りていった。


 *


 螺旋階段を降りた私は、木箱が乱立した路地裏に身を潜めていました。


 お二人には、本当に悪い事をしてしまいましたが、しかしどうしても、極力早くあの子達を解放したかったのです。

 確かに、私一人では子供達を助け出す前に、例の男に捕まってしまうでしょう。

 ──しかし。それはこの前と同じ状況だった場合の話です。

 今は違います。トラックはエンジンも掛けずに目の前で停められていて、男の気配もありません。

 悪人と言えど、彼も疲れを知る人間。もしかすると、運転席の方で眠っているのかもしれません。

 いずれにせよ、今が一番の好機である事は確かです。

 一切の危険を冒さず、あのお二人にもこれ以上迷惑をかけずに済む、一番の──。


「全く。無茶をするなあ、君も」

「きゃあっ!? むぐっ……」

「僕だよ。静かにして」


 突然の事で悲鳴をあげかけ、そして口元を後ろから覆われました。

 振り返るとそこにいたのは、外套に身を包んだクラークさんでした。


「クラークさん、何故ここに……?」

「それは僕が言いたいところだよ。それで……何? リタの言いつけを破って、今から助けに行くつもりなの?」


 クラークさんは、奥底まで黒く澄んだ瞳で私を見えてそう言いました。

 顔色を変えないクラークさんは、何を考えているのかよく分かりません。

 ここまでやっていて今更嘘を吐いても「はい、そうですか」と時計台に戻ってくれそうにはありませんので、私は正直に頷くことにしました。


「そう。まあ、君を助けるのは本来、試練を受けているリタの仕事ではあるんだけれど……だからといって、君を奴らに捕まらせるのは僕としても心苦しいからね。やれる事は手伝うよ」

「試練……? あの、何の話をして──」

「ほら、行こう。ここで隠れていても、何も変わらないんだし」

「えっ? ち、ちょっと待ってください……!」


 クラークさんは私の前に出て、中腰でずいずいと路地裏を進んでいきます。

 私も、戸惑いながら彼の後に続いて歩き出しました。


「ま、待ってください、クラークさん!」

「待つつもりは無いから、あまり喋らないで」

「ご、ごめんなさい」


 クラークさんは、涼しい顔でひょいひょいと木箱や壁を這うパイプをかわして悪路を進みます。

 対して私は、あたふたと鈍臭どんくさくそれらを抜けていきます。

 すると、クラークさんは私が来るのを待つように突然立ち止まりました。

 私が追いつくと、彼は無言で外套から出した右手を、私に差し出してきました。


「? えっと、これは……」

「危ないから、手を繋いでて」


 会ってからずっと冷淡な彼しか見ていなかったので、少し意外でした。

 そして、やっぱり根は私と年の近い、普通の男の子なんだと感じて、少し安心しました。

 私は、彼の手を握ります。

 彼は、私の手を握り返し──。


 そして、自身の外套に包み込むように私を抱き寄せると、突然走り出しました。

 片脇に抱えられた私は、呆気を取られながらも彼に合わせて足を動かします。


「え、ちょっと……どうしたんですか!?」


 訳もわからず、私は彼に尋ねます。

 しかし、その答えは彼が告げる前に現れました。


「きゃあっ!!」


 渇いた銃声。視界の端を、目にも留まらぬ速さで何かが駆け抜けました。

 言うまでもありません。あれは……。


「銃弾!?」

「嵌められたみたいだね……男は、僕達のすぐ背後うしろにいる。最初からこのつもりで、見つかりやすい道の真ん中にトラックを停めていたんだ」


 クラークさんは、表情を変えずに淡々と教えてくれました。

 私が後ろを振り返ろうとすると、

 彼は私の頭を抑えて、中腰から更に体勢を低くかがませます。

 その直後、目の前の大きなパイプに、弾丸が勢い良く跳ねました。


「路地裏を出たら、右に曲がるよ」

「は、はい……!」


 宣言通り、私達は路地裏を出て右に曲がります。

 目の前には、荷台をこちらに向けたトラックが停められていました。


「時間を稼ぐために、扉を開けていこう。中身も中身だし、扉を開けっぱなしにされたら、流石に放っておけないだろうからね」

「わ、わかった!」

「僕は左の扉。君は、右の扉だ。……行くよ!」


 私達は、扉に真っ直ぐ向かい、取っ手を握りました。そして、荷台を開けようと力を込めたのですが……。


「あ、開かない!? クラークさん、開きません!」

「外にも鍵穴が……。鍵は、内側の壊された鎖だけじゃなかったのか……ん?」


 クラークさんの浮かべた疑問符に、私は扉に込めていた力を抜いて、彼の顔を見上げました。

 クラークさんは、扉に付けられている鉄格子の窓を何やらじっと見つめています。


「どうかしましたか?」

「……どういうことだ、これは」


 クラークさんは、私の事などそっちのけでした。一体、何があったというのでしょうか。

 気になった私は、クラークさんと同じように鉄格子の中を覗き込みました。


「……そんな」


 私は、思わず目を見張りました。そこには──。


「そこまでだ、餓鬼がきども」


 カチャリと、金属同士の擦れ合う音が聞こえました。

 私達は、同時に声のした方を振り返ります。

 目の前に、銃口をこちらに向けた筋肉質な大柄の男が立っていました。例のトラックの男でした。

 男の片脇には、トラックの中で出会った例の男の子が抱えられています。彼は気を失っているようです。


「もう、追いつかれたのか」

「何だ? 餓鬼一人を逃したと思っていたら、今度は二人になって帰ってきやがった。不思議なことがあるモンだなあオイ」


 男は、肩を揺らしながら下衆な笑い声をあげます。

 目の前には銃口。後ろはトラック。逃げ場は、どこにもありませんでした。


「街外れの道に停めておけば、お前から餓鬼どもを助けに来るかと思って、物は試しでやってみたが……まさか、本当に釣れるとは思わなかったぜ」

「中にいた子供達は、どこへやったのですか」

「……は? どこにもやっちゃいねえよ。今もちゃんと、トラックの中さ。ほら、お前らも大人しく中に入りな。どこの餓鬼だか知らねえが、坊主も運が悪かったな。まあ、そいつを助けようとした自分を恨んで──」

