ラムネの中身

紅蛇

ラムネの秘密



 ミサキは家に遊びにくるたびに、ラムネを買ってきていた。

「なんでラムネなの?」と聞くと、ミサキはきまって、輝く笑顔を見せ「ヒッミツ〜!」と頬にラムネを当ててくる。冷えた瓶の水滴が、頬を流れて、床に落ちる。私はそんなミサキのことが大好きだった。

 今日もミサキは遊びに来る約束をしている。


「ピロリン」


 スマホにラインが届き、ミサキから「風邪ひいちゃったから、行けなくなっちゃった。ゴメンね」と書かれていた。ちょっと彼女に失望してしまって、そんな自分の気持ちに悲しくなった。


 学校の友達はみんないい子で、可愛い子ばかりだった。みんな流行をおさえているし、髪型も毎日こっている編み込みなんかもしてる。リップを塗ったり、薄くだけど頬にチークをしてくる子なんかもいた。いいなって、いつも思った。

 一度、お母さんに「私もメイクして学校に行きたい」ってせがんだら「あんた何言ってんのよ」と言って、濡れてて重い洗濯物を持たせられた。


 今日はミサキとトモエが家に遊びに来る。リビングで料理番組を見ていた母に「お母さん、おかし買って来るね」と言って靴を履くと、「一緒にお醤油も買ってきて」とこっちを見ずに言ったから、ちょっとムカッとした。それでもいつも使っている醤油と味の違うポテチを三袋買って帰る。家に帰る間、隣の家の柴犬が吠える声で「もう二人、来たんだ」とわかり、ウキウキした。

 「ただいま」玄関を開けると、二足の靴が礼儀正しく置かれていて、変な気持ちになった。左にミサキの黒いキャンバス、右にトモエのローファー。私はその真ん中に、黄色の冴えないサンダルを置くことにする。


 部屋に行くと、ドアが少し空いていて、二人が何か話していた。「あ、おかえり」ミサキがラムネを掲げながら振り返った。私も「ただいま。風邪治った?」と聞いて、中へ入った。「おかげさまで治りました!」ラムネを私に手渡して、カバンからポッキーの箱を出す。それを見てトモエも、カバンの横に置いていたコンビニ袋から『きのこの山』を取り出した。「えー、そこは『たけのこの里』でしょ」ミサキが口を尖らして、文句を言うけど、トモエは無視をして箱を開けた。


「パリパリパリパリ パカッ」


 「むートモエってさ、そういうところあるよね」箱の中身から袋を取り出すトモエはミサキの方を向いた。「ミサキも、ミサキよ。どっちも美味しいから」「私も、そう思うなぁ。ていうか、違いがわからないけど」私はそう言ってから、開けるのを手こずっていたトモエから、袋を取って開けてあげた。「もー! 二人して何さ!」バシバシと足踏みを鳴らして、「トイレ行ってくる」と出て行った。

 部屋に残ったのはラムネを左手に持つ私。そしてちょっと苦手な、赤縁あかぶち眼鏡をTシャツで拭くトモエだけだった。


 ミサキが帰って来た頃にはもう『きのこの山』の中身は無くなっていた。

「ただいまー!」「おかえり、遅かったね」「ちょっとね」ミサキの腕にはラムネいっぱいの袋を抱きかかえてた。それを見て、同じ回答をすると思ったけど、また疑問を口に出した。「どうしていつもラムネなの?」落としそうになった袋を持ってあげた。「それはね、どうしてだと思う?」試すような言い方。私はいつもと違う答えに、戸惑った。


 「ガサゴソ ガサガサ」

 「ポン カラーン」


 袋からラムネを一つ取り出して、トモエは飲み始めたのをみて、思い出した。「そういえば私もお菓子あるんだ。ちょっとキッチン行ってくる」と言ってミサキの質問返しから逃げ出した。

 階段を降りて、トイレに駆け込んで吐いた。気持ち悪い。口から透明な液体に混ざったチョコレートが出てくるのを見て、また吐いた。ラムネの香りが個室の中に立ち込めている。「どうして?」クッキー生地と混ざり合った鼻水をトイレットペーパーで拭きながら、バラの芳香剤の香りを呪った。

