私の好きな時間。
奔埜しおり
あと何度、貴女の傍で散るのかな。
夕暮れ。
放課後。
静かな空き教室。
聞こえてくるのは野球部の声と、吹奏楽部の演奏。
そして、大好きな人の、凛としていて、温かくて、どこか安心できる声。
私はこの時間が一番好き。
お互いに別の部活動に入っているから、毎日って訳にはいかないけれど。
だからこそ、こうやってすぐ隣にいられる、今この時間が好き。
「昨日さ、近所のおじさんが犬の散歩してたんだけど、おじさん、こう、少し髪の毛の分け目がいつもよりだいぶずれてて。もしかして、と思ってすれ違うときによく見てみたら、かつらだったの。いつもいい人で、ニコニコ微笑みながら挨拶してくれる人だから、笑うわけにもいかなくて。その場は堪えたんだけど、これから会うたびに思い出しそうで、いつまで堪えられるか不安なんだよね」
「それは、確かに不安かも……」
「どうしようかな。
胸が音を立てる。
緩やかに広がろうとする温かさを、必死で抑え込む。
「うーん……? 何度も遭遇して、慣らしていく、とかかな……?」
「やっぱりそれしかない?」
「だって、その人確か、お隣さんじゃなかったっけ?
「あ、言った言った! よく覚えてるねー」
「えへへ。お隣だったら、会わないようにしようとするのは難しいと思うから、もう、いっそ会う回数増やして耐性つけよう」
「そうだね、そうしようかな」
開いた窓の枠に組んだ腕を置いている私の頬を、夕方の涼しい風が撫でていく。
ふ、と隣を見れば、開けた窓の枠にもたれるようにして立っている多佳子の髪を、私の頬を撫でたのと同じ風が揺らしていく。
綺麗に伸びた艶やかな黒髪は、上品にゆらゆらと舞う。
それは、はっきりとした性格がそのまま顔に出ているような彼女を、どこか儚く見せる。
確かにここにいるのに、目を離せばどこかに行ってしまいそうな。
そんな感じ。
綺麗だな。
そんな言葉が、頭の中に浮かぶのに、声として出ないのは、そのくらい、見惚れてしまっているから。
「この間私、好きな人がいるって話したでしょ?」
さっきとは打って変わって静かな声に、無理矢理現実に戻される。
胸が痛いと叫び出す。
私はそっと、窓の外に視線を移した。
「うん」
「先週その人と話してたときにさ、高石のことが好きかどうか訊かれたの」
「……仲いいもんね、二人」
「まあ、赤ちゃんの頃からずっと一緒だったからね。あいつとはただの幼馴染、弟みたいなものだよって答えたんだ。そしたらあの人、嬉しそうにしてて。それがなんだか悔しくてさ」
「うん」
「私は男子よりも、あんたみたいなタイプの女の子のほうがいいなって言ったんだ」
「……そしたら?」
「苦笑いで、そのまま逃げられちゃった。それからはずっと話してないし、廊下で見かけてもすぐ背中見せられるようになった。照れちゃったのかな?」
多佳子はどこかおどけるようにしめた。
だけど、顔を見なくてもわかる。
多佳子は、相手が照れた、なんて、本気では思っていない。
きっと傷ついている。
だから今、私にこの話をしたんだ。
隣を見れば、多佳子は俯いていて、表情が見えない。
私は窓から離れて、数歩、歩く。
そして、少しだけ背伸びをして、多佳子をギュッと抱きしめる。
「……いつも駄目だなあ、私」
ポツリとこぼれる声。
私だって、いつも駄目だよ。
そっと胸の中の痛みが叫ぶ。
「もしも男子が好きだったら、こんな風に傷つかなくて済むのかな」
「多佳子、同じだよ、きっと。告白して傷つくのは、男の子が相手でも、女の子が相手でもおんなじなんだよ。ただちょっと、女の子のほうが、傷つく確率が高いだけ。傷が深くなる確率が高いだけ」
だって、私は多佳子に出会うまで、何度か男の子に恋心を抱いて、同じ数だけ砕けてきたんだから。
「そうだよね、私は普通だよね」
多佳子は細い。
腕に力を入れたら、あっさり折れちゃうんじゃないかと思うほど。
私にそんな力はないけれど。
「うん、普通だよ。多佳子は普通の、高校生だよ」
多佳子が弱った姿を見せるのは、私だけ。
その理由は、わかっている。
私も多佳子と同じで、そして、私が多佳子に惚れているから。
「私は、多佳子が好きだよ。大好きだよ」
「ありがとう、歩果」
背中に腕が回る。
だけど私は知っている。
多佳子は好きな人相手に、こんなにも至近距離にはいられないことを。
たとえ冗談だとしても、じゃれ合いだとしても、抱きしめることも、手をつなぐこともできない。
多佳子は、好きな人に対して、話はするけれど、いつも一定の距離を保ってしまう。
そのくせ、勢いに任せて告白をしてしまうことが多々ある。
度胸があるのかないのか。
恥ずかしがり屋なのか、そうじゃないのか。
ただの、恋愛下手、なのかもしれない。
私は、そんなところも含めて多佳子が好きだ。
好き、なんだ。
だけど、私は知っている。
私の好きが、恋愛対象としての好きだと言うことを、多佳子は理解しているということを。
だから私は知っている。
多佳子のありがとうは、ごめんねだということを。
何度目だろう。貴女の失恋話を聞くのは。
何度目だろう。好きだと伝えたのは。
何度目だろう。貴女がありがとうと言ったのは。
貴女は知っている。
私が貴女から離れられないことを。
ずるいと思うし、正直、苦しい。
それでも、届かないのなら、彼女の隣がいつか埋まってしまうのなら、せめて傍にはいたいと願ってしまうから。
彼女が失恋し続ける限り、こうやって弱った姿を見せてくれるから。
それが私だけなのが、嬉しくて、切なくて。
どこまでも対象外なんだと、理解はしていても。
やっぱり私は、この時間が一番好きだ。
私の好きな時間。 奔埜しおり @bookmarkhonno
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