「嘘をつかないでください! 荷台が空っぽなことは、たった今この目で確認しました!!」


 私は、男の言葉を制止するように、訴えかけました。


 クラークさんにつられて覗いた荷台の中は、文字通り空っぽだったのです。


 男は、眉間にしわを寄せ、訝しげな表情を浮かべます。


「何だと? ……おい、そこのお前! お前だ! こいつで扉を俺からも見えるように開けろ! 変な真似をしたら、わかっているな!」

「はいはい……。三流みたいな台詞が好きなんだね、おじさん」


 男がポケットから取り出し投げ寄越した鍵付きの金属製の輪っかを、クラークさんは拾い上げて、小さく溜め息を吐きました。

 そしてクラークさんは、男に向けられた銃口に恐れる仕草も取らずに荷台の鍵穴に錠を挿し込みます。

 カチャリ、と解錠独特の音が荷台の中から鳴り、クラークさんは一歩後ろに下がりました。


「……よし、開いたよ。リバティ、扉を開けるから、少し退がっていて」

「はい」


 クラークさんは、鍵穴から鍵を抜き取り、そして取っ手を再び掴みます。

 私が支持された通りに二歩後ろに退がると、彼は荷台の扉を手前にゆっくりと引きました。


 扉は、さびを削るような不快な音を立てながら、荷台の中身を私達にさらしました。


「こ……これは、どうなっていやがる!?」


 男は唖然と口を開けて、目を見張りました。

 荷台の中には、鉄格子から覗いた時と変わらず、誰もいませんでした。

 そして、荷台の天井には、空に浮かぶ月を閉じ込めるように、ぼっかりと大きな穴が開いていました。


「一体誰が、こんな事を……」

「ははっ。"こんな事"だなんて、まるで私が悪い事でもしたような言い方じゃないか」


 リタさんの声でした。 突然頭上から、時計台で寝ている筈のリタさんの声が聞こえてきたのです。

 男を含め、私達は一斉にトラックの上に視線を向けました。

 月の光を背にして佇む、外套を羽織った人影。そこには、薄ら笑いを浮かべたリタさんがいました。

 リタさんは、穴開きの天井に腰掛けて、男を真っ直ぐに見下ろしていました。

夜空からの逆光に黒く染められた外套のシルエットが、掲げた軍旗のようにはためきます。


「リタ」

「誰だ、テメェ!!」

「やあやあ。お初にお目にかかるね、小悪党くん。私の名は、リタ=フィレール。そこのガキンチョ達の保護者をしている、しがない大悪党さ」


 リタさんは、私達と男の間に割って入るように荷台の上から飛び降りると、芝居じみた口調で、そう答えました。

 すると、リタさんは私と初めて会った時のように、右足を半歩後ろに下げ、右手を胸の前に添えて、男に対して静かにお辞儀をしてみせました。

 おまけに外套の端をつまんで、ヒラリと横に小さく広げます。


 彼女は振り返り、ちらりとクラークさんに目配せしました。

 それに気付いたクラークさんは、肩をすくめて深い溜め息を吐きました。


「はいはい。よく出来ました」


 リタさんは、「どんなもんだ」と言わんばかりに鼻を鳴らして、満足そうに口角を上げています。


 そんな二人の気の抜けたやり取りを制止するように、拳銃のカチャリという音が街路に響きました。

 男はリタさんに、真っ暗な銃口を向けています。


「コイツは、てめえの仕業か?」

「だったら、どうする?」

「……ナメやがって!!」


 引き金が引かれると同時に、鳴り響く轟音。

 そして遅れて辺りに漂う、火薬の匂い。

 銃口から放たれた弾丸は、一直線にリタさん目掛けて、打ち込まれました。リタさんは、にやりと口元を吊り上げました。が、しかし。


 リタさんは、弾丸を躱すこともなければ、何か不思議なチカラで弾くようなこともなく。

ただ、弾丸をまともに受け、空を仰ぐように、その場に倒れました。倒れる勢いで宙を舞った三角帽子が、はらりと空を向いた彼女の顔に被さります。


「リタさんっ!!」

「は? ……ハッ。はははっ! 何だ、カタギじゃねえと思っていたが、口程にも無えじゃねえか!」

「な、なんで……この方は、旅の人です! 罪の無い人を殺して、許されると思っているのですか!?」

「許される必要なんて何処にあるンだよ。俺はハナから許されるような人間じゃねえし、それに……ここでお前らもまとめて始末しちまえば、無かったようなモンだろうが!!」


 そう言って、男は再び銃口をこちらに向けて、不敵な笑みを浮かべました。


 膝が、独りでに震えていました。

 恐怖によるものか寒さによるものか定かではありませんが、おそらく前者なのでしょう。


「クラークさん……っ!」


 恐怖で足を震わせるばかりの私には、どうにもできません。

私は、すがるようにクラークさんを見ました。


 ──そして、私は愕然としました。


 まるで、彼は興味の無い置き物でも眺めているかのように、動かなくなったリタさんを涼しい顔で見下ろしていたのです。



「な……っ」


凍りついてしまいそうなほどに冷めた瞳を見せる彼に、目の前の男とはまた違った恐怖を私は覚えてしまいました。

 私は掛ける言葉も失い、その場にただただ立ち尽くします。

 視線を戻します。銃口は、依然としてこちらに向けられていました。


「覚悟はできたか? そんじゃあまあ、自由を得たばかりで申し訳無いが……時間の無駄だ。早々に死んでもらうとするか」


 引き金に掛けられた男の指に、再び力が込められます。

 最早、逃げる余地はありません。

 あと数ミリ引き金を引かれてしまったらと、私が息を飲んだ時でした。


「リタ。いつまで巫山戯ふざけているのさ」

