第5話『雪の齎し』

そういえば、彼女が館の扉を開けたのも、こんな雪の降る夜だった。

もっとも、あの時の雪は初雪なんて穏やかなものではなく、猛吹雪のそれだったけれど。

彼女を見て最初に思ったことは、そうだな。


──僕と同類おなじだった、という事だろうか。



「さて。さっさと出発しよう……と、言いたいところだが。はてさて、来たばかりでまだ散策もしていなかったから、どこに行けば安全かまるで分からないな。どうしたものか」

「えっ」


それを聞いた少女乃至ないし、リバティは声を上げ、視線を下げてうな垂れた。


「来たばかりだったのですか……? ごめんなさい、せっかくの楽しい旅を邪魔してしまって……」

「え? いやいや、良いんだよ。ちょうど私達もこの町にいられなくなったところだったというか、むしろ君の登場に命を助けられたというか……ねぇ?」


リバティをすかさずフォローして、リタは僕に同意を促す。

……はいはい。僕のせいで、この町にいられなくなりましたよ。


「うん。君を助ける事は僕達にとって、何の負担でも迷惑でもないよ。というか僕達は、君を助けるためにこの町に来たようなものだからね」

「え……? それって、どういう──」

「クラーク君。君は、スパイとか詐欺師とか、そういうのにはならない方がいいと思うよ」


「喋りすぎだ」とリタは言いたいらしい。

僕が「別にスパイにも詐欺師にもなる気なんか無いよ」と返すと、リタは小さく咳払いをして、にっこりと笑みを浮かべた。


「さてと。それじゃあささっと、避難場所を決めてしまおう。雪も降ってるから、なるべく屋根がある場所が良いね」

「それなら、ここから10時の方向に、小さな時計台があるよ」

「……どうしてクラーク君がそんな事を知っているんだい?」

「昼間の散策中に見かけたんだ。もし隠れるならここだな、って思ってね」

「……前言撤回だ、クラーク君。君は、詐欺師ならない方がいいよ」


いや……別に、許されてもスパイになる気なんてさらさら無いんだけどな。


「さあ。行き先は決まった事だし、見通し・安心感ともに最悪な空の旅へとご案内しよう。クラーク君、時計台までのガイドはお願いね」

「ご案内するんじゃなかったの? まあ、ガイドは勿論するけどさ」


リタはそう言うと、瓦に寝かせていた箒のペレグリンを呼び起こした。

ペレグリンはそれに答えるように膝の高さまで浮かび上がると、ふわふわと繰り返し上下に揺れた。


「さあどうぞ、お乗りくださいませ。御二方」


リタはペレグリンの前に立ってリバティの方を振り返ると、右足を半歩下げ、右手を胸の前に添えて静かにお辞儀をした。

つまり、"ボウアンド・スクレイプ"というやつだ。

執事や貴族なんかがよくやるお辞儀だが、リタがやると何だか、全体的に胡散臭く見えた。


「……ペレグリン。そこの薄汚い外套を羽織ったチビっ子は乗せなくていいからね」

「何で!? というか、外套が薄汚いのは僕じゃなくてギンのせいじゃないか……!」

「だってクラーク君、さっき絶対に失礼な事を考えていただろ。顔に出てたぞ」


リタはそう言って、湿度の高い視線を僕に向けた。

……そんなに分かりやすい顔してたのかな、僕。


「ごめんよ。正直、凄く胡散臭いと思った。旅の相方として恥ずかしい限りだ」

「そこまで正直に言えとは言ってないよ……」

「冗談だよ。でも、次にやるならちゃんと練習してからやろうね」


僕は、一足先にペレグリンに跨った。


「町の人達もきっと、僕達をそう易々と見逃してはくれないよ。早く行こう」

「は……はい」

「そうだね、早く行こうか。早々飛ばして行っても大丈夫かい?」

「うん。時計台が近くなって来たら、追々教え──うわっ!?」