 トモエがいるからミサキはあんなことを聞いたのかな? わからないことを考えて、口に残った唾を吐いた。扉の向こうから「あんた大丈夫? 具合でも悪いの?」と母の声が聞こえてきて、ちょっと落ち着いた。「大丈夫」変な声だったけど返事をして、水を流した。


 ポテチの入った袋を持って部屋に戻ると、ラムネは部屋の端っこに置かれていた。あんなところに置くぐらいなら、持ってこないでほしい。「おかえり。ポテチじゃん、何味?」トモエはミサキの水色のスマホから視線を変えて、チラリとこっちを見て、また指を忙しなく動かしていた。

 どうしてミサキのスマホをいじってたの? そう聞こうとした気持ちをぐっと抑えて、「塩と青のりとコンソメ」と袋を床に置く。「王道じゃん」ミサキが漫画を棚に戻して、コンソメ味を取り出して、開いた。そうして一気に三枚つまんで、放り投げる。最後に、指についたかすを舐めると、休みの間だけ塗っているマニキュアが光った。「それ、いつ塗ったの?」つい聞いてしまって、後悔した。トモエが、ちらりとこっちを見て「ふふっ」と笑って、また画面に戻した。

「それ知ってどうするの。先生にでも言う気?」いじわるな笑顔を見せて、また一枚ポテチを口に含む。「いや、別に。かわいいなぁって思っただけ」「そう」ティッシュで指を拭いたと思ったら、私に爪を向けた。「可愛いでしょう」指を上下に揺らしながら、嬉しそうだった。「うん。かわいい」細い指先から、ネオンピンクが光っていた。

 ほんとうに、かわいい。私には似合わないから、羨ましい。


 ミサキは返してもらったスマホを弄りながら「そういえばさ、山田って学校やめたの?」とおもむろに呟いた。その横で画面を覗き込んでいたトモエが、目を大きく見開いた。「山田って、隣クラスの担任の?」「そうそう。あの事件起こした山田」私はその目の前で二人を見つめながら、残ったポテチを一人で食べながら聞いた。「あの事件って?」トモエが「ほら、一ヶ月前あったじゃん」と言うけど、答えになってない。「一ヶ月前さ、山田がクラスの女子が着替えているところを盗撮したって話題になったじゃん。しかもそれをネットにあげたんだって。気持ち悪くない?」ミサキは私の持っていたポテチをつまみ取って、答えてくれた。「あーそういえばみんな騒いでたね。うん、気持ち悪い」返事をして、会話の続きを待った。それでも続きなんかなくて、そのまま二人はスマホの動画を見て帰ってしまった。


 「ミサキちゃんだっけ、あの子。見ない間に随分ときれいになったのね」夕飯を準備していた母が、テレビを見ていた私に、突然思い出したように言った。「うん。そうだね」いい加減な返事をして、チャンネルを変えるとニュースに切り替わった。そこには今日二人が言っていた山田先生と、周りにモザイクのかかった学校が写っていた。「山田先生じゃないの。あら、この人何かしたの?」今度は流し台で麺を冷やしながら聞いた。「なんか、女子の着替えを盗撮したんだって」ミサキが今日、教えてくれたことを言う。麺をお皿に盛り付け「そうなの」と関心なさげに椅子に座った。

 向かい側に座り、「気持ち悪くない?」自分にしか聞こえない声で、ミサキの言葉を呟いた。


 食べ終わり、部屋に戻ると、隅っこにラムネが置かれていた。ミサキが持ってきたまま、持ち帰らず忘れていった。「どうしていつもラムネなの?」もう一度、今度は空っぽになった瓶に聞く。それでも何も返事をしないで、言葉がどこかへ消え去った。


「ピロリン ピロリン ピロリン ♬」


 スマホが鳴ったのを聞いて、急いで充電器から取り出すと、ミサキからだった。「あーもしもし?」いつも通りのミサキの声に、安心して「うん。何?」と笑顔で返事した。「えーとね、ニュース見た?」「山田先生のこと?」「うん、そう」スピーカーモードにさせ、散らかったゴミを集め始める。昼とは違って『通話中』の文字が目に刺さる。

 トモエの飲み終わった瓶を持つと、ミサキの喘ぐような声がして、手を止める。「山田、自殺したってよ」感情のこもっていない声に、ミサキらしさを感じれなく、不安になった。「え、どうして?」「……ごめん。それだけ伝えたかった」ミサキが電話を切ったとわかった頃、震えた声だったと同時に気づく。ミサキが、泣いていた……?