「……えっ?」


 二度目の轟音。銃口は再びその口から白い煙を吐き出し、やがてそれを静かに棚引かせました。

 ──しかし。放たれた弾丸が、私達二人を撃ち抜くことはありませんでした。

 弾丸は、横たわったリタさんの目の前でに弾かれるようにして、そのまま雪の積もった煉瓦造りの街路に転がり落ちたのです。


「……あ?」

「くっくく……クラーク君の言う通り、本当に三流な台詞が好きなんだね、君は。手厚い銃撃をありがとう。お陰で、豆粒ほどのかすり傷を負ってしまった」


 そう言ってリタさんは、何事も無かったかのように立ち上がりました。

 男は、銃を構えたまま唖然としています。

 対してリタさんは、銃口を向けられている事をまるで気にしていないかのように、男になど視線も向けず、外套に付いた雪を払い落としています。

 その外套には、確かに弾丸が貫いた穴が残っていました。

 しかし、当人は何故かケロリとしているのです。


「リタさん、大丈夫なんですか……?」

「ああ、うん。危ないから、君達は退がっているんだよ」

「言われなくても」


 クラークさんは、「おいで」と自身の外套の内へと私を招き入れます。


「お前……どうして生きている? 何故、銃弾で撃ち抜かれて死んでいない!?」

「さあね。分かるまで撃ってみればいいんじゃないかな?」

「く……、くそおおおお!!」


 自棄やけになった男は、再び引き金を引きました。


 炸裂音。しかし、再度何かに弾かれた弾丸は、虚しく地面に転がります。

 炸裂音。転がる弾丸。

 炸裂音。壁に跳ねる弾丸。

 炸裂音。ひしげて足元に転ぶ弾丸。


 男が何度引き金を引いても、一瞬何かが私達の視界を横切ったのち、銃口から出た弾は敢え無く壁や地面に転がり落ちていきました。


 そして、男がもう一度引き金を引くと、拳銃は先程までとは打って変わり「カチン」と虚しい音を立てました。弾丸が放たれる気配はありません。


「ふふん、何だ。もうしまいか」

「くそ……っ、くそ……! どうなってやがるんだよ、くそォ!!」


 男は顔を真っ青にして、手にした拳銃をリタさんに投げつけました。

 すると、拳銃は弾丸と同じように彼女の目前で弾かれ、男の傍を通り抜けるようにして二、三度跳ねて、やがて虚しくその場に転がりました。


「えっ……?」

「なっ!?」


 私は、思わず声を上げました。

 男も、同じように驚きを隠せないようでした。


「何だ、そいつは……!!」


 今度は、見えない何かの正体がハッキリと確認できました。

 ──いいえ。見えない何かは、彼女自身によって意図的にお披露目されました。


「──尻尾」


 そう。それは、尻尾でした。

 彼女の外套の隙間から、蛇や竜のような鱗に覆われた赤い尻尾が伸びていたのです。


「ありゃりゃ、見えちゃった?」

「ば、ばば、化け物……!!」

「あぁ。私は化け物さ」


 場の空気に似合わない、茶目っ気のあるリタさんのリアクション。しかし、その目はどこか静かな鋭さを持って男を見据えています。


「さてと」


 思わず絶句して後退あとずさりする男に、リタさんはニマニマと笑みを浮かべながら、大股で一歩歩み寄りました。

 一方、クラークさんは興味ナシといった感じで、トラックの荷台を眺めています。


「ここで彼に正当防衛的報復をしても構わないんだが……その前に、答え合わせといこうじゃないか」

「……答え合わせ、ですか?」

「そう、答え合わせだ。……という訳で、クラーク君に問題だ」


 リタさんは、丸腰になった男から視線を外し、クラークさんの方へと目を向けます。

 クラークさんは、間の抜けた声を上げて、「問題?」と尋ねました。


「うん。……クラーク君。君は、子供という概念を知らないここの国の住民達がみんな、自身に子供の過程があったことを記憶していないという事実は、把握できているかな?」


 クラークさんは、頷きました。


「それは、この国で聞き込みを始めてすぐに気が付いたよ。自身が子供だった頃の事を記憶している限り、子供を悪魔呼ばわりなんて普通しないだろうからね」

「よしよし、よろしい。では、問題だ。それなら彼らは一体、のだと思う?」

「どこから……? 先程の質問と、どういう繋がりがあるのですか?」


 私は思わず、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしました。

 対してリタさんは、悪戯っぽく口角を上げ、目元を優しく細めます。


「そうだね。じゃあ、聞き込みをしていないお嬢さんでも何となーく分かるように、いくつかヒントをあげるとしよう」


 リタさんは、グーにした手を出し、人差し指を一本だけつき立てました。


「ヒント1。この国に入国するための交通手段は、大国から繋がったレールを走る、昨日の貨物列車だけであること。勿論、一般の観光客や私達以外の旅人には提供していない只の貨物列車だ。しかし、私達の目の前には、国外から来た奴隷商のトラックが何故か停まっていること」


 続けて、リタさんは2本目の指を立てます。


「ヒント2。ヒント2は、君の存在だ、お嬢さん」

「私……ですか?」

「ああ。君だ」


 リタさんは、軽く頷いて続けました。


「ヒント2。この国の住民は全員大人であるにも関わらず、自身の少年時代を忘れているかのように『子供という概念』を一切知らずにいること。加えて、奴隷商と思しき男にこの国へ連れてこられた君は、元の記憶を失っているということ。そして──」