不意に、視界が反転した。そして、僕は瓦に身体を打ち付けられた。

ペレグリンが、僕を乗せたままぐるりと一回転したのだ。

半身びしょびしょになった外套を払い、僕は真顔で立ち上がる。

無言でじっとリタの方を見ると、リタは華麗に視線を逸らした。


「……ねえ、リタ。ペレグリン、折ってもいいかな?」

「こ、この子はご主人様に忠実なだけだって……!」

「ふぅん?」


僕は、再度ペレグリンに跨ろうと両手で柄の部分を掴んだ。

ペレグリンは会話を聞いていたのか、僕が掴んだ瞬間ビクリと身体全体を大きく震わせた。


「別に、本当に折ったりしないってば……ほら、行こうよ。雪が本降りになったら大変だ」


二人は頷き、順にペレグリンに跨った。

リバティはリタの指示で、リタと僕の間に座った。

まぁ、「気付いたら箒から振り降ろされて居なくなってました」なんて、シャレにならないからね。

ペレグリンは、間も無く高度を上げた。


「うわ、わ……本当に飛んでる!」

「はははっ、良い反応だね。怖くないかい?」

「大丈夫です。あの……お姉さんってもしかして、魔女さんなの?」

「……あぁ。悪い悪ーい、魔女さんさ」

「……?」

「もしも寒かったらクラーク君に外套を貰ってくれ。私はちょっと、寒がりだから貸せない」

「はい、わかりました」


リタの妙な物言いに首を傾げつつ、リバティはそう返事をした。


「それにしても……雪、凄く降るなぁ。半日もすれば止むものかと思っていたけれど」


風で飛ばされそうな三角帽子を手で押さえながら、リタが言う。


「これじゃああまり、街が見渡せないね」

「まぁ、逆手に取れば吉だよ。お陰で空を飛んでいても全く目立たないし。それに……断片はもう、回収したようなものだからね。これから目を凝らして探すようなものと言ったら、この子のお連れくらいだし」


──そうだ。すっかり忘れていた。

先程リバティは「私達を助けてください」と言っていた。

僕が昨晩に見た夢が正しければ、おそらくそれは荷台の中に残された子供達のことだろう。

うち一人は、彼女と同い年くらいの、魔法を扱う少年。

そして残り数名は、彼女よりも幼い子供達。

もしかすると、子供達はまだあれから目を覚ましていない可能性もあるが──それより気にするべきは、あの少年だろう。

おそらくあの後、運転席にいた男に捕まっている筈だ。

そうなると、全員を救出するには、黒幕にあたる男との対峙がほぼほぼ必須だと言える。


「クラーク君。何か一人で考え込んでいるみたいだけれど、一度お姉さんに話してみる気は無いかな?」

「……そういえば、リタにはまだ何も伝えていなかったね。でも──それなら、僕が話すよりもリバティが話した方が、正確で確実だ」

「えっ? 話すって何を……ですか?」

「これまでの経緯いきさつをさ。私達に会う前に、一体君に何があったのか。そして、これから何を私達に手伝ってほしいのか……その辺りを、なるべく詳しく話してほしい。駄目かな?」

「い、いえ! お話しさせてください」


リバティは、僕達にここまでの経緯を事細かに話してくれた。


──しかし、やはりというべきか。

結論から言うと、僕が見た"何かの記憶のような夢"と彼女の話は、そっくりそのまま同じ内容だった。


「なるほど……で。クラーク君、君があの時に見た夢と比べて、この子の話はどうだった?」

「同じだったよ、そっくりそのままね。あの夢は、リバティの記憶で間違いないみたいだ。僕が彼女の記憶を見たということはつまり、彼女が──」

「まあまあ。もしそうだとしても、それはそれ、これはこれさ。一度協力すると言ったことには、しっかり協力しようじゃないか。それに──これが、今回の試練なのだろうから、ね」


