よそおうきみ
鹿紙 路
第1話
これがいいよ、と彼女が勧めたのは、胸の下におおきなリボンを結んだかたちの、華やかな茜色のブラウスだった。
同じ店に入って、しばらく別々にうろうろしていたのだが、わたしの目にはまったく入っていなかった服だった。
「どう?」
「……」
地味な化粧の、ジーンズにスニーカーのわたしには、最初まったくちぐはぐに思えたのだが、じっと見つめていると自分の全身まで華やいでくるようで、わたしの顔にはゆっくりと笑みが広がった。
「……うん、いいかもしれない。買うよ」
「えっ、試着しなよ!」
「あ、そうか。そうする」
彼女を残して、試着室に入る。着ていたカットソーを脱いで、フェイスカバーを付け、ブラウスをかぶる。カバーを外し、うなじのところにあるボタンを留めて、肩を動かしてみる。
「いかがですか、お客さま?」
「大変よろしいです」
静久のふざけた声に神妙に答える。マネキンが着ていたのと、ほぼ同じイメージだ。からだも動かしやすい。
「よかった! 郁ちゃん、すごく似合ってたし! ……見ていい?」
「うん」
そっと、彼女が試着室のカーテンをひらく。顔をつっこんで、鏡を覗き込む。目の前の鏡に、わたしと静久の顔が並んだ。静久はちゃんとマスカラを付けていて、二重まぶたに長い睫毛を瞬かせる。薄くグロスを載せた唇が微笑む。
「おっ、いいじゃん! よし買おう! ボーナス出たんでしょ!」
「……うん」
言われるまま首肯する。するりと彼女の腕が伸びて、わたしの手を取った。わたしの指と指のあいだに彼女の指が入り込み、ぎゅっとからめ取られる。
「……静久」
「……レジの前で待ってるから」
そう言って、彼女は身を引いた。
わたしは大学を出て社会人四年目、彼女は専門学校卒の三年目で、歳は四つ下だ。什器商社で営業をやっているわたしと、フレンチレストランでパンを焼いている彼女の接点など、まったくなかったが、そこを結びつけたのが出会い系サイトというやつだ。文明万歳。
仕事中はできない化粧を目一杯して、休日ははりきって出かけるのが静久、平日はスーツを着てズタボロになるまで働いて、土日は室内でだらだらしたいわたし。
彼女のほうは土日は出勤なことが多かったけれど、わたしがありあまる有給を使えばどうにか会うことはできた。そうして付き合い始めて、もうすぐ三ヶ月目だ。彼女は最初、敬語で話したが、わたしがやめて欲しいというと、すぐにため口になった。会うのは、わたしが連休にしたいからと、月曜か金曜が多い。きょうは月曜日だ。わたしが行きたがる美術館や植物園は休みで、彼女の言うまま服屋の並ぶ通りに行った。
九月に入って、夏服のセールもあらかた終わっていて、店の新着商品は濃い色の秋服ばかりだ。ボルドー、ネイビー、カーキ、グレー……刺繍入りのものは流行続行で、ふくらはぎまであるアウターもまだまだ売りたいらしい。フリルのついたブラウス、太いサッシュベルト……
「なんで服屋さんで難しい顔してるの?」
「えっ、そう?」
話しかけられて、静久を見る。
「そうだよ、もっと、かわいい! とかこれ欲しい!! とか言えばいいのに」
「えっ、かわいいとかは思ってるけど。口に出さないだけで」
「そうー?」
「これかわいい。静久に似合いそう」
そう言って、わたしはゴブラン織のハンドバッグを手に取った。花柄で、アンティークゴールドの金具の装飾も凝っている。
「ちいさいよー。お財布入んない」
「……うーん。そうだね」
静久の財布は、お姉さんにもらったという、ブランドものの長財布だ。入らないだろう。
名残惜しく、わたしはバッグを棚に戻す。
「んーでもかわいい。郁ちゃんの好み、って感じ」
「そうかなあ」
言いながら、次の店へと歩き出す。初対面では洋服の趣味はまったく合わないだろうと思っていたが、お互いの好きな店でも一方が退屈にはならないものだ。相手が楽しそうにしているだけで、こちらも楽しい。
平日は灰色のスチールデスクと山積みの青白いコピー用紙、それか現場の剥き出しのコンクリートに囲まれているので、彼女といるとこころが安らぐ。単純に、綺麗な女の子はとても好きだ。いますぐにでも路地裏に引っ張り込んで抱き締めたいところだが、真っ昼間なので自重する。
静久は正社員だが、わたしよりもかなり給料が安いそうなので、あまり高い店に入ると、彼女が気を遣いそうで、そこも自重する。ほんとうは、目一杯かわいいものが売っている高い店で、湯水のようにお金を使って彼女を着飾らせたい。しかし冷静に考えるとそれは完全にパトロンのパパだ。あしながおじさんだ。彼女にいい思いをしてほしいが、そのせいで自分に気を遣われるのは、いごこちが悪かった。だから、服代も飲食代も、基本はお互い別勘定か割り勘だった。
たまに、自分と付き合っていて彼女にはどんなメリットがあるのだろう、と考えることがある。
どうなんだ?
とドツボに嵌まるので、あまりふかく考えないようにしている。とりあえず、相手の意向を訊いて、自分の願望と調整して、お互いが楽しめるようにする。デートが終わって別れたあと、帰りの電車内で反省点がぐるぐる渦巻くが、なんとか次回への方策に変えて、自分を納得させる。それがいまの、一応の着地点だ。
服屋をひととおり見終わって、カフェで一休みする。
飲食店に入ると、彼女の職業病なのか、静久の視線がきびしくなる。店内のインテリアをぼんやり見ているだけのわたしと違って、店員の動き方や、料理の味をしっかりとみているのだ。
「ここはまずまず、かな」
といいながら、彼女は紅茶を飲む。
「はあ、それはよかった」
と言いながら、わたしはブレンドを飲む。
「ねえ郁ちゃん」
「んー?」
メニューをぱらぱら見ているわたしに、静久が重々しく言った。
「きょう、郁ちゃん家に、わたし、泊まりたいんですが」
お、おう。
ばくばくと鳴る心臓のあたりに思わず手をやりながら、わたしは静久を見返した。
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