 続けて3本目の指を立て、リタさんは得意げにひと呼吸吐きます。


「スペシャルヒント。私達が先週滞在した治安の悪い隣国〈ハンマイス〉では、集団誘拐事件の発生が常であること」


 スペシャルヒントを聞き終えたクラークさんは、瞳を目一杯に見開きました。


「まさか。この国の住民達は……」

「さあ。それではお待ちかね、正解発表の時間だ。奴隷商と思しき小悪党くん。私の推理は、的中しているかな?」


 男に、三人の視線が集まります。

 男はしばらく言葉を詰まらせた後、強がった風な無理な笑みを浮かべて顔を上げました。


「ハッ、馬鹿馬鹿しい! お前の言うことが正しいとしたら、この国の住民全員はその餓鬼みてえに、記憶を失っている事になる! 俺達が記憶を消したような物言いだがな、記憶ってのはそう都合よく消せねえんだよ! 誰がどうやって、住民の記憶を消したっていうんだ? そんな芸当、できる筈が──」

「雇い魔女、だろう?」


 リタさんは、まるで「すべてお見通しだ」と確信を得ているような口調でそう言い放ちました。

 強気になっていた男の頬が、ぴくりと引きります。


「お前らは……いや。隣国のハンマイスは、記憶を操作する魔術を専門とした魔導師を雇ったんだろう? 記憶を操作する魔法が禁忌魔法の中にあるんだが、あれなら特定の記憶を抹消することだってワケない筈だ」


 男の強張った表情はしばらく固まり、やがて大口を開けて笑い始めました。


「はっ……ははっ、はははは! 魔女? 記憶を抹消する魔術? そんな都合の良い奴が居るわけねえだろうが! そもそも俺達がこんなガキの溜まり場を作って、一体何の得があるっつーんだよ! 迷推理もほどほどに──」

「粗方、それは察しがついているさ。無償で労働を強いることができる人間を作りたかったんじゃないかな? あの隣国の貧民っぷりを見たら、嫌でも分かるよ。それに、ちゃんと裏は付いている。いや……彼が見つけてくれた」

「……"彼"?」

「実を言うとね。名探偵の推理っぽく語らせてもらったが、実は私は、分かりきった結論をただ話していただけに過ぎないんだよ。だって君より先に、こいつが全部ゲロって教えてくれたんだからね」


 すると突然、男の後ろから、一人の杖を持った女が倒れ込んできました。

 彼女はどうやら、気を失っているようです。

 男は目の前に伸びた状態で現れた彼女を見て、額に大量の汗を滲ませました。


「ひぃっ!! ま、魔女様……!?」

「『魔女様』?」

「あっ……違う、今のは!」

「だから、もうとっくに全部バレてるんだって」


 男の失言に、リタさんは堪えるようにくぐもった笑い声をあげます。

 そして、男の背後から一人の男性が現れました。


「すまねえが、魔女様とやらは俺が仕留めさせてもらった。もちろん、全部この魔女から話は聞いたぜ」

「なっ……!?」


 彼は、私とリタさんがトラックを探しに出掛けた際にもお会いした、ギンさんと呼ばれる男の人でした。

 その右手には、黒い木刀が握られています。


「ギ、ギン!?」


 クラークさんもお知り合いなのか、突然の彼の登場に驚きを隠せないようです。

 ギンさんは、眼下でへたり込んだ男を睨みつけました。


「残念だったな。良いように今まで操られていたが……これで、全部しまいだ」


 ギンさんは、木刀を両手で握り、ゆっくりと振り上げます。


「この狭い国でずっと、お前らの尻尾を探っていたんだ……やっと。やっとだ。やっと、首根っこを掴んだ。覚悟はいいな?」

「や、やめ……」

「まあ。テメェの覚悟なんざ、ハナから待つつもりは無えけどな!!」


 ギンさんの木刀が、男の顔面に振り下ろされました。

 刀身が直撃して曲がる、男の鼻先。倒れ込んだ男は気絶したのか、ピクリとも動かなくなりました。


「ふう。これで、全部終わったな。こいつらも──この、陰謀で作られた国も」


 ギンさんは、冬空を見上げてそう呟きました。

 事の顛末を見守っていたクラークさんは、ここでようやくリタさんに問いかけます。


「ねえ……何が起こってるの? これ」

「支配しすぎたのさ、この男は。そうやって調子づいているうちに、檻に閉じ込めていたはずの虎から報復を受ける結末に至った──ただ、それだけだよ」

「……カッコつけないでいいから、もっと分かりやすく教えて」

「人がせっかくハードボイルドを気取っていたのに、野暮なお子様だなあ……」


 ムッと眉を寄せてあからさまに不機嫌な態度を取るクラークさんに、リタさんは「冗談だよ」と笑いながら彼の黒髪をくしゃくしゃに撫で回しました。


「まず聞きたいんだけど、どうしてギンがここに居るの? それに、この一連の事件にギンが絡んでいるみたいだし……」

「昨日、私と彼女とでトラックの探索に出掛けただろう? その時に丁度、そこの魔女を抱えたギンと出会ったのさ」

「魔女を抱えたギンと? それじゃあまるで、ギンが──」

「そう。この国の住人の中で、ギンだけがずっと知っていたんだ。この国の正体と、黒幕の存在を」

「訳が分からないな。さっきまでの話だと、ここの住人はこの地に足を踏み入れた時には、リバティみたいにこの魔女から幼少期の記憶を消されているんでしょう?」

「それについては、俺から話す」


 どこからか取り出したロープで魔女と男を縛りつけ終えたギンさんが、そう言ってこちらにやってきました。


「さっきリタが俺の事を『この国の正体をずっと知っていた』と言ったが、それには少し語弊がある。クラークの言う通り、この街に連れてこられた時点で俺もこの魔女から記憶を消されていた。だが、俺はつい最近、のさ」