リタはそう言って、小さく口角を上げる。

僕は、頷いた。

リバティは、僕とリタの方を何度か見ては、首を傾げていた。

当然ながら、僕達の会話を理解できていないみたいだった。


けれども、気にすることはない。

彼女達──いや。

僕達断片は、試される者に対し試練を与える側の存在であって、もたらされる側の存在ではないからだ。


しばらく飛び続けたところで、雪の向こうに小さな煉瓦造りの時計台が見えてきた。


「あれだよ、リタ」


僕はリタに、減速を促す。


「了解。取り敢えず、時計台に着いたら夜明けを待ちつつ今後の計画を立てよう。そしたら後は、この子の話していたトラックってやつを探しながら──ん?」


唐突に、リタは口を噤ぎ、空を見上げた。

何事かと僕達もつられて空を見上げると、すぐに理由が分かった。


「……雪が、止んでいく」

「タイミングが良かったね。もう時計台に到着するし、何より雪が晴れれば、トラックが見つけやすい。さぁ、到着だ。あの見晴らし台に降りようか。……ペレグリン!」


ペレグリンは呼応するように緩やかなブレーキをかけて、慣れた旋回で時計台の見晴らし台へと停まった。

リタ、僕、そして……リバティの順で、ペレグリンから降りる。

見晴らし台は、時計台をぐるりと囲むように作られているようだ。

向かって中心には、下へと続く螺旋階段が見える。

頭上の真っ暗闇な屋根の中に見えるのは……鐘、だろうか?


