第2話
駅ビルのデリと食料品店に寄って、惣菜とお酒を買う。本当は食材を買って郁ちゃんの家で料理をしたかったが、郁ちゃんの家のコンロはひとつしかないので、手の込んだものが作れない。もう夕方になっていたので、あきらめて彼女の方針に従った。
着替えと、お泊まりセットは持ってるよ。
カフェでそう言うと、郁ちゃんは顔を真っ赤にした。
……うん。なんか、きょうは荷物が多いなあ、って思ってたんだけど……そういうことね……。
片手で顔を覆う彼女を見ていると、胸がうきうきして、思わず手を伸ばした。テーブルに置かれていたもう片方の手に触れ、ぎゅっと握る。
ごめんね、急に言い出して。大丈夫?
そういうこともあるかなあ、と思って、昨日は念入りに掃除したんだよ……。
わたしの唇がゆるむ。
郁ちゃん、かわいい。
えっ。
早く郁ちゃん家行きたい。
レジ袋と買った服の入った紙袋を下げて、ふたりで並んで歩く。彼女がよく使う本屋や、クリーニング店の場所を教えてもらいながら、ゆっくりと郁ちゃんのマンションに向かう。
築浅の六階建てで、駅からすぐに着いてしまう。お金が貯まったから、去年引っ越してきたというその部屋は、
「わああ、かわいい部屋」
彼女がこだわってインテリアを選んだことがよくわかる、落ち着いた色合いだった。テーブルやベッドは焦げ茶色で、カーテンは北欧っぽい柄の深緑色。天井から赤いガラスを使った照明が下がり、マットはふかふかした芝のような感触だった。窓辺に一人用のソファと背の高いフロアランプがあり、読みかけの本が置いてある。
「ここできのう、本読んでたの?」
冷蔵庫を開けながら、郁ちゃんはくぐもった声で言う。
「……うん。そこ、好きなんだ」
「……座っていい?」
「いいよ」
「やった!」
鞄を置いて、ソファに走り寄る。からだをそこに沈めると、窓の外の夕暮れの空がよく見えた。
「いいねえ、若干西寄り?」
「若干ね。夏は西日は入らないけど、たぶんこれからあったかいよ」
「ふうん」
「静久、なにがいい?」
「しゅわっとしたやつ!」
郁ちゃんがころころと笑った。
「はいはい、シードルね」
そうして、ささやかな晩餐が始まった。プロシュートとチーズから始まり、サラダ、ディップ、電子レンジで温めたタンドリーチキンの皿を空にするころには、シードルと白ワインが一本ずつ空いていた。
「今度うちにきたら、料理作るよ! ゴージャスなやつ」
「ええ、いいよ、がんばらなくても」
郁ちゃんはお酒は好きだと言っていたが、その実あまりつよくない。もう顔が赤くなっている。
「なにがいい? フレンチ以外で」
「あ、フレンチ以外なんだ」
郁ちゃんはひとしきり笑う。顔がくしゃくしゃになる。細くて黒い肩までの髪が、さらさらと流れる。
「……郁ちゃん、眠い?」
「ん? んーん、まだ大丈夫」
ふにゃふにゃと笑う顔。
たまらなくなって、
「郁ちゃん、ベッド行こう」
わたしは郁ちゃんの手を握った。
「え、し、ずく」
「まだごはん食べる? だったらとりあえずキスしたい」
自分のしたいことだけぶちまけて、わたしはそれからおそるおそる郁ちゃんを見る。
郁ちゃんはさらに顔を真っ赤にしている。
「……ちょ、ちょっと待って。水、飲ませて」
わたしは立ち上がると、コップに水を汲んで彼女に渡した。
「はい」
慌てたように、彼女は喉を鳴らして水を飲んだ。
コップを置き、おおきく息をつく。
「……静久」
「いや?」
「……ううん。ちょっとびっくりして」
「なにが?」
郁ちゃんは耳の上の髪に手をやると、がさがさとかき混ぜた。
「……静久が、わたしの願望通りのこと言うから」
「え、じゃあ」
ゆっくり、郁ちゃんが立ち上がる。彼女がそっと手を伸ばし、わたしの肩を抱き寄せる。わたしは我慢できなくて、彼女を思い切り抱き締め返した。彼女のベルガモットの香りが鼻に広がる。いい匂い。
彼女がわたしの頬をとらえる。わたしは目を閉じて、唇に触れる彼女の唇の感触を味わう。最初はすこしだけ触れて、それからめいっぱいくっつけられて、そののち角度を変えて何度も触れあわせる。口を開けて、彼女の舌を受け入れる。わたしはずるずると彼女を押して、壁に追い込む。
「わ、わ」
彼女の片手を、壁に縫い止める。
「静久」
「郁ちゃん……」
とろんとした彼女の目を、わたしはうっとりと見つめる。それから、唇を合わせて、彼女の口のなかのぬるつく場所を、かきわけ、こすり合わせ、吸い、飲み干す。
彼女の口のなかには、タンドリーチキンのスパイスがすこしだけ残っていて、それがむしろ情欲をかきたてた。
繰り返し口づけする。互いの唾液が、どちらのものがわからなくなるくらい、わたしは郁ちゃんを貪った。
郁ちゃんの脚がふらつく。背中を壁に押しつけたまま、ずるずると腰を落とす。わたしも郁ちゃんにすがりつかれて、いっしょに床に座る。
音を立てて、郁ちゃんの首筋にキスする。投げ出されたふくらはぎを撫でて、彼女がびくりと震える。
「郁ちゃん、大好き」
じっと見つめる。
「……わたしも、静久が好き」
かすれた声でささやく彼女がいとおしくて、わたしは彼女をもう一度抱き締めた。
よそおうきみ 鹿紙 路 @michishikagami
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