「思い出させられたってまさか……この記憶を消す魔女に?」


 クラークさんの問い掛けに、ギンさんは噴き出すように笑いを漏らして答えます。


「それが本当なら、確かに『まさか』だな。だが、残念ながら違う。俺は、ある姿に願ったのさ。そうしたら、その願いを叶えるための過程として、俺はこの国に来る以前の記憶を思い出させられたんだ」

「願った、って……つまり」


 クラークさんは、リタさんの方を勢いよく振り向きました。

 リタさんは、薄ら笑いを浮かべ、肯定の意味を込めて深く頷きました。


「この国で断片が叶えたのは、君の──ギンの願いだったのか」

「『断片』ってのがリバティとか名乗る、ガキの姿をした神様の事を指すんなら、それで違いねえ。俺はコイツに、そんな気無しに願ったのさ──『自由になりたい』ってな」


 そう言ってギンさんは、男の脇で横たわるを指差しました。


 *


 私は、願いました。

 いつかまた、母と雪の降る冬の空を見上げる日が訪れますようにと。


 私は、願いました。

 この理不尽で残酷な悪夢が、早く覚めますようにと。


 私達は、願いました。

 互いの自由を蝕まれる日々が、どうかこの先にありませんようにと。


「──俺の名は、リバティ。聞こえたら返事をしてくれ」


 私達は、互いに願いました。


 *


「──なるほど。つまり、リバティはギンの『自由になりたい』という些細な願いを叶えるために、奴隷商から運び込まれてきた当時のギンの姿を借りて、このトラックの中に現れたというわけか」

「しかし、ギンが当時奴隷商に抵抗して足を酷く負傷していた事を知らずに負傷したギンの姿で顕現してしまったリバティは、已む無くこの子に自らの国を救う役目を託したと」

「要約お疲れさん。まあ、そういうこった」


 あれからギンは、リバティとのやり取りやそれからの経緯を事細かに教えてくれた。

 男達を早々に退治して戻ってくるはずだったリバティが一向に帰ってくる気配がなかったことや、リバティがギンの元を離れてからも、トラックの荷台を運ぶ貨物列車が相変わらず駅にやって来ていたこと。

 僕達がギンと出会ったあの日、ギンは駅で雇い魔女の姿を見つけていて、僕達を家にかくまった後早々に魔女を捕まえに向かったことなど。

 それはもう、違和感という穴を順に埋めていくかのように、全て教えてくれた。

 一通り話を聞き終えたリタは、探偵のように顎に手を添えて首を傾ける。


「駅にこの雇い魔女が現れたということはつまり、記憶を抹消する雇い魔女は、貨物列車に積み込む前か、線路を移動中に子供達の記憶を消していたってことか。だから、途中でトラックの荷台に顕現したリバティだけは記憶のある状態だったと」

「貨物列車の中で一度見つかりかけた事があったけれど……」

「もし見つかっていたら、きっと私達も記憶を消されていたんだろうね」


 リタは頷き、僕の台詞の続きを語った。

 すると、僕達三人の会話を黙って聞いていた"リバティではなかった少女"は、痺れを切らしたように口を開いた。


「あ、あの……」

「何だい、お嬢さん?」

「私と一緒に荷台に乗っていた子供達は、一体どこへ消えたのですか?」


 そう尋ねる少女の表情は、不安一色だった。


「ああ、そうだった。私は子供達を消したんだったね」

「物言いが物騒だなあ……」


 彼女の問い掛けに答えんと、リタは何やら肩掛けの鞄の中をまさぐり始めた。

 そして、中から陣の書かれた見覚えのある羊皮紙を取り出して広げてみせた。


「それは……魔法陣?」

「直感的な感想をありがとう。そうだよ、これは魔法陣さ」


 僕はふと、リタが貨物列車の中で夜通し組んでいた魔法陣だと気が付く。

 そういえば、ギンの部屋を出発する直前に、同じものを床に敷いていたっけ。


「……その紙で、リタさんが子供達を消したのですか?」

「安心してくれ、"消した"わけではないよ。これは、送信側。そしてもう一枚は、受信側。この魔法陣は、二枚の対になる魔法陣を用いることで、ある特定の魔法を発動させることができる代物なのさ」

「特定の、魔法……?」

「ずばり──空間移動さ」


 リタは、不敵な笑みを浮かべて人差し指を自身の唇に充てがうと、少女にそう答えた。


「この魔法陣は、送信側の魔法陣の上に物を置いて陣を結ぶと、それらを受信側の魔法陣がある場所まで、まるで空間移動のように運ぶことができるんだ」

「それなら何で、荷台の天井に大きな穴が空いているんですか?」

「そりゃあ、荷台の上から子供達を移動させたからね。ちょうど、こんな風にこいつを置いて」


 リタはそう言って、魔法陣を裏返しにして地面に放った。


「なるほど。それで音も立てずに子供達をさらえたワケだ」

「人聞きが悪いなあ。攫ったんじゃなくて、救出したんだよ。それで……この男と魔女はどうするんだい? 二人ともギンがボコボコにしたからしばらくは動かないと思うけれど」

「ああ、それなら心配は要らねえよ。魔女狩りを呼んであるからな」

「えっ」


 つい先程まで自信あり気に魔法の説明をしていたリタの表情が、ギンの一言で氷像のように固まる。

 それもそのはずだ。そこで横たわっている魔女と同様、彼女もまた魔女狩り隊に追われる側の存在なのだから。

『魔女狩り』は、リタがこの世で最も苦手なワードだ。


「しかも、明日の昼までには来てくれるらしい」

「えっ……」

「ついでに明日の貨物列車に乗ってくる連中も捕まえてくれるらしい。これで、街に見張りとして住人に紛れ込んでいた奴らの仲間も、明日の貨物列車に逃げ込んだら即逮捕って寸法さ」