 心配になり、空になった『きのこの山』を踏み潰し、掛け直した。


「ピロリン ピロリン ピロリン ♬」

「ピロリン ピロリン おかけになった電話は————」


 今度はトモエに電話しているのか、出てくれなかった。本当にミサキどうしたんだろう? 焦りも感じ始め、急いで下に降り、バラエティ番組からニュースに戻した。それでもそんなニュース一つも流れていなくて、無駄に邪魔な巨体の芸能人が食レポしている姿しか、画面に映らなかった。豚みたいな人。


「ピロリン ピロリン…… ♬」


 部屋に戻ると、また鳴った。ミサキからだと思い喜んだが、画面には『トモエちゃん』と書かれて、変な気持ちになった。「もしもし」声がなぜか震えてしまい、妙な汗が吹き出した。「ねぇ、ミサキからもう聞いた?」興奮するトモエの声が返ってくる。「うん、聞いた」「ミサキがって、本当かな?」思っても見なかった言葉に、スマホを落としそうになってのを堪える。「何を言ってるの?」混乱する声が出た。「え、聞いてないの?」「聞いた。けど、ミサキは私にって言った」「それ本当?」「わからない。さっきからニュースを流してるんだけど、そんなこと全然放送されてないの!」「じゃあ、嘘ってこと?」トモエはその疑問を一つ残し、電話を切った。


 結局その夜、誰とも話したくない気持ちでいっぱいになって、消えたくなった。ミサキの考えていることが全然わからない。「どうしてなの、ミサキ?」虚しく放った声だけが、耳に残ってイラつかせた。無性な怒りがこみ上げてきて、ラムネを全部捨ててやろうと思った。

 窓から月明かりが漏れ出ていて、袋から覗くラムネ瓶に反射した。そういえば、トモエちゃんはミサキが泣いていたと、一言も言わなかった。ミサキはどんなに辛くても、私の前では泣いているところを見せないような子なんだ。それに、トモエちゃんなんかよりも、私のことを信頼しているに決まってる。私がミサキのことが好きだって言うことも知っている。

 妙に納得して、ラムネを捨ててやろうと言う気持ちは消えていた。それでも、やっぱりラムネのことが気になった。


 「ガサゴソ ガサガサ

  カラーン カラーン」


 ラムネは水色の光が輝いていて、水中から太陽を見上げているよう。透き通るガラスの瓶の底に、何か文字あるような気がした。歪んでいて、読めないけど、ラムネを退かすと現れた。


《私がラムネを持ってくる理由は、君が好きだって言ったから。

 でもね、残念ながら私は好きな人がいるの。君みたいに叶わない恋だけどww》


 水滴で滲んでしまっていたけど、辛うじて読めて、涙がこぼれた。思い出してしまった事実は、ラムネと同じ色をした思い出だった。

 そういえば、ミサキが私だけに教えてくれたことがあった。山田先生のことが好きだって、耳元に囁いてくれたことがあったっけ。くすぐったくて、恥ずかしい気持ちでいっぱいだったから、そんな言葉は記憶から消えていた。「山田先生のことが好きなの」都合の悪い言葉なんて、素敵な思い出には必要ない。ほんとうに、意味がわからない。

 私はどうなの、いつも一緒にいてあげたのに。あんな盗撮魔のことなんて、どうして好きになっちゃうのよ、ミサキ。もう、私でいいじゃないって変えられないことを思ってしまって、いい加減自分が嫌いになった。


「ピロリン」


 ラインの通知音がなった。止まらない涙を拭いて、画面を覗くと、ミサキからだった。開けると、短い文章で「答え合わせする?」と書かれていた。

 月明かりと画面だけが光る世界。薄暗い部屋に、ビー玉が転がる音がした。



 私はそんなミサキのことが好きだった。



 

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