「見晴らし台というか、ここは鐘を鳴らすための場所だったみたいだね。その割には、今日は一度も鳴っていなかったみたいだけれど……時報の鐘ではないのかな?」

「いや、普通に鳴ってたよ。リタ」

「えっ、嘘?」

「どんだけ爆睡してたのさ……」


僕は手摺てすりに近寄り、両肘をついて国を見渡した。当然だが、真っ暗でほとんど何も見えない。

唯一、僕達が飛んできた方向に見える無数の明かりの群れは、酒場のあった町だろうか。

こうして遠くから見ると、結構大きな町だったようだ。

トラックらしき影は──残念ながら、ひとつも見当たらない。

もしかしたら目の届く範囲にいるのかもしれないが、暗すぎて探せそうになかった。


「何も見つからないよ、リタ」

「そっか……そうだ。君が乗ってきたトラックって、どんな見た目だったか覚えてる?」

「いえ。あの時は、逃げるのに必死だったから……後ろを振り返ってすらいなくて。何も見てないんです、ごめんなさい……」

「あぁ、いや。分からないなら別にいいよ。何か状況がマイナスになったワケでもないしね」


リタはそう言うと、僕の後ろから抱きつくように両腕を回して、冷えた手摺を掴んだ。

僕の両肩に、リタの腕が乗る。体格差もあって、流石にちょっとだけ重たい。


「……何?」

「いや? ただ、寒いからクラーク君で暖を取ろうかと思ってね。いやあ、良い天然カイロだ、温かい温かい」


後ろに立つリタの顔を見上げると、町の灯りが映り込んだ、リタの暖色の瞳が前髪の間から覗いた。

ふと、リタがこちらを見下ろし首を傾げる。

「どうしたんだい?」

そう言っているように見えた。


「……それで。これからどうするの? 朝まで待つ?」

「うーん、それもひとつの手だけど……そうだね。クラーク君は寝てていいよ。朝から聞き込みに行ったりして疲れただろう」

「リタが起きているなら別にいいよ。僕も起きてる」

「いいや、君はここで寝ているんだ。君には後々働いてもらうかもしれないし……何より、旅の相方にあまり無茶はさせたくないからね。休める時にしっかり休んでくれ」

「……じゃあ、わかった」

「うん。聞き分けの良い子で助かるよ」


リタの両手が掴んでいた手摺から離れたかと思うと、リタはそのまま僕を引っ張るように両の腕で僕を抱き寄せてきた。

少し息苦しくて、暑くて、けれども別に嫌ではないし、突き放したいわけでもない──まるで、小さな女の子に抱きしめられているテディベアみたいな気分だった。

もっとも、目の前の"小さな女の子"は、身長差が2倍近くある魔女なワケだが。


「どうしたんだい? 人の顔をジロジロと見て。また何か失礼な事でも考えているのかな?」

「……別にそんなんじゃないよ。じゃあ、僕は寝るから」

「うん。おやすみ、クラーク君」

「あ、あの……っ」


振り返ると、リバティが落ち着かない様子で立っていた。

どうも、僕達が話し終えるタイミングを後ろで待っていたらしい。


「何かな?」


リタが僕を両手で抱き寄せたまま、リバティの方に顔を向ける。


「私は、どうすればいいでしょうか……?」

「ふむ……そうだね。今から私が町の中を探索しに行くけど、一緒に来るかい? それか、クラーク君と一緒にここで待っていても構わないけど……」

「いえ。リタさんと一緒に、私もトラックを探しに行きたいです。それに、さっき起きたばかりですから眠たくはありませんし……」

「じゃあ、決まりだね。クラーク君。そういうわけだから、君はここでちゃんと休んでおくんだよ。分かったかい?」

「うん。行ってらっしゃい」


リタは、小走りで休ませていたペレグリンの方へと向かう。

リバティも、その後にぱたぱたと駆け足で続いた。


しかし、階段上の壁に立て掛けたペレグリンの柄を掴んだところで立ち止まり、こちらに顔を向けてきた。


「町の人が上がってきても見つかりにくいような場所で寝るんだぞー!」

「はいはい、わかってるよ」


リタは、微笑みかける。

どういう意図があっての笑みなのかはよく分からないが、きっと大した理由は無いのだと思う。

強いて言うなら「行ってきます」の笑みだろうか。

笑みは返さないが、取り敢えず手だけ振っておく。

すると満足したのか、リタは町とは反対側の手摺へとペレグリンを片手に走っていった。


……が。途中で立ち止まり、再度こちらを振り返ってきた。


「それと、もし寒くなったら鞄から予備のがい──」

「ああもう、大丈夫だってば!」


しっしっ、と平手で追い払うと、リタはようやくペレグリンに跨って飛んで行った。



「さて、意気込んで出発してみたはいいものの……何を宛てに探そうかな」


大人の国の上空を駆ける、エニシダ製の箒と、二人分の影。

リタとリバティは、雪の降り積もった白い街を探るように見下ろしていた。


「真っ暗で、何も見えませんね……」

「まぁ、私達から見えないということは、地上からも見つからないって事さ。取り敢えず、どこか手頃な場所に降りてみようか」

「街に降りてしまって大丈夫なんですか?」

「君が収容されていたトラックも人気ひとけのある場所にはいないだろうからね。こっちもわざわざ街中を探索する必要は無いよ。だから、大丈夫」

「なるほど……確かに、そうですね」


頷くリバティ。

リタは、一本の街灯が寂しげに照らしている道を指差し、「着陸するよ」と少女に注意を促した。

ペレグリンはふわりと着地の直前で速度を落とし、煉瓦造りの道へと降り立った。


「はい、到着。さて……手段が何も思いつかないし、取り敢えず適当に歩き回ってみようか」

「はい」

「それで、もしもトラックが見つかったら、一旦時計台まで戻って──っ!」

「……どうか、しましたか?」


微かに雪を踏む音が背後から聞こえ、リタは反射的に振り返った。

リバティは、不安げにリタの顔を覗く。

足音は絶えず、暗闇の先からこちらへ向かってきているようだ。


「……リバティ、誰か来るみたいだ。音を立てないように、そこの路地裏まで行くよ」

「は、はい……わかりました」


二人は後退りし、幅の狭い路地裏へと静かに身を隠す。

そして、リタは首だけを表通りに伸ばし、音のする方を見張った。

さくりさくりと、雪を踏む音が、次第に大きくなる。

やがて、暗闇の中から一人分のシルエットが現れた。


シルエットは、街灯に照らされてその姿を晒した。

リタは、思わず目を見張る。


「──君は」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る