「ええー……っ」


 ギンの悪意の無い三連コンボが、リタにグサグサと突き刺さる。

 明日の昼にはこの国から出ないといけなくなった上に、唯一の交通手段である貨物列車までしっかりと魔女狩りに抑えられてしまった。

 リタは、深い溜め息とともに、両の目頭を揉む。


「はっはっは……コイツはたまげたな」

「だろ? お前もそう思うか」

「……どうするのさ、リタ」

「どうするってそりゃあ、ほとぼりが冷めるまでこの国に隠れる他無いでしょ……」

「いやあ、罪人を取り締まるエキスパートだとは聞いていたが、まさかここまで真摯に取り組んでもらえるとは思わなかったぜ。それに、アイツらを取り締まるどころか、街に住む俺達を保護して、から家族の元まで帰してくれるみたいだしな!」

「ああ、全くたまげたなあー!!」


 リタのヤケクソな心の叫びが、雪の舞う夜空に響く。


 ギンの願いが──ギン達の願いが叶うまで、あと約11時間。

 彼らが偽りの無い不羈ふきを得られる時はもう、夜明けの先まで近づいていた。


 *


 後日談。

 あれから僕達は、件の酒場がある街まで歩いて帰った。

 男と魔女は、リタがトラックに繋いでおいたので、後から魔女狩りが対応してくれるだろうとのことだった。


 街に戻ると案の定、住人達は僕と少女を見て発狂し始めたが、ギンがそれを制して、この大人の国の隠された真実と隠された過去を彼らに告げた。

 まさかすぐに信じてはもらえないだろうと踏んでいたが、住人達は予想に反して、ギンの言葉を疑う事も無く信じてくれた。

 どうやらギンは、住人達に相当慕われているらしい。

 ──しかし。彼らがギンの発言に対して、首を縦に振らなかった事がひとつだけあった。


「……はあ? 『この街に残りたい』だァ?」

「ああ。魔女狩りとやらが保護してくれるとお前は言ったが、私はこの街に残りたいと思っている。私以外にも、同意見の者は少なくないだろう」


 そう言い放った髭面の男。周りに立つ他の住人達も各々おのおのが頷いている。

 彼らは、自身の本来の故郷に帰るつもりは無いと言い出したのだ。

 その言葉に、ギンは片眉を下げて唸った。


「いや……あのな。俺達の生まれ故郷じゃ、まだ俺達の帰りを待っている家族だっているんだぞ? それにここは、奴らに騙されて築き上げられた偽りの国だ。そんな場所に残ってどうなるっていうんだ」

「それでも、ここは私達が築いてきた国だ」

「それに、俺達の家族なんて、まだ生きているかすら分からねえ。身元なんて本当に確認できるのか? 俺達はもう、髭を生やして背も伸びて、元の家族だって手前てめえの子だと気付けないくらい大人になっちまった」

「そもそも、帰ってどうなるんだ? 大海を知らずにやってきた俺達を、世間は受け入れてくれるのか?」

「ねえ、ギン。帰るべき場所が見つかったら、この国はもう私達の帰る場所じゃないの?」

「それだったら、俺は保護なんて御免だ。捕まえるモンだけ捕まえてもらったら、魔女狩りには自分の国にお引き取り願いたい」

「私も」

「俺もだ」


 僕達の周りを取り囲んでいた住人達が、ギンにずいずいと詰め寄る。


「お前達……」


 ギンは、困り顔で彼らの顔を見回す。

 住人達は、ギンの返答を待っていた。「この街を捨てなくてもいい」のだと、「この街に残ってもいい」

 のだと、ギンが言ってくれるのを信じているように見えた。

 しばらくの沈黙。

 ギンは、後頭部の髪をガシガシと掻き乱してから、何かを決心したように顔を上げた。


「ったく、しょうがねえな」


 住人達の視線が、一斉にギンへと集まる。

 しかし彼が放った返答は、端的でかつ、予想の斜め上をいくものだった。


「分かった。じゃあ……あのイカレ野郎共の代わりに、これからは俺がこの国の先頭に立ってやる!」

「は……はああああ!?」


 一斉に騒つく住人達。

 それもそうだ。たったさっきまで国を出ることを提案していた男が、唐突に国を統治すると言いだすのだから、驚かない方が普通じゃない。

 現に、僕の隣でリタと少女が目を丸くしていた。


「ん? 俺なんか変なこと言ったか?」

「いや。変というか、だって……なぁ?」

「そうだよ。何でギンがそこまで」

「そもそも、お前は元ある故郷に帰りたかったんじゃないのかよ?」

「お前達だけじゃ、一年も国が保たねえだろうが。心配でならねえから、俺が代表してお前達をまとめ上げてやる、って言ってるんだよ」


 住人達は、口をポカンと開けて黙り込んだ後、一斉に喋りはじめた。


「おいおい。ギンの奴、中々でかい口を叩いてくれるじゃねえか」

「だがまぁ、ギンが言うことは一理あるな。ここはお世辞にも馬鹿の寄せ集めみたいな国だ。ギンみたいな奴が居なかったらまたすぐ誰かに騙されちまう」

「でも、いいのか? それって言っちまえばギンが国の王様になるって事だろう」

「ギンに王様を任せることに不満は無いが……そんな大きな仕事、ギン一人に任せるのは流石に酷ってモンだ」


 住人達は、心の内に湧いた不安を休み無く口にする。

 するとギンは、両手を大きく広げて声を張り上げた。


「心配すんなっつーの。俺がやるって言ってんだからお前らは気にしなくて良いんだよ、そんなこと。それに、なにも俺一人で国の全部を動かすわけじゃねえさ。俺がお前達の意見をまとめて、決まった方針をお前達に周知させる。俺が出来ないことや手を回せないことは、得意な奴にやってもらうつもりだ。ここはもう、俺達の国なんだ。これからは皆で動かしていこうぜ。どうだ、俺が王様じゃ嫌か?」


 ギンは、真っ直ぐな瞳を彼らに向けてそう問いかけた。

 住人達は、曇りがかっていた表情を晴らして、再び騒つきはじめた。

 すると、群衆の中の一人の住人が、ギンの前に躍り出てこう告げた。


「どうせ他に良さそうな道は無えしな。俺はアンタについて行くぜ、王様」


 彼の一声を引き金に、住人達はつられて声を上げ始めた。


「よっしゃ、賛成だ。俺もやるぜ、王様」

「俺もだ!」

「私も……!」


 ギンは、普段は気怠そうにしていた瞳を、大きく見開いて頷いた。


「お……おう、任せろ!」


 酒場の前から沸き起こるギンコール。

 ギンは住人達から小突かれ、髪をくしゃくしゃにされながら、照れ臭そうに笑っている。


「なんというか、こう」


 ギンを囲んだ群衆から数歩離れると、リタが不意に呟いた。


「うん」


 僕は適当な返事をする。


「上手くまとめられちゃったねえ」

「まぁ、別にいいんじゃない?」

「うーん……そうだね。めでたしめでたし、って事で」


 僕達は群衆から背を向けて、例の酒場へと歩き出した。


 この日、住人達は"住人"から"国民"になった。


 *


 ギンを囲んで歓声や笑い声をあげる国民達の姿を見ていると、ふと先日の朝方に出会った男のことを思い出した。

 それは、僕とリタが酒場の二階を案内されてからすぐ。

 僕が、リバティの情報を求めてひとり、街へと繰り出した時のことだ。


「すみません。少し、お尋ねしてもよろしいですか?」

「僕かい? いいよ。何かな」


 男は僕の呼びかけに立ち止まり、快く了解してくれた。

 すそえりに乾いた泥がこびり付いたオーバーオールの作業服に、陽の光で色褪せて年季の入った麦わら帽子。

 その見てれから、男が農作業員か何かだろうと察しがついた。

 軍手をはめた右手には、中身が詰まった布袋が握られている。


「もしかして、お仕事中でしたか?」

「いや。ちょうど休憩しようかと思っていたところだから、問題ないよ。それで、何が聞きたいんだい?」

「えっと、いくつかあるんですけど……最近、この辺りで変わった物を見たりしませんでしたか?」

「変わった物?」


 男は斜め上を見上げて、しばらく唸る。


「……いや。特に変な物は見ていないな」

「そうですか。では、誰かの願いが突飛に叶ったような話や、最近様子の可笑しい人の話は聞いていませんか?」

「無いなあ。何だ、君はもしかして、探偵ってやつなのかい?」

「……まぁ、そんなところです」

「そいつは凄い! 僕は推理ものが大好きなんだ」

「そうですか。僕も好きですよ、推理もの」


 そうなのかい? ええ。互いにそう言うと、早くも話題が終わってしまい、暫し無言で微笑み合う時間が流れた。

 場を繋ぐように、僕は「そういえば」と別の質問を切り出した。


「この国の人達は、生まれた時から大人なのですか?」

「"この国の人達"って……まるで、君はこの国の人じゃないような口振りだね。もしかして……君は、他所よその国から来た探偵さんなのかい?」

「あっ」


 失言だった。ギンからこの国には外国からの交通手段が無いことを聞いたばかりだというのに。

 しかし、これはもう言い逃れのしようがない。ヘタな嘘を吐くと後から面倒な事になり兼ねない。

 なので、僕は敢えなく正直に答えることにした。


「……はい。僕は旅の探偵なんです。乗って来た船が偶然この国の近くに辿り着いたので、ここに滞在することにしました」


 ちょっとした嘘も交えて。


「凄いなあ、外からの客人なんて初めて見たよ!」


 対して彼は、大ニュースだと言わんばかりに両目を開いて声を上げた。


「はは……ああ、そうでした。それで、先程の質問についてなのですが」

「ああ、えっと……生まれた時から大人かみたいな話だったっけ?」

「はい」

「うーん……そりゃあ僕達は、生まれながらにして大人に決まっているだろう? 子供というのは、神様が悪い魂を人の形にして生み落とした存在の事で、善良な魂を持って生まれた僕達は、大人として生まれ、大人として生きる事になっているのだから。探偵さんだって、そうやって生まれたから大人なんだろう?」

「えっ? ……ええ、そうですね。言われてみれば、そうでしたね」


 僕は、適当に誤魔化す。

 すると彼は、声を上げて笑った。


「ははっ、変な事を聞く探偵さんだなぁ」

「ははは……ああ、そうだ。最後にもう一つ、お尋ねしたいのですが──この国は、どんな国ですか?」


 僕がそう尋ねると、彼は顎に泥土塗れの手を添えて首を傾げながらしばらく考え込んだ。


「そうだな。生憎、他の国に行く機会が無いから特別なことは何も言えないんだけれど……ここは、最高の国さ! 皆優しくて、飯も旨くて……それで、何にも誰にも縛られることの無い、自由な国だ」


 男は、愛想の良い笑みを浮かべてそう言った。


「……そうですか。それは、これから滞在するのが楽しみです」

「ゆっくりしていくといいよ。……そうだ。もし探偵さんに時間があったら、ウチの畑に野菜を取りに来てくれよ! そこのパン屋の角を曲がった先にあるからさ、僕が畑仕事をしている時にでも──おや」


 男は、鼻先に触れて指先を見つめる。

 どうしたものかと思ったのもつかの間、答えは僕の鼻先にもやってきた。

 彼と同じように、鼻先を指でなぞる。

 指先に、冷たい感触が触れた。


「……雪?」

「ああ、また降ってきたみたいだね。……しまった、畑に芝刈り機を置いたままなんだ! 悪いね、探偵さん。僕はもう、畑に戻らなくちゃ!」

「えっ」

「それじゃあ! また話を聞かせてよ!」


 男は布袋を肩に担ぐと、後ろ手で手を振りながら走り去っていった。


「僕も、帰らなきゃだ」


 雪化粧が施されていく街路に、外套の雪を払い落とす。

 三角帽子を深く被り、僕は来た道を振り返って歩き出した。


 *


「なあ、本当にもう行っちまうのか? 建国パーティとか、今から盛大に盛り上がろうってところなんだが……」

「ああ。それでも私達は行かなきゃならない。そんなに居残ってほしいなら、今から来る魔女狩りを退散させてもらえるかな」

「そいつは流石に無理なお願いだ」


 僕達はあの大団円を見届けたのち、酒場で大人の国最後の朝食を頂いていた。

 昨晩のやり取りの通り、僕達は魔女狩りが到着するまでにこの国を去らなくてはならなくなったため、今日は少し早めの朝食だ。


「まさかお前達にここまで世話になるなんて、最初は思ってもみなかったぜ。俺が見つけるはずだった隣国の手先はあっさり見つけるわ、ついには子供達まで救出するわ。ついでに、妙なチカラで俺の部屋にトラックの天井を落としやがるわ……」

「その節は本当にごめんよ。配慮不足だった」

「いや、良いんだよ。お前達は国を救ってくれた救世主様なんだからな。今更、家に着いたら部屋が妙な鉄板に押しつぶされていた事とか、ガラスが粉々に吹き飛んでいて部屋中雪まみれだった事とか、全然気にしねえさ」

「あっ。結構根に持ってるなこいつ」


 リタは手前のコーヒーカップを握り、ギンの毒っ気たっぷりな発言と同等の苦さで淹れられたコーヒーを一気に飲み干す。

 諸々の片付けを手伝って帰りたいところだが、こっちもこっちで忙しいので、こればかりはどうしようもない。


「しかし……王様。王様、ねえ」


 リタがそう呟くと、頬杖を突いていたギンが鼻で笑う。


「まぁ、そうは言っても総人口5000人足らずの町みたいな小さな国の王様だよ。王様だとかデケエ口叩いちまったが、言っちまえばほとんど町長みたいなもんさ」

「それでも十分凄いと思うけど。まあ、あんなに周りから慕われているなら、きっと上手くいくさ」

「そうなることを願うばかりだ。だがまあ、お前達には本当に感謝しなきゃな。お前達がいなかったら、俺達はここまで上手くはいかなかった」

「急にかしこまるなよ、気持ち悪い。こっちはこっちの目的を果たしたまでさ。君達の救済はついでだ。だから気にしないでくれ。あと、ガラスの事とか鉄板の事とかも、気にしないでくれると有難い」


 リタがそう言うと、ギンは可笑しそうに鼻で笑った。


「ったく、仕方ねえ奴らだな。……それで? もう、すぐに出発なのか」

「うん。もうじき彼らが来るからね。そろそろ行かなきゃ」


 僕の返答にギンは諦めがついたように「そうか」と返事をして、泡立ったコーヒーを一口啜った。


「それじゃあ朝食も頂いたことだし、行こうか。良いかな、クラーク君?」

「うん、行こう」


 僕は、リタの問い掛けに残りのコーヒーを飲み干し、立ち上がる。

 続いてリタが小洒落た木造りの椅子を引くと、それと同時にギンの隣に腰掛けていた例の少女がガタンと立ち上がった。


「あ、あの!」

「何かな、お嬢さん」

「その、子供達を……私達を助けていただき、ありがとうございました!」


 少女は勢いよく、深々と頭を下げた。

 リタは、少女の髪を優しく撫でると、にっこりと口角を上げた。


「どういたしまして。ちゃんと、お母さんに会えると良いね」

「はい……!」


 少女は、満面の笑みをリタに返して強く頷いた。

 すると、一連の会話を聞いていたのか、酒場にいた客人達がぞろぞろと僕達のいる席に集まってきた。


「おい、お前達」

「なんだなんだ。また私達を捕まえるつもりなのかい?」

「一種のトラウマだよね、あれ」


 僕達が嫌味っぽくそう言うと、集まる客人達の足がピタリと止まって、それぞれ困り顔になった。


「ああいや、別にそんなつもりでは……というか、あの時は本当にすまなかった。騙されていたとはいえ、お前達には恐ろしい目に遭わせてしまった」

「別に気にしてないよ。それで、私達に何か用かな? 私達はもう出発しなくちゃいけないんだけれど」

「いや、大した用じゃないんだ。ただ、お前達に礼が言いたくて……」

「あぁ、そんな事か。それなら君達の王様が代表して、豪華モーニングセット付きの礼をしてくれたから、もういいよ。何度も同じことでお礼を言われるのも、それはそれで結構疲れるんだ。さあ、さっさと行こう、クラーク君」


 リタは僕に目配せすると、足元に置いていた荷物を手に取る。


「えっ? ち、ちょっと待ってくれ! そういうのじゃなくて、俺達は直接お前達にお礼が……」

「それが迷惑だって言っているんだよ。気持ちは受け取ったから、いらないってば」


 リタは、客人の説得などまるで受け付けずに、酒場の出口へと向かい歩き出した。僕も慌ててリタに続く。

 しかし、扉の前まで来たところで、彼女は店内を振り返り、静かに両のつま先を揃えて立ち止まった。

 ギンや少女、そして客人達はリタの方に視線を向けて、一体何事かと口を閉じる。

 すると、リタは右足を半歩後ろに下げ、右手を胸の前に添えると、静かにお辞儀をしてみせた。

 おまけに外套の端をつまんでヒラリと横に広げると、彼女はにやりと悪戯っぽく笑みを浮かべてこう言った。


「それでは、王国の皆さん。またどこかでお会いしましょう。……なんてね」


 ……ハマってるなあ、見事に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女が紡ぐ物語 倉野 色 @kuraya